この道〜Strong Spirit〜 元横綱の若乃花が書いた自伝「ストロング・スピリット」の前半部分には、「自分にはこの道しかないんだ」と言う言葉が何度か出てくる。この道しかないから、もっと稽古してもっと強くなって、早く自分の意志で好きなことができるようになりたい。その一心で、弟・貴乃花と人一倍ハードなトレーニングに励んだ新弟子から大関になるまでぐらいの期間のことが詳しく書かれている。それ以降の後半部分は、大関横綱としての責任感、若貴絶縁騒動、離婚騒動など、どちらかと言えばワイドショーネタ的なことにページが割かれている。それはそれで正直な心境の変化の過程を告白していて面白く、彼の頭の良さと生真面目さが伺える自伝だと思う。
若乃花の戦績一覧を眺めてみると、彼が武蔵丸を極端に苦手にしていたことが判る。他の力士との対戦成績では、見劣りする相手は一人もいない。しかし、武蔵丸にだけは大きく負け越しているのだ。本の中で、若乃花は一度も武蔵丸戦のことを詳しくは語らないが、同門の貴之浪や貴乃花が武蔵丸と戦って敗れた相撲に関する描写の中では、何度も「武蔵丸関の"待った"でタイミングを外されて敗れた」ことが記されている。多分、若乃花自身が、武蔵丸のテクニカル・ファール(待った)を一番苦苦しく思っていたに違いない。自分の相撲ではなく、他の力士の相撲を描くことで、「まともに立ちあってくれてさえいれば、自分は武蔵丸にもっと勝てたはずだ」という悔しい心情が逆に溢れ出してているのだ。この本は一事が万事この調子で、書いてはいけない、書きたくはないことさえも染みだしてしまうぐらい、彼の本当の思いがこもった本になっている。「書いてはいけない」ことが増えたであろう後半部分の歯切れは悪いが、様々なことを考えさせられる内容のある本である。
ところで、30歳を前にしてとても内容のある一冊の自伝が書けてしまう若乃花と、現在までの自分の歩みとを比べてみると、また別の思いが頭をもたげてくる。学生時代から今に至るまでの自分の歩みを思うと、自分の停滞の実感が、もの凄い焦りと共にわき上がってくる。若乃花が十代半ばで「この道しかない」と思いを定め、それこそ一心に歩んできた姿と己を比べると、自分がいかにも情けない。情けなさの源は、「このみちでいいのか?」という根本的な問題が解決されていないことに起因する。今頃何を悩んでいるのか?と思わないではない。しかし、特にここ最近の5年間の空虚な歩みを思うとき、その思いは非常に深刻な焦りとなる。そして焦れば焦るほど、自分にとっての「この道」が見えなくなり、事態はいよいよ深刻さを増してくるのだ。最近は、何をやっても誰といても全然楽しむことができず、かつての楽しみは全て、ただ現実から目を背けて気を紛らわしているだけのように感じてしまう。今の自分は、このままでは精神病になってしまうのではないかと思うほど深い悩みが心を支配する中で日々憂鬱の中に暮らしているのである。
「自分にはこの道しかないんだ」と思った道を真っ直ぐに歩いた若乃花の真っ正直な自伝を読み、一つの結論を得るに至った。ここ最近の焦燥感の源が「この道」を見失っていることに起因しているのならば、思い悩み続けている自分にとっての「この道」を今からでも見つけだし、その道へ引き返すべきだ言うことだ。それは、既に社会人として十数年を生きてしまい、若乃花の引退した年齢を遙かに超えている自分にとって決して簡単なことではないのだが、今の自分の姿に納得がいかない以上、もう一度人生の転換点を意図的に作り出し、どこかで間違えた自分の歩みを正しい方向にむき直すために、再度曲がり角を曲がる必要があるように思うのだ。「自分の道」がどこにあるのか、まずはそれを探し出さなければならない。新しい悩みが増えてしまったが、それは後ろ向きの悩みではない。むしろ、わずかながら光が見えてきたようだ。現在の自分に対する悩みが深刻であればあるほど、次に道を曲がるのに躊躇はないだろう。そう思って、今は深い悩みの中で日々のたうち回っている。近日中に、人生の転換点を、今度は躊躇無く正しい方向へ曲がるために。
28st,August,2000 by Osamu Yamanaka