平坦ではなかった郵便事業の五十年


 初秋を迎えた北京の人々は、新装なった長安街大通りの両側に新しい郵便ポストが設置されたことに気づいた。それもまた、祭りの雰囲気につつまれ、色とりどりの旗が飾られるその他の郵便施設と同じように、八月二十三日から九月十五日まで北京で開かれた第二十二回万国郵便連合(UPU)大会を迎えるためのものである。

 世界五大陸から集まった参会者たちは、北京の一部郵便施設を見学し、百余年の歴史を持つ中国郵便の近代化の度合に対して敬服している様子であった。リビュUPU国際局長は今回の大会の優れた施設と設備、高い能率、勤勉なスタッフを特に称賛し、「私の見てきたもので、これは準備作業が最良の大会である」と語った。まさに中国の郵便事業が目覚ましい発展と大きな成果をあげたこともあって、百八十九の国・地域の郵便代表団は今後の発展について共に話し合おうと北京に集まったのである。

新中国郵便の創業と発展

 中国の郵便制度は古く、紀元前一四〇〇年の殷(商)の時代に国境地帯の軍事情報を伝える通信手法についての記載がある。

 新中国成立以前、中国の郵便・通信業はネットワークが少なく、基盤が軟弱で、業務の種類が単一で、設備が旧く、先進技術の応用度が低いほか、手作業や肉体労働を主とし、効率が低いというありさまであった。

 新中国が生まれた一カ月後に、郵便電信部が発足し、全国の郵便・電信事業を統一的に管轄することになった。

 新中国の郵便事業に携わる新しい人生を歩むようになった従業員たちは「迅速、的確、安全、便利」をサービスのモットーとして首都北京を中心とする全国の郵便ネットワークをほぼ作りあげた。

 新中国の成立後五十年間に、中国の郵便事業は並々ならぬ発展の道をたどり、世界の注目を浴びる成果を収め、ネットワークの規模、技術のグレード、サービスの水準といったものに質的飛躍が生じた。郵便建設は国民経済の発展にほぼ適応し、国民の生活の需要を基本的に満たすようになった。

 発展の軌道に乗ったばかりの郵便事業は十年にわたる「文化大革命」でひどい破壊を被り、艱難辛苦の中を前へと進んできた。

 改革・開放が実施されてから、全国の郵便部門は正常な業務と仕事の秩序を回復し、郵便のインフラは絶えず改善されるようになった。一九八〇年から、EMS(宅急ビジネス便)、速達、都市間電子メールなどの新しい業務が相次いでスタートした。一九八六年四月、郵便貯金が開始され、同年十二月、「郵政法」が公布された。

郵便の近代化建設

 情報伝送、物品輸送、金融流通といった郵便の三大業務はいずれも科学技術の進歩に頼って、効率アップをはかり、市場の競争力を強める必要がある。こうしてこそはじめて、便利で快速な電話、インターネットや鉄道、民間航空からの挑戦に対応できるのである。

 中国の郵便事業は一貫して「科学教育による郵便振興」の方針を堅持し、外国の先進的技術と設備を導入し、絶えず革新を進めて、労働集約型から技術集約型への転換を推進してきた。郵便作業の機械化、自動化、営業サービスのエレクトロニクス応用水準も明らかに向上した。

 全国には郵便の電子化された支局が一万六千二百七十二、書状自動仕分け機が百六台、小包仕分け装置が百三十八台、ATMが二千九台ある。郵便総合インターネットの建設も急ピッチで進められている。

 活力に満ちた新しい業務――EMS 中国は一九八〇年からEMSを開設し、今では二百以上の国・地域と業務関係を樹立しており、国内の千九百以上の都市で業務を展開している。ユーザーの需要を満たすため、またEMS関連の業務、例えば国際・国内電子メール、国際速達送金、国際・国内の料金受取人払、国内速達代金受取代行、ウルトラ快速EMS、贈答品送達、納税申告書送達、貨物輸送などの業務を次々と開始した。

 中国のEMS業務はネットワークが大きく、管理が厳密で、安全性がよいという特色にものを言わせて、国内の市場で優位を占めている。一九八〇年のEMS開業したその年でもその収入は二万元に達し、一九九八年の業務収入は三十一億二千万元に増えた。

 ここ数年来、EMS一八五番特別サービス電話が全国において開通し、EMSのサービスレベルにかなり大きな向上が見られるようになった。郵便物の問い合わせ、ユーザーの苦情受理、クレーム処理などの機能があるほか、各地のコンピューターの追跡問い合わせシステム、配達システムなどと合わせて使用できる。

