「法輪功」を編み出した李洪志とその行い


一、 李洪志の略歴

 李洪志は一九九三年に書いたその略歴の中で「一九五一年五月十三日、吉林省公主嶺市に生まれ、子供の時から仏家の全覚大師が自分だけに修練の方法を伝授し始め、八歳の時に修練が円満に終わった」、「十二歳の時に、道家の師、八極真人が道家の功夫を伝授してくれた」、「一九七二年にはまた真道子という道号をもつ師がその学んだものを伝授してくれた」、一九七四年にはまた仏家の師が修練大法をこれでよしというところまで伝授してくれた」と称している。法輪功組織が書いた「李洪志先生のプロフィール」は「李洪志は八歳の時に上乗大法を身につけ、何事も自由自在になすことができ、運搬、物の道理を見きわめること、思惟のコントロール、忍術などをすることができ……そのわざはきわめて水準の高いものであり、宇宙の真理を悟り、人生を洞察し、人類の過去と未来を予知する」と言っている。これらのでたらめもはなばだしい奇怪千万な「神がかりな足跡」は、大勢の「法輪功」練習者を騙した。

 それでは、李洪志とはいったいどのような人物か。

 調査によれば、李洪志(男)は、一九五二年七月七日、吉林省公主嶺市(もとの懐徳県公主嶺鎮)に生まれ、一九六〇年から一九六九年まで、前後して長春市珠江路小学校、第四中学、第四十六中学で勉強し、中学校を卒業した。一九七〇年から一九七八年までは、前後して総後方勤務部二〇一部隊八・一軍馬飼育場、吉林省森林警察総隊でトランペットを吹いていた。一九七八年から一九八二年までは森林警察総隊招待所のウェーターとなり、一九八二年から一九九一年までは長春市糧油公司保安課に転職し、一九九一年に在職資格を留保して「気功」活動に従事し、一九九二年五月から「法輪功」を伝播し始めた。

 長春市公安局緑園分局緑園派出所の証明によると、一九九四年九月二十四日、李洪志は出生年月日を一九五二年七月七日から一九五一年五月十三日に変え、新しい身分証明書を発給してもらった。公安機関の「常住人口登記表」と李洪志の所属部門に保存されている「専従保安幹部登記表」、「幹部履歴表」を調べてみると、李洪志の出生年月日はいずれも一九五一年五月十三日に書き換えられている。しかし、その「従業員昇級等級査定報告書」と「共産主義青年団加入志願書」および一九八六年十二月三十一日に発給した身分証と一九九一年三月三十一日に再発給した身分証明書の出生年月日は相変わらず一九五二年七月七日である。

 李洪志が生まれた日を一九五二年七月七日から一九五一年五月十三日に変えたのはなぜだろうか。それというのも、仏祖釈迦牟尼の生まれた日は中国旧暦の四月八日で、一九五一年五月十三日がちょうど旧暦四月八日にあたるので、李洪志が自分は「釈迦牟尼の生まれ変わり」であると称したいがために、自分の誕生日を仏祖と同じであるように変えたのである。

 訪問調査によると、李洪志が小さかった時の学友、先生、隣人はみな、李洪志は普通の子供で、学校の成績も普通であり、唯一の特技はトランペットを吹くことであったという。彼のでっちあげた「方術を学ぶための修練」の経歴については、みなはあれは「でたらめを言っている」「そんなことがあるはずがない」「見たこともなければ聞いたこともない」と言った。李洪志は軍馬飼食場と森林警察宣伝隊にいた時の上司と同じ営舎の戦友も、李洪志は普通の文芸兵で、内向的な性格で、うぬぼれていたと言った。当時ははりつめたリハーサルと公演、厳格な軍隊式管理と勤務休憩制度で、方術などを修練するのは全然できなかったという。李洪志が糧油公司保安課に勤務していた時の上司と同僚も同様に、李洪志は一九八八年に気功講習会に参加する前は「方術」や「修練」など全然わからなかったと語った。

 李洪志の初期の弟子たちは、自分の略歴をでっちあげたのはなぜかと本人に聞いたところ、李洪志は「えらく言わないと信じてくれないか」と言った。弟子たちから「四つの大きな効能」をやってみせてほしいと要求された時、李は怒って、「ないことはできるものか。俺にやってみせると言うのは、俺に醜態をさらさせることだ。オレを猿回しのように見せものするつもりか」と言った。

