北京での日本人旧友人訪中団
片山久夫氏(七五)を団長とし、中田慶雄日本国際貿易促進協会理事長を秘書長とする「かつて中国の建設事業に参加した日本人老朋友(旧友のこと)訪中団」一行は、かつて生活し、中国人民とともに新中国建国以前からのさまざまな分野での建設事業に参加した、思い出に満ちた中国東北地区の瀋陽、大連、旅順などを訪問し、遼寧省の指導者たちと懇談した。
十一月三日北京入りした一行は、ホテルでかつて中国語文法を教わった司明湖中国人民大学教授、中日翻訳講座担当の富爾良中国人民大学教授らと懇親会に臨み、四十数年前に同じ釜(かま)の飯を食べて勉強した思い出にひたりながら、時間の過ぎ去るのを忘れて語り合った。かつて学習の助手役を務めた黄世明中日友好協会副会長(当時十九歳)、中華全国総工会元処長(課長)の陳瑞華氏(当時二十歳)、そして当時、在留日本人たちの学習の面倒を見た王暁雲氏(生前、中日友好のために尽力し、日本国駐在中国大使館に勤務したこともある)の娘さん王京平さんらも、この懇親会に招かれた。
新中国建国以前の夜明け前の非常に困難な時期に、戦前から中国に在住していた日本人の若者たちは、まだ勝敗がはっきりしない極めて苦しい環境の中で、自らの人生を中国人民の解放と建設の事業にささげたのである。その中には、仕事の中で殉職した人たちもおり、現在、中国の各地にはその人たちのために建てられた記念碑が残っている。中国革命の聖地の一つである延安にも、記念碑が建てられている。
ちなみに、中国の日本語教育、日本語関係の諸分野で頑張っている初代および第二代、第三代のベテランたちも、これら在留日本人の教え子か、その助力のもとで育った人たちである。おおまかな統計では、三万数千人にのぼる日本人の若者たちが、この永遠に忘れ去られることのない事業に参加してきており、東京都日中友好協会の古川万太郎氏がこのことに関する著書を出したことがある。また、日本各地の日中友好団体の幹部の中にも、同じ体験をした人たちがかなりいて、手記、回想の形で自分たちの体験を書いた本を出版している。三万数千人の日本の若者たちが、隣国の国づくりの事業に、一銭の報酬を求めることなく身をていして参加したこと、これは日本の現代史の中で一章を設けて記述すべき出来事でもある。世界の各民族の歴史の中でも、これは稀有の事である。しかもこれら日本人たちは、帰国してからも、日中貿易、日中友好のために働きつづけ、齢(よわい)古希に達した今日においても、「中国残留孤児帰国定着」などの事業に打ち込んでいるのである。この夕べのひとときを共に過ごせたことは、わたしたちにとっても人生のいい勉強になった。
(林国本、李徳安)