エングベーの中国人と日本人


皮大維

 内蒙古自治区クブチ砂漠のエングベーに、中国の王明海さんと日本の遠山正瑛さんという二人の砂漠改造専門家がいることは、かねてより耳にしていた。二人は砂漠にオアシスを造ったことで人々の尊敬を受け、エングベーという地図にも載っていないこの地名もそのために有名になった。だが、より重要なのは、二人が人類をのみ込んでしまいそうな砂の海に勇敢にも立ち向かい、両手で緑に恵まれた生態環境を開拓するといった精神で中国と日本で大きな関心と熱烈な反響を得て、それが中国青年基金会と日本の民間友好団体連合によって実施される「オアシス希望プロジェクト――中日友好砂漠緑化の集い」につながったことである。

 今年八月十五日、最初の二百人の中日ボランティアが北京で壮行式での宣誓を行って出発し、内蒙古エングベーに赴いて砂漠緑化の集いに参加した。

エングベーの「最初の住民」

 ボランティアたちを乗せた車の列は区都包頭市を出て西に向かい、黄河鉄橋を渡ってからすぐに広々としたクブチ砂漠に入った。アスファルトの道路はあったりなかったりで、果てしなく荒涼とした砂漠には全くの水気は見られなかった。タイヤが巻き上げる黄土は煙のように空中に漂っていつまでも消えることなく、ラクダイバラの群れだけが砂漠の中に点々と存在する緑であった。

 約二時間後、前方に生い茂った低木と並んだ小さな木が突然現れ、たちまち草花や樹木、人工の湖、赤レンガの建物がある生気に満ちたオアシスの光景がボランティアたちの目の前に展開された。エングベーの「最初の公民」そのオアシスがエングベーであった。

 色とりどりの旗がたなびく小さな広場で、エングベーの最初の住民の栄誉を受けた王明海さんに連れられた人々が遠路はるばるやって来たボランティアたちを迎えてくれた。

 かつてオルドス・カシミヤグループの副総裁であった王明海さんはがっしりとした体つきで、日焼けして、見るからに砂漠の硬骨漢といった様子が全身からにじみ出ている。十年前、生産規模を絶えず拡張していたオルドス・グループは、生産原料であるカシミヤの不足問題を解決するため、王明海さんに何人かの労働者を連れ、十二万元で二万ヘクタールの土地を買い、荒涼たるエングベーに牧草地の囲いを設けて飼料の生産地を開墾し、カシミヤ用の羊を飼育する基地を築くように命じた。

 砂漠を買うのは安価ではあるが、それを改造するのはまるで底なし沼であった。まいた種や植えた苗は、あっという間に風と砂じんにのみ込まれてしまうのである。植えてはのみ込まれ植えてはのみ込まれ、こうした人と自然との闘いの五年間で、六百万元以上もかけて得たのは砂漠に点在する浅緑色だけであった。オルドス・グループは膨大な投資に耐えきれず、ついにエングベーから手を引いた。しかし王明海さんは砂漠の開発事業に生きがいを感じ、決然と副総裁の職を辞し、エングベーの開発を請け負った。王さんは数年の経験により、砂を積んで洪水時に水をせき止めて水をため、それで耕地を潤すという科学的砂漠改造の理屈を悟り、砂漠の総合的管理・開発を進めていった。砂漠緑化を一つの産業として収益を上げるには、新たな砂漠改造に再び投資する必要があった。

 長さ四、五キロ、幅四十メートル、高さ七、八メートルの砂の堤防が創業者たちによって造られ始め、洪水は砂丘を押し上げるようになったが堤防の所で遮られ、そこにはついに平らな土地が現れた。

 十年が過ぎ、王明海さんは人々と共に二百万株の樹木を植え、六千六百六十七ヘクタールの砂漠を緑化し、質のよいカシミヤ用の羊、ダチョウ、クジャクの飼育業を発展させ、ミネラルウォーターを開発し、風力と太陽光を利用して発電し、地形に頼って二つのダムを造り、エングベーの優れた生態環境を作り出した。

