中国国家指導者プロフィール |
江沢民 1926年8月17日生まれ、江蘇省揚州市出身。中国共産党中央政治局常務委員、中央委員会総書記、中央軍事委員会主席、中華人民共和国主席、中華人民共和国中央軍事委員会主席。 1943年、中国共産党の指導する学生運動に参加。1946年4月、中国共産党に入党。1947年、上海交通大学電気機械学部卒業。1949年から、上海第一益民食品工場副技師、工務課課長兼動力職場主任、工場党支部書記、第一副工場長、上海石鹸工場第一副工場長、第一機械工業部上海第二設計分局電器専業課課長を歴任。1955年、モスクワのスターリン自動車製造工場で実習。1956年帰国後、長春第一自動車製造工場動力処副処長、副総動力師、動力分工場工場長。1962年から、第一機械工業部上海電器科学研究所副所長、第一機械工業部武漢熱工機械研究所所長、同研究所党委員会書記代行、第一機械工業部外事局副局長、局長を歴任。1980年以後は、国家輸出入管理委員会、国家外国投資管理委員会の副主任兼秘書長、党グループ・メンバー。1982年から、電子工業部第一副部長、党グループ副書記、部長、党グループ書記を歴任。1985年以後は、上海市市長、上海市党委員会副書記、書記を歴任。1982年9月、中国共産党第12回全国代表大会で中央委員に当選。1987年11月、党の13期1中総で中共中央政治局委員に当選。1989年6月、党の13期4中総で中央政治局常務委員、中央委員会総書記に当選。1989年11月、党の13期5中総で中央軍事委員会主席に当選。1990年3月、第7期全国人民代表大会第3回会議で中華人民共和国中央軍事委員会主席に当選。1992年10月、党の14期1中総で中央政治局委員、常務委員、中央委員会総書記、中央軍事委員会主席に当選。1993年3月、第8期全国人民代表大会第1回会議で中華人民共和国主席、中華人民共和国中央軍事委員会主席に当選。 李 鵬 1928年10月生まれ、四川省成都市出身。1945年11月、中国共産党に入党。1941〜1946年、延安自然科学院、延安中学、張家口工業専門学校で勉学。1946〜1948年、晋察冀電業公司技術者、ハルビン油脂公司副支配人、党支部書記を歴任。1948〜1955年、モスクワ動力大学水力発電学部に留学、(旧)ソ連留学中国人学生総会主席に就任。1955〜1966年、豊満発電所副所長、技師長、東北電力管理局副技師長、業務指揮局局長、ふ新発電所党委員会副書記、所長を歴任。1966〜1979年、北京給電局党委員会書記代行、革命委員会主任、北京電力管理局党委員会副書記、革命委員会主任、局長、党グループ書記を歴任。1979〜1983年、電力工業部副部長、党グループ・メンバー兼華北電力管理局党グループ書記、電力工業部部長、党グループ書記、水利電力部副部長、党グループ副書記を歴任。1983〜1987年、国務院副総理兼国家教育委員会主任、中央政治局委員、中央書記処書記を歴任。1987年以降、中央ュ治局常務委員、国務院総理代行、総理を歴任。1988〜1990年、国家経済体制改革委員会主任を兼任。 12、13、14期中央委員。12期5中総で中央政治局委員、中央書記処書記に追加選出される。13、14期中央政治局委員、同常務委員。 朱鎔基 1928年10月生まれ、湖南省長沙市出身。1949年10月、中国共産党に入党。1947〜1951年、清華大学電気機械学部で電気機械製造を専攻、「新民主主義青年連盟」に加入。1951〜1952年、東北工業部計画処生産計画室副主任。1952〜1958年、国家計画委員会燃料動力局、総合局組長、国家計画委員会主任弁公室副処長、国家計画委員会機械局総合処副処長を歴任。1958〜1969年、国家計画委員会幹部業余学校教師、国民経済総合局技師を歴任。1970〜1975年、国家計画委員会「五・七」幹部学校で労働。1975〜1979年、石油工業部パイプライン局電力通信工事公司弁公室副主任、副主任技師、中国社会科学院工業経済研究所の室主任を歴任。1979〜1982年、国家経済委員会燃料動力局処長、総合局副局長を歴任。1982〜1983年、国会経済委員会技術改造局局長、国家経済委員会委員。1983〜1987年、国家経済委員会副主任、党グループ・メンバー、党グループ副書記。1987〜1991年、上海市党委員会副書記、上海市市長、市党委員会書記を歴任。1991〜1992年、国務院副総理兼国務院生産弁公室主任、党グループ書記に就任、国務院経済貿易弁公室主任、党グループ書記を兼任。1992〜1993年、中央政治局常務委員、国務院副総理兼国務院経済貿易弁公室主任、党グループ書記。1993〜1995年、中央政治局常務委員、国務院副総理兼中国人民銀行行長。1995年から、中央政治局常務委員、国務院副総理。 13期中央委員候補、14期中央委員、中央政治局委員、常務委員。 李瑞環 1934年9月生まれ、天津市宝てい県出身。1959年9月、中国共産党に入党。1951年北京第三建築公司労働者。1958〜1963年、北京建工業余学院工業・民用建築学部で勉学。1965〜1966年、北京建築材料供給公司党委員会副書記兼北京建築木材工場党総支部書記。1966〜1971年、「文化大革命」で迫害を受ける。1971〜1973年、北京建築木材工場党委員会書記から北京市建築材料工業局党委員会副書記。1973〜1979年、北京市建設委員会副主任兼北京市基本建設指揮部指揮、北京市総工会副主任、全国総工会常務委員会委員を歴任。1979〜1981年、共産主義青年団中央書記処書記、全国青年連合会副主席。1981〜1993年、天津市党委員会常務委員、天津市副市長、共産主義青年団中央書記処書記、天津市党委員会書記、天津市市長代行、市長、中央政治局委員、中央政治局常務委員、中央書記処書記を歴任。1993年から、中共中央政治局常務委員、全国政治協商会議主席、全国政治協商会議党グループ書記。 12、13、14期中央委員、13期中央政治局委員。13期4中総で中央政治局常務委員、中央書記処書記に追加選出される。14期中央政治局委員、常務委員。第5回全国人民代表大会常務委員会委員。第8回全国政治協商会議主席。 胡錦涛 1942年12月生まれ、安徽省績渓県出身。1964年4月、中国共産党に入党。1959〜1968年、清華大学水利工事学部で勉学、同学部の科学研究に参加し、政治指導員を担任。1968〜1969年、水利電力部劉家峡工事局家屋建築隊で労働。1969〜1974年、水力電力部第4工事局813分局技術者、秘書、機関党総支部副書記を歴任。1974〜1982年、甘粛省建設委員会秘書、甘粛省建設委員会設計管理処副処長、甘粛省建設委員会副主任、共産主義青年団甘粛省委員会書記を歴任。1982〜1985年、共産主義青年団中央書記処書記、全国青年連合会主席、共産主義青年団中央書記処第一書記。1985〜1988年、中共貴州省党委員会書記。1988〜1992年、チベット自治区党委員会書記。1992〜1993年、中央政治局常務委員、中央書記処書記。1993年から中央政治局常務委員、中央書記処書記、中央党学校校長、国家副主席を歴任。 12期中央委員候補、委員。13、14期中央委員。14期中央政治局委員、同常務委員、中央書記処書記。第6回全国政治協商会議常務委員。 尉健行 1931年1月生まれ、浙江省新昌県出身。1943年3月、中国共産党に入党。大連工学院卒業、機械学部で機械製造を専攻、高級技師。1953〜1955年、(旧)ソ連ウラル・カミンスク・アルミニウム加工工場で企業管理を勉学。1955〜1956年、国営東北軽合金加工工場生産計画課副課長、課長、現場主任、工場長弁工室主任、工場生産総指揮、工場党委員会常務委員を歴任。「文化大革命」期間迫害を受け、工場の現場で労働。1970〜1980年、国営東北軽合金加工工場生産部部長、工場革命委員会副主任、工場党委員会常務委員、工場党委員会副書記、工場長、工場党委員会書記を歴任。1980〜1981年、中央党学校一部青壮年幹部養成班で勉学。1981〜1983年、黒竜江省ハルビン市党委員会副書記、市長。1983〜1984年、全国総工会副主席、書記処書記、党グループ副書記。1984〜1987年、中央組織部副部長、部長。1987〜1997年、監察部部長、党グループ書記、中央政治局委員、中央書記処書記、中央規律検査委員会書記、中華全国総工会主席、1995〜1997年、北京市党委員会書記を兼任。 12期中央委員候補、委員。13、14期中央委員。14期中央政治局委員、中央書記処書記。14回党大会で中央規律検査委員会委員、同常務委員、書記に当選。 李嵐清 1932年5月生まれ、江蘇省鎮江市出身。1952年9月、中国共産党に入党。復旦大学企業管理学部卒業。1952〜1956年、長春第一自動車製造工場計画課計画員、副課長。1956〜1957年、(旧)ソ連モスクワ・リハチョフ自動車製造工場、ゴーリキー自動車製造工場で実習。1957〜1959年、長春第一自動車製造工場計画処課長に就任すると同時に東北人民大学経済研究所に招聘されて研究員を兼職。1959〜1961年、第一機械工業部秘書。1961〜1969年、国家計画経済委員会秘書、企業管理局課長を歴任。1969〜1972年、国家計画経済委員会「五・七」幹部学校で労働。1972〜1978年、第二自動車製造工場計画処副処長、発動機工場党委員会第一書記を歴任。1978〜1981年、第三自動車製造工場建設指揮部副指揮長、大型自動車製造工場準備処責任者。1981〜1983年、国家外国投資管理委員会政府借款弁公室責任者、対外経済貿易部外資管理局局長。1983〜1986年、天津市副市長兼天津市党委員会対外経済貿易党委員会書記に就任。1986〜1993年、対外経済貿易部副部長、党グループ副書記、対外経済貿易部部長、党グループ書記、国務院経済貿易弁公室副主任。中央政治局委員、国務院副総理。 13期中央委員候補、14期中央委員、中央政治局委員。 丁関根 1929年9月生まれ、江蘇省無錫市出身。1956年7月、中国共産党に入党、上海交通大学運輸管理学部卒業、高級技師。1951〜1960年、交通部海運局実習生、鉄道部運輸局、貨物輸送局技術測量員、技師、鉄道部運輸総局技師に就任。1960〜1969年、鉄道部部長事務室秘書に就任。1969〜1972年、鉄道部「五・七」幹部学校で労働。1972〜1975年、北方交通大学留学生弁公室に勤務。1975〜1981年、鉄道部外事局技師、副処長。1981〜1983年、鉄道部計画局局長補佐、教育局局長。1983〜1985年、全国人民代表大会常務委員会副秘書長、党グループ・メンバー。1985〜1992年、鉄道部部長、党グループ書記、中央政治局委員候補、国家計画委員会副主任、国務院台湾事務弁公室主任、中央書記処書記、中央統一戦線工作部部長、中央政治局委員、中央宣伝部部長。 12期中央委員に追加選出される。13、14期中央委員、13期中央政治局委員候補に当選。13期4中総で中央書記処書記に追加選出される。14期中央政治局委員、中央書記処書記。 田紀雲 1926年6月生まれ、山東省肥城県出身。1945年5月、中国共産党に入党。1941年秋、八路軍に参加。1942年初頭、魯(山東省)西区抗日家族工場に少年工となり、1943年6月、抗日家族学校で勉学。1945〜1949年、魯西南区第三抗日中学で戦地後方勤務活動に従事、冀魯豫(河北、山東、河南)区朝城県1区の土地改革工作グループ組長兼区長、冀魯豫区戦地後方勤務指揮部総会計、かん(江西省)東北行政公署財政処総会計を歴任。1949〜1953年、貴州省貴陽市軍事管制委員会財政接収部機密文書主管秘書、貴陽人民革命大学班担任教師、貴州省財政幹部研修班担任教師。