「第三の道」をどう見るか
九〇年代における西側の政治生活のなかで台頭した「第三の道」は、西側の左翼政党が伝統的なイデオロギーと政策を改め、時代の発展に伴って現れた新たな問題に対応する戦略的な転換を反映するものである。
「第三の道」の背景
二十世紀における西側の伝統的な左翼政治と右翼政治は、資本主義に対するそれぞれ違った認識を具現したものである。右翼保守主義は市場という根本的な原則を堅持してきたが、左翼は社会の公正をより強調し、社会の再分配、例えば国有化、あるいは福祉拡大などの政策と方式によって社会の公正という目標を実現させることを強調している。
七〇年代の後半、左翼の政治パターンは多分に疑問視された。サッチャー英首相とレーガン米大統領の働きかけで、個人主義哲学を思想構造とし、マネタリズム及びサプライサイド派エコノミストの経済政策を手段とする新保守主義が復興し始め、さらに八〇年代の政治思想を導くことになったが、西側の左翼政党の多くは政治面で低落に陥った。政治競争の圧力に直面して、左翼政党はその伝統的な思想と政策の体系を変えざるを得なかった。これによって、西側の左翼政党が九〇年代に「右」へ、あるいは「中道路線」へブレる普遍的なすう勢が現れた。
「第三の道」はほかでもなく、このようなすう勢の中から発展してきた新たな急進主義の理論である。一面では、それは冷戦の終結によって顕著になった資本主義そのものの問題、とりわけ新保守主義政策の実施の中で現れてきた新たな社会問題をとらえ、他面では、グローバリゼーションの発展によってもたらされた、単に伝統的な左翼政治と右翼政治でカバーすることができない一連の新たな問題をもとらえた。それには、グローバリゼーションによってもたらされた新たな社会の不安定要素、経済と金融市場の規範化、グローバリゼーションによる民族と世界における「抑制」への挑戦、グローバリゼーションによる伝統的な社会構造と社会関係の変更などが含まれている。
これらの問題は資本主義民主に危機をもたらしたばかりでなく、伝統的な政治構造とイデオロギーに大きく響き、グローバリゼーションの発展と資本主義の伝統的な社会政治制度との遅れの矛盾を突出させた。これによって、欧米各国の左翼政党の改革者たちは「資本主義を現代化させよう」という共通の旗印を掲げた。これが「第三の道」は資本主義の諸国で強い共鳴を起こした現実の基礎である。
九〇年代における欧米の左翼政党の戦略的な転換がその政治面での再生をもたらした。これは「第三の道」の現実的な起点となった。一九九三年、アメリカは伝統的なリベラジズムと保守主義の思想と政策に取って変わり、アメリカの政治と管理を現代化させる政策体系を設計した。それと同時に、イギリス労働党の改革者たちは伝統的な左翼政治と右翼政治を超える「第三の道」という旗印を掲げた。「第三の道」はクリントン大統領とブレア党首の全力挙げてのPRによって、国際社会での影響力は急激に広められたが、昨年のドイツ社会民主党のシュレーダー氏の登場によってより大きなクライマックスを迎えた。
ブレア氏の「第三の道」の実質
ブレア政権に代表される「第三の道」は、知識経済が出現する情報社会に生まれたもので、二つの特徴を持っている。
一、民主社会主義の特徴。「民主」とは資本主義の条件のもとに置かれた議会民主制度を指し、「社会主義」とは各階層の社会メンバーが幅広く参与する社会運動を指しており、連帯互恵の社会秩序の確立を目的としている。ブレア氏の理論はまさにこの精神を具現したものである。まず、「第三の道」は、オールド・レフト(伝統的な労働党)の国家介入主義にも反対すれば、新しい右翼(サッチャーリズム)の自由市場主義にも反対するものである。次に、再民主化の問題を打ち出し、イギリスの政治制度を改革することを主張し、また「政府をスリム化させ、権力を移譲し、政府の効率を向上させる」ことを原則としている。第三に、新しいタイプの公民社会の構築を強調し、「すべての人が共有する社会所有制」を主張している。最後に、資本主義の個人独占性、国有化放棄、私有制擁護を強調すると同時に、資本主義の範疇の中で社会を改良しながら、社会の公平と経済効率に配慮を加えることを主張している。
