「あび卯論 予告編」(過去日記にて一度掲載したものです)

今月始めに佐世保で小6の女児が同級生の女児を殺害するというショッキングな事件が起こった。
とはいえ、実は胸のうちではいつかこういうことが起こるだろう。とある程度、予測はしていた。
それが、実際起こったことで驚くというよりは嘆かわしく感じた。
近年の少年犯罪の多さを考えると十分に予測し得たことであり、今後もこのような事件が起こりうると確信している。
さて、メディアではネットが悪かった、小説が悪かった、いや、学校が・・・。などと、犯人探しに夢中だが、
いくら、犯人を探しても見つかるはずがない。犯人は加害者の女児そのものだからだ。
「まぁネット世界を否定するメディアにはいいネタになるんじゃない?」
とはロンド氏の発言だが、言い得て妙だと思わず納得した。
たしかに、メディアにとってはその程度の認識しかないのだろう。
では、この加害少女を作ったものはなにか。
これは、PCでもネットでも小説でもなく教育である。
人間のもっとも根本的な支柱を担うのは教育を他においてはありえない。
仮に、少女が読んでいた小説が殺人を美化、推奨する内容だったとしても健全な価値観を持った人間は殺人を犯さない。
(注:筆者はバトルロワイアルがそのような内容だと認識しておりません)
また、ネット上のやり取りが殺人の動機になったとしてもそれが、ネット悪性論の理由にはなりえない。
「ネット上ではお互いの顔が見えないからトラブルが起こりやすい。」という主張もよく聴く。
これは私も頷けるところであるが、だからこの事件の犯人はネットであるというならばバカらしい。
いずれにせよ、健全な価値観をもってすればいづれの道具を用いたとしてもこのようなことが起きるはずはない。
その健全な価値観を育むのが教育である。
学級崩壊や少年犯罪が日常となりつつある近年、教育こそもっとも重大な命題であると思う。
戦後教育の矛盾がここにあらわになってきたといっても過言ではない。
例えば、戦後の教育においては、人権や人命が尊重された。
たしかに人権や人命の尊重は大切な事だ。
が、戦後の教育はそれだけで、物事の分別、あるいは作法、礼節、規律の習得を怠ってきた。
所謂、躾(しつけ)の部分である。その、根本的な部分が抜けている人間にいくら人権だのを唱えても、それは空念仏に過ぎない。
そうやって育った子が親となっている時代である。躾が出来ようはずがない。
人権や人命の尊さを教育すればするほど、世の中では人権や人命を踏みにじる事件が多く発生するとは皮肉なものである。
戦前の教育の根幹は教育勅語にあった。教育勅語は人らしく人であるべき道、どこの国民にも通用する
国民道徳の大本を示したものであり、その内容は自然法、世界法的なものであって、栄光の明治時代を越えて
日本の傑作だといっても過言ではない。これは、現在でも台湾では教育勅語を立派に教育している学校があるし、
ドイツの元首相が公邸の執務室に教育勅語の独訳を掲げていたり、アメリカのジョージ・ウエストという学長が
教育勅語の英訳を学長室に掲げていたということからも明らかである。                               
戦後の教育目標の根幹をなしたのが教育基本法である。一見、良さそうに見えるが、非常に抽象的であり
健全な人間形成が期待できるようなないようではない。私は、別に教育勅語を復活させよと言いたいのではない。
ただ、よく悪口ばかり言われる戦前の教育の本質が少なくとも戦後のものより素晴らしいかったことだけは言いたい。
また、教育勅語復活とまではいかなくとも教育基本法は変えるべきである。
今の教育基本法では健全な子供は育たない。
さて、ここまで法的な問題点を述べてきたが、教育の一番の担い手は言うまでもなく親である。
いくら、教育基本法を変えたところで子を育てる親が健全な価値観を持ち十分な教育・躾を施さない限り健全な人間は育ちはすまい。
だが、いまさら親を公機関が教育できようはずはないので、少なくとも国家の教育の指針くらいはしっかりして欲しいものである。
今日の日本人は教育に対する自身もなくしてしまったのだろうか、或いは過信がそうさせるのか、
未成年による殺人事件が起こるとすぐに社会が悪いだのアレが悪かっただのコレが悪かっただの責任を転嫁させる。
だが、一番の原因はその子供たちを教育してきた大人たちであることを忘れてはならない。
振り出しに戻るが、この事件に関して、担任教師やクラスメイトに責任があろうはずがない。
ネットや小説などに責任があろうはずがない。答えは人間そのものにあるのだ。
精神鑑定など鼻で笑ってしまう。そんなことをやっている間は未成年による凶悪犯罪はなくならないだろう。
最近では本当に毎日のように少年が誰々を刺したなど、少年による犯罪が起きている気がする。
日本人はいい加減、教育のやり方を変えねばならぬことに気付くべきだ。

(もっと、楽しいことを書けばよかったのですがこんな内容になってすみません。
 乱文ですが、ロンドと皆さんが許す限りまた何か書きます。
 又、異論反論ございましたらお待ちしております。)
― あび卯月 ―