第三章          あと三勝
 あの時のパリーグは熱く燃えていた。
 昭和五五年、このシーズンは前年の近鉄と阪急の死闘をも凌駕しかねない程の戦いの連続であった。まずは前期ロッテが優勝した。当時のパリーグは前期と後期、二つのシーズンに分かれていたのだ。
 この制度には問題があった。前期を優勝したチームはプレーオフの優勝決定戦に出られることが確実な為後期にはやる気をなくしてしまうということである。
 これは当初から言われていた。そのせいであろうか。ロッテは後期には首位戦線から離脱した。
 だからといって戦いが終わったわけではなかった。後期の優勝を巡って死闘が続いていた。
 だが争うその数は減っていった。まずは南海と阪急が落ちた。前年度近鉄と最後まで死闘を繰り広げた阪急もこの年は元気がなかった。
 次には西武が落ちた。そして残るは近鉄と日本ハムだけとなった。
「面白いな、立教対決だぜ」
「おお、長嶋と杉浦以来か」
 ファン達は試合を楽しみながらそんな話をしていた。近鉄の監督である西本幸雄、日本ハムの監督である大沢啓二、共に立教大学出身であった。
「わしといいあいつといい立教の奴は頑固な奴ばっかりやな」
 ある時西本は向かいのベンチにいる大沢を指差しながらそう言って笑った。
 西本幸雄、闘将とさえ呼ばれた不世出の名将であった。大毎、阪急、そしてこの近鉄を率いて優勝すること七度、その選手育成能力の高さと炎の様に熱い人柄で知られていた。
 対する大沢も将としての手腕は定評があった。選手育成の手腕も高くそのアグレッシブな野球はパリーグの監督達の中でも人気が高かった。
 そしてその人間性も。短気で手は早いが繊細で心優しかった。サングラスをかけ威圧感のある体格と風貌をしていた。口調も江戸っ子の言葉であり何かと過激なことを言う。だが誰よりも選手達のことを想い我が子の様に可愛がってきた。
 それは西本も同じであった。だからこそ彼等に人はついてきたのである。
 その二人の対決となったこのシーズンは激戦となった。日本ハムにはルーキー木田勇がいた。彼はその左腕で完封を続けチームの快進撃の原動力となっていた。
 対する近鉄はいてまえ打線があった。その圧倒的な打撃力で敵の投手陣を次々と粉砕していった。
 しかし近鉄には弱点があった。投手陣が不調だったのである。狭い藤井寺のせいであろうか。投手陣はホームランを打たれることが多く毎試合つるべ打ちにあっていた。
 その中で右のサイドスロー柳田豊だけが好調であった。しかし彼も遂には打ち込まれた。
「ご苦労さん・・・・・・」
 西本はマウンドを降りる彼に対してこう言った。さしもの西本もこの時ばかりは諦めたかに見えた。
 だが諦めるにはまだ早かった。近鉄は残り三試合に全て勝てば優勝するということになった。
「あと三試合か」
 西本は新聞を見ながら呟いた。そして順位表を見た。
 首位はやはり日本ハム。マジックは一となっている。次の試合に勝てば優勝だ。
 それに対して近鉄は三戦全勝しなければならない。優勝は絶望的だと誰もが思っていた。
「おい、どう思う?」
 西本は側にいたコーチの一人に問うた。
「どうと言われましても・・・・・・」
 彼も悲観的であった。やはりこの状況では優勝が難しいことは誰の目にも明らかであった。
「あと三勝やな」
 西本は彼に対して言った。そしてカードを見た。
「この試合、絶対勝つで」
 そう言うと席を立った。そして側に置いてあった鞄を手にした。
「後楽園へ行く準備や。すぐ出発すんで」
「は、はい」
 コーチは西本に急かされるようにしてその場をあとにした。西本が見たそのカード、それは首位日本ハムとのカードであった。

 一〇月七日、後楽園球場は満員となった。巨人の試合ではない。パリーグの試合である。球場は異様な熱気に覆われていた。
「今日で決まりか。東映の時以来だな」
「何言うとるんや、西本さんは今日の試合を足掛かりにするんや」
 観客達はそう話していた。そして試合の開始を待っていた。
 近鉄ナインは部屋に集められていた。その前に西本が立っていた。
「あと三勝や」
