「法輪功」の修練によって病気、身体の障害、
死に至った一部のケース


一、華北油田の馬建民さんが割腹自殺

 馬建民 男性 五十四歳 華北油田の定年退職者

 家族の話によると、馬さんは「法輪功」を修練して二年ぐらいになり、それも夢中になるほどで、いつも精神がぼんやりし、異常をきたし、自分の腹の中に「法輪」があると思い込んでいた。一九九八年九月四日、馬さんは「法輪」を探し出そうと、ハサミで腹部を切り裂いた。適時に手当を受けなかったため、死んだ。

 二、重慶市の高恩誠さんがビルから飛び下り自殺

 高恩誠 男性 四十二歳 重慶市開県天白郷の商工事務所の職員、「法輪功」練習所の責任者

 一九九七年十一月、高さんと妻の李小芬さん(二十五歳、無職)は「法輪功」の練習を始め、関連書籍を買い、朝から晩まで練習を続けた。その後、高さんは性格が一変して、口数が少なくなり、あまり人とつきあわず、つねに家で「法輪功」の練習をしていた。高は李洪志の言った、「『法輪功』を修練して、一定の程度に達すれば、三花頂につどい、原嬰を生み、本にかえり真に帰し、死後昇天し、霊魂を失うことはない」ということをあくまで信じていた。

 一九九八年十一月二日、高さんは銀行から預金を引き出し、先妻の生んだ娘高麗さんに千八百元あげて、勉強に励むのだよ、と言い、自分はもう仙人になったのだと言った。その後、自分の両親に千元ずつ渡し、妻李小芬の母に千八百元渡した。十一月五日の夜、高さんは張之昭(練習所の責任者の一人)さんらに、一昨日の夜夢の中で妻の李小芬は前世においては、大蛇であり、現世は毒ヘビが姿を変えたことも知ったと言った。十一月六日午前十時、高さんは商工事務所の学習会で、「人の初めは、性もとより善なり、というが、君たちはそれを理解していないのだ。わたしは、『法輪功』を一年習っただけで、思想の面で頂点に達した」と言った。学習会で、みんなが高さんと言い争うと、高さんは「君たちのような凡俗なものとは話したくない。私の息子高雄だけが私を理解してくれる」と言った。そのあと、高さんは自宅に帰り、先ず法輪功の修練をし、そのあとで息子の高雄を抱いて四階から下の土手の上に飛び下りた。商工事務所の職員はただちに医師を呼んだが、妻の李小芬さんは応急手当をさせなかった。というのは、李洪志が夫を守ってくれると思っていたからだ。高さんは応急手当のかいもなく死んでしまったが、息子さんは応急手当を受けて危険を脱した。

 三、遼寧省の劉品清さんが井戸に身を投げて自殺

 劉品清 男性 五十八歳 中国共産党党員、高級農芸技師、遼寧省東港市孤山鎮の農業技術普及所の元所長。一九九一年に農業部農業・牧畜業・漁業豊作一等賞を受賞。

 劉の家族の話によると、劉品清さんは昨年八月から「法輪功」を練習し、夢中になるほどで、何度も李洪志師が自分に焼身自殺して仏になるようにと言った。今年二月四日の十七時頃、劉さんは自分の家のガス・ボンベのバルブをゆるめ、火をつけて焼身自殺しようとしたが未遂に終わった。丹東の二三〇病院に入院していたとき、劉さんは医師の治療に協力せず、一日中「法輪功」の弟子は李洪志師に加護されており、薬を飲んで治療する必要はない、私が死ななかったのは、李洪志師が私に「業火を消させようとしたからだ」と言った。退院してからも何度も李洪志が自分に井戸の底で成仏するようにと言っていると語り、何回も隣近所の人に自分を縄でしばって井戸の中におろしてほしいと言い、師の加護があるから死ぬことはないと言った。家族のものたちは劉さんが「法輪功」に夢中になって精神に異常をきたしているのだと見て、その行動に非常に気をつけた。しかし、四月二十七日、井戸に身を投げて自殺した。

