第五章          闘将の弟子達
「わしはあの新聞は死ぬ程嫌いや」
 大阪ドームでの試合を見終わったあとでの話である。僕と一緒にバファローズの試合を観戦していた大叔父がポツリと言った。
 この大叔父は無類の野球好きである。だがあまり運動神経はよくなく観戦するのが好きなのである。
 大叔父は関西人だが阪神ファンではなかった。
「阪神だけが関西の球団やない」
 僕は幼い頃より彼にこう言われてきた。
「野球の球団は全部で十二ある。阪神だけやないで」
 彼は言った。そして僕を球場へ連れて行く時は決して甲子園には連れて行かなかった。
「甲子園は高校野球の時だけで充分や」
 よくそう言われた。どうも阪神はあまり好きではないらしい。
 巨人ははっきりと嫌悪感を露わにしていた。いつも巨人のせいで野球が駄目になったと言う。
「あんなもんは野球やないわい」
 昔からそう言っていた。巨人の試合はテレビでも観ようとしない。すぐにチャンネルを変える。 
 そして巨人が勝った次の日のスポーツ欄はすぐに焚き火等に使われる。負けた日はよく楽しそうに飲んでいた。大叔父は酒が好きだ。球場でもよく飲む。
 僕も彼によくビールをおごってもらった。人間酒位飲めるようにならないと良くないと言われた。
 そんな大叔父が連れて行く球場といえばパリーグの球場ばかりであった。
 大阪球場に西宮球場、そして日生球場。今でももうない球場ばかりである。
「どうや、ええ球場やろう」
 彼は古い客席で僕に対しこう言った。その甲子園と比べると遥かに狭く人も少ない球場で彼は僕に対し笑顔でこう言ったのだ。
「あのな、球場は新しいとかぼろいとかいうので決めたらあかんのや」
 そして彼はこう言った。その時大叔父は僕を藤井寺に連れて来ていた。
「ここで試合をする選手が一番大事なんや。見てみい」
 そしてグラウンドでプレイする選手達を指差した。
 ライトブルーに濃紺のユニフォーム。帽子にはHの文字がある。
「あれは阪急ブレーブスや」
 大叔父は僕にそのチームの名を教えてくれた。
「あのチームは強いで」
 この時阪急は黄金時代を迎えていた。その強さは群を抜いていた。
 それと戦うのはまたえらく派手なユニフォームのチームだった。
 赤、青、白。一度見たら忘れられないデザインだった。帽子のマークも何か違う。どうやら牛のようだ。
「近鉄バファローズや」
 大叔父はそのチームの名を言った。
「どうや、ええユニフォームやろ」
 彼は笑顔でそう言った。
「う、うん」
 その時僕はそのユニフォームがいいとは全く思えなかった。見ている方が恥ずかしくなるような派手な格好だった。
「あのユニフォームを考えたのがあの人や」
 そして一塁ベンチにいる白髪の人を指差した。
「あの人!?」
 見れば口をへの字にして腕を組んで試合を見守っている。何か頑固親父そのものの外見であった。
「そうや、あの人や」
 大叔父は得意気にそう言った。自分のことでもないのにそんなに得意になるのが不思議だった。
「西本さんや」
「西本さん!?」 
 僕はその名を聞いて大叔父に対して尋ねた。
「そうや、西本幸雄さんや。近鉄の監督や」
「ふうん」
 その時僕は選手と監督の区別もついていなかった。ベンチにいる人間全員が試合をするものだと思っていたのだ。
「あの人は凄い人やで」
 彼はまた言った。
「そんなに?」
「ああ。今の阪急を強うしたのもあの人や」
「あれっ、近鉄の監督ちゃうん!?」
「今はな」
 大叔父はまた得意気に笑った。
「前は阪急の監督やったんや」
「ふうん」
 そしてこういう話をしながら野球を観戦していた。もう二十年以上も昔のことである。
「けれどな」
 大阪ドームでの帰り道で大叔父は話を続けていた。
 二十年以上の歳月の間に僕も大叔父も変わった。背は僕の方がずっと大きくなり大叔父は一度酒で肝臓を壊した。それ以来酒は飲んでいない。
「一つだけあの新聞を褒めたいところがある」
「野球のことやろ」
 僕は相槌を打つように言った。
「そうや、ようわかったるやないけ」
 大叔父はそれを聞いてニンマリと笑った。
「子供の頃から聞いとるさかいな」
 僕も言葉を返した。実際にこの話も子供の頃から聞いていた。もう習慣である。どうもこの大叔父は話が少しくどい。
「そうか。まあ今からそれについてじくり話そうか」
 そう言うと居酒屋を指差した。
「おっちゃんお酒はもう飲まんのやろ」
「そうや。けれどつまみを食べるのは好きや」
 そういう人だった。飲むのも好きだが食べるのも好きな人だ。
「どや。何なら奢るで。いつもみたいに」
「悪いな。そう言われると行きたくなるわ」
 やはりただ酒はいい。僕は喜んでそれを了承した。
「よし、じゃあ行こうか。肴は近鉄と阪急の話や」
「ああ。いつものやつやな」
 そして僕達はその居酒屋へ入った。

「大毎は知っとるな」
「ああ。今のロッテやろ」
「ちょっと違うけれどな」
 大叔父は肴を前に上機嫌で話をはじめた。
 僕はビールのジョッキを持っている。大叔父はサイダーだ。
「あの時の大毎はな、ほんまに強かった」
 彼はまずそう言った。
「それぞれ凄い選手がおってな。山内和弘とか榎本喜八とか」
「ミサイル打線やな」
「そうや、それは凄い打線やった」
 僕はその打線を見たことはない。その頃はまだ生まれてもいなかった。
「それでも優勝はできんかった。やっぱりチームがまとまってなかったんやな」