 西本は彼等に対して言った。
「あと三勝で優勝や!」
 選手達はその言葉に当初戸惑った。だがすぐに西本の言葉に気付いた。
「はい、あと三勝ですね!」
「そうや、それで優勝や!」
 選手達の意気は上がった。西本はそれが狙いだったのだ。
「よし、これでええ」
 彼はそれを見て笑った。固くなりそうなナインに暗示をかけ戦い易くしたのである。そしてこの日の先発鈴木啓示に声をかけた。
「スズ、今日は五点勝負や」
 そう言葉をかけた。四点まではとられてもいい、と。
「わかりました」
 鈴木はそれを聞いて頷いた。鈴木は彼に暗示をかけられたのだ。
 こうして西本は試合前の準備を終えた。これで勝つ為の手は全て打った。
 ベンチに姿を現わした近鉄ナイン。それを見て大沢は自軍のナインに対して言った。
「おい、今日で決めるぞ」
 威勢のいい言葉であった。
「何も心配はいらねえ。一気にドドーーーンといくぜ」
「はいっ!」
 彼は選手達の力を信じていた。そしてこの日の先発高橋一三の方へ顔を向けた。
「まずはおめえに任せる。胸張って行け」
「わかりました」
 高橋は彼の言葉を聞き頷いた。彼は大沢に対し微笑んでいた。
 彼は巨人にいた。あのX9時代は左のエースとして幾度も胴上げ投手になっている。
 しかし衰えが見られたとしてトレードに出された。その彼を温かく迎えたのがこの大沢だったのだ。
「俺は日本ハムの高橋だよ」
 彼はよくそう言った。最早彼は巨人ではなく日本ハムに心があったのだ。
 大沢はまずはその彼にマウンドを託した。そしてこう言った。
「無理する必要はねえからな。おめえはおめえの仕事をしてくれ」
「はい」
「そして時が来たら・・・・・・」
 彼は顔を移した。そこには別の男がいた。
 背番号一六.左腕の男であった。
「おめえの投入だ。頼むぜ」
「はい」 
 その男は答えた。顔が真摯なものであった。
 この男が木田であった。ルーキーながら投手のタイトルを総なめする勢いでありこの年のパリーグの台風の目であった。
「あとは何処で投入するかだ」
 大沢は近鉄ベンチを見て言った。
「向こうの打線はすげえからな。だがおめえ等に全てを任せるからな」
 そう言った時の大沢の決断力は凄かった。彼は何処までも選手を信じる男であった。
 試合前のやりとりは終わった。そして戦いがはじまった。
 
 まずは日本ハムが攻撃を仕掛けた。二回裏鈴木から一点をもぎ取ったのである。
 場内は喚声に包まれた。大沢はそれを聞きながらほくそ笑んだ。
「幸先がいいぜ。まずはうちが先制だ」
 だが西本は動じなかった。九番の吹石徳一がツーベースを放った。
 これを見た大沢が動いた。そして審判に告げた。
「ピッチャー、木田」
 これを聞いた後楽園の観衆が一斉に喚声をあげた。木田はその中をゆっくりと進んだ。
「もう出て来たか」
 西本は木田の姿を見て呟いた。そして投球を見ていた。
「成程な」
 彼は木田を丹念に見ていた。心なしか木田は疲れていた。
 やはり今まで投げ過ぎたのであろう。新人でありながら大車輪の活躍でチームをここまで導いてきた。その疲労が限界にまできていた。
「普段の木田やったら打てんところやがな」
 彼はそこでベンチにいる自ら育てた選手達を見た。
「今やったら打てる。こいつ等やったらな」
 だが木田も踏ん張った。二死をとり三番の佐々木恭介を迎えた。
 佐々木は西本に心酔していることで知られていた。特にその打撃指導をよく教わりそれを最も積極的に学んでいた。褌をはきかっては相撲もしていた古風な男だ。そしてその左投手に対する強さは有名だった。
 その佐々木が打った。木田のストレートをセンター前に弾き返した。
「よし!」
 既に吹石はスタートを切っていた。そしてホームを踏んだ。これで同点である。
 試合は振り出しに戻った。だがいつもの木田なら問題はなかった。この後は完璧に抑えるからである。
 だが今日は違っていた。
「監督、まずいですよ」
 木田の球を受けるキャッチャー加藤俊夫が大沢に言った。
「どうしたんだ?」
「木田のストレートにノビがないです」それにカーブも」
