Pikes Peak
スピードのあるマシンとコントロール出来ない膨大な観衆によって大きな惨劇が招かれることは必然だった。マスコミはこぞってこの惨事を伝え1986年シーズン半ば、ついに国際自動車連盟がこれに応じてグループBを廃止した。
しかしながらグループBマシンにとっては最適なチャレンジが残されていた。
パイクス・ピークはコロラド、ロッキーにある14000フィートの高山で12マイルハーフのダートロードを頂上まで一気に駆け上がるイベント。
7月4日の独立記念日に頂上までのタイムを競うという競技が1920年代から続いていた。
クアトロの爆発的な威力を見せ付けることによって、アメリカ市場に於いて大きな宣伝効果を期待したアウディはS1をさらにパイクス・ピークに合わせたマシンに改良した。
それは600馬力を絞り出し、これまでに見た事も無いウイングを搭載していた。
ピークへのアウディの最初の挑戦はロビー・アンサーとミッシェル・ムートンによって1985年に行われた。
当時こうしたストックカーがピークを制する為にシングルシーターと競うことになるとは誰も予想していなかった。
そして1987年、観客の度肝を抜くアウディのパイクス・ピークスペシャルが登場した。
アリ・バタネンのワークス205T16と先頭を争いながらワルター・ロールはヒルクライムの最速レコードを出した。
彼はなんと12マイルハーフの道を10分と42秒85で駆け上がったのだ。