1953〜1969年、貴州省財政庁秘書課副課長、課長、省財政庁弁公室副主任、主任、省財政庁計画課課長、予算処処長、省財政庁副庁長、中共中央西南局財政弁公室財政金融処副処長を歴任。1969〜1981年、四川省革命委員会財政貿易経営管理組副組長、同省財政局副局長、局長、党グループ書記、同省財政庁庁長を歴任。1981〜1983年、国務院副秘書長、国務院機関党グループ・メンバー。1983〜1987年、国務院副総理兼国務院秘書長、国務院機関党グループ書記、中央政治局委員、中央書記処書記。1987〜1993年、中央政治局委員、国務院副総理。1993年から中央政治局委員、全国人民代表大会常務委員会副委員長、党グループ副書記に当選。 12、13、14期中央委員。12期5中総で中央政治局委員、中央書記処書記に追加選出される。13、14期中央政治局委員、第8回全国人民代表大会常務委員会副委員長。 李長春 1944年2月生まれ、遼寧省大連市出身。1965年9月、中国共産党に入党、ハルビン工業大学電気機械学部工業企業自動化を専攻、技師。1968〜1975年遼寧省瀋陽市スイッチ工場の技術者。1975〜1980年、遼寧省瀋陽市電気器具工業公司革命委員会副主任、党委員会常務委員、瀋陽市電気器具制御設備工業公司副経理、経理、党委員会副書記を歴任。1980〜1981年、遼寧省瀋陽市機械電気工業局副局長、党委員会副書記。1981〜1985年、遼寧省瀋陽市党委員会副秘書長、遼寧省瀋陽市副市長兼経済委員会主任、遼寧省瀋陽市党委員会書記、市長。1985〜1990年、遼寧省党委員会副書記兼瀋陽市党委員会書記、省長代行、省長を歴任。1990〜1993年、河南省党委員会副書記、省長代行、省長、河南省党委員会書記を歴任。1993年から河南省党委員会書記、省人民代表大会常務委員会主任(この間、中央党学校の省・部クラス主要指導幹部理論研究討論班に参加)。 12期中央委員候補。13、14期中央委員。 李鉄映 1936年9月生まれ、湖南省長沙市出身。1955年4月中国共産党に入党。チェコスロバキアのカレル大学物理学部卒業、高級技師。1961〜1966年、中国人民解放軍に参加、国防部10院13所第4研究室技術者、責任者、副主任、第5研究室副主任を歴任。1965年、集団除隊(この間、1964〜1965年、上海外国語学院日本語専攻で研修)。1966〜1970年第4機械工業部1413所第5研究室副主任に就任。「文化大革命」初期に迫害を受け、本研究所で労働。1970〜1978年、第4機械工業部1424所第1研究室主任に就任。1978〜1981年、第4機械工業部1447所総技師、副省長兼遼寧省瀋陽市科学技術委員会副主任、省科学技術協会副主席。1981〜1985年、遼寧省瀋陽市党委員会書記、市党委員会常務書記、遼寧省党委員会書記、海城県党委員会書記を兼任。1985〜1993年、電子工業部部長、党グループ書記、中央政治局委員、国家経済体制改革委員会主任、党グループ書記、国務委員兼国家教育委員会主任、党グループ書記。 12期中央委員候補、中央委員、13、14期中央委員、中央政治局委員。 呉邦国 1941年7月生まれ、安徽省肥東県出身。1964年4月、中国共産党に入党。清華大学無線電子学部卒業、技師。1967〜1978年、上海電子管第三工場の労働者、技術者、技術課副課長、課長、工場党委員会副書記、革命委員会副主任、副工場長、工場長を歴任。1978〜1983年、上海市電子部件工業公司副経理、上海市電子真空ディバイス公司副経理、上海市計器電子通信工業局党委員会副書記。1983〜1992年、上海市党委員会常務委員兼市党委員会科学・技術活動党委員会書記、上海市党委員会副書記、上海市党委員会書記。1992〜1995年、中央政治局委員、上海市党委員会書記、中央書記処書記、国務院副総理。 