「東方のモンテカルロ」から中国開放の窓口になる澳門
一九九九年十二月二十日に澳門は祖国に復帰した。復帰後の澳門の経済と社会がいかにして発展するかは日増しに国際社会から注目されている。本文の解説が示しているように、澳門は復帰後、「一国二制度」を実行し、大陸部との協力を強化することによって、香港と同じように中国の対外開放における今一つの重要な窓口になるのである。
珠江の河口付近に位置する澳門は面積が二十三・五平方キロ、人口が四十三万人である。ポルトガル人が中国に来る前から澳門はすでに中国の海外貿易の開港場となっていた。以来、澳門は一時期はアジア、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ大陸などをつなぐ国際貿易の中枢となり、中国のシルク、磁器、茶などが澳門から大量に輸出され、中国の商品経済の発展と資本主義の芽生えを促進することになった。アヘン戦争(一八四〇〜一八四二)以後、澳門は空間が狭く、港湾が浅いので、国際貿易港の地位は香港に取って代わられてしまった。経済が次第に衰退し、「東方のモンテカルロ」となるに至った。二十世紀の七〇年代から、香港のメーカーは国際間の澳門に対する貿易面の優遇を利用して、一部の輸出加工業を澳門に移転し、その結果、現代経済が速やかな発展をとげ始めた。中国大陸部で改革・開放が実行されてから、香港の製造業の大部分が珠江デルタ地帯に移された。周辺地域の激しい競争のもとで、澳門の輸出加工業は年を追って衰え、澳門の生産総額に占める比率は一九八四年の三六・九%から一九九六年の八・三%に下がり、経済の発展がもっぱら観光業や賭博業に頼るだけとなった。一九九三年以降、澳門経済の発展スピードが年を追ってスローダウンして以来、ここ三年は連続してマイナス成長となった。
澳門の復帰は二十平方キロ余りの国土が回復されたことを意味するだけでなく、「東方のモンテカルロ」から中国の開放の窓口になるという澳門経済機能の回復をも意味する。澳門が祖国に復帰した時代は経済グローバル化の時代であり、中国がいっそう対外開放する時代でもある。中国の開放拡大は澳門に極めて大きな発展チャンスをもたらすであろう。
七〇年代末、中国が改革・開放を実行してから、澳門に隣接する香港は中国大陸部の対外開放における重要な窓口となった。大陸部が導入した外資の二分の一、輸出による外貨獲得額の三分の一、受け入れた海外観光客の五分の四は香港からのものであった。歴史的な経緯から、香港はアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアなど英語圏諸国とのつながりが密接である。『香港経済年鑑』の統計によると、商品、資金、人員などの香港の対外交流は隣接する東アジア諸国を除けば、すべて英語圏の諸国を主要対象としている。反面、英語圏でない諸国との交流がなかなか進まない。一九九七年、フランス、ブラジル、スペインといった三つの「ラテン系大国」の経済力はそれぞれイギリス、カナダ、オーストラリアといった三つの英語圏国の一・二五倍、一・三二倍、一・五倍となったにもかかわらず、香港は前者との貿易額がわずか後者との貿易額の五三・一%、四一・一%、六二・三%にそれぞれ相当するものであった。世界において、ポルトガル、スペイン、フランス、イタリアなどラテン系言語を第一言語とする国は「ラテン諸国」と呼ばれ、世界人口の九分の一を占め、その国民総生産(GNP)は全世界の六分の一を占め、経済・技術力がかなり強い。そのうちのフランス、イタリア、ブラジル、スペインはいずれも世界経済最強国のベストテンに入っている。