 四、吉林省の李友林さんが首吊り自殺

 李友林 男性 四十七歳 吉林省東遼県安恕鎮成仁村の農民

 李友林さんの妻李金鳳さんの話では、一九九七年、李友林さんは勤め先から「法輪功」の本を持ち帰った。その後、一日中家でこの本を読んだり、座禅をしたりし、だんだん「法輪功」に夢中になり、私と息子に一緒に修練するよう説得した。今年五月二十一日夜、私に「明日は師のお誕生日で、それを祝うために、線香をあげに行く」と言った。五月二十二日夜、家で修練し、座禅をしていた。五月二十三日午前二時ごろ、私が目を覚ますと夫の姿はなかった。その後、アンズの木の林がある山のマイクロウェーブ中継タワーで首吊り自殺している夫の姿がみつかった。現場の鉄塔の下には李洪志の肖像画が置かれていて、線香が七本たかれた跡があった。

 夫はそれまでは精神も正常で、善良な人だった。「法輪功」を修練するようになってから私や息子と疎遠になった。夫の死については誰も恨まず、ひとえに「法輪功」のせいであると思っている。近所のなん人かの人も、李友林さんが精神が正常な、良い人で、外で変なことをしたことはなかった、「法輪功」を修練したため自ら命を断ったのだと語った。

 五、江蘇省の張経順さんは病気なのに治療もしなかったために死亡

 張経順 男性 六十三歳 元塩城市郵便・電信局副科長クラスの秘書

 張さんは二年前から心臓病を患っていた。薬を飲んで治療した結果好転した。一九九九年に人の紹介で「法輪功」を修練し始めた。「法輪功」を修練するなら病気でも、薬を飲んだり、注射をしたりしてはならないという説を信じて、薬をストップし、修練に専心した。その後、症状がますますひどくなったが、それでも薬を飲まなかった。症状がひどくなって、修練の場所に行けなくなったので、自宅で座禅をしていたが、修練の途中で倒れてしまった。一緒に修練していた妻は「大丈夫よ、師がすぐ助けに来てくれるから」と言った。その時、一緒に修練している仲間も家に来て、一緒に座禅をし、お助けをと師におがんだ。同じ職場の古参幹部が訪ねてきたときに、はじめて夫が修練の途中すでに息をひき取っていたことを知った。

 六、遼寧省の柏常裕さんは病気なのに治療を拒んで死亡

 柏常裕 男性 六十二歳 中国共産党党員、大学卒、元撫順市西露天鉱地質設計科科長 定年退職者

 柏常裕さんの子女の話では、父は一九九七年頃より「法輪功」の修練を始めてからは、病気になっても薬を飲まず、治療も受けようとしなかった。一九九八年から痩せ細るようになり、何回も医者に見てもらってはと勧めたが首をタテにふらなかった。今年四月、言葉もはっきり話せなくなったが、それでも、病院に行って検査を受けようとしなかった。母(張秀珍 六十四歳 元西露天鉱労働組合職員 「法輪功」修練者)は「『法輪功』を修練すれば、病気は治りますよ、病院に行って検査を受ける必要はありません。粘り強くがんばりましょう。歯を食いしばってこらえればよくなるわよ」と言いながら、「法輪功」の本を持ってきて、「李洪志がそばにいてくれて、あんたの体の中の業火を消してくれているのよ。そしてあんたを生まれ変わらせてくれ、見守ってくれているのだから、一カ月も寝ていれば良くなるわ」と言うのだった。四月二十八日、私達が病院に連れて行ったが、それでも治療を受けることを拒み、五月三日に亡くなった。

 七、河北省の曹玉珍さんが用水路に身を投げて死亡

 曹玉珍 女性 三十七歳 河北省石家荘市郊外のサア底村の農民。曹玉珍さんは長年胃病、神経衰弱などの病気で悩んでいた。

 曹玉珍さんの夫の王建軍さんは、次のように述べた。

 一九九五年四月、私の妻は「法輪功」の修練を始め、治療と服薬を拒否した。病気がひどくなった時、家のものがむりやり病院に連れて行っても、医師の指示に従わなかった。妻は「李洪志師のことで私の頭はいっぱいなの。これからは、子供にも『法輪功』を修練させ、大きくなってから李洪志の後継ぎになるようにするの」と言った。妻は精神が異常になり、何回も遺言を書き残し、自殺しようとした。私達がすぐ気がつき、思いとどまらせた。一九九七年四月六日十七時、妻はすきを見て、裕華路の東明用水路に身を投げて死んだ。小さな紙に次のような内容のことが書き残されていた。私はもうこの世を去ることにしました。李洪志という馬鹿ものが私の頭にこびりついてしまい、私にひどい思いをさせてきました。彼は毎日私を傷つけ、苦しめたのです。私はもうこれ以上こらえられなくなり、李は私がこれ以上生きてはいけないようにしたのです。そして東明用水路で死ねと言うのでした。あなたは私を捜さないで下さい。私はもう良くならないでしょう。ながい間迷惑をおかけしました。