「それをまとめあげて優勝させたんが西本さんやな」
「そうや」
 彼はサイダーを一口飲むと自信ありげに言った。
「采配はオーソドックスやけれどな。けれど心が違ったんや」
 大叔父はそう言うと自分の胸をバン、と叩いた。
「大毎は実力者揃いやった。そのぶんだけ我の強い奴があつまっとった」
 声が大きくなってきた。
「西本さんはまずキャンプでやりおうた。そしてチームをまとめあげたんや」
「そして優勝させた」
「そうや。シリーズでは負けてもうたけれどな」
 その目が一瞬悲しいものになった。
「まああれは何も言いたくはないわ。今更誰を責める気にもなれん」
 彼はそう言った。
「西本さんのあの言葉聞いたらな」
「そうやね」
 西本はあのシリーズの後で解任された。スクイズ失敗が大毎のオーナーである永田雅一の怒りを買ったのだ。
 その時の永田の怒りは凄まじいものであった。電話で西本と激しい口論となり最後は罵声を浴びせて電話を叩き切った。それで西本の解任が決まった。
 それから大毎はロッテに身売りされた。親会社であり大映がどうにもならなくなったからだ。永田はその発表の時思わず号泣した。
「いつか大毎を買い戻す。その時は愛する皆さん、私を迎えに来て・・・・・・」
 その時彼は入院していた。病室からわざわざ来ての会見であった。
 それを見た選手の中には思わず涙を流す者もいた。確かにワンマンオーナーであった。会社を私物化したかも知れない。だが彼は一途に野球を愛していたのだ。その永田も泉下の人である。
「あの時はお互い若かった」
 永田がこの世を去った時西本はこう言った。彼もまた永田がどれだけ野球を愛していたかわかっていたのだ。
 それから一年を空け西本は阪急のコーチに就任した。そして阪急の監督になった。
「あの頃の阪急はほんまに弱かったな」
 この話をする時大叔父の目は遠くを見る目になる。
「それがあの時で変わったんや」
 進まないチーム改革に業を煮やした彼は何と秋期キャンプにおいて彼は球史に残る行動をとった。
「わしのやり方に我慢できん奴はこれにバツつけるんや!」
 彼は選手達に紙と鉛筆を配ってそう言った。何と信任投票をさせたのだ。
 結果は圧倒的多数で信任であった。だが西本は言った。
「不信任が七人もおる。こんな状況では監督をやれん!」
「えっ・・・・・・」
 これに驚いたのは選手やコーチだけではなかった。フロントも流石に驚いた。
「あの、監督殆どの選手が監督を信頼しておりますが」
「いや」
 西本はその言葉に対し首を横に振った。
「百パーセントやあらへん。そんな程度の信頼やったら野球にならへんのや」
 彼はそう言った。
 清廉潔白な男であった。酒も飲まずいつも野球のことだけを考えていた。真摯で常に熱い情熱を露にしていたのだ。
 その心が選手達、そしてフロントにも伝わった。阪急はこれで生まれ変わったのであった。
 西本の選手に対する態度はそれまでもそれ以降も変わらなかった。常に選手達を手取り足取り教え時には拳骨を出した。だが選手達はそこに彼の本心を見たのだ。
「この人は信用できる」
「ああ、俺達のことを本当に考えてくれている」
 彼等は西本についていくことを決心した。そしてその時一人の助っ人が阪急にいた。
「俺のパワーと頭脳で阪急を優勝させてやる」
 その男の名をスペンサーといった。大柄で激しい気性の持ち主であった。ホームへも果敢に突入しキャッチャーを吹き飛ばした。そして点をもぎ取る男であった。
 彼は次々と自分の考えを西本に進言した。そして西本はそれを受け入れた。時には大丈夫か、と思う時もあったという。
 だがその頭脳が阪急を強いチームに変えたのだ。スライディデイングで野手やキャッチャーを吹き飛ばす。ゴロから得点する。こうして阪急は確実に勝利を収めていった。 
 ある時彼は西本にこう言った。
「西宮のフェンスを少し前にやって欲しいんだけれど」
「何でや?」
 西本は尋ねた。
「その方が俺のホームランがよく出るからさ」
 彼はニンマリと笑ってこう言った。
「成程な」
 これで決まりだった。西宮のフェンスは何時の間にか狭くなっていた。
「やられたな」
 そう思ったのは相手のピッチャー達だった。やけにスペンサーにホームランを打たれると思っていた。それにはこういう理由があったのだ。
 スペンサーだけではなかった。そもそも西本の真骨頂は選手育成にある。当時の阪急はガソリンタンクと呼ばれた後に三五〇勝をあげる米田哲也と変則派の梶本隆夫という左右の柱を擁する投手中心のチームであった。だが西本はそれに満足しなかった。
「確かにピッチャーは大事や」
 彼は言った。
「けれどそれだけで勝てる程野球は甘くはないんや」
 彼は総合力を求めていたのである。
 だが阪急は巨人のように人気があるわけではない。資金もだ。従ってドラフトまでは有望な選手もそうそう入ってはこない。ではどうするか。育てるしかない。
 有望な若手が入ってきていた。小兵ながら足の速い阪本敏三に技のある大熊忠義、パンチ力のある高井保弘。彼等が次第に成長してきたのだ。そしてドラフトがはじまると阪急の柱となるべき男が入ってきた。
 長池徳二。法政大学においてスラッガーとして活躍した男である。西本は彼をドラフト一位で指名したのだ。
「あいつは凄いバッターになるで」
