――――とても――静かだ。
ここへ来る前はとても騒がしかった気がする。
それでいて幸せだった時間。思えば幻のようだ。
――――幻だったのか?
少しずつ、志貴の記憶は再び流れ出していく。
さまざまな出来事があったような気がする。
そう長い人生を生きたわけではないのに、一生を過ごした気もする。
ごく平凡な日常の中に起こった小さな波紋。それが大きくなっていっただけのこと。
当たり前のように起こってしまった、当たり前なんかじゃないこと。
それは長い時の中で起こるはずだった必然なのか。
それとも偶然だったのか。今はもうそれを知るすべはない。
小さな出会いと別れ。彼女が残した言葉。流した血と涙。全ては現実のことだ。
ただ、唯一の救いは。
――――ありがとう、と笑ってくれた。自分の最期に。
最期まで自分を気遣ってくれた彼女。
どうにかして救えたのではないか、と今でも思う。
そのまま悲しみに打ちひしがれてただ泣くことは嫌だった。
ならば、せめて。
せめてその最期を看とってあげることだけでも。
彼女の笑み。忘れられない出来事。
終わってしまった、過ぎ去った時間。
――――そうだ。終わってしまった。
過去を忘れて今を生きる。遠野志貴にはもうあまり時間は残されていない。
だから、命尽きるまで精一杯生きよう。そう決めていた。
些細な出来事を積み重ねて、ここまで辿り着いた。
呆れるほど日常は変わりなかったはずなのに、気がつけば一日たりとも同じ日は無かった。
これからも新しいことが続いていくのか、そう思うとつい破顔してしまう。
喜び、悲しみ、不安、希望。そして…
――――ドクン。
志貴は自分の心臓の音を確かに聞いた。
いつもの貧血の前に訪れる感覚。
胸の傷が疼く。とたんに広がる不安。
――――やはり人より「死」に近いせいかな。
死の形を見ることが出来る直死の魔眼。
人が持つにはあまりにも重過ぎるその力を持つ志貴はそうして自分を納得させる。
――――ドクン。
志貴自身にはどうすることも出来ない。死は平等にやってくる。
早いか遅いか、の違いだ。そして自分がどちらかは明らかだ。
こんなことを考えることだけでも…
「君。そんなところに倒れていると危ないわよ。」
唐突に、志貴に耳に懐かしい声が聞こえてきた。
「えっと……」
思わず志貴は飛び起きる。
「えっと、じゃないでしょ。こんな所にいつまで寝てるつもりなの。蹴り飛ばすわよ」
その声を発する人物は志貴の目の前でトランク片手に不機嫌そうにしている。
いつかの既視感を感じて志貴は苦笑する。
「蹴り飛ばすって、誰がですか」
「あのね、ここには私と君しかいないんだけど、違う?」
彼女はトランクを持ったまま腕組をして月を背に自信たっぷりに言った。
「なんとなく、会えそうな気はしたんですけどね」
「奇遇ね、と言いたいところだけどそうはいかないのよ」
「わざわざ僕に会いに来てくれたんですか?」
「…まあ今回のことについては私にも責任があったからね。だから最後まで見届けたかったのよ」
彼女は、いや先生は笑みを崩すことなく志貴を見つめる。
「久しぶりね。志貴」
「はい。先生もお変わりなく」
今さらながらに挨拶を交わした2人はお互いを見て声をあげて笑った。
2人は草むらに座り話をした。あの時のように。
別段何にもないことを楽しそうに。
その姿は先生と教え子というよりも仲睦まじい恋人同士のよう。
話は尽きることは無かったが、彼女は腰を上げた。
「そろそろ時間ね。正直、ここに長居する気はなかったんだけど」
志貴も同じように立ち上がろうとして……前に膝をついてしゃがみこんだ。
「志貴!」
「まいったな。疲労が溜まっているみたいです」
「……みたいね。怪我はしてないようだけど、体は大丈夫なの?」
彼女が垣間見せた焦燥の表情を志貴は見逃さなかった。
「ええ。おかげさまで、先生と違ってちゃんと人並みの体してますよ」
「…そう」
彼女は意味ありげに志貴を見つめる。
「……志貴。君は自分がそう長くないって知ってるの?」
その言葉に志貴は肩をすくめる。
「その様子だとわかっていると言うことね。」
「ええ。その時がいつか、まではわかりませんけど…」
「その割には落ち着いているわね。まさか、君は死が怖くないの?」
彼女は不機嫌そうに志貴を睨む。
「それこそまさかですよ。僕だって死ぬのは怖いです」
「そう」
「将来のことなんてあまり考えていないだけです。それよりも、今を生きることを
大事に思ってますから。」
志貴は笑みを浮かべてゆっくりと立ち上がる。
「…そっか。君は自分の死さえも見えてるのね。私も自分の死が見えたとしたら、ぞっとするわ」