12、13期中央委員候補、14期中央委員、中央政治局委員、14期4中総で中央書記処書記に追加選出される。 呉官正 1938年8月生まれ、江西省餘干県出身。1962年3月、中国共産党に入党。清華大学動力学部卒業、大学院生、技師。1968〜1975年、湖北省武漢市葛店化学製品工場の技術者、技術課副課長、職場主任、工場党委員会委員、工場革命委員会副主任を歴任。1975〜1982年、湖北省武漢市科学委員会副主任、党グループ・メンバー、武漢市技術革新・改造指揮部副指揮長兼弁公室主任、同市工事課科学技術センター主任、党委員会書記を歴任。1982〜1986年、湖北省武漢市党委員会常務委員、湖北省武漢市党委員会書記(当時、第一書記が設けられていた)、同市市長。1986〜1995年、江西省党委員会副書記、省長代行、省長を歴任。1995〜1997年、江西省党委員会書記。1997年から山東省党委員会書記、省党委員会党学校校長。 12期中央委員候補、13、14期中央委員会委員。 遅浩田 1929年7月生まれ、山東省招遠県出身。1946年10月、中国共産党に入党、中国人民解放軍軍事学院合成学部卒業。1947〜1948年、華東第9縦隊第25師団第73連隊第3大隊書記、中隊文化幹事。1948〜1950年、第3野戦軍第27軍第79師団第235連隊第3大隊第7中隊副指導員、指導員、大隊副教導員を歴任。1950〜1955年、中国人民志願軍第27軍第79師団第235連隊第3大隊教導員、連隊政治処副主任。1955〜1958年、陸軍第27軍第235連隊政治処主任。1958〜1960年、人民解放軍総高級歩兵学校と人民解放軍軍事学院合成学部で勉学。1960〜1966年、陸軍第27軍第79師団第235連隊副政治委員兼政治処主任、連隊政治委員。1966〜1969年、陸軍第27軍第79師団政治部主任、副政治委員。1969〜1973年、陸軍第27軍政治部副主任、陸軍第27軍第81師団政治委員、『解放軍報』社中心グループ・メンバー。1973〜1977年、北京軍区副政治委員、『人民日報』社責任者、副編集長。1977〜1987年、解放軍副総参謀長兼総参謀部政治部主任(1982年から兼職免除)、済南軍区政治委員を歴任。1987〜1995年、中央軍事委員会委員、解放軍総参謀長、国務委員兼国防部長。1995年から、中央軍事委員会副主席、国務委員兼国防部長。 12、13、14期中央委員会委員。 張万年 1928年8月生まれ、山東省竜口県出身。1945年8月、中国共産党に入党、中国人民解放軍南京軍事学院基本学部卒業。1944〜1945年、膠東北海独立連隊第3大隊第7中隊兵士。1945〜1950年、東北第12旅団第35連隊第3大隊通信分隊副分隊長、分隊長、東北第4縦隊第12師団第36連隊警備員、同連隊第5中隊副小隊長、小隊長、中隊副指導員、同連隊通信係参謀、通信係長を歴任。1950〜1956年、陸軍第41軍第123師団第369連隊司令部作戦係長、第41軍司令部作戦課参謀を歴任。1956〜1958年、陸軍第41軍第123師団第368連隊第1副連隊長兼参謀長。1958〜1961年、人民解放軍南京軍事学院基本学部で勉学。1961〜1966年、陸軍第41軍第123師団第367連隊副連隊長、連隊長に就任。1966〜1968年、広州軍区司令部作戦部作戦課課長、作戦部副部長を歴任。1968〜1982年、陸軍第43軍第127師団師団長、陸軍第43軍副軍長、軍長。1982〜1985年、武漢軍区副司令員。1985〜1990年、広州軍区副司令員、司令員。1990〜1992年済南軍区司令員。1992〜1995年、中央軍事委員会委員、人民解放軍総参謀長。1995年から中央軍事委員会副主席。 12、13期中央委員候補、14期中央委員。 羅 幹 1935年7月生まれ、山東省済南市出身。1960年6月、中国共産党に入党。