 西本はとりわけ打撃指導には定評があった。打撃コーチをやっていたこともある。その彼が長池につきっきりで指導を開始したのだ。
 だが長池を教えたのは一人ではなかった。もう一人いたのである。
 ヘッドコーチであった青田昇。巨人においてジャジャ馬と呼ばれ大暴れした彼も長池の素質を見抜き指導したのだ。これに参ったのは長池であった。確かに二人共その指導はいい。だが二人の指導を同時に受けることはできない。
「すいません、監督かコーチどっちかにして下さい。俺は二人の話を同時に聞くことは出来ませんわ」
 彼はたまりかねてこう言った。それを聞いた二人は顔を見合わせて頷き合った。
「そういうことなら」
 そして彼の指導には青田があたった。そして足立、梶本に次ぐエースが姿を現わそうとしていた。
 足立光宏。高校からアンダースローに転向した彼はシンカーを武器に一試合十七奪三振の記録を打ち立てていた。そして昭和四二年、この年の彼は快刀乱麻の活躍を見せた。
 スペンサーが打つ。突っ込む。大熊や阪本がその脇を固める。そして代打には高井がいた。阪急は最早かっての弱小球団ではなかった。
 そして見事初優勝を達成した。西本は宙を舞った。
「あの阪急が優勝したんやからなあ」
  大叔父の目は温かいものであった。
「御前に言うても知らんやろなあ。あの頃の阪急は」
「悪いけれどな」
 僕は苦笑した。実際そんな昔の話は見たことがない。生まれていないから仕方がない。
「まあシリーズでは負けたけれどな」
 彼はそう言うとまた悲しい目になった。
「あの頃の巨人は強かった。今みたいにアホみたいに大砲しか集めん能無しやなかったからな」
 この大叔父から巨人を褒める言葉を聞いたことgない。僕もあの球団は嫌いだが。
「足立は力投したんやけれどな。最後には打たれてしもうたわ」
 足立は無念の降板であった。その時セカンドにいたスペンサーは彼に握手を求めた。
 その前に彼は西本に進言していた。足立はもう限界だと。
 しかし足立はマウンドに立った。自分以外に巨人を抑えられるとは思えなかったのだ。だが打たれた。
 スペンサーは心の中でこう言ったのだろう。
(足立、素晴らしいピッチングだった。君はよくやった)
 だがこうも言ったのであろう。
(しかし野球は一人ではできないのだ。君一人で巨人には勝てない)
 それは西本も痛感した。巨人にはまだ及ばなかったのだ。
 西本のチーム強化は続いた。時には抜擢やトレードも敢行した。そしてドラフトでは有力な選手の獲得を目指した。そして昭和四四年には球史に残る素晴らしいドラフトがあった。
「まさか三人共獲得できるとは思いませんでしたよ」
 フロントの一人が興奮冷めやらぬ顔で西本に対して言った。
「ああ、ほんまや」
 西本も顔を綻ばせていた。この年のドラフトで入った者達のことを言っているのである。
 富士鉄釜石から山田久志、松下電器から福本豊と加藤秀司。山田は右のアンダースローでありあとの二人は左投左打の野手だった。
 山田のボールにはノビがあった。実際の速度よりも速く見える。そして変化球もあった。若いながら度胸も頭脳も備えていた。
 福本には脚があった。そして守備での反応にも見るところがあった。加藤はバッティングである。西本は彼等を見て目を細めた。

「こいつ等は球史に名を残す選手になるで」
「それはちょっと言い過ぎじゃないんですか?」
 フロントの者も流石にそれは大袈裟だと思った。だが西本は本気だった。
「見ていてくれたらいいわ」
 その顔は自信に満ちていた。
 だがそうそう上手くはいかない。福本はアウトになるのが怖くて走ろうとしない。加藤は成長途上だ。そして山田には致命的な弱点があった。
「また打たれよったか、とよう言うたわ」
 大叔父はそこでサイダーをグイッ、と飲んだ。
「鈴木啓示のホームラン打たれるのはいつもやったが」
 鈴木の被本塁打はとかく有名である。この大叔父以外からもよく聞いた。
「山田もよう打たれたんや」
 そうであった。山田もまたホームランを打たれることの多い男であった。だが西本はこの三人から目を離さなかった。
「口で言うてもわからんのかあっ!」
 拳が飛んだ。そして三人を撃った。
 西本は鉄拳制裁も辞さない男である。阪急の選手達はそれを受けて育ってきた。この三人は特に殴られることが多かった。
「またあいつ等か」
「監督もよう続くわ、毎日毎日」
 そう、西本はいつも選手達を見ていた。そして側にいたのだ。
 その指導が功を奏してきた。福本は果敢に盗塁するようになった。それは西本の予想をすら越えていた。
 単に速いだけではなかった。ピッチャーの癖を見抜く技術も走塁術も優れていたのだ。そして出塁する為の打撃もよかった。
「わしの思っとった以上にやってくれよるわ」
 西本は思わずそう漏らした。何と彼は昭和四二年には一〇六盗塁という信じられない記録まで打ち立てたのだ。それにはまず出塁しているという前提があった。彼はその太いツチノコバットで打った。パワーもあり時にはホームランさえ打った。最強の一番打者とさえ言われた。
 そして彼は守備も良かった。それは脚だけでできるものではない。とにかく打球反応が凄かった。信じられない程の守備範囲を誇りそれで阪急の外野守備の中核ともなったのである。
 西宮でのオールスターでの話である。打席には天性のホームランアーチストとまで呼ばれた田淵幸一がいた。