緑と平和をはぐくむ一風変わった日本のお年寄り

 また、中日砂漠緑化活動の北京宣誓大会で、ボランティアたちはある人目を引く独特のいでたちの日本のお年寄りと知り合いになった。ジーンズルックでひさしのついた帽子をかぶり、日本と中国の両国の国旗がデザインされた独特のネクタイを締めていたそのお年寄りは、日本の砂漠改造専門家で九十二歳の遠山正瑛さんであった。

 日本の荒れ地開墾事業を自ら組織して指導し、日本最後の二十四ヘクタールの荒れ地を切り開いて耕地とした遠山さんは、二十年前に中国の砂漠改造事業に関心を持ち始めた。一九九〇年、王明海さんと知り合うとすぐにエングベーに根を下ろし、毎朝早くから夕方かなり暗くなるまで鉄のくわで大地を耕し続けた。エングベーの人の目には、遠山さんは尊敬し慕うべき一風変わったお年寄りとして映った。

 遠山さんは自分の持つすべての知識と資産をエングベー建設支援のために傾けたばかりでなく、日本国内で中国の砂漠化の状況を知らせることに力を入れ、エングベーに行って砂漠緑化に従事する数千人の日本のボランティアに働きかけ、組織した。五十年余り前のあの罪深い日本の中国侵略戦争に対し、遠山さんは心の痛みを感じている。「日本がかつて中国を侵略したことに対する一種の償いとして、中国人民の自らの国土建設も支援すべきです」。まじめで純粋な心の持ち主であるこのお年寄りは、さらに言う。「各国が軍事費を抑え、その金を砂漠改造と植樹に用いるよう私は願っています。兵隊さんたちが砂漠に来て植物を植え、平和を植える。これこそが人類の未来にとっての希望です」

 遠山さんは中国の砂漠緑化作業区に対する貢献によって中国人民から尊敬を受け、江沢民国家主席とも会見した。八月十六日、中日両国のボランティアたちはエングベーで、遠山さんの銅像の除幕式に望んだ。

二十一世紀は砂漠改造の世紀

 中国は森林カバー率が低く、土地の荒れ地化現象が深刻な国である。一三・九二%の森林カバー率は世界で百二十一位であり、国土面積の二七・三%が荒れ地化した土地で、しかもそれが毎年二千四百六十平方キロの速さで拡張を続けている。植樹造林、森林カバー率の増強、土地の砂漠化防止は、一刻の猶予もできない状況になっている。今回の中日砂漠緑化活動は、まさしくこういった状況下で生まれたものである。それと同時に、王明海さんと遠山正瑛さんらの苦難に満ちた努力と非凡な業績があったればこそ、エングベーは「緑色希望プロジェクト」の最適の援助対象になったのである。

 中国青年基金界の責任者の話によると、「緑色希望プロジェクト――中日砂漠緑化の集い」は日本で日中友好砂漠緑化活動の協力機構を設立し、参加へのPR、資金集め、ボランティアを組織し中国へ来ることを通して砂漠緑化実践活動に参加してもらい、中国青年基金会に対し期限通り二〇〇三年までに二億元の資金援助を行い、最低でも約七万ヘクタールの国土を緑化するという目標を実現させるという。

 今回のエングベーに赴いての中日ボランティアは、三日間にわたって植樹、流砂防止の活動を行った。ボランティアたちは真心をこめた労働で、炎天下の砂漠に緑の希望を植えた。中国側のボランティアの中には国家公務員、教師、サラリーマン、大学生、中高生、ひいては小学生もいた。そのほか、一家挙げての参加もあった。人々がうれしく思ったのは、日本側のボランティアのうち八人が国会議員であったことである。このことは日本の議員たちが中国の荒れ地化対策、生態建設、環境保全事業に対して関心を寄せ、支援しているということばかりでなく、さらに重要なのは、それが日本に先見性のある政治家や幅広い日本の人々の中国人民との子々孫々に及ぶ友好についての願いを表し、江沢民主席の中日関係は歴史をかがみとし未来を切り開くという言葉に対する積極的対応であるという点である。

 エングベーはすでに中日両国の共通の緑の目標となっており、ボランティアたちはこれからも次々にやってくるものと思われる。  

 

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル