Austin
ルール改正によって、出場が禁止されるまで1959年から1965年に架けてビッグ・ヒーリーは最も速く、最もタフで、最も注目されたラリーカーだった。 当時としては速かったにも関わらず、車高が低く長距離レースに適応した開発はまだ行われていなかった。
しかし、このイギリスのメーカーが1度国際レースに真剣に取り組むことを決定するとワークスチームは僅か2年で新しい無敵のマシンを造り上げた。
車の開発に於いてはさまざまな改良が加えられた。
アルミニウムのボディパネルやウェーバー製トリプルツインチョークキャブレターに合わせたアルミニウムシリンダーの4気筒直列エンジン、評判の悪かった車体下のエキゾーストシステムはサイドボディパネルを通すように改良され、原型モデルの致命的な欠陥を改良したことによって、高い信頼性のあるマシンへと新化を遂げた。
この怪物はドナルド・マーレー、ティモ・マキネン、そしてエリック・カールソンの妻であるパット・モスといった勇敢なドライバーがステアリングを握った。
1962年にはエンジンパワーを200馬力にまで上げ他のメーカーはその開発のスピードに付いて行けなかった。
1960年のパット・モスのリジェ・ソフィア・リジェでの信じられないような走りはヒーリー最初の大きな勝利だった。
しかしすぐにフレンチ・アルプスとオーストリア・アルプスラリーの勝利が続いた。
オランダ・チューリップラリーでの最速の走りとRACラリーでの4回の準優勝など、この大きな赤い車は数多くの勝利を歴史に刻んだ。