 妻は「法輪功」の修練に夢中になって、死んでしまったのだ。

 八、河北省の李亭、両親を殺害

 一九九九年三月二十日の午前二時、河北省承徳市の「法輪功」修練者の李亭(十八歳未満)は刃渡り三十数センチの刀を持って、家で両親を残忍に殺してしまった。現場は目を覆うばかりの悲惨な様相を呈していた。両親が実の息子に殺されたのである。公安機関の李亭に対する取り調べの記録は次の通り。

 問 なぜ両親を殺したのか。

 答 私は両親が悪魔であり、私は仏であると思ったからだ。私はこの二人の悪魔を殺すことにした。

 問 悪魔や仏といったものはどこで勉強したのか。

 問 私は一九九七年に中学校を卒業し、離宮(承徳避暑山荘)で「法輪功」を修練した。一週間修練し、「法輪功」の本を買って読んで、その本を通してそれを学んだ。

 九、江蘇省の呉徳橋、妻を殺害

 呉徳橋 男性 三十六歳 呉江市購買・販売協同組合の従業員

 一九九八年二月、呉徳橋は「法輪功」の修練を始めた。二月二十五日の夜、家で「法輪功」を修練に浸りきっている時、自分を殺そうとするものがいると感じて、「地震だ、地震だ」と叫びながら、鎮(町)の派出所へ行って大さわぎした。その後、家のものは彼を精神病院に連れていった。

 二十六日の夜、呉徳橋はまた家で「法輪功」の修練をし、自分は仏になったのだと感じた。妻の沈玉珍は呉徳橋が「法輪功」を引き続き修練することをやめさせようとした。呉徳橋は「法輪功」を修練する時、妻が傍にいては影響を受けると考えて、台所から包丁を持ってきて妻を殺した。

 十、患者の劉さん 男性 三十七歳 既婚 医学の修士号を取得

 一九九四年から一心に「法輪功」の修練に打ち込み始め、敬虔で勤勉に発奮して練習したためまもなく「天目」が開き、腹中で回転する法輪が見えるような気がした。その後、師の李洪志の話を深く信じるようになって、自分のまわりの全てが偶然のものではなく、師に暗示、教化されたものだと思うようになった。一九九八年十月から、食欲がなくなり、これは師からの教化だ、功力を強くするための断食の指示だと自覚した。そう思って三カ月間連続して三、四日おきに一食を食べ、ひどい時は一週間おきに一食を食べた。それで体は見る見るうちに痩せていき、体重は四十五キロまで落ちた。

 家族の説得で、入院して治療を受け、「法輪功」への執着による精神障害と診断された。治療期間に、食餌療法以外の薬物治療を一切に受けず、「法輪功」法は病気にかかっても医者に見てもらわないものだと言いはり、弟子として無条件でそれに服従するものだと言った。病院側はやむなく薬物を栄養補給の栄養液の中に混ぜて飲ませた。

 劉さんは入院して二ヶ月後病状がよくなり退院した。劉さんは入院時に病気であることを認めず、治療、療養をして、体力がある程度回復しても治療の結果だと考えず、「法輪功」への名残りは依然として変わらず、再び発病する可能性が大きい。

 十一、蒋さん 女性 三十三歳 労働者 中等職業学校卒
 以前は健康だった

 一九九九年、同僚から「法輪功」を修練すれば、魔除けに役立ち、「法輪大法」を唱えれば、家族の病気も直せるという話を聞き、それを信じて練習し始めた。毎朝五時から他の練習者と一緒に動功と静功をそれぞれ三十分間、正午と夜は一人で二時間練習し、平素は「法輪功」の書籍を読みふけり、通勤の途中でも、家事をしている時でも、毎日、天目が開き、一般の人が見られないことを見て取れるのだと思い込み、そのうちに妄想が生じ、夢の中で李洪志の姿を目にするようになった。練習して二カ月後、気分が悪くなり、腹の中でスタンドのライトを壊してしまえという悪魔の声がすると言って、スタンドのライトをたたきつぶした。そして、また「出て行け、地獄へ行け」という人がいるとして、ナイフで指を切った。悪魔が腹の中で自分と対話していると言って悪魔の口ぶりをまねて話したり、自分の口ぶりで話したりしていた。