 木田の武器はパームとスクリュー、特にキレのいいカーブであった。それが通用しないとなると。結果は目に見えていた。
「そうか、だからさっき佐々木に打たれたのか」
「どうします?」
「どうします?決まってんじゃねえか」
 大沢は加藤に対して言った。
「うちはここまで木田でやってきたんだ。今日も木田でいくぜ」
 彼はここで持ち前の男気を見せた。彼はその男気でチームを引っ張ってきた。ここでもそれを見せた。
 だがそれで抑えられる相手ではなかった。相手は打率、ホームラン数共にこのシーズンで新記録を打ち立てたいてまえ打線である。如何に木田とはいえ不調の状況では防ぐことのできる相手ではなかった。
 いてまえ打線の怖ろしさ、それは下位打線であろうとも打つことであった。例え控えでも二桁のホームランを放つ者までいた。そして連打もあった。
 四回表木田は捕まった。まずは有田修三がセンター前に弾き返した。続けてアーノルドも。次の栗橋茂は四球だった。満塁である。そしてここで先程ツーベースを放った吹石である。
「気にするな、ゲッツーを狙え!」
 大沢が檄を飛ばした。彼は木田に全てをかけた。
 だがこの日吹石は好調だった。そのバットが一閃した。
「しまった!」
 木田は思わず叫んだ。打球は流星の様な速さで右へ飛んだ。
 入りはしなかった。だが明らかに長打コースであった。
 まずは有田がホームを踏む。アーノルドも。そして栗橋が三塁ベースを回った。
「クッ、止めろ!」
 大沢が叫んだ。だが遅かった。栗橋は長打で知られた男だが足もあったのだ。
 三点が入った。打った吹石は三塁ベース上でガッツポーズをしていた。
「やられたか・・・・・・」
 日本ハムナインは彼を見て歯噛みした。それに対して近鉄ナインはもうお祭り騒ぎだった。
「ようやった、吹石!」
 大阪から後楽園に乗り込んできた近鉄ファン達が三塁側から歓声を送る。
 吹石はそれを聞きながら笑っていた。三塁ベンチにいる近鉄ナインもだ。
「よう打った」
 西本は彼を見ながら心の中で呟いた。
「けれどまだまだ試合は中盤や。ここで気を緩めたら終いや」
 そしてベンチに座る鈴木を見た。
「あとはスズが何処までやるかもあるな」
 そして顔をグラウンドに戻した。向こうでは怒りに燃える日本ハムナインがいた。
 日本ハムも諦めてはいなかった。彼等とて優勝がかかっている。その執念は近鉄に負けてはいなかった。
 まずは島田誠が三塁打を放った。彼はベース上でホームを睨んでいた。
 次は強打者柏原純一である。南海から移籍した男であり野村に一から育てられた。今は日本ハムの和製大砲である。
「ここで打ったら一点差だぞ!」
 ファンが柏原に声を送る。だがここでは鈴木の執念が勝った。柏原は三振に終わった。
 しかし日本ハムもまた強打のチームであった。当時はビッグバン打線という言葉はなかったがそれに匹敵する強打のチームであった。
 四番にはプエルトリコから来た助っ人クルーズがいた。パワーと堅実な打撃を併せ持つ男であった。
 その彼が打った。打球はセンター前に飛んだ。
「よし、やってくれたな!」
 大沢はそれを見てベンチから立った。そして帰って来る島田を迎えた。
「まだまだ負けちゃおらんぞ!」
 大沢はその大声でナインを激励した。だが西本はそれを冷静に見ていた。
「大沢、大分焦っとるかもな」
 彼は大沢の性格をよく知っていた。大学の先輩後輩だけではない。長い間互いにチームを率いて戦ってきた間柄である。その為彼の性格は知り抜いていた。
 六回表、西本はバッターボックスに入るアーノルドに対し声をかけた。
「思いきり振っていけ」
「オーケー」
 アーノルドは頷いた。そして打席に入った。
 そのアーノルドが打った。打球は日本ハムファンがいるライトスタンドに飛び込んだ。
「また打ちおったか・・・・・・」
 日本ハムファン達はゆっくりとベースを回るアーノルドを見て歯軋りした。西本は彼を笑顔で迎えた。
「ようやった」
「サンキュー、ボス」
 アーノルドはその髭の顔を綻ばせて応えた。これでまた三点差となった。
