Opel
70年代にオペルは日本ではジェミニと呼ばれたカデットとアスコナによってラリー界に打って出る。 アスコナは実際1981年ヨーロッパで最も好成績を残した車だった。
ヨーロッパ選手権で8勝し、7人のドライバーを勝利に導き、さらにマニファクチャラーズチャンピオンシップに於いては4位に入賞した。
1982年オペルのスポンサーとしてロスマンズが付き、シーズンの初めから全てが良い方向に進んだ。
ワルター・ロールの手によって開幕戦モンテカルロで優勝、しかしアウディのクアトロの台頭によってワルターとオペルはシーズン終わりの10月まで勝つことが出来なかった。
オペルはアウディと共にマニファクチャラーズ・タイトルを激しく争っていて、多くのドライバー達がポイントを分け合う状況が続いていた。
ミッシェル・ムートンのクアトロがコートジボアールでリタイアすると、年間2勝だが、ポイントを確実に稼いだワルター・ロールのオペル・アスコナがドライバーズ・チャンピオンシップを獲得した。