 入院後、話もせず、動きもせず、ある時はいきなり掛け布団を蹴飛ばしたり、足でベッドを蹴ったりした。夜は起きてトイレへ行ったところ、死んでしまえ、生きていてはならないという声が聞こえたと言って、何度も壁に頭をぶつけた。蒋さんは治療を経て治った。家族に即時に病院に送ってもらっていなければ、自殺していたかもしれないと考えるようになった蒋さんは「これからはもうどんなことがあっても『法輪功』はやらない」と言った。

 十二、患者の張さん 女性 四十八歳 会計係、
中等専門学校卒業、現在一時帰休中。

 平素体が弱く、よく病気にかかり、癌の手術を受けたこともあるので、十数種類の薬を飲んで治療しなければならなかった。一九九九年三月、病気をなおすため、人の紹介で、「法輪功」を練習することになり、毎日多くの時間をさいて「法輪功」の本を読み、大いに専心した。二カ月間の練習後、「太陽の中の大きな法輪が自分の玄関に飛んできたのを見た」と言った。ある日、張さんは、突然「悟りをひらき」、薬を飲むのは、病気を抑え込むだけで、治すことができないと考えて、すべての薬をストップした。五月になると、家族のものは、張さんが大声で泣いたり、大騒ぎしたりして、言っていることもしどろもどろで、家族に話をする前に李洪志の指示を請わなくてはと言い、何回も家から飛び出そうとした。

 入院してから、張さんは栄養と薬による治療に協力しようとしなかった。症状の好転後、「自分の体が弱く、貧血でもあり、そんなに長時間練習することができなくなった。気功をあまり練習すぎたため、変になったのだ」ことを認めたが、依然として「法輪功」を信じ、この世のすべてのことは李洪志師が全部知っていると信じていた。医者との談話も李洪志師が必ず知っているはずだ。宇宙の磁場がつながれば李洪志師の声が伝わってくるからだと言い、練習しない人には理解できないと言った。

 十三、陳さん 女性 五十歳 定年退職者 高専卒業、退職前は、
所在部門の共産党支部書記。平素は体がよくなかった。

 一九八七年から情感性精神障害で、一生薬を飲み続ける以外、病状は軽減しないと言われた。陳さんは一九九八年七月から「法輪功」を修練して以来、「業火を消す」ことを「病」として、李洪志師の言うことを聞かなかったから、心性を守ることができなかったのだと考え、一九九九年の旧正月に、薬をストップしたところ、二カ月後に病気が再発し、「情感性精神病  躁の発作」と診断され、一カ月半入院してもよくならなかった。中央ならびに各クラスの指導者に手紙を出して、「法輪功」について釈明をし、「法輪功」を広めることを要求し、自分が精神病にかかっていることを認めなかった。今もなお、治療中である。

 十四、患者の王さん 女性 四十二歳 高校卒業、
銀行の職員、平素は健康であった。

 一九九九年三月から、「法輪功」の集団修練に参加するようになった。「法輪功」の本を読んでから、本の内容で頭の中がいっぱいになって怖くなり、練習を止めた。それでもなお、「功」が自分をコントロールし、また法輪が頭の中になにかを入り、腹のなかでも法輪が回転していると感じ、全身が痛み、食欲もなく、一晩中眠れなかった。王さんには治療してもらいたいという気持ちがあり、家族の人たちにつきそわれて病院へ行き、医者に診察してもらったところ、「法輪功」修練による精神障害と診断された。治ってからもびくびくし、再発を心配して、出勤することも、「法輪功」を練習している同僚とつきあうことも望んでいない。

 十五、患者の申さん 男性 四十歳 高校卒業、個人経営者

 一九九八年に入院して治療を受けた。入院の三カ月前に申さんの母親が病気で危篤となった。母の病気を治すため、なにか方術を修練しようとし、「法輪功」を選んで、昼夜分かたず毎日修練し、二カ月後食欲もなくなり、言葉や行為が混乱するようになった。「天目を開く」ため、頭を机のかどにぶつけて怪我をし、タバコの吸い殻で自分の手に大きな水ぶくれができるほどのやけどをした。そして「法輪功」が自分を探しており、周囲は悪い人が自分に害を加えようとしていると思い込んだ。入院後、精神分裂症であると診断された。

 

 

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