 やはり木田の疲れは隠しようがない。遂にホームランまで許した。マウンドにガクリ、と膝を付く木田。それは今の日本ハムの状況そのものであった。
「終わりか・・・・・・」
 観客達が絶望しようとしたその時だった。だがここで諦めていない男が一人いた。
「まだ試合は終わっちゃあいねえぞ!」
 大沢はナインに対して叫んでいた。
「いいか、うちは今日で決まるんだ、あれを見ろ!」
 彼はそう言って後楽園に置かれた丸い球を指差した。
 クス球である。今日日本ハムが優勝することを考えスタッフが作ったものだ。
「お客さんもあれが開くのを心待ちにしている、そしてあれを徹夜で作ったスタッフもな!」
 これが大沢であった。彼は常にファンや裏方のことも考えて野球をしていたのだ。
「そうした方々の為に最後まで諦めるな。いいな、諦めたら終わりだ!」
「はい!」
 ナインはその言葉に奮い立った。三点差という状況でも闘志を失わない彼を見てナインも気合を入れ直した。
 それに対し西本は鈴木の投球を黙って見ていた。元々は速球派で鳴らした男である。だが今は技巧派に転向している。有田とのバッテリーは西本の采配の中でも白眉であった。
 強気のピッチャーとキャッチャー、一見合いそうにもなかったがこれが意外な程合った。そしてチームを勝利に導いていった。
「監督、今日のスズはそこそこいけますね」
「そやな」
 西本はコーチの一人の言葉に対し頷いた。
「確かに五回まではええ。やけど」
 今は六回裏。見れば鈴木の球威が落ちている。
「そろそろ用意しとくか」
 そしてベンチに座る一人の男に声をかけた。
「イモ」
「はい」
 パンチパーマの男が顔を上げた。井本隆。近鉄の右のエースである。抜群のマウンド度胸が売りである。
「ブルペン行って来い」
「わかりました」
 彼は頷くとそのままブルペンへ向かった。そしてマウンドにいる鈴木に顔を戻した。
「あとはあいつがどれだけ踏ん張ってくれるかや」
 彼は試合前に鈴木に言った言葉を思い出した。
「今日は五点の勝負やからな」
 鈴木は六回は三者凡退に抑えた。そしてベンチに帰って来た。
 見れば疲れが見えだしている。西本はそれを見て思った。
「やっぱりイモを行かせたのは正解やったな」
 その言葉は七回に的中した。
 七回裏、大沢は動いた。九番の菅野に代打を告げた。
「代打、富田勝」
 富田であった。複数の球団を渡り歩いてきた業師である。
 その富田が打った。ライトへのツーベースであった。
 これが反撃のはじまりであった。一番の高代延博もツーベースを放った。
 まだまだ続いた。島田と柏原も打った。これで二点が返った。
 尚も無死一、二塁。そして打席にはクルーズである。後にはサモアの怪人と謳われた巨漢ソレイタもいた。
「監督」
 クルーズとソレイタを見てコーチの一人が西本に声をかけた。
「言いたいことはわかっとる」
 西本は一言そう言った。
 鈴木にも弱点があった。それは一発病である。速球勝負を挑むことが多いせいかやたらとホームランを打たれた。その数は歴代一位である。
「そやがここはあいつに任せる」
 西本はそう言ってベンチから動かなかった。腕を組み鈴木の投球を見守った。ここは彼のプライドと意地にかけたのである。
 それは的中した。鈴木は見事クルーズを三振に打ち取った。そしてソレイタも。そして六番の服部敏和がバッターボックスに入った。
「打て!逆転だ!」
 日本ハムファンは服部に声援を送る。服部の顔が紅潮した。
 だがバットは空しく空を切った。三振に終わった。
「よし!」
 思わずガッツポーズをする有田。マウンドの鈴木も笑った。ナインは大喜びでベンチに引き揚げる。
「しまった・・・・・・」
 服部はボックスでうなだれた。だがそれをネクストバッターサークルにいた加藤が近付いて声をかけた。
「まだ二回ある。気を取り直して行こう」
「・・・・・・ああ」
 服部はチームメイトの言葉に励まされ立ち上がった。そしてベンチに戻りグラブを手にとった。
「あと一点だ、いけるぞ!」
 日本ハムのファン達も興奮していたあの連打が彼等を燃え上がらせたのだ。