 競争の中で存続を求める――新聞・雑誌の配達 旧中国の新聞社の自社販売のやり方では、とても新中国の広大な農村、山間地帯、辺境地区建設の需要に適応できなくなった。従って、一九五〇年に新聞社の発行部門と郵便局が合併し、新聞・雑誌の発行は郵便局の業務の一つとなった。四十九年このかた、郵便局が配達する新聞・雑誌は二百六十二種類から六千百七十二種類に増え、年間の配達量は四億二千四百万部から二百十億部に伸びた。今年の郵便配達の新聞・雑誌は全国の刊行物総数の六〇%を占めている。郵便は中国の新聞・雑誌発行の主要なルートとなりつつある。

 改革・開放以来、郵便の新聞・雑誌発行は爆発的な伸びを見せたものの、運送能力がひどく不足しているため、発行作業に響いた。それに都市部の新聞社自社販売がはやるようになって、八〇年代後期以来、郵便の新聞・雑誌発行が大きな影響を受けるに至った。

 にもかかわらず郵便部門は全国の至る所に散在する郵便局という強みと、数十年にわたって積み重ねた経験を生かし、従業員の労働意欲を引き出し、サービスを改善し、卸売りと小売りを同時に促進するなどによって、発行量は平穏を保ちながら最終的には少しずつ増えるようになった。日刊は朝早く送り届けること、新聞・雑誌は特別に運送することなどの措置をとって配達のスピードをアップし、読者から信頼されている。

 多彩な新中国の切手 切手は郵便局が統一的に発行する。新中国発行の最初の切手である「中国人民政治協商会議第一回全体会議を祝う(四枚セット)が一九四九年十月八日に発行された。中国の切手は主として普通切手、記念切手、特殊切手、専用切手などに分類される。このほか、十三カ国と共同で切手を発行した。

 一九七九年八月、中国切手総公司が発足して切手の発行、販売業務を管理するようになった。一九八五年、同公司は再編を行い、切手発行局と中国切手収集総公司に分かれて、分業体制をとるようになり、管理を強化することになった。

 着実に伸び続ける郵便貯金 一九八六年四月一日、国務院の認可を経て、郵便貯金の業務が回復され、同年、郵便貯金局が発足した。十数年来、郵便貯金事業は大きな発展を遂げてきた。中央銀行が何回も利息を引き下げたという状況にあっても、郵便貯金は着実に増え、シェアは工商銀行、農業銀行、建設銀行、中国銀行といった四大商業銀行に次ぐものとなった。現在、全国に郵便貯金を取り扱う郵便局が三万千六百四十六局あり、貯金加入者は一億二百万人に達している。

 郵便為替取引業務もオンライン化が実現し、速やかな発展を遂げた。一九九二年現在、中国は十八カ国と郵便為替の交換業務を開設した。

郵便と電信の分割経営

 社会主義市場経済のさらなる発展が示しているように、郵便事業は政府が管理し、独占的に経営することから、競争に満ちた市場化、企業化への転換が必然的なすう勢になった。そのため、国は郵便・電信体制に対し大きな改革を行い、郵便と電信の分割経営を実行した。

 一九九八年三月、国家郵政局は発足した。これは郵便の独立運営体制が実施され、長期にわたる「郵便電信一体化」の体制に終止符が打たれたことを示すものである。これはまた、郵便の社会生活における地位と役割がいっそう際立つようになったことを示している。

 今年上半期、全国の郵便業務総収入は百七十億三千万元で、一日当たりの収入は約九千五百万元となり、前年同期に比べて九・九七%増えた。。。

日ましに盛んになる対外協力

 一九九八年末現在、中国は百四十五の国・地域と直接郵便開通関係を樹立し、外国郵便物交換局と交換所は四十四カ所に達し、九十六の国・地域とEMS業務関係を結び、EMSが二百の国と地域に送り届けられるようになっている。また十八の国との間で国際郵便為替業務が展開されている。

 二国間と多国間の交流や協力も絶えず進展し、世界的範囲で受取通知業務が展開され、アメリカとの間には小包輸送制度、優先配達業務があり、ヨーロッパのすべての国、アメリカ、オーストラリアと航空機、鉄道、船舶による郵便物、小包運送の業務を展開している。

 競争があってこそ、作業もより一層改善される。まさにリビュ氏が望んでいるように、中国の郵便事業は将来、世界の郵便事業の発展にさらに大きな貢献をすることになろう。郵便と電信の分割経営を実行して一年たったばかりの中国の郵便事業は、今や世界に向かって自らの存在を実証して見せている。

 

 

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