二、「法輪功」が世に出た真相

 社会における「気功ブーム」の影響で、李洪志は一九八八年から気功師の李衛東について「禅密功」を習い始め、講習会に二期参加した。のちにまた気功師の于光生について「九宝八卦功」を習った。李洪志はこの二種の気功を基礎とし、タイへ親族訪問に行った時その他の舞踊のいくつかの所作を模倣して、「法輪功」をつくりあげた。李洪志の初期の子弟である李晶超、劉玉清らは、「法輪功」の動作は李洪志と李晶超が一緒に考案したもので、李洪志が「世に出る一カ月前にやっと形をひとまず整えた」ことを実証した。講習会では、初期は李晶超が動作を実演し、李洪志が解説した。李洪志の初期の協力者である劉鳳才はまた「法輪功」の講義を七十数カ所も加筆した。蓮の花の上に座っている李洪志の「法像」は、彼の初期の子弟である宋炳辰が彼の写真を蓮の花びら状に切った切り紙にはり、さらにその後ろに仏光を描き、製版してなったものある。李が修練する時に着た黄色い服は、商店から買ってきた芝居の衣裳である。

 事実が証明しているように、李洪志が自己宣伝した「一九八四年から師たちの指導で、自分が長年苦心して修練した自分だけに伝授した重要な方術と結びつけて、普及に適し、衆生がいちばん覚えやすい本当の修練方法を悟り、編み出し、のちにくり返し推敲し、修練し、さらに磨きあげ、最後に師に認定されてから推し広めることを認められ、それに『法輪功』と名付け、一九九二年に伝え広めたあと、師たちに徳性の高い重要な方術であると称賛された」は、まったくありもしない真赤な大ウソである。

三、李洪志と「法輪功」組織

 李洪志は何回も「法輪功は組織がなく、ゆるやかな管理を実行している」と公言した。「法輪功」の一部の中堅も、われわれは組織がなく、人が人に伝え、以心伝心のものだとくり返し公言した。

 しかし、事実は彼らの言うようなものではない。李洪志は一九九二年に「法輪功」を創立してから、北京で「法輪大法研究会」を設立し、自ら会長に収まった。その後はまた次々と各省・自治区・直轄市に三十九もの「法輪功」総指導ステーションを設立し、その下にさらに千九百もの指導ステーション、二万八千余の修練地を設けて、上から下へと整った組織系統をつくりあげた。

 「法輪大法研究会」は各地の「法輪功」総指導ステーションのすべての事務の指導と管理を担当し、各地の「法輪功」組織の機構設置を審査、認可し、主だった中堅の職務を任免し、また「法輪大法指導ステーションに対する要求」「法輪大法の弟子が方術を伝えることに関する規定」「法輪大法指導員の基準」「法輪大法修練者心得」など一連の規則と制度を制定して、「法輪功」活動を組織化、規範化させた。

 李洪志は「法輪功」の最高の頭目として、しょっちゅう指令を出した。今年三月三十一日、李洪志は「法輪大法研究会」の起草した「勝手に流伝した大法以外の資料を厳格に整理することに関する通達」に「同意。速く下達すること」と書き、だたちに各指導ステーション、修練地に伝えて執行させた。「法輪大法研究会」もしばしば最高組織機構の名義で各地の指導ステーションと修練地に通達、公告などを出し、また専従者をおくかインターネット、電話、ファックスなど近代的な通信手段を利用して各指導ステーション、修練地と連絡をとって、李洪志と「法輪大法研究会」の指令を伝え、各地の活動を指揮し、協調させている。今年五月から、李洪志は国外にいるとはいえ、国内の「法輪功」を習う人はたえず「私のちょっとした感想」、「安定」、「位置」など「経文」と称される彼の指令を受け取っているが、伝達が速いこと、害毒の及ぶ範囲が広いこと、好ましからぬ影響を及ぼしたことは、いずれもそれが組織系統をもっていることと関係がある。