 だがそれを打ち砕く男がいた。有田が打席に入った。
 有田が強気なのはリードだけではない。そのバッティングもそうであった。そしてパンチ力も備えていた。
 その有田が打った。打球は日本ハムファンの絶叫を近鉄ファンの歓声を乗せてレフトスタンドに突き刺さった。
「これで終いだな」
 大沢はそう呟くとベンチを出た。そしてピッチャー交代を告げた。
 木田はマウンドを降りた。大沢はそれを迎えた。
「よくやってくれたよ」
「・・・・・・有り難うございます」
 木田はそう呟くとそのままベンチに姿を消した。その背が全てを物語っていた。
 その回の裏近鉄は予定通り井本を投入してきた。キャッチャーも梨田昌崇に変える念の入れようだ。
 しかし日本ハムナインも只で負けるわけにはいかなかった。その井本から一点を奪った。
 だがそれまでであった。九回裏には左のクルーズに合わせて左腕の軟投派村田辰美を投入してきた。
 クルーズも倒れた。そしてソレイタも。ソレイタのバットが村田のフォークの前に空しく空を切った。それで全てが終わった。
「終わっちまったな」
 大沢はそれを見て一言言った。
「帰るぜ」
 彼は選手達にそう言うとベンチをあとにした。その彼を報道陣が取り囲んだ。
「残念、無念だな」
 大沢は報道陣の質問に対してそう答えた。
「まあまだ優勝しねえ、って決まったわけじゃねえしあとはゆっくり見させてもらうとするか。けれどな」
 彼はここで報道陣に対してニヤリ、と微笑んだ。
「いいゲームだっただろう。選手達はよくやってくれたよ。褒めてやってくれ」
「は、はい!」
 報道陣は最初その言葉にキョトンとしたがすぐに頷いた。大沢はそれを見て満足気に微笑んだ。
「負けたのは確かに悔しいがな。けれどあいつ等は本当によくやってくれたよ。この試合だけじゃねえ。このシーズン全部の試合でな」
 その顔には悔しさはなかった。満ち足りたものがそこにはあった。
「俺はそれが一番嬉しい。来年優勝すればそれでいいさ」
 そう言うと監督室に姿を消した。その彼を誰も責めようとしなかった。
「そうか、大沢はそんなことを言うとったんか」
 西本もまた報道陣に取り囲まれていた。そして大沢の話を聞かされそう感慨深そうに言った。
「あいつらしいな。けれどこっちも耐えに耐えた。そのうえでの勝ちやった」
 彼は言葉を噛むようにして言った。
「ほんまにええ試合やった。パリーグでもこんなにええ試合があるっちゅうことを皆見てくれたやろな」
「当然ですよ」
 記者の一人がそう言った。彼は西本が阪急にいた頃からの付き合いである。それだけに西本の野球の素晴らしさをよく知っていた。
「あと二試合ありますけれどね」
 彼は西本に対して言った。
「期待していますよ、頑張って下さい」
「ああ、わかった」
 西本はそう言って頷くとバスに乗り込んだ。そしてホテルに向かって行った。
 その後の二試合はどれも西武との勝負であった。まずは西武球場である。
「気合が違うな」
 西武の監督根本陸夫は近鉄のベンチを見てそう呟いた。
「だがこちらもおいそれと勝たせるわけにはいかない。意地があるからな」
 しかし流れは近鉄にあった。西武球場の試合にも勝つと藤井寺での最終戦にも勝利を収めた。
「よっしゃあーーーーー、優勝や!」
 藤井寺での勝利が決まった瞬間ファン達は絶叫した。胴上げされる西本をナインが取り囲んだ。
「だがまだペナントの勝ちやないぞ」
 試合後のミーティングで西本はナインに対して言った。
「プレーオフがある。これに勝たな何の意味もない」
「はい!」
 かって近鉄は二度プレーオフに進出していた。一度は七五年。相手は阪急であった。
 だが阪急にはこの時怪物がいた。最早伝説となっている剛速球投手山口高志である。
 その速球は恐るべきものであった。到底打てるものではなかった。近鉄はその山口の前に手も足も出ず敗れた。
 そして二度目は昨年であった。七九年である。この時の相手も阪急であった。近鉄と阪急、それは宿命的な間柄であった。
 かって西本が阪急の監督をしていた頃にも優勝をかけて争ってきた。そして西本が近鉄の監督になり上田利治が阪急の監督になってもそれは続いた。両球団は長年に渡って死闘を繰り広げてきたのである。
