Audi
1979年にFIAが4WDマシンをグループ4のラリー規定に加えることを決定するとアウディは当時まだ未発表だったクアトロを世界ラリー選手権に参戦させることにした。 アウディは4WDのロードカーが威力を発揮するにはラリーフィールドが最適と考えていたのでクアトロのラリー活動に多額の資金を投入した。
1981年ハンヌ・ミッコラとミシェル・ムートンのドライブで300馬力4気筒ターボのクアトロがモンテカルロでデビュー、続くスウェディッシュで早くもハンヌ・ミッコラが優勝した。
クアトロは最初の年に3勝、翌82年にはシリーズ中7勝という圧倒的な強さでタイトルを獲得する。
1983年にグループBの規制が緩和されクアトロはさらにバージョンアップされ、クアトロA2となった。
やや小さめの5気筒エンジンを採用、車体が軽くなった為360馬力まで出せるようになった。
この年WRCで5勝し、ハンヌ・ミッコラはドライバーズ・タイトルを獲得した。
1984年、ハンヌ・ミッコラ、ワルター・ロール、スティグ・ブロンクビストの3人がA2でレースに参戦しマニファクチャラーズタイトルを獲得し、ブロンクビストはワールドチャンピオンとなった。
オリジナルのクアトロに比べ、A2のトラクションの強さは圧倒的だったが、ややアンダーステアでフロントが重いという傾向があった。
スポーツクアトロは1983年に発表され、翌84年からラリーに参戦した。
1気筒あたり4バルブの5気筒エンジンと6速ギアを搭載し400馬力あった初代のロング・ホイールベースのスポーツクアトロより力強く、ターマックを意識したこの代2世代のスポーツクアトロは12インチもホイールベースを短くし、そしてその結果2シーターとなった。
しかし、よりスピードが出てパワーもあったにも関わらず原型のロング・ホイールクアトロに比べるとハンドリングが悪いという問題点があった。
このハンドリングの問題を解消する為にアウディはスポーツクアトロの新型を開発した。
その名も「S1」。 この改良型は1985年半ばに登場した。
空気抵抗を減らす為のエアロ・ダイナミクス。そして重量配分を考えラジエター類はリアに移された。
S1の総重量は1200Kgでエンジンは450馬力を発生する。もっとも勇気のあるドライバーでさえアクセルを踏み切るのを躊躇った。
ワルター・ロールは1985年、サンレモ・ラリーに勝ったがS1はそれ以外のラリーで勝利を挙げることが出来なかった。
1986年、ポルトガルとコルシカでの事故に巻き込まれたあと、アウディはレースから撤退した。