「外国依存