二、情報社会の特性。「第三の道」が代表するのは情報社会で台頭した膨大な新しい中間階級の利益であり、それが反映し、解決しようとするのは情報社会の主要矛盾である。これらの矛盾には、技術の進歩と十分な雇用の矛盾、個人の発展と国のコントロールの矛盾、自然環境と工業文明の矛盾、民族国家とコスモポリタニズムとの矛盾、地域衝突とグロバールな安全との矛盾などがある。「第三の道」は簡単の意義においての保守主義のベールをかぶった民主社会主義ではなく、プラグマチズムの政策のごった煮と言うものでもなく、情報社会の特定の需要を反映する価値観と方法論である。それはあまり成熟していないとはいえ、基本的理念はすでに一応の目鼻をついている。
「第三の道」は工業社会の二つの対立したマクロ規制理論の利害得失をまとめ、情報社会の需要に合致するように改造したもので、一定の現実的意義をもっている。ブレア氏の「第三の道」の実質は資本主義制度に対する改良と言えるであろう。
コソボ戦争から「第三の道」を見る
「第三の道」を吹聴し、それを信じて実行しているクリントン氏、ブレア氏ら西側の指導者たちはまさしくコソボ戦争を吹聴し、引き起こした者である。コソボ戦争を「第三の道」の戦争と言う者がいる。
「第三の道」を信じて実行した者たちはコソボ戦争で左派の政治が吹聴した、外交政策がモラル価値観によって決定するという介入主義の伝統を受け継ぐとともに、やたらに武力を振り回すことに反対するオールド・レフトの平和主義政策を突き破り、武力で他国の内部事務に干渉する「新干渉主義」の政策を打ち出し、それを推し進めた。対外関係の中で一貫して強気の立場に立っている新右翼は、自らの利益と直接にかかわりがないことに介入してはならないとしている。だからコソボ問題においてはオールド・レフトと新右翼はともに戦争反対派となった。コソボ戦争の実践が明らかにしているように、「第三の道」が実行したのはよりいっそう介入主義的色彩に富む侵略的対外政策の路線であった。
冷戦の終結とワルシャワ条約機構の解体によって、西側諸国の安全の外部条件と内包には重要な変化が生じた。一方では、両極の枠組みが終結し、民族国家の間で大規模な戦争が起こる可能性はなくなったか、あるいは明らかに減少した。また一方では、地域の激動と民族的、宗教的紛争は国際安全を脅かす主な危険となっている。したがって、西側諸国が安全戦略を調整し始め、二十一世紀に向けての安全メカニズムと国際ルールの構築に取り掛かっている。こうしたことをバックに、ブレア氏はコソボ戦争の進行過程でいわゆる「独裁政権」と闘い、国際的介入を行うために新しい原則を確立することを核心とする「国際社会の新理論」を打ち出した。その原則の主旨は、国家主権は人権及び人種絶滅防止ほど重要ではなく、国際関係において慣行となっている不介入の原則に対し必ず一部の重要な面で制限を加えなければならないことである。ブレア氏は、人種絶滅行為は決して純粋の内政ではなく、コソボにおける民族的粛清はすでに国際平和を脅かすものとなっていると言っている。これによって、西側諸国が関心を持っているのはユーゴの民族問題ではなく、西側の価値観やその主導する法秩序の基盤を踏まえて新しい国際秩序を構築する問題であることが分かる。コソボ戦争はこのような機会と手本を提供した。
「新介入主義」はグローバルな秩序という「第三の道」の主張についての構成部分であり、その「国際社会」に関する一連の見方と密接なかかわりがあるものである。ブレア氏は「国際社会の新理論」という演説の中で、国際安全と「第三の道」の政治的主張を論じただけでなく、グローバリゼーションと相互依頼との関係を重点的に論じている。グローバリゼーションの発展につれて、各国の間の相互依存は日増しに深化している。各民族国家の利益の実現はかなりの程度において国際協力と協調の発展によって決まる。それと同時に、多国間か、またはグローバリゼーションの一連の問題が現れた。例えば、グローバルな金融市場のモニタリング、世界の生態環境の保全、グローバルな安全と軍縮などの問題がそれである。十分かつ効果的な国際協力がなければ、そのうちのどの問題も解決しかねるため、二十一世紀のために新しいグローバル・ルールを制定しなければならないとブレア氏は考えている。
ブレア氏の見方と主張は強烈なイデオロギーの傾向と覇権主義の色彩を帯び、それは西側が主導する国際政治、経済新秩序を構築することを旨とするもので、そのうちのいくつかの政策は極めて誤ったものであり、非常に大きな危険をともなうものである。