平成の大人 30代も半ばになって、昔のことを思い出すことが増えたようだ。私は元から昔を思い返す事が多い方だったのだが、ここ最近の思い出し方は以前とはちょっと違う。以前は、昔を思い出すと言っても昔の自分を思い出すだけで、それ以上でもそれ以下でもなかった。昔は良かったと言うわけでもなく、後悔するわけでもなく、ただ漠然と「あんなことがあったな、その時自分は・・・・」と思い出すのだ。しかし、最近は昔の自分を思い出す以上に、昔一緒に時間を過ごした人のことを思い出すことが増えてきた。例えば、高校時代に一緒に全国大会に出場した仲間のこととか、大学時代に日比谷野音でコンサートをやったときに一緒にスタッフをした仲間。初夏に駒沢公園で練習をしたときに一緒だった仲間。同じクラブでそれこそ嫌と言うほど顔をつい合わせた仲間のことなど、つらつらと思い出す。一緒に時間を過ごした人の顔が、一人づつ時々ふっと思い出され、「あいつは今頃何をしているんだろう?」と思いに耽っている自分に、はっ、と気づくことがあるのだ。
人間、過去に沈殿するようになったら終わりだとも言うが、今の私が過去の仲間のことを思うのは決してそんな後ろ向きな感じではない。何というか、自分の今の生き様と、かつて一緒に過ごした仲間の今とを、リンクさせたい、比べたい、とでも思っているのだろうか?それとも、それなりに幸せな日々を送っている自分に満足して、かつての仲間の幸せを祈る心境にでもなったのだろうか?自分の気持ちなのだが、はっきりとは判らない。しかし、単純に懐かしむような後ろ向きな気持ちではないことだけは確かだ。それどころか、インターネットなどで、かつての仲間の現在の活躍ぶりを知ったりすると、「俺は何をしているのか?こいつには負けられない」と、変なファイトが湧いてきてしまうぐらいだ。
今の時代の30代半ばは、ようやく精神的に成熟し、大人に変貌する時期なのだと言う人がいる。明治時代の20代の写真と、現代の20代の写真を並べてみると、現代の20代の幼さに愕然としてしまう。同時に、明治時代の20代の堂々たる肖像はどうだ。彼らに対抗しうるのは、平成の現在ではせいぜい30代も半ばを過ぎた人間でないと釣り合わない。残念ながら、現在30代の私はそのことを認めざるを得ない。平成に生きる私たちは、いまさらながら大人になって、子供だった自分の子供だった仲間が、今どういう大人に変貌しているのかに、大いに興味があるのかもしれない。そして、社会の中で一人前に自分の縄張りを持ったその次には、一人前になったであろうかつての仲間の縄張りの事が気になるのかも知れない。そして彼らの生活が幸せであることを祈りつつも、しかし自分より彼らの方が先に大人として活躍している事を知ると、俄然対抗心を燃やしてしまうのだろうか。かつての仲間の成功を知って、純粋に彼らの成功を喜ぶには、私たちは、きっとまだ若すぎるのだ。
30代半ばの私たちが、ふと昔の仲間のことを思いだしてしまうのは、自分も大人になったと言うサインなのかも知れない。俺は大人になったぞ、お前はどうだ?と、無意識のうちに今は会うことのできない昔の仲間に対して、そんなサインを発信しているのだ。平成12年の30代は、バブルの世代などと言われて、世間からの受けは今ひとつよろしくない。リストラのための人減らしの対象になるのではないか?等と疑心暗鬼を呼び覚まして不安を煽るマスコミの餌食になりがちなのも、今は正にこの世代だ。しかし、そんな事を気にしてはいけないのだろう。我々は、最近一人前の大人になったばかりなのだ。鏡に自分の顔を映して、30代半ばにしてようやく手に入れた大人としての風格を備えた自分の顔を眺めてみよう。そして、自信と自覚を持って堂々と振る舞おうではないか。かつて一緒に子供だった日々を過ごした仲間とともに今まさに大人になった、パワーと風格を兼ね備えた一番若い大人の一人として。
5th,September,2000 by Osamu Yamanaka