 だがその殆どは阪急の勝利に終わった。だがその時は違っていた。遂にその雪辱を晴らす時がやって来たのだ。
 僅か二十歳の若武者山口哲治が抑えとして阪急の強力打線を抑えた。そして近鉄の打線も以前とは見違えていた。いてまえ打線の誕生である。
 そのいてまえ打線が阪急の切り札山口高志を打ち砕いた。あの時はバットにかすりもしなかった山口の剛速球をスタンドに叩き込んでいったのだ。
 遂に近鉄はペナントを制した。西本はようやく近鉄を優勝させることに成功したのだ。
 そしてこの年。相手は前期の覇者ロッテである。だが近鉄は臆するところがなかった。
「流石に風格があるな」
 試合前ロッテの監督である山内一弘は近鉄のベンチ前で素振りをするいてまえ打線を見て言った。その中心には西本がいる。
「あの近鉄をここまで育て上げるのはあの人しかおらんか」
 山内もま西本の下にいたことがあった。彼はかって大毎で猛威を振るったミサイル打線の四番だったのだ。
 その大毎を就任一年目で優勝に導いたのが西本であった。彼は大選手を前にしても臆することなくその情熱を振るい続けてきたのだ。
 その西本とパリーグの覇をかけて戦う。山内はそこに運命めいたものを感じていた。
「だがこちらに分が悪いな」
 山内は自軍のベンチを振り返ってそう思った。このシーズンロッテは近鉄に大きく負け越していた。特に打線には徹底的に打ち込まれていた。
「あの連中をどうするか、か」
 平野、石渡、羽田、佐々木、栗橋、梨田、有田。皆西本が一から育て上げた強打者達である。パワーだけでなくミートにも定評があった。容易に抑えられるとは思っていない。
「おい」
 山内はここでコーチの一人に顔を向けた。
「投手陣に伝えろ。総力戦でいくぞ、ってな」
「わかりました」
 山内もまた思いきりのいい男である。特にその打撃指導には定評がある。将としても無能ではない。
 しかし勢い、そしていてまえ打線には勝てなかった。忽ちその猛攻に曝されてしまう。
 いてまえ打線はここぞとばかりに打ちまくった。まずは第一戦。平野、栗橋、羽田が次々とアーチを放つ。圧倒的な力を初戦でいきなり見せつけた。
 投げては井本が好投した。西本はここぞという時には彼を投入した。そのマウンド度胸の良さと勝ち運をよく知っていたからである。
 第二戦でもいてまえ打線はロッテ投手陣を急襲した。まずは二回で三点を奪った。
 近鉄の先発は大黒柱の鈴木であった。その鈴木が打線の援護に気をよくし好投した。ロッテは二点に終わった。
 こうして一気に近鉄は王手をかけた。だがロッテも指をくわえて見ているわけにはいかなかった。彼等にも意地があった。意地がなくてはプロではない。
 近鉄の先発柳田を攻略した。そして三回までに四点を奪った。
 だが西本はここでナイン達に言った。
「この試合が最後や、シリーズに向けて景気よく花火あげたらんかい!」
「はい!」
 ナインはその言葉に奮い立った。そしてロッテ投手陣にその角を向けた。
 四回裏にアーノルドと平野のアーチで逆転しそこからは一方的な攻勢に出た。投手陣も立ち直り試合は一方的な展開になった。
 終わってみれば十三点をもぎ取る大勝利であった。西本はその大量得点と共に宙を舞った。
「二連覇やーーーーーッ!」
 ファン達が叫ぶ。そして歓喜の紙吹雪とテープが球場を覆う。
 ナインは西本を胴上げした後チャンピオン=フラッグと共に回る。そして勝利の美酒を味わった。
「ようやく短い間に力を出すコツが掴めてきたな」
 西本は微笑みながらす言った。そして祝賀会が終わるとナイン達に対して言った。
「次はいよいよ日本一や。それでこそほんまもんの優勝や!」
「はい!」
 ナインはその声に頷いた。そしてその戦いは今でも続いている。

 


あと三勝   完




                               2004・6・17

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