北京鋼鉄学院圧力加工学部、ドイツ民主共和国(当時)フライベルク鉱冶学院機械鋳造学部卒業、高級技師。1962〜1969年、第一機械工業部機械科学研究院課題グループのグループキャプテン、技術者を担当。1969〜1970年、第一機械工業部「五・七」幹部学校で労働。1970〜1980年、第一機械工業部機械研究院とう(さんずいに累、川の名)河建設事務所の弁公室主任、第一機械工業部鄭州機械研究所副所長を歴任。1980〜1983年、河南省輸出入委員会副主任、同省科学委員会主任、河南省副省長、党委員会書記(当時第一書記が設けられていた)。1983〜1988年、全国総工会(労働組合の全国クラス組織)副主席、書記処書記、党グループ副書記。1988〜1993年、労働部部長、国務院秘書長、国務院機関党グループ書記、中央国家機関工作委員会書記。国務委員、中央政治法律委員会副書記。 12期中央委員候補、13、14期中央委員。 姜春雲 1930年4月生まれ、山東省莱西県出身。1947年2月、中国共産党に入党。1946〜1957年、山東省莱西県教師訓練班で勉学。その後、県土地改革宣伝工作隊隊員、莱西県馬仁区姜家泊小学校教師、区党委員会文書、莱西県党委員会文書、秘書、県党委員会委員兼弁公室主任、莱陽地区党委員会生産合作部秘書課責任者を歴任。1957〜1960年、中国土産輸出公司青島分公司副課長、山東省青島市外貿局秘書課副課長を歴任。1960〜1966年、山東省党委員会宣伝部指導員、一級巡視員、弁公室副主任。1966〜1970年、「文化大革命」で迫害を受け、相前後して農村と「五・七」幹部学校で労働。1970〜1977年、山東省革命委員会弁公室秘書組責任者、省革命委員会党の核心グループ・メンバー兼秘書組組長、省革命委員会弁公室副主任兼秘書組組長を歴任。1977〜1984年、山東省党委員会弁公庁指導グループ副組長、省党委員会副秘書長、秘書長、省党委員会副書記兼秘書長。1984〜1992年、山東省党委員会副書記兼済南市党委員会書記(この期間、中国語言文化自修大学の通信教育を受ける)、省長代行、省長、山東省党委員会書記兼省党委員会党学校校長を歴任。1992〜1995年、中央政治局委員、山東省党委員会書記、中央書記処書記、国務院副総理。 13、14期中央委員、14期中央政治局委員、14期4中総で中央書記処書記に追加選出される。 賈慶林 1940年3月生まれ、河北省泊頭市出身。1959年12月、中国共産党に入党。河北工学院電力学部電機電器設計製造を専攻、高級技師。1962〜1969年、第一機械工業部プラント総局技術者、共産主義青年団委員会副書記。1969〜1971年、第一機械工業部江西省奉新県「五・七」幹部学校で労働。1971〜1973年、第一機械工業部弁公庁政策研究室技術者。1973〜1978年、第一機械工業部製品管理局責任者。1978〜1983年、中国機械設備輸出入総公司総経理。1983〜1985年、山西太原重型機器工場工場長、党委員会書記。1985〜1996年、福建省党委員会常務委員、副書記兼省党委員会組織部部長、党委員会党学校校長、省直属機関工作委員会書記、省長代行、省長、福建省党委員会書記、省人民代表大会常務委員会主任。1996〜1997北京市党委員会副書記、市長代行、市長、北京市党委員会書記。 14期中央委員。 銭其しん 1928年1月生まれ、上海市嘉定県出身。1942年10月、中国共産党に入党。1942〜1945年、上海大同大学付属中学で勉学、党小組長、党支部書記を歴任。1945〜1949年、上海『大公報』社職員、同時に上海地下党組織の中学校区党委員会委員、男子中学校工作委員会委員、徐竜区学生区党委員会副書記を歴任。1949〜1953年、上海市徐かい、長寧、楊浦区党委員会委員、共産主義青年団徐かい、長寧、楊浦区委員会書記。1953〜1954年、共産主義青年団中央弁公庁研究員。1954〜1955年、(旧)ソ連共産主義青年団中央学校に留学。