歴史をかがみとし、美しい未来を切り開く

──『戦後日中関係50年』を評して

駱為竜


 戦後半世紀の中日関係の発展過程は複雑で曲折し、決して平らなものではなかった。対日関係の仕事に従事している人たちは、中日関係を系統的に論じ、権威性があって、何かを調べるために随時手元に備えておける著作が早くに出版されるよう望んでいた。これまでの日本学の研究状況から見て、たとえ中日両国の専門家がさまざまな立場や角度から中日関係史に関する多くの書籍を著作、出版し、それらが無論参考価値のあるものであったとしても、多くは一面的な主張であり、引用している文献資料も自国を主体とするものばかりであった。両国の専門家が協力し、正しい歴史観に導かれ、共通認識を基礎として両国の資料を総合的に利用し、戦後五十年の歴史を客観的に論じた専門書は少なかったのである。『戦後日中関係五十年』の価値は、その見解が公正で、こういった欠陥を補うことにあると言うことができ、一読に値する。

 同書は両国の二人の老ジャーナリストが互いに研究し、力を合わせて書き上げた成果である。中心となって執筆した島田政雄氏は日本の友好活動家であり、著名な翻訳家でもあって、新中国の状況を紹介する多くの書物を翻訳出版し、またずっと中日関係の発展と変化に熱心に関心を注いで、日本の動向を分析、研究する多くの政治論文も書かれた方である。氏は一九五〇年から日中友好協会の機関紙『日本と中国』編集長と同協会の新聞部長を務め、五十年一日のごとくすべての心血を日中友好および文化交流事業に注いでこられた。一九九二年春、氏は北京で自らが日本の中国侵略戦争期間に反軍国主義者として二回も逮捕された不遇な経歴を記述したものが出版され、また戦後に日中友好の発起人の一人として長期にわたって日中友好活動に従事してきたことの回想録『四十年目の証言』の座談会で、余生を戦後の日中関係に関する著作を再度著すことに充てたいと言われた。そのため、氏は八十四歳のご高齢と体力の衰えをものともせず、大量の書物や資料を幅広く収集し、また研究した末に執筆に取り掛かられた。その間、二回入院して手術を受けたが、回復後は健康をも顧みずに執筆に明け暮れ、驚くべき気力でねばり強く著作を続けた。

 もう一人の作者は、中国の田家農教授である。教授は若かりしころに東京大学の大学院に留学されたことがあり、そこでは東洋史を専攻し、戦後は中原大学や華中師範大学などで教壇に立ち、その後は『北京日報』の駐日記者と『人民中国』編集長などを務めるなど、長期にわたって日本問題の研究と中日文化交流の仕事に就いてこられた。田氏は島田氏がこの本を執筆中に、依頼に応じて中国に関する部分の執筆を引き受け、構想から資料の提供、執筆に至るまで二人は密接に協力し、長所を取って短所を補い、そのためこの本は双方の共通認識を体現することができたのである。この本は、非常に有意義な試みだというべきである。日本の歴史認識に関する問題において、この本は人々に一種の新しい啓示を与えるものでもあるとわたしは思う。

 『戦後日中関係五十年』の日本語版と中国語版はそれぞれ一九九七年と九八年に前後して、日本の東方書店(株)と中国の江西教育出版社から出版され、両国の読者の間で好評を博している。内容は十五の章に分けられ、日本の降伏から中日国交回復二十五周年までについて記述しているものである。第一章から第五章までは、戦後日本の「民主化」と日中友好運動の発端とアメリカの日本との片面講和についてその要点がかいつまんで論述されている。第六章から第八章は「国交正常化を求めて」と題され、日本国民の日中国交正常化実現のための努力が詳細に叙述されている。第九章から第十一章までは「嵐の十年。かちとった日中新時代」という題で、中日両国政府が共同声明を発表し、正式に国交が回復するまでの詳細な経過が重点的に述べられている。第十二章から第十四章までは「日中復交二十五周年を顧みて」という題で、それぞれの分野における中日国交回復後の両国関係の発展と際会した問題を詳述している。第十五章は「二十一世紀に残された課題」で、両国関係の発展を阻害する「歴史問題」といわゆる「台湾問題」について重点的に述べられている。またこの本には付録として、一八七一年から一九九六年までの近代日中関係年表も付されている。資料は詳細かつ正確で、内容は分かりやすく、専門家や学者の参考資料として使われるばかりでなく、一般読者が読むテキストともなるものである。

 この本の筆者は「むすび」の中で、「戦後五十年の今日、日本が真に平和国家として、中国をはじめとするアジアと世界各国から信頼される国になるためにはなお多くの課題が残されている」と強調し、注意すべき次の八つの問題を提起している。(一)正しい歴史認識に立ち、ドイツに学んで戦争責任を果たそう。(二)憲法第九条を守り、「日米安保条約」を廃棄すること。(三)歴史教育をただす市民運動を支持しよう。(四)民をもって官を促し日中関係の健康な発展を推進すること。(五)台湾問題は中国の内政であり、日本は厳格に日中共同声明、日中平和友好条約の原則を守るべきこと。(六)両国経済貿易の発展と技術交流をさらに一歩推進するために。(七)覇権を求めず、許さず、核兵器の全面廃棄を求める。(八)青少年の教育交流の発展。

 歴史をかがみとし、中日両国の美しい未来を切り開くというのは、中日の二人の筆者の共著によるこの本に込められた共通の願いである。

 われわれ両国のその他の学者と関係者もこの本の共著という方式にならい、両国の新旧の資料を用いてその他の論争中の歴史問題について共同研究を行い、双方が突っ込んで意見を交換して共通認識を持つに至り、歴史の本来の姿にさらに合致する著作を出版し、両国の読者の要望にこたえることは可能で、何ら差し支えはないことであると私は思う。これは試してみるべきいい方法ではないか。

 (本文の筆者は中華日本学会副会長)

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島田政雄氏

 島田政雄氏は鳥取県の生まれで、一九二九年に中学校を卒業。その後、共産主義青年同盟に入り、上海に赴いて仕事のかたわら中国の現代文学を研究した。一九四五年の日本の敗戦後は、上海で『改造日報』編集委員を務める。一九四六年に国民党によって強制的に帰国させられた後は東京の中日文化研究所で研究活動に従事し、併せて中国の現代文学作品の翻訳、出版に力を注ぎ、日中友好運動に積極的に参加してきた。四十年来余り、氏は日中友好協会のその他の指導者と共に国内外からの度重なる圧力を打ち破り、困難を克服して、中日両国人民の友好と文化交流の発展のために心血を注ぎ、全力を挙げて貢献してきた。

 島田氏は中国の現代文学の研究家および翻訳家でもあり、『青春の歌』『白毛女』などの多くの作品を前後して翻訳、出版しており、また特別に取材した上で『チベットの過去と現在』も著述し、これらの作品は日本の多くの読者の好評を博した。中国が「封じ込め」を受けていた困難な時代には、氏の努力はいずれも積極的な役割を果たした。後に氏が著した『四十年目の証言』と、共著による『戦後日中関係五十年』は、いずれも中国国際友人研究会(黄華会長)の「国際友人双書」に納められている。

 

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