 おそらく野球の才能なら彼に勝る者は長い日本の野球の歴史においてもそうはいないであろう。星野仙一が大学入学した時にはじめて彼を見て驚愕したのだ。
「何じゃ、あのボールをポンポンスタンドに放り込んどるひょろ長い奴は」
 よくその太った体型を漫画等に描かれるがこの時の彼は意外にも痩せていたのである。
 とにかく力があった。肩も強かった。そしてボールも怖れなかった。そこへ天性の素質もあった。法政大学において彼はスーパースターの名を欲しいままにしていた。長嶋茂雄が持つ大学通産ホームラン記録も更新した。当然ドラフトは彼が目玉となった。
「絶対にうちがとる」
 巨人はこう言った。彼自身にも背番号2を用意してあると伝えた。ただし彼は本来のキャッチャーではなくその強肩を活かした外野手にするつもりだったようだ。だがここで思わぬ伏兵が現われた。
 阪神であった。かって王貞治を巨人に強奪されたことを恨んでいた彼等はここで復讐に出たのだ。何とドラフトで彼等は田淵を一位指名した。
 そして彼との交渉権を獲得したのは阪神であった。それを聞いた田淵は落胆した。
「巨人以外に入るつもりはないのに・・・・・・」
 彼は東京生まれの東京育ちであった。裕福な家庭に育ち何不自由なく育った。東京を離れたくはなかったしそれに彼自身大の巨人ファンであった。 
 だが阪神の熱意ある説得に折れた。こうして彼は阪神のユニフォームを着ることになった。これが彼の野球人生を決定付けた。
 彼は高校野球では甲子園に出たことはなかった。憧れの地ではあった。まさかこうしてここを本拠地にして野球をするとは全く考えられなかった。
 甲子園で打つ。すると観客が熱狂的な声援を送る。それを聞いた彼はそれに魅せられた。
「また打ちたいな」
 その思いが彼を阪神の田淵にした。
 特に彼は巨人戦で燃えた。これは阪神の選手なら誰もがそうであった。江夏も村山もそうであった。
 田淵はホームランを打つことに燃えた。大きく弧を描く独特にアーチを放つ。それは阪神ファンの歓喜の念を込めてスタンド
に飛び込む。
 歓喜の中彼はダイアモンドをゆっくりと回る。そして一塁で王を見る。そして二塁を回り三塁で長嶋を見る。それからホームを踏むのが最高だった。
「阪神にずっといたいわ」
「おいおい、入団の時あんなん言っとったのは誰や」
 そう意地悪く冷やかす者もいた。だが彼は阪神の田淵となっていた。
「確かに田淵のあの時の打った球は凄かった」
 大叔父は言った。
「しかし福本の守備はもっと凄かった」
 何とホームランになるボールを取ったのである。もし入ればスリーランになるところであった。それを見た田淵は呆然となった。長嶋も人間技じゃない、とまで言った。
 そして加藤。彼は守備も足も普通であった。
「まあ標準には達しとるからええわ」
 西本はそれを見て言った。長池も高井も守備はお世辞にも良いとは言えない。特に高井のそれはお粗末と言ってよかった。加藤は左であったからファーストになった。
 彼の売りは打撃であった。とにかくミートが巧かった。そして左右に打ち分けることもできた。
 それだけではない。彼はホームランも狙えた。弾道こそ低いが一直線に飛ぶアーチが多かった。
 そしてチャンスには滅法強かった。貴重な左のスラッガーであった。
「こいつはいずれうちの四番を打つようになるで」
 西本のその言葉は当たった。加藤は阪急の黄金時代四番としてチームを引っ張った。思いの他気も強くそれがまたチームにとっていい材料となった。
 そして山田である。彼こそは西本が待ち望んでいた男であった。
 彼は足立と同じようにアンダースローであった。だが足立よりも球が速くノビがあった。そして体力もあった。
「一発病は仕方あらへんな」
 西本はそれに対してはある程度は目をつむった。
「問題はそれを怖れるな、ちゅうこっちゃ」
 ホームランを打たれることを怖れては投げられない。西本は彼に対しあくまでバッターに向かっていくように言った。
 それが山田を奮い立たせた。彼は元来責任感の強い男であった。
 高校時代彼はピッチャーではなかった。サードであった。その試合で彼は痛恨のエラーをしてしまう。
「俺のせいで先輩達の夢を潰してしまった・・・・・・」
 彼は野球を止めようとまで思った。だが友人達の説得により戻った。そしてその責任感の強さを買われピッチャーとなったのだ。
 彼は次第に頭角をあらわしてきた。二年目にはもう阪急の若きエースとまで呼ばれていた。
 この時福本も加藤もレギュラーになっていた。だが山田はその中でも特に凄かった。
 最早押しも押されぬエースであった。彼を手に入れた西本は自信に満ちた顔でシリーズに向かった。
「今度こそ巨人を倒すで!」
 だがそれはかなわなかった。
 昭和四六年日本シリーズ第三戦にて山田は王に痛恨のサヨナラスリーランを浴びた。マウンドに崩れ落ちる山田、それが阪急の姿をあらわしていた。
「今年もあかんかったか」
 西本は悲しい顔で言った。山田を責めることはしなかった。彼に逃げずに向かえと言ったのは彼である。そして山田は正面から投げて打たれたのだ。渾身のボールを。それを批判することなど彼には出来なかった。
「ようやった」
 それだけであった。彼は山田を決して責めはしなかった。
 西本は巨人を倒せなかった。その壁は厚かった。だが彼が育てた弟子達は巨人を倒した。
「巨人や!巨人に勝たなあかん!」
 昭和五〇年のシリーズに勝ち阪急は日本一となった。その時福本はこう言った。
「巨人に勝って藤井寺のお爺ちゃん喜ばしたるんや!」
 その時西本は既に阪急にはいなかった。彼は近鉄の監督となっていたのだ。
「巨人はなあ、球界の癌や」
 大叔父の決まり文句が出た。とかく彼は巨人を嫌悪していた。
「その巨人を倒そうというんや。まああんだけシリーズでやられとったらそう思うわな」
 そして昭和五一年と五二年のシリーズにおいて彼等は巨人を破った。五一年はあわやというところまで追い詰められたが見事に打ち倒した。五二年は最早寄せ付けなかった。貫禄の勝利であった。
「阪急こそ最強や!」
 そう言う者は少なかった。残念なことに。だが野球を知る者は皆そう言った。
「我が国にはほんまに野球を知っとる奴はあんまりおらんわ」
 サイダーをお替りした大叔父はそう言った。
「そやけど御前にはほんまの野球を見せたったで」
 それが西本さんや、大叔父はそう言った。
 この時の阪急を支えたのは西本が育てた人材であった。彼は阪急に多くの置き土産を残していったのだ。
 普通名将が去ればチームは弱体化する。だが彼はチームを強いままで残していった。それが出来たのは彼が多くの選手達を育てたからだった。
 彼は近鉄の監督になった。近鉄のフロントが迎えたとも彼自身が売り込んだとも言われている。彼は就任してすぐに選手達に対して言った。
「御前等のことはよう知っとる。だから来たんやからな」
 彼はまずこう言った。
「そしてあいつはおるか」
 彼はグラウンドで一人の男を探した。
「おお、ここにおったか」
 彼はその男を見つけて思わず笑みを浮かべた。
「ええセンスしとるわ」
 その男はただ黙々と打撃練習をしていた。そしてボールをライナーでスタンドに放り込んでいた。
 彼の名を羽田耕一という。大柄でまるでプロレスラーの様な体格をしている。見るからに喧嘩が強そうだ。
 だが彼はその外見に似合わずあまり気が強くなかった。ある時大阪の街を歩いていてカツアゲに遭った。
 そして彼は何をしたか。普通彼のような外見の男なら殴り飛ばすだろう。しかし彼は大人しく金を出したのである。しかも後で気付いたがそれはかっての同級生だったのだ。
 捨てられている犬や猫をよく拾った。そして引っ込み思案で前に出て来るような男ではなかった。
「前に出て来い」
 ある時西本は選手達の前で羽田を呼んだ。そしてバットを振らせた。
「ええスイングやろ」
 そして選手達に言った。彼は羽田のスイングをいたく気に入っていたのだ。そしてそれを範とするよう皆に対して言ったのだ。それ程期待をかけていたのである。
 西本は羽田に対して付きっきりで教えた。阪急時代と同じく手取り足取りだ。だが羽田は不器用な男だった。その成長は遅かった。
「未完のままの大器だな」
「いや、眠ったままの巨象だろう」
 口の悪いマスコミやファンはそんな羽田に対してそう言った。外見に似合わず気の小さい羽田はそれで益々萎縮してしまった。
「あんなもん気にするな」
 西本はそう言った。だが羽田はそれを気にしてまた小さくなる。
 他の選手達も皆同じようなものであった。この時の近鉄はピッチャーで鈴木啓示、バッターで土井正博がいるだけであった。ほんの弱小球団でしかなかった。
 西本はそんな彼等に対してまずキャッチボールやランニングから教えた。
「おいおい、わし等幾ら何でもプロやで」
 こういう声もあった。だが西本はそれを黙ってやらせた。
 阪急の時からそうであった。彼は練習においてもまずは基礎から教えた。
「まずは土台や」
 彼はそうした考えの持ち主であった。
「土台がせいっかりしとらんと家は崩れる。野球も一緒や」
 そう言って選手達にランニングやキャッチボールをやらせていたのだ。
 その練習は厳しかった。少しでも手を抜けば容赦なく拳骨が襲った。
「何じゃその気の抜けたランニングは!」
 選手達を横一列に並ばせ往復ビンタを浴びせる。その中に梨田昌孝と井本隆もいた。
「あれで目が醒めた」
 二人は後にこう言った。
「西本さんに殴られてようやくプロとしての自覚ができた」
 そうだった。彼等はまだ完全なプロ野球選手とは言い難い状況であったのだ。
 プロは技術ではない。心である。西本はそれを選手達に教えていたのだ。
 まるで高校野球の様な練習が毎日続いた。ある時選手の一人が記者達に対してぼやき混じりにこう言った。
「ほんまに高校野球みたいな練習やで。こんなにやってられるかいな」
 それを聞いた西本はこう言った。
「そんな考えやったら辞めたらええ」
 その声には普段の怒りはなかった。
「わしが何で選手にこんだけ練習をさせるかわかるか」
 そして記者達に対して言った。
「強くなる為ですか?」
 彼等は問うた。
「そうや」
 西本は頷いた。
「うちの選手にはスターはおらん。練習するしか強くなる方法はないんや」
 当時の近鉄には鈴木以外これといった知名度のある選手はいなかった。土井はその守備のまずさからトレードに出していた。それからすぐに指名打者制度が導入され西本は歯噛みしたという。
「世間は世知辛いもんや。才能に恵まれて職場で働くもんばかりやない。陽のあたらん場所で黙々と働いている人間の方がずっと多いんや。そうした人達にな、人間努力すれば何時か陽があたるということを教えたい、そやから選手達にあんだけ練習をさせとるんや」