 「法輪大法研究会」および各地にある総指導ステーションは、定期的にまたは不定期に「弘法」、「会功」、「慶典」、「記念」など大規模な活動を組織し、また各地の新聞などが「法輪功」を暴露する記事を報道、掲載し、関係部門が「法輪功」の書籍と録音録画製品の出版と発行を禁止したことに照らして、何回も多くの「法輪功」修練者を煽り立てて組織的に新聞社、出版社や党・政府機関を取り囲んで騒ぎ立て、これら諸部門の執務と社会秩序に大きな影響を与え、得るのに並大抵ではなかった社会安定の局面を破壊しようとした。一九九八年五月、「法輪大法研究会」と北京総指導ステーションの一部中堅は千余人の「法輪功」修練者を煽動して北京テレビ局を取み囲み、騒ぎ立てた。北京総ステーションのある中堅はこの活動に積極的でなかったために免職された。

 これを見てもわかるように、「法輪功」は李洪志をかしらとし、厳密な体系をもち、機能が完備しているが、登記をしていない不法組織なのである。

四、李洪志は「法輪功」を利用して金をかき集めた

 李洪志は「法輪功」を伝道するなかで、たえず自らを凡俗を超越した「最高の仏」と標ぼうしているが、実生活の中では、金銭に対してことのほかどん欲で、「法輪功」の伝道を利用してわずか数年間ににわか成金となった。

 最初に李洪志の弟子となった数人が証明しているように、李洪志は「伝道」の初期に、病気を治し、体を丈夫にするという看板をかかげて、「病気を直す」ことで信者を引きつけたのである。無料で治療すると吹聴しながらも、自分の家に「功徳箱」を設けて、どの患者も「功徳金」百元以上を寄付するようと弟子に患者に暗にほのめかすように仕向けた。

 「法をひろめる」初期に、李洪志は訓練コースの開設を通じて大金をかき集めた。大まかな統計によると、一九九三年と九四年の二年間だけでも、李洪志が長春で「法輪功」の伝道、教典の販売で得た収入は四十二万八千三百元、全国各地で訓練コースを開設して得た収入は七十八万九千元、合わせて百二十一万七千三百元に達した。その訓練コースがハルビンでわずか数日開設されたとき、聴講証は一枚五十三元で、純収入は二十万元にのぼった。

 その後、李洪志はまた「大法を身につけるには教典を読む、録画を観る、録音を聞くことを通じて功を修練する必要がある」と言いふらし、「法輪功」組織を通じておびただしい量の書籍、CD、LD、VCDなどを複製して、一セット三百元で「法輪功」の修練者に売りさばくとともに、修練者をあおり立てて購入させるため、自分の「法像」と「法輪功徽章」は「ご利益」があるとでたらめなほらを吹いた。近年、李洪志はまたしても「練功服」、「練功座布団」を売り出し、最初の「法輪功」の本をさらに高価な上製本にして印刷、販売している。さらには、「施捨してはじめて獲得することができる」と公言し、少ない施捨でそれ以上の大金をもらい、数多くの修練者からいろいろな額の「義捐金」を騙し取った。

 李洪志の金集めについての詳細は、いま一歩進んで調査が行われている。現在、李洪志がその親族の名義で北京、長春の数カ所に高級住宅、数台の乗用車を購入していることがすでに調査によって明らかになっている。李洪志は「法輪功」を利用してばく大な富をかき集め、おびただしい税金を脱税した。

五、李洪志と四月二十五日の不法集合事件

 今年四月二十五日、一万人余りの「法輪功」修練者が北京の中南海の近辺に集まり、中南海近辺の社会の治安と秩序および人びとの正常な生活に大きな影響を与え、国内外にもきわめて好ましからぬ影響を及ぼした。

 五月二日、李洪志はオーストラリアのシドニーでオセアニア・ナショナル放送テレビ局、「シドニー・モーニング・ヘラルド」、AFPなどのマスメディアの記者のインタビューを受けたとき、「北京で起きた事については、私はそれ以前には少しも知らなかった。その時、私はアメリカからオーストラリアへ行く途中であった」、「その事をはっきり知ったのはブリスベーンに着いてからだった」と言い、自分自身とこの事件との関係を極力否定しようとした。四月末、李洪志は米『ウォール・ストリート・ジャーナル』上海特派員のシカレ記者の電話取材を受けたとき、自分が陰であやつって「法輪功」の練功者を中南海に集めさせたことをも否定し、この行動については全然知らなかったと語っている。

事実はそうでなない。大量の事実が立証しているように、四月二十五日の不法集会事件の前日に、李洪志は北京に滞在し、二十五日、「法輪功」練習者が中南海の周りに集結した時、彼がアメリカからオ―ストラリアへ行く途中であったはずはないのである。