「いえ、別にはっきり見えるわけじゃないですよ」
「似たようなものよ。志貴、君は人より確かに死に近い。そういう体を持ってしまった
ことを呪いたくもなるでしょう。……ねえ、君は辛くはない?」
そういって色のない、悲しげな瞳を志貴に向けた。
それは志貴の見たことが無い、彼女の魔術師としての眼だった。
「…そうでしょう? 君はもう人並みの幸福なんて手に入らないわ。その体を抱えて苦しむだけよ」
「……それは…」
志貴は視線を一瞬泳がすと、言葉を捜すように一呼吸入れる。
「だけど、きっと僕は幸せですよ。今までも楽しかったし、今からも楽しいと思います。」
「………」
志貴には、彼女が息を飲む音が聞こえただろうか。
二拍ほど置いて彼女は息を吐く。
それでいつもの先生に戻ったようだった。
「……私はあの日のことをこれほど後悔するとは思わなかったわ。神様は人に余分な力を与えない。
だけど志貴はその力を持っている。その魔眼は君を捻じ曲げるのに充分過ぎる。
私はあの時、
君が苦しむことになるのが分かっていながら、あんなことを言ってしまった」
その声はひどく哀しく憂いを満ちて響く。
「志貴。私を恨んでもいいのよ? 君の未来を決めたのは、間違いなく私なんだから」
寂しさを含んだ月の光が先生を照らし出しながら。
「…先生」
志貴はかつて見上げていた視線が、今は逆に見上げられていることにあの時との違いを感じた。
「言ったでしょう? 君は真っ直ぐに生きなさいって。そして志貴は本当にそうした。
そうすればするほど君の眼は災厄を呼ぶのに……」
志貴は言葉を遮るように手を上げた。
「先生。先生にはとても感謝しています。俺はあの時言われた言葉があったからここまでこれたんです。
俺は自分のやりたいように生きてきただけだし、聖人君子ってわけでもない。
こういう自分が好きなんですよ。だから――あの時、今のままで大人になれって言われて嬉しかったんです。
俺は後悔なんかしていません。だから、先生も後悔なんてする必要はないですよ。」
微笑を浮かべて志貴はそう言いきった。
彼女は軽く吐息を漏らし、微かに首を振る。
「……まいったわね。君は素敵な男の子になってくれたみたい。」
「先生のお蔭ですよ」
「………うーん」
相変わらずトランクを持ったまま腕を組んで考えている先生がいた。
「まぁいいかな、橙子には後で連絡入れれば。……ねえ志貴」
「はい」
「君は私に好意をもってくれてるのかな」
「……な、な、何をいきなり」
「あーもう。君は私が好きなのかってことよ」
「いえ、嫌い、じゃありませんけど」
思い起こすと今まで好きになっていた異性などいなかった。あの5人に対してもだ。
こんなこと言ってるのがバレたら何されるかわかんないけど。
そんなことを考えていると不意に先生が。
「私は志貴のこと好きよ」
「…え」
その一言を聞くと、胸が満たされていくみたいだった。今まで開いていた穴が埋まったように。
「何か問題あるのかな?」
どうやらあっちの世界に帰る気は無くなったらしい。トコトコと近づいてくると正面に立って見つめてきた。
………そうか。遠野志貴は、あの時、ちょうど8年前からこの人を好きだったんだ。
また会えることを願いながら。そして、今やっと会えた。そうだったのか。
「…先生」
「青子、と呼んでくれない?」
「青子さん」
「青子……まあ後の楽しみにしておこうかしら」
苦笑しながらも嬉しそうだ。
「うん、そうと決まったらまずは挨拶に伺いましょうか」
「あ、挨拶ってまさか…」
「もちろん現『遠野家当主』に決まってるでしょう?」
「あ、あ、秋葉」
「じゃあ行きましょう」
そういってスタスタと歩いていく。
ご、ごーいんぐまいうぇい。
多分、これからもまだ災難は続く。そしてそれを乗り越えられるかどうかはわからないが、
きっと何とかなるだろう。今までだってそうしてきたし、変えるつもりもないからだ。
何気ない日常の中で、ふとした変化が訪れ、それを楽しむ自分がそこに居た。
「急いでくれないかしら、志貴」
先生の催促が飛んでくる。そして俺は走り出した。先生のもとへ。
波乱万丈の人生が待っているんだろう。命尽きたらそこまでだが。
だけど、それまでは笑顔で過ごしたいと思う。この人に、哀しい顔をさせたくないから。
ここで遠野志貴の物語は一幕を閉じる。
しかし、直ぐに会えるだろう。それくらい、彼と彼女にはやるべきことがあるのだから。
それはまた、別の機会にでも。
yVoC[UNLIMIT1~]
ECir|C Yahoo yV LINEf[^[z500~`I