Subaru


 スバルはラリーに最も適していないと思われた車でWRCに参戦した。

 他のメーカーがコンパクトで軽快なモデルを選ぼうとするのに対し、スバルはやや大柄なレガシーを選んだ。

スバルに多くの選択肢があったわけでなく、1989年からラリーでワールドチャンピオンシップを目指すには恐らくこのモデルしか無かったのだろう。

 スバルは経験のあるラリーチームと契約を結んでレガシーに勝算があるかどうか見極めようとした。
 GOサインが出るとスバルはバンブリーにあるプロドライブに指示をしてラリーカーの生産を始めた。

 スバルはレガシーが国際的なラリーで勝つことによってスバルのブランドイメージを造り替えようとしていた。

 速いがやや大柄だったレガシーでテストを行った後、スバルはより小型で軽量な、しかもより速いインプレッサで優勝を目指した。

 インプレッサはプロドライブによってグループA規定に沿って造られた300馬力のフラット4ターボエンジンを搭載する4WDの4ドアセダンで1993年の半ばに初めてラリーに参戦し、現在に至っている。

そしてコリン・マクレー、カルロス・サインツによる555スバルワールドラリーチームが誕生した。

 インプレッサ555の最初の勝利は1994年でその年に3勝、95年に5勝、96年に3勝と続いた。

 スバルは1995年と96年にマニファクチャラーズタイトルを獲得し、コリン・マクレーは95年ドライバーズタイトルを獲得した。

次のインプレッサは新しいワールドラリーのフォーマットに合わせて生産されたが、もちろんそれだけでは無かった。

 日本国内のマーケットを視野に入れた2ドアのこの車はホイールアーチを広げてあり、リアスポイラーが高い位置にあった。

 この目を引く車体の下にはプロドライブの経験を活かして造られた電子制御のミッションとフライバイワイヤー・スロットルコントロールが搭載されていた。

1997年に8勝しスバルは再びワールドチャンピオンシップを獲得する。

 インプレッサは21世紀を迎えた現在もチャレンジし続けている。

98年には2勝しか出来なかったが99年には5勝し、2000年には4勝した。

 インプレッサの強さはその懐の深さにもある。

 その成功はプロドライブによるものだけではない、インプレッサは1990年代を通してヨーロッパ選手権、アジアパシフィック選手権など、さまざまな国の選手権で優勝している。

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