 四月十九日、天津師範大学の刊行物「青少年科技博覧」に中国科学院アカデミー会員何柞簽氏が書いた「私は青少年が気功を練習することに賛成しない」という記事が掲載されたため、天津市の一部の「法輪功」練習者はそれを不満に、同大学に集結して座り込みを行った。二十二日になると、座り込みの参加者は三千人余りにのぼり、学校の教師と学生の正常な生活や教学の秩序にひどく影響を及ぼした。

 この時点において、李洪志は急きょビジネスマンの身分で米政府が発給した(ビザ番号〇〇一一〇六七八七、中国認可番号〇〇三八二一)旅券をもってアメリカの航空会社ノースウェストのNW〇八七便で二十二日午後五時三十五分北京経由で中国に入国し、二十四日午後一時三十分に中国国際航空公司のCA一〇九便で中国を離れて香港に行き、北京に合わせて四十四時間滞在し、李洪志は自ら出入国登記カードに関係事項を記入している。

 李洪志が入国した翌日、つまり四月二十三日に一部の「法輪功」練習者の天津師範大学での集結事件が急きょ激化し、集結に参加したものの数は六千三百人に激増した。二十四日午前、李洪志がまだ出国していない時に、北京など多くのところの「法輪功」練習地はいずれも通知を受け、二十五日練習者を組織して中南海の周りで「集団で練習する」ことが要求された。

 二十五日、一万人余りの「法輪功」練習者が中南海の周りに集結した。当時、李洪志は香港におり、二十七日夜十時十五分に香港国泰航空公司のCX一〇三便で香港からオ―ストラリアのブリズベーンに向かった。

 これを見てもわかるように、いわゆる李洪志は四月二十五日の不法集結の事件に対してまったく知らないというのはまったくのウソである。

六、李洪志の異教邪説の害

 李洪志が「転法輪」などの本と数回の「説法」の中で、「徳」は白い物質で、それと対立するものは、「業」力と称されている黒い物質であると言っている。「彼が法輪大法を解明した時、全員の腹の中に法輪を入れさせた」「法輪が正方向に回転する時、宇宙からエネルギーを吸収し、それは体のすべての部位に流れることができ、つまり自分を俗世を通り越して仙人にならせるのである。逆方向に回転する時、エネルギーを放って周りの人々がご利益を獲得することができ、つまり他人を俗世を通り越して仙人になれるようにするのである」、「法輪功」を練習する者は、この「法輪」に頼って「徳」の修養を高め、「罪業」を軽減し、体を浄化させ、あくまで「修道し、悟りを開き、円満に功成り、霊魂が不滅となるとともに、人間を『天国』極楽世界にのぼらせることができる」と、でたらめを言った。李洪志がまた人が病気にかかるのは、前世で「罪業」をつくったからで、現世での報いであり、「出生、老化、病気、死亡は因果応報の関係にあり、人間がこれまでやった悪事による罪業が、病気にかかるかあるいは災難をこうむることをもたらし、苦しむのはほかでもなく報いである」「法輪功の練習に参加する患者が薬を飲むことは法輪功練習で病気を治せるのを信じないことで」、「その心あれば、法輪功の練習を通じて病気を治すことができると信じ、薬を飲むのを止め、そのままにし、治療しなくても、病気を治してくれる人がいる」と言った。李洪志がまた「法輪功」を練習する人にそれを止めるように勧めている人を「魔」と称し、これらの「魔」の存在によって、法輪大法が破壊され、人々が法を得ることを邪魔しているのだとでたらめを言った。

 一部の「法輪功」練習者は李洪志の異教邪説のペテン、誘惑で、病気にかかっても、病院に行かず、注射したり、薬を呑んだりすることを拒否したため、死亡した。「法輪功」を練習して自殺したかあるいは精神異常になったものもいる。残忍な手段で他の人を殺したものもいる。そのため、李洪志は人間を俗世を通り越して仙人になるようにするのではなく、人を傷つけているのである。「法輪功」が人々の心身の健康にもたらした害は数えきれない。北京市の二つの精神病院に収容された「法輪功」を練習したことが原因の精神異常病例から見れば、一九九六年は九例、一九九七年には十例、一九九八年には二十二例、今年上半期だけで十六例あり、年を追って上昇の趨勢を呈している。

 

 

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