香港は中国の対外交流の主な窓口であり、香港の世界とのつながりが制限を受けるようなことがあれば、中国の対外開放に直接制約をもたらすことになる。交流が不足したため、中国の中南米に対する直接輸出は一九九七年はわずか四十六億一千万ドルしかなく、イギリス向けの輸出額とほぼ同じであった。
中国は人口が多く、耕地が少ないため、先進国になるためには自国の資源に頼るだけではまだまだ足りず、唯一の選択肢は開放を拡大し、深化させ、全方位にわたって国際的資源を利用して国際市場を開拓することである。そのため、二十一世紀の経済グローバル化時代において、中国はより多くの開放の窓口を増やし、さらにいくつかの香港をつくるべきである。
澳門は古い歴史をもつ著名な国際港であり、香港と同様に中国の南部の門戸とアジア太平洋の航運の要衝であって、さまざまな有利な条件を備えている。
まず、澳門は中国がポルトガル語圏の国と交流を展開する上で有利な言語文化の環境に恵まれている。澳門では中国語とポルトガル語がともに公式言語と見なされているが、これは中国がポルトガル、ブラジル、アンゴラ、モザンビークなど十余りのポルトガル語圏国および地域との交流の増強に役立つ。世界の一部著名な経済学者は、ブラジルは中国と同じように、二十一世紀における世界の経済強国になる可能性が大きい、と見ている。ブラジルは世界最大のポルトガル語圏国であり、かなりの豊富な資源と発展の潜在力をもっている。中国とブラジルは経済力の面で接近しており、それぞれ東西両半球における最大の発展途上国であり、両国は共に戦略的パートナーシップを構築することを決めている。しかし、現在までのところ、中国とブラジルの交流はまだまだ理想的な境地には到達しておらず、両国の貿易額はわずか中国の対外貿易額の〇・八%を占め、ブラジルの対外貿易額の二・一%しかならない。澳門は中国とブラジルの交流の懸け橋となる見込みがある。
次に澳門もその他のラテン諸国と伝統的な、幅広い経済・文化のつながりをもっている。現代、澳門の百余りの貿易対象国の中にはラテン諸国が一番多い。澳門にある外資銀行の中にも同様にラテン諸国のものが主としている。
第三、澳門は自由港制度を実行している。澳門は古い歴史をもつ自由港であり、商品、貨物、資金、外貨を自由に持ち込んだり持ち出したりすることができ、自由に経営でき、人員が自由に出入りし、しかも手続きが簡単で、ただたばこや酒などの少数商品に対して消費税を徴収し、所得税率も香港より低いので、澳門の対外経済交流にたいへんプラスとなる。
澳門特別行政区基本法に基づけば、澳門のこれらの優位性は復帰後も引き続き保つことができる。これらの条件を生かし、さらにそれをはぐくみ、発展させるならば、澳門は必ず中国がラテン諸国と連携する重要な窓口となることができるのである。
澳門は国際港としての歴史が香港よりも長いが、しかしここ百年来の経済の発展ぶりは明らかに香港に引けを取り、甚だしいことに香港に大幅に依存する羽目になり、中国の対外開放において今だに窓口と懸け橋の役割を充分に発揮し得ていない。その主な原因には、澳門は土地が狭く、インフラが軟弱であることが挙げられ、これらは澳門の発展を大いに制約している。復帰後、祖国の大陸部は疑いもなく澳門の長期にわたる安定発展に頼りになる保証を提供することはまちがいない。特に澳門と切り離すことのできない、互いに助けあう間柄の珠海市は、澳門の発展に至急必要とする土地、深水港、人材などのさまざまな資源を充分に提供することが全く可能である。
珠海市は澳門と隣接しており、中国で最初に設立された四つの経済特別区の一つである。珠海市の面積は一千五百八十一平方キロで、香港よりやや広く、澳門の七十倍に相当し、人口は六十三万人で、澳門の一・五倍である。澳門と珠海は経済の面でそれぞれの長所、短所があり、資源構造においてもまたは経済構造においてもいずれも明らかな相互補完性がある。澳門は復帰後、珠海と次のいくつかの面で協力を進めることができる。