「何と・・・・・・」
 それを聞いて皆驚いた。
「人間努力をしていれば何時か絶対に報われる、わしはそれを証明したいんや」
 そうであった。阪急もそうであった。あの弱小球団を西本はそうやって強くしたのであった。
 だがそれは上手くはいかない。しかもドラフトで折角引いた山口高志の交渉権を放棄するというミスを犯した。これで山口は阪急に入る。そして彼の前にプレーオフで敗れ去った。
 だが西本は諦めない。それでも選手達を育てようと躍起になる。トレードで若手中心のチームにしていく。その中でまとめ役になったのが小川亨であった。
 地味な顔立ちの男である。顔が田舎者だからという理由で『モーやん』と仇名される程であった。だが真面目で守備も打撃も堅実であった。特に三振が異常に少なかった。
 西本はまず小川を怒った。それでナインの気を引き締める為だ。そして地道な練習が続いた。
 羽田や梨田、小川だけではない。栗橋茂や佐々木恭介といった者達にも黙々とトスバッティングをしバットを振らせた。自らバットを握りボールを投げた。こうして選手達と共に汗を流し泥にまみれた。
まずはブルドーザーで荒地を整備する。阪急の時はそれで落ちたのは放っておけばよかった」
 西本はある時こう言った。サーキット=トレーニングも取り入れた。そしてそれを押し付け、監視する。徹底したスパルタであった。
「そやが近鉄は違う。落ちた小石も一つ一つ拾っていかなあかん」
 だからその成長は遅かった。西本はいつものように拳骨を飛ばした。
 栗橋も梨田もよく殴られた。梨田の後ろには監督の蹴りの後がついているとまで言われていた。
 それでも強くならない。鈴木とは正面から衝突した。
「あっちの若い奴を見習わんかい!」
 オープン戦での阪神戦、打ち込まれた鈴木に対してこう言った。その若手とは当時売り出し中の山本和行であった。実績で言えば鈴木とは比べものにならなかった。
 これに鈴木は頭にきた。そしてフロントにトレードを直訴した。
 だがフロントはそんな彼を説得した。鈴木は怒りに身体を震わせながらも近鉄に残った。
 西本はそんな鈴木に対し技巧派に転身するよう勧めた。鈴木は速球派であったがこの時には自慢の速球は既に翳りが見られていたのだ。
 鈴木は変化球を覚えた。これまでカーブとフォークだけだったがそこにスライダーとシュートを覚えた。左右の揺さぶりを身に着けたのだ。
 これで鈴木は復活した。その時彼は知った。監督が彼を怒ったのは彼の為を本当に思ってのことだったのだと。
 西本は好投した投手には何も言わない。だが不調でも必死に投げた投手に対しては打ち込まれても声をかけた。彼はそうした人物であったということを知ったのだ。
 鈴木だけではなかった。井本や土井とのトレードで近鉄にやって来た柳田豊、左の変則派村田辰美、かって甲子園のスターと言われながらも伸び悩んでいた太田幸治もそれに気付いたのだ。投手陣も練習にさらに入れ込むようになった。
 打線は少しずつでしかなかった。羽田は中々成長しない。あの山口のボールを空振りし西本に殴られてたこともある。
「羽田みたいに優しい奴は親にも殴られたことはないやろうな」
 西本は言った。そんな羽田を殴ったのだ。
 それは羽田の素質を知っていたからであった。そして羽田に成長して欲しいからであった。
 就任五年目にしてようやく芽が出て来た。それはまず佐々木からであった。
 彼は相撲をしていたこともありその足腰はガッシリとしていた。そして西本の野球に心酔していた。今でも彼を西本の一番弟子と言う人がいる。近鉄の監督時代は背番号まで受け継いでいた。
 その彼が首位打者を獲得したのだ。特に左投手に対して無類の強さを発揮した。
 しかし彼だけであった。まだ覚醒というには早かった。
「何かが足りんな」
 多くの者は近鉄を見てそう言った。それは何か、すぐにわかった。
「ホームランや」
 確かにパワーのある若手はいる。だが覚醒していない。それにはもう一つ発奮材料が必要だ。
 それはやって来た。ヤクルトからチャーリー=マニエルを獲得したのだ。
 彼は守備が下手だった。だが指名打者のあるパリーグならその心配はない。それでもマニエルの活躍を危ぶむ声があったのだ。
「西本さんと合うか!?」
 そういう声があった。マニエルはかってメジャーにいた。プライドはかなり高い。それでヤクルトの監督を務めていた広岡達郎と衝突していた。それを心配したのだ。
 だがそれは杞憂であった。マニエルは西本に会うとその人柄に惚れ込んだ。
「ミスターニシモトはメジャーの監督でも通用するよ」
 彼は笑顔で言った。そして近鉄に馴染んでいったのだ。
 ただ馴染むだけではなかった。彼はもうチームの柱となっていた。
「マニエルおじさん」
 こう呼ぶ者もいた。今やマニエルはチームに欠かせない存在であった。
 マニエルが中核となった打線はその力を大いに発揮した。栗橋が打った。元々三振が少なく相手ピッチャーにとっては嫌らしい男であった。
 彼だけではない。あの羽田がようやく覚醒したのだ。弾丸ライナーを打ちまくった。
「やっとか。長くかかったな」
 西本は彼のそんな姿を見て目を細めた。いつも手取り足取り教えた苦労が実ったのである。
 佐々木もいた。そして梨田、小川もいる。先頭打者には平野光泰がおり脇を石渡茂、吹石徳一等が固める。いてまえ打線の完成であった。
