北京で日本の全国紙に関する報告会

 中国国際交流協会の招きに応じて、『朝日新聞』の三好崇一元評論員・元上智大学教授が昨年十二月二十二日、北京市内のホテルで、日本の全国紙とその報道、経営をテーマとする報告会を行った。氏は@ジャーナリストとしての危機A戦前の教訓と反省をともに出発B占領政策の限界C戦後ジャーナリストの光と影D厳しさを増す経営環境Eテレビが新聞より優位にF新聞の技術革新の行方G二極分化した全国紙の論調H読売新聞の憲法改正提言I政治の保守化と朝日新聞に対する集中攻撃という十の面から、中国報道界の人々に次のように日本の新聞紙の状況や特徴について説明した。

 (ジャーナリストとしての危機にふれ)日本はマス・コミニケーションの発達した国で、ことに新聞は世界でもトップ・クラスの普及率を示している。千人当たりの新聞部数は五百五十七部で、ノルウェーに次ぐ世界第二位にランクされている。なかでも影響力の大きい全国紙五紙の一日当たり発行部数は読売新聞が一千万部を超え、世界一の部数を誇っているほか、朝日新聞八百万部、毎日新聞四百万部、日本経済新聞三百万部、産経新聞二百万部と、世界でもあまり例を見ない「新聞王国」を誇っている。

 しかし、表面上は繁栄しているように見える日本の新聞も、一歩なかに入ると、さまざまな問題を抱えている。まず第一に、若者たちの活字離れが進み、新聞をとってはいるが、あまり読まない層が増え、読者の空洞化が進んできたことである。第二は、テレビの影響力がますます強くなり、新聞の読者に対する影響力が落ちていることである。第三は、新聞界全体が保守化し、ジャーナリストに期待されている権力に対する監視と批判の機能が鈍ってきていることである。

 (厳しさを増す経営環境にふれ) 七〇年代までは、比較的順調に伸びてきた新聞発行部数は、八〇年代から世帯数の伸びを下回るようになった。九〇年代に入って、長期の深刻な不況が続いているため、発行部数の伸びが期待できない現実に直面している。一九九八年の日刊紙百二十一紙の発行部数は、前年比〇・二%減の五千三百六十六万部だった。その結果、各社は生き残りを賭けて、パイの奪い合いの競争に入っている。

 さらにそれ以上に、経営面に打撃を与えているのは広告収入の減少である。一九九八年の新聞広告費は、前年比六・七%の減少で、マスコミ四媒体のうちで新聞が最大の落ち込みであった。

 (テレビが新聞より優位にふれ) 一九五三年から始まった日本のテレビ放送は七〇年代から、影響力の面では、次第に新聞より優位に立つようになった。その最大の原因はテレビの技術革命である。カラー映像の進歩、テレビカメラの小型化、宇宙中継の日常化が進み、世界中どこで起きた事件でも、現場の生の映像が直接、茶の間に飛び込んでくるようになった。

 (新聞の技術革新の行方にふれ)新聞側が技術革新の努力をおろそかにしたわけではない。七〇年代以降、新聞製作の電子化、自動化に取り組み、実用化に成功した。これによって、新聞紙面はコンピューターで編集制作されることになった。その後、出稿部門にもワープロ、パソコンが導入され、「紙と鉛筆」で原稿を書いた時代は昔のことになった。九〇年代に入ってインタネットの利用が加速し、各社が自社のホームページを開設した。一九九八年一月現在、日本の六十四社の新聞社と通信社がホームページを開設している。将来は「電子新聞」に移行することも夢ではなくなった。

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