一、珠海の横琴島を共同で開発する。澳門の土地が狭いことは経済発展における最大のネックである。そのため、発展の空間を広げることは澳門経済が繁栄を保ち、開放の窓口としての役割を発揮するための急務である。珠海の横琴島は澳門とは海一つ隔てて、一番近いところは距離がわずか数百メートルで、土地面積が澳門の三倍となり、充分に開発されるならば、数十万人を収容できる。現在、澳門と横琴島を結ぶ澳珠大橋が建設されている。
横琴島では、国際貿易、国際観光、国際航運、国際金融、国際科学技術教育、情報交流などの産業を逐次発展させ、横琴島を澳門のような国際自由貿易地域と中国・中南米経済貿易運営交流センターに築きあげ、澳門と珠海の経済協力のきずなと共同発展の主要な成長スポットに築きあげて、澳門と珠海が二十一世紀に百五十万ないし二百万人口をもつ連帯国際大都市に成長するよう引っ張っていく。
一、高欄深水港を共同で利用する。澳門にはいまだに深水港がなく、これは対外交通の不便は澳門の国際港としての地位が衰えていった主な原因である。高欄港は珠海西区の西江河口に位置し、港湾の広さは八十平方キロに達し、深水海岸の長さは二十キロ余りで、大型深水港を建設するのに最適の条件を備えている。広州=珠海=澳門鉄道が完成し、西江の航路が整備された後に、高欄港は西江流域と西南地区の海に出る窓口に発展することができ、現在すでに交通部の企画した沿海中枢港の一つに組み入れられている。澳門は珠海と共同で高欄港を建設することができ、さらに高欄港の一部港区を保税区または自由港区に画定し、澳門をつなぐクローズド・ルートをつくって、澳門にリースして使用してもらい、澳門の自由港と高欄深水港の強みが互いに補完できるようにする。将来、澳門はブラジル、アフリカ、南ヨーロッパなどのラテン諸国への定期便を逐次開設し、中国および東アジアとラテン諸国を結ぶ国際航運の中枢になることができる。
一、広州=珠海=澳門鉄道と高速道路を共同で建設し、西江の航路を共同で開発する。澳門、珠海の内陸部との交通は非常に弱く、珠海は中国で唯一の鉄道のない経済特別区である。このような立ち遅れた局面を改めるため、現在広州=珠海鉄道と高速道路の工事が進められている。澳門がすでに復帰した今日、前述の鉄道と高速道路を一日も早く澳門に伸ばすことを考えるべきである。
西江は珠江水系の幹流で、雲南省を源流とし、貴州省、広西チワン族自治区、広東省などを流れて、澳門、珠海の近くで海に流れ込む。西江水系の通航距離は一万キロ近く、華南地区における最大の「ゴールデン水路」である。水運を主とした時代、西江は西南地区と華南西部地区の海に出る主なルートとなり、西江河口に位置する澳門は西江流域の対外貿易の伝統的な窓口であり、広大な西南地区の茶、シルク、鉱産物、薬草、香料などのほとんどは西江水路を通じ澳門を経由して世界各国に輸出されていた。十九世紀末、西江は対外貿易の水路として見なされ、年間の貨物輸送額は数千両銀に達し、広西の輸出商品の八〇%が西江を通じて香港・澳門に輸送された。西江流域の上流地域は資源が豊富で、下流地域は経済が発達しているので、澳門は珠海市など川沿いの都市と共同で西江の航運業を開発し、西江流域経済地帯を共同で建設することができる。同時に、広州=珠海=澳門鉄道が完成した暁には、この鉄道を西江に沿って上流の梧州、柳州に伸ばし、貴州=桂林、焦作=柳州、南寧=昆明などの鉄道とつないで、西南地区における今一つの海に出る大きなルートが形成されると同時に西江水路、川沿い道路などと共に直接香港・澳門と西南地区の奥地を結ぶ輸送量最大の総合交通回廊となるであろう。それによって香港・澳門と西南地区との連係を大いに促進し、中西部地区の開放と発展を大々的に促進することができるのである。