 いてまえ打線は一世を風靡した。それは西本が完成させた最強打線であった。
「あれが西本道場の弟子達か」
 ファン達は打ちまくる彼等を感嘆を込めて見ていた。
「凄いもんや、無名の連中があそこまでやるんやからな」
 近鉄は最早あの弱小球団ではなかった。押しも押されぬ強豪チームであった。
 西本の名声はさらに高まった。阪急だけでなくあの近鉄まで優勝させたのだから当然であった。
「あれだけ練習したからな」
 選手達は言った。時には飛行機で着いたその夕方に早速練習をしたこともあった。飛行機の中にボールやグローブを持って行ったのだ。
 そうした練習の賜物であろう。最早彼等を馬鹿にする者は本当に野球を知る者ではいなかった。
 時折醜く顔が膨れ上がった男やガチャ目でスキンヘッドの狂人共が何かを言う。連中は野球を知らないだけである。狂人でもテレビに出られ、如何に視聴者から憎悪され軽蔑されても得意になって気付かない。こうした怪奇現象が起こるのは我が国だけである。恥と言ってよい。もっとも当人達は狂人なのでそれには一向に気付かないのだが。
 西本は実証したのだ。努力が報われるということを。だがまだ完全ではなかった。
「日本一ですか!?」
 記者の一人が西本に対して問うた。
「いや」
 それに対して彼は首を横に振った。
「あいつがまだや。あいつが一人立ちするのがな」
 その視線の先にはヒョロ長い男がいた。一人黙々とバットを振っている。
 仲根政裕、かって甲子園で優勝し近鉄に鳴り物入りで入団した男である。
 最初はピッチャーであった。だが芽が出ず打者に転向した。それでも出番に恵まれてはいなかった。
 解雇も噂されていた。だが西本は彼を黙々と教えた。
「監督に報いるんや」
 彼は来る日も来る日もバットを振った。そして何時か西本をあっと驚かせるようなホームランを打とうと思っていた。
 だがそれは遂に来そうになかった。昭和五六年、西本はこの年限りでユニフォームを脱ぐことを決めていた。
「これで最後か」
 最終戦は阪急とのダブルヘッダーであった。全席無料開放である。両チームのファンは無言で観客席に座った。
「今日が見納めや」
 皆それを知っていた。西本の最後の雄姿をその目に焼き付けておくつもりだったのだ。
 近鉄の選手だけではなかった。阪急の選手も沈黙していた。
「おい」
 阪急の監督上田利治は自分のチームの選手に声をかけた。
「わかっとるな」
「はい」
 彼等は頷いた。彼等もまた西本の弟子であったのだ。
 その試合で仲根は打席に入った。一塁ベースには西本がいる。
「監督・・・・・・」
 彼は西本を見て何かを感じた。そしてそれはどんどん高まっていく。
 彼もまた西本に手取り足取り教えてもらった。だが芽はでなかった。
(最後までこんなんかな、わしは)
 ふとそう思った。そう思うとたまらなくなった。
「いや」
 仲根は首を横に振った。
「これで最後やない。わしは最後やないんや!」
 全身に気合がみなぎった。そしてバットを持つ手に力を込める。
「監督、見といて下さい」
 そして西本を見た。
「これがわしの監督への花束や!」
 もうピッチャーのことは頭には入っていなかった。打つ、それだけを考えていた。
 白球が目に入る。仲根はそれを渾身の力を込めて打った。
「うおおおおおーーーーーーーーーっ!」
 叫んだ。その叫び声がボールにも込められた。それは力だった。
 ボールが高々と飛んだ。大きい。入るのは確実だった。
 ファンも両チームのナインもそのボールを見守った。それが何であるか、わからない者はいなかった。
 近鉄と阪急、両チームのファン達が混じって座るその場にボールは落ちた。打った瞬間にそれとわかるような鮮やかなホームランであった。
「やったでえ!」
 仲根は叫んだ。そして一塁ベースに向かってゆっくりと歩き出した。そしてそこにいる西本に目をやる。
「監督・・・・・・」
 西本は何も語らない。ただ温かい目を彼に向けている。
 どちらが先に手を差し出しただろうか。二人はベース上で固く手を握り合った。
「幸せ者やの、御前は」
 それを見た阪急のファースト加藤が言った。
「最後の最後でこんなん打てて」
 仲根はその声にハッとした。見れば球場を埋め尽くすファン達が彼に惜しみない声援を送っていた。
「仲根、遂にやったな!」
「西本さんに最高の贈り物やぞ!」
 そうであった。彼は西本の恩に報いる為に打ったのだ。そしてそれを今捧げた。
「仲根」
 西本は彼に声をかけた。
「有り難うな」
 そして温かい声で言った。
「はい・・・・・・」
 それを見下ろす仲根の目に熱いものが宿った。
「親父・・・・・・」
 選手達はよく西本のことをこう呼んだ。彼等にとって西本は父親そのものであったのだ。
「やっと間に合いました!」
 彼は号泣しながら叫んだ。西本はそれを笑顔で受け止めた。
 仲根はゆっくりとダイアモンドを回る。そして今ホームを踏んだ。
 試合は近鉄の勝利であった。仲根のアーチがそれを決定付けたといっても過言ではない。
「終わりやな」
 上田が言った。その時どちらのチームが先であっただろうか。
 何と近鉄だけではなく阪急の選手もグラウンドに出ていた。そして西本を取り囲んだ。
「これが最後や!」
「監督、今までおおきに!」
 皆西本を高々と上げた。前代未聞の二つのチームによる胴上げだった。
「最高の花道やな」
