ちょっと真面目なコラム


手紙〜1998年の尾崎豊〜

 いま、尾崎豊のTV番組をやっていて、彼が同い歳であることを知りました。同じくらいの年代だと言うことは知っていましたが、ぴったり同じだったとは・・。尾崎がデビューし、もっとも輝いていた頃、自分もバンドやったり、曲を作り始めたりしていた頃だったので、当時は素直に聴く気にはなれず、実は一度もちゃんと聴いたことのなかった彼の曲を、改めてこういう形で聴いてみて、今は素直に感動できる自分になっていることを知りました。昔は、「尾崎なんか、音楽的には全然大したことはない」と思っていた(今でもそう思います)のですが、音楽的にどうのこうのと言うことよりも、圧倒的な存在感、素直で率直な歌詞と感情表現、当時の彼の生き様のすごさ、素直な魂がストレートに伝わってきて、ごく自然に感動しました。

 十代の彼は、エンターテイナーではないな。本気で歌い、本気でメッセージを語っていた。

 本当に純粋であったが故に、二十歳を超えた頃、自分の信じていたロックの世界と現実の芸能界の落差に気づき、信じていたものが壊れて、散々苦しんだんだろうな・・・。自由を求め、自由であることを実践していたはずの自分が、いつのまにか、真摯に自分のメッセージを求め、聴く人たちだけのためではなく、金儲けのために自分を利用する人たちの中で縛られている現実に気づいたとき、彼はどう思ったんだろう。それでも、「伝えたい」「認めさせたい」という気持ちが表に出ていたときには、そんなことは大した問題ではなかったんだろうけど、その気持ちが少しでも揺らぎ、現実だけが目の前に迫ったとき、何を考えただろう。

 デビューライブの謙虚な姿と、死が近づいてきた頃のちょっと尊大な態度・・・。 それでもステージでは、最後まで真摯で誠実でひたむきな態度で演奏し続けたことは、彼が聴衆だけは最後まで心の底から「自分を、きっとわかってくれる」と信じていたことを感じさせられます。

 尾崎は十代で伝説を作り、死ぬまでその伝説に縛られながら、必死に自由になろうとしてもがいていたように見えます。聴衆が、二十歳をずっと超えた彼に期待するものは、成長した彼の姿であるとともに、十代の頃とかわらない彼の姿でもあったわけで、そのギャップは、エンターテイナーになれない彼を散々苦しめたんだろうな、と。何となく、そのあたりの感情は自分にも理解できます。

 尾崎と正反対なのが、50歳を越えてもプロとしてステージで暴れてみせるミック・ジャガーなんだろうな。二人とも観客に対して誠実であることは同じですが、その中身は全く正反対です。

 サザンの桑田ほど柔らかい頭と音楽的な才能を持たず、佐野元春ほど自分の才能を信じ切れなかった尾崎は、あくまでも普通の人と同じ種類の、しかし数百倍も研ぎ澄まされた感性を持った人間だったのだと思います。尾崎と同じ時代、同じ時間を生きていた人なら、誰もが彼のことを素直に受け入れられるのは、彼が、あくまでも普通の感性を持ち、それを研ぎ澄ました人間だったからなのでしょう。また、時代を超えて、今初めて尾崎の姿を観、歌を聴く人たちにも尾崎が受け入れられるのは、彼が時代の中で感じ、表現したことは、その時代特有のことではなく、普通の人間の本質に触れるものだったと言うことでもあるのでしょう。

 今尾崎が生きていたとしても、1984年頃から1986年頃までの圧倒的に発散されるパワー、魂の輝きは再現できないかもしれない・・・・と思うと、同い歳だけに、ちょっと寂しくもなりました。十代の純粋なパワーというのは、世界を知らないが故に出せるものと言う側面もあるんだろうな。でも今は今で、知っているが故に出せるパワーもあると思っていますので、32歳の尾崎も、やっぱり観たかったな・・・。

 尾崎のお墓は、自分のオフィスのそばの護国寺にあるのだそうです。今度、お参りに行って来ようかな・・・。

 尾崎のCD、今更ながら買いそろえてしまいそうです(^^)。

1st,April,1998 by Osamu Yamanaka


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