デビュー!
私の年代というのは、野球の歴史に刻まれている大投手たちの晩年の頃に野球に興味をもつ年ごろを迎えた年代なので、彼らの実績は知っていても全盛期の姿は知らず、晩年の、よろめきながらも何とか投げている姿しか見ていない。私がテレビでよく目にしたのは、すでに敗戦処理担当のかつてのエースの姿が多かった。大洋のエースだった平松は、肘を故障してローテーションの狭間で登板し、年に5勝程度しかあげられなくなっていたし、阪急の米田は、中継ぎ専門になっていた。江夏もリリーフ専門になっていたし、ロッテの村田は、肘を故障して半引退状態だった。私がその全盛期の片鱗を知っている伝説の大投手というのは、かろうじて西武の東尾と阪急の山田ぐらいのものである。それ以外は、晩年を辛うじて見たか、伝説を知るのみだ。
そのむかし、「甲府の小天狗」と呼ばれた高卒ルーキーの投手がいた。昭和41年、高校を卒業と同時にデビューし、快速球とドロップ(今で言う落差のあるカーブ)、抜群のマウンド度胸で、デビューしたばかりのプロ野球の世界で、面白いように白星を重ねていった。結局デビューから無傷の13連勝を飾り、最終的に16勝2敗というとてつもない数字を残して、当然のように新人王をさらっていった。高校を卒業してすぐの年に10勝以上をあげた投手は、いまのところ彼以来登場していない。彼の名前は、堀内恒夫という。現役時代、その強気で生意気な言動から「甲府の小天狗」「悪太郎」と呼ばれ、練習嫌いで有名だった堀内だが、昭和41年から昭和52年まで13年連続二桁勝利を挙げるなど現役通算203勝(139敗)をあげ、紛れもなくV9時代の巨人を支えた大エースだった。
練習嫌いで有名だった堀内だが、実はもうひとつ隠れた伝説がある。明け方の誰もいない巨人軍合宿所のグラウンドを、一人黙々と走っている男がいた。一体誰だ?と思って、当時の新聞社の記者がその男の顔を見ると、なんと堀内だった。その日、記者が堀内に「今朝すごい早い時間にグラウンドで走ってましたね?」と聞くと、堀内はバツが悪そうに「昨日深酒したから、酒を抜いていたんだ」と応えたのだそうだ。しかし、翌朝も、その翌朝も、記者がグラウンドへいってみると、やはり堀内は走っていたという。練習にしょっちゅう遅刻してきたり、全体でのランニング練習が大嫌いで、そう言うとき決して真面目に走らないことなどから、「悪童」とも呼ばれていた罰金常習犯の堀内だったが、記者が合宿所の職員などに聞いて調べてみると、実は毎朝誰もいない時間に一人起きだして、早朝にランニングをこなし、それからまた布団に入って寝ていたらしいことがわかったのだった。人前では汗にまみれた努力をすることを拒んでみせる堀内だが、実は誰よりも自分を厳しく律し、人知れずエースであり続けるための地味な努力を重ねていることを知った記者は、それ以降、たとえ堀内が前夜の試合でメッタ打ちにあっても、彼を非難する記事は決して書けなくなったそうである。
先日、派手な公式戦デビューを飾り、スポーツ関連の話題を独占中の西武ライオンズ・松坂だが、私には、なぜか彼の姿のなかに、堀内の伝説のデビュー当時の姿が重なって見えてくる。もちろん堀内のデビューをこの目で見たわけではない。あくまでも読み物のなかの世界、つまり伝説の時代の話として知っているに過ぎないのだが、なぜかそれが松坂の姿と重なりあう。松坂が練習嫌いだとか、生意気だとか言いたいわけではない。いや、どんなに生意気でも構わない。故障と慢心さえなければ、松坂には「伝説」を大いに期待できると思うからだ。生意気で有名だった堀内も、陰では自分を鍛えることを忘れてはいなかった。今年、私は松坂に、高卒ルーキーとして堀内以来の快挙を期待するとともに、堀内がその後歩んだような、大投手としての未来を期待している。今まで、伝説として伝え聞くことが多かった大投手のサクセスストーリーを、リアルタイムに目撃しながら、後に伝説を語りたい。松坂のデビューを見て、非常に勝手な思いではあるが、そんなことを考えた。
※私は大のサッカーファンなのだが、松坂の155km/hの速球に惚れた。つまり、そういうことである。
10h,April,1999 by Osamu Yamanaka