調子が悪い 最近どうも調子が悪い。仕事でちょっと手柄をたてたかと思えば、後で大トラブルの素になって週末がなくなった。応援するサッカーチームは、TVで見ているといつも勝つのに、お金を払ってスタジアムに行ったら、今年最悪のぼろ負けを喫した。ネットオークションでは、5日前から目を付けていたものを、終了直前にちょっと目を離した隙に横取りされた。夜中に入ったファミレスでは、注文を間違えられて苦手な料理が運ばれてきた。友人にグチをこぼすと、「普段の行いが悪いんだよ」と一蹴されて相手にされず、酒を飲んだら気分まで悪くなった。
心が浮き浮きするような日々と、憂鬱に沈む日々の間に、何事もない日と言うのがあっても良さそうなものだが、自分の場合、そのどちらかしかないような気がしている。今は勿論、憂鬱な日々だ。一年365日、浮き浮きするような日々はどれくらいあるのだろう。それ以外は、全部調子が悪いのだから、なんだか生きていくのが嫌になってくる。それでも何とか日々を絶望することなく過ごしているのは、浮き浮きの日々の記憶が脳の奥深く確実に刻まれていて、遠くないうちに、きっとそんな日々がやってくると思っているからなのだろうか。
しかし、世の中の人がみんな自分のような日々の浮沈の中であえいでいるとは思い難い。友人のYの話など聞いていると、日々これ平穏といった感じで羨ましくなる。会社の同僚のIを見ていると、仕事の悩みなど何一つないみたいだ。世の中の不幸を全部背負ったような難しい顔ばかりしている上司のNも、話を聞いてみると幸せそうだし、脳天気な後輩のMなど言うに及ばずだ。どこまでも穏やかな水面を滑る船のような安定した平穏な日々を送る連中と、日々これ嵐のなかの航海のごとき浮沈を繰り返す自分との間に、どれほどの違いがあるというのだろう。
幸せのこつは多くを望まないこと、と言う人がいる。確かにそれは真理だろう。しかし、それでは浮き浮きした気持ちになることなどないのではないだろうか?だいたい幸せとは何だろう。多くを望まず、与えられたもので満足することで、幸せを実感できるのだろうか。調子がよいときと言うのは、望まなくとも望み以上の幸せがやってくる。逆に調子が悪いときと言うのは、望んでも望んでも幸せはやってこない。結局何の結論もでないまま、自分は今日も浮き沈みのなかにいる。平穏に憧れながら、どうやらようやく浮上の兆しが見えてきたと、性懲りもなく心のなかでつぶやきながら、記憶のなかの絶好調な日々よ再びと、望んでいる。
最近どうも調子が悪い。それは、自分が高望みであるが故なのだろうか?
26th,April,2002 by Osamu Yamanaka