1955〜1963年、(旧)ソ連駐在中国大使館二等書記官、留学生処副主任、研究室主任。1963〜1966年、高等教育部留学生司処長、対外司副司長。1966〜1972年、「文化大革命」で迫害を受け、「五・七」幹部学校で労働。1972〜1982年、(旧)ソ連駐在中国大使館参事官、キニア駐在中国大使館大使、外交部新聞司司長を歴任。1982〜1991年、外交部副部長、部長、党グループ・メンバー、党委員会副書記、書記。1991〜1993年、国務委員、中央政治局委員、国務院副総理兼外交部部長、党委員会書記。 12期中央委員候補、中央委員、13、14期中央委員、14期中央政治局委員。 黄 菊 1938年9月生まれ、浙江省嘉善県出身。1966年3月、中国共産党に入党、清華大学電気機械学部電気機械製造を専攻。1963〜1967年、上海人造板機器工場動力職場・鋳鋼職場技術者、工場長秘書。1967〜1980年、上海中華冶金工場動力職場技術者、職場党支部副書記、同工場革命委員会副主任、副工場長、技師。1980〜1982年、上海市石油化学通用機械製造公司副経理。1982〜1983年、上海市第一機電局副局長、1983〜1984年、上海市党委員会常務委員兼市工業工作党委員会書記。1984〜1995年、上海市党委員会常務委員兼市党委員会秘書長。上海市党委員会副書記、書記、副市長、市長、中央政治局委員。 13期中央委員候補、14期中央委員、14期4中総で中央政治局委員に追加選出される。 温家宝 1942年9月生まれ、天津市出身。1965年4月、中国共産党に入党。北京地質学院大学院卒、地質構造を専攻、技師。1968〜1979年、甘粛省地質局地質力学隊技術者、政治幹事、隊政治処責任者、隊党委員会常務委員、副隊長。1979〜1982年、甘粛省地質局副処長、副局長。1982〜1985年、地質鉱産部政策法規研究室主任、党グループ・メンバー、副部長、党グループ副書記兼政治部主任。1985〜1987年、中央弁公庁副主任、主任。1987〜1993年、中央書記処書記候補兼中央弁公庁主任、中央直属機関工作委員会書記。中央政治局委員候補。 13期中央委員、中央書記処書記候補、14期中央委員、中央政治局委員候補、中央書記処書記。 曽慶紅 1939年7月生まれ、江西省吉安県出身。1960年4月、中国共産党に入党。北京工業学院自動制御学部卒業、技師。1963〜1965年、中国人民解放軍743部隊技術者。1965〜1973年、第7機械工業部2院2部技術者(この間、広州部隊、湖南省西湖生産基地で労働)。1973〜1979年、北京市国防工業弁公室生産処、科学技術処技術者。1979〜1981年、国家計画委員会弁公庁秘書。1981〜1982年、国家エネルギー委員会弁公庁副処長。1982〜1983年、石油工業部外事局連絡部勤務。1983〜1984年、中国海洋石油総公司連絡部副経理、石油部外事局副局長、南黄海石油公司党委員会書記を歴任。1984〜1989年、上海市党委員会組織部副部長、部長、市党委員会常務委員、市党委員会秘書長、副書記。1989〜1993年、中央弁公庁副主任、主任、中央直属機関工作委員会書記。 呉 儀 女性、1938年11月生まれ、湖北省武漢市出身。1962年4月、中国共産党に入党。北京石油学院石油精製学部卒業、高級技師。1962〜1965年、蘭州石油精製工場職場技術者、政治部弁公室幹事。1965〜1967年、石油工業部生産技術司生産処技術者。1967〜1983年、北京東方紅石油精製工場技術者、技術課副課長、課長、副総技師、副工場長を歴任。1983〜1988年、北京燕山石油化学工業公司副経理、党委員会書記。1988〜1991年、北京市副市長。1991〜1993年、対外経済貿易部副部長、党グループ副書記。1993年から対外貿易経済合作部部長、党グループ書記。 13期中央委員候補、14期中央委員。 |