 ファンも多くがその胴上げを見て涙を流した。西本の小さな身体が幾度となく宙を舞う。
 かってこんな胴上げは日本どころかどのような国でもなかった。敵味方関係なく胴上げされ祝福される将なぞ。
「今の光景よく覚えとくんや」
 その時僕も大叔父も球場にいた。そしてその胴上げを見ていた。
「うん・・・・・・」
 何故かわからない、僕も泣いていた。
「おっちゃん」
 そして大叔父に対して言った。
「言わんでもええ」
 見れば彼も泣いていた。
「なあ、こんなの巨人の試合やったら見られへんぞ」
 そしてこう言った。
「川上が何じゃ、長嶋が何じゃ」
 そしてこう呟いた。
「ここまでの素晴らしい監督が、野球人が他におるかい。西本さんはやっぱり最高の監督や」
 彼は僕に語りかけるのではなくまるで自分に言い聞かせるようにして言っていた。
「確かに一度も日本一にはなれんかった」
「うん」
 それは誰もが知っていることである。
「そやけどあの胴上げを見てみい。あれが勝ちでなくて何や」
 今も宙を舞っている。その顔は決して敗者のそれではなかった。
「人間なんてな、最後の最後まで勝ち負けはわからん」
 そしてこう言った。
「そやから面白いんや。西本さんはシリーズで一回も勝てへんかったけど野球では負けてない」
「そやな」
 それは幼い僕にもよくわかった。敗者がこれ程までに素晴らしい花道を与えられるだろうか。
「それをよう覚えとくんや。これからも野球を好きでいるんやったらな」
「うん」
 僕は頷いた。
 胴上げが終わった。そして西本は花束を渡される。
「西本さん、元気でな!」
「あんたは最高の監督やったでえ!」
 近鉄、阪急両方のファンが声をかける。西本はそれに対して笑顔で応えていた。
 その後ろには選手達がいる。西本が球界に残していく置き土産達だ。
「あとは頼んだで」
 西本は後ろを振り返り彼等に対して言った。それを聞いた両チームの選手達は言った。
「任せて下さい!」
 それで最後だった。西本は笑顔で球場をあとにした。
「カーテンコールはいらんで」
 そしてこう言った。二つの弱小チームを優勝させた男のユニフォームでの最後の言葉であった。
 あれからもうかなりの年月が経った。西宮球場も日生球場もない。藤井寺で公式の試合が行われることもない。阪急はオリックスに身売りされた。そしてユニフォームも変わり本拠地もYAHOOBBスタジアムと大阪ドームにそれぞれ移った。あの泥臭い球場へ足を運ぶことは少なくとも試合ではないのだ。
「あの時の古臭い球場はもう覚えとらんやろな、御前は」
 居酒屋を出た時大叔父は僕にこう言った。
「まあ子供の頃やしね」
 僕は答えた。本当に殆ど覚えていない。随分汚い球場だったのは覚えているが。
「そやけど西本さんと選手のことは覚えとるやろ」
「ああ」
 その言葉に対して僕は頷いた。
「忘れられるもんやあらへんわ」
「そやろ、御前を球場に連れて行ったかいがあったわ」
 大叔父はにこりと笑ってそう言った。
「近鉄と阪急、二つのチームはべっこやけどな」
 彼はよくオリックスをこう言う。あえて間違えているふしがある。
「両方に西本さんの心がこもっとるんや」
「両方にやな」
「そうや」
 僕の言葉に対し頷いた。
「別々のチームやけれど両方にその心が残っとる、こんなことは他にあらへん、西本さんだけができたんや」
「そやな。長嶋でも巨人だけやった」
「あれは監督としては完全なヘボや」
 とかく巨人が嫌いな大叔父である。
「あんなことしてても優勝できん。お笑いでしかないわい。あんなんは野球やない、銭のゲームや」
「銭のゲームか」
「そうや、選手を育てて勝つ、それが野球なんや。それを忘れたら野球やない」
 僕が物心ついてから今までいつもこう言われてきた。そして僕は野球を観てきた。
「まあ巨人のことは今はええ。あんな下らんチームのことは考えただけで頭が悪くなるわ」
 そして話を戻した。
「近鉄と阪急はな」
 そして言った。
「両方共西本さんとその弟子のチームや。しかしな」
 言葉を続けた。
「同じではないんや。阪急は阪急、近鉄は近鉄や」
「全然違うんやな」
「そうや、聞くがわしと御前の爺さんは違うやろ。それと同じや」
 大叔父は僕の祖父の弟にあたる。歳はかなり離れている。
「兄弟でも他人なんや。絶対に一緒にはなれん」
「他人か」
「そうや。言い換えたらライバルや。同門のな。そやから絶対に一緒にはなれん。競い合うことはできても。それだけはよう覚えとくんや」
「ああ」
「わかったらええ」
 大叔父は僕が頷いたのを見て満足気に微笑んだ。
「じゃあ帰ろうか。明日も試合がある」
「えっ、明日も観るんか!?」
「当たり前じゃ、明日は仰木さんが来るんやぞ、何があっても行くで。返事は!?」
「うん」
「よっしゃ、それでこそわしが見込んだ男や!」
 こうして明日も試合を観戦することを決めて大叔父は僕を連れて帰路についた。
 僕はふと後ろを振り返った。そこにはあの土星に似たドームがある。
「また明日か」
 ドームは何も語らない。だがそこにはあの人の志が場所をかえて息づいていることが感じられた。



 闘将の弟子達   完



                                      2004・7・8



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