ちょっと真面目なコラム


友人のHomePage徒然 

 私事で恐縮だが、学生時代の友人が自分のホームページを立ち上げた。

 自分のホームページを作ることくらい別に大したことではないじゃないか、と思う方もいるかもしれないが、おおよそハイテクや機械ものには弱かった学生時代の彼女のイメージと、ホームページとはとても結びつかず、最初に知らされたときは「え?あの子が?」と、ホントにビックリしてしまった。

 しかも、ただ公開しただけではなく、たまにチェックしてみると、まめにメンテナンスされていて次々にコンテンツが増えている。内容は、彼女の暮らしの中から生まれた、生き生きとしたエッセイと、彼女の子供の成長を実に暖かい母親の視点で捉えている子育てエッセイで、等身大の彼女の気持ちをストレートに表現した素晴らしいものだ。ここ最近、私はすっかり感心させられており、楽しませて貰っている。

 ネットワーク・コミュニケーションと言う言葉が巷に現れてから随分と時間が経つが、その間に明らかになってきたことが幾つかある。そのひとつは、ネットで知り合っても、そこで終わってしまってはつまらない、と言うことだ。パソコン通信の世界では通信を通じて仲良くなったグループが「オフ」と言うミーティング(飲み会?)を良く開催しているのだが、それはつまり、書き手を知りたいと言う欲求から来る行動なのだろう。

 会って、自分の五感で相手を知ることで、ネットの向こうにいる相手を感じ、信じる事が容易になる。普段は時間的な要因や地理的な要因でネット上でしか会えなくても、相手を知っていればネット上での会話もより楽しく深いものになり、文字どおり新しいコミュニケーション手段としてのネットが真価を発揮する。

 逆に言えば、ネット上の会話だけでは、なかなか相手のことを知ることはできない。五感の働かないネット上では、ネットの向こうにいる人間を感じることは難しく、相手の人間の存在を心から信じることはなかなか難しいことなのだ。時々ネット上では、果てしない誹謗中傷の飛び交う見るも無惨な論争が起きることがあるのだが、それなどネットの向こうにいる人間を意識していないからこそ起こるのである。

 つまり結局のところ、現在のネットワーク・コミュニケーションというのは、完全には人間の感覚に合致していないということなのだろう。ネット上では、自分に仮面を被せたり、厚化粧をしたりする事が簡単に出来る。それをお互いに知っているからこそ、ネット上で知り合った相手と会いたくなるのだ。そして相手の素顔を見て、人間としての存在を感じて、初めてコミュニケーションは本物になる。

 滅多に会うことのない友人のホームページを見て、つい微笑んでしまったら、なにやら今まで体験したことのない感覚を感じて新しいコミュニケーションの存在を実感した。市民レベルのネットワークは、近い将来確実に形成される。ネットワークの未来は間違いなく明るい。

 ほんの些細なことではあるが、昔の友人が作ったホームページを目の当たりにして、ひょっとしたらこういうことが、未来のネットワーク社会の一つの姿を示しているのではないか、と思った。

22,May,1997 by Osamu Yamanaka


ここに登場していただいた、いっこさんのホームページ

「さあ、お茶にしましょう」はこちら。


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