改革開放後の経済発展


 中華人民共和国は約12億5000万人の世界最大の人口を抱え,東西5000Km,南北5500Km,総面積960万平方Kmの広大な国土を有する.人口最大の省は四川省の1億1325万人(1995年現在),最小はチベットの240万人である.一級行政区は北京,天津,上海,重慶の4直轄市,及び22省,5つの少数民族自治区の31省市区から成る.

 1978年12月,中国で改革開放戦略がスタートして20年を経た.この間の(1978年価格) GDPに見る対前年比の成長率では,1985年から1988年には8%から13%の成長,その後1989年,1990年の両年は4%台に落ち込むが,1991年には9.1%まで回復し,その後1992年から94年までの三年間は12%から14%までの高成長を維持していたが,96年から98年までの3年間は9.8%から7.8%へと低下してきた,その背景に国内経済過熱への懸念による金融引き締め政策や東南アジア経済危機などの影響によるものと考えられる.第二次産業では1989年の3.8%,1990年の3.2%を除くと1985年から1994年に10%を越え,1991から1993年には20%前後の高成長率を維持した.こうした成長を遂げてきた改革以降の中国について,概観していこう.

 高度成長を実現した中国の経済改革は,いわば「周辺からの改革」といえる.即ち都市部,国有セクターからではなく農村から,そして国有セクターの改革より非国有セクターの成長を積極的に推進した.また沿海地域への傾斜政策も行われた.その例として農村部における生産請負制を始めとする各種請負制,農村部における工業化,外資導入等が挙げられる.こうした改革を通じて1980年代の中国経済の成長を牽引したのは江蘇省,広東省,浙江省,山東省等の沿海地域であった.

 そこで,改革以前から指摘される地域格差問題が,改革後こうした沿海先進地域に対する内陸後進地域というフレームの中で問題視されてきた.果たして,改革は中国全土に浸透していくのか,或いは,市場経済化はどのように進展するのか,といった問題意識が,この中国地域格差問題の大きな関心事の一つといえる.

 市場経済化をどのように全土に浸透させていくかはまた,政策的にも重要課題であり,様々な構想が提唱されている.90年代に入って,それまでの地域傾斜政策から中国全土を含む全方位改革に路線が転換した.この中で沿海部の発展を長江流域に波及させていくというT字型発展構想を始め様々な構想が提唱された.現在では幾つかの省を越えた,経済的に密接に関係する経済圏構想が挙げられている.こうして,沿海部と比較して相対的に後進地域である内陸の経済発展を推進する政策が見られる.こうした中で,中国全土で経済改革が進展している.

 1990年代の新しい傾向は他にもある.かつて内陸から出稼ぎとして沿海への労働力移動が見られたが,近年,そのUターンが見られる.彼らは資金を稼ぎ,また経営ノウハウや技術を取得し,故郷で企業を設立し,成功している.こうした成功例が,更に,沿海と内陸両方向で労働力移動を活発化している.これもまた,内陸経済振興の一助となろう.

 中国でよく言われるように「現実から出発」し,中国は経済改革の過程の中で段階を一つずつ経てきたと言える.そこでは従来から継続する問題とともに,新たな現象も,問題も生まれている.こうした問題が改革の進展の中でどう解決され,或いは存続するのか,また現象はどう変化していくのか,その観察から中国の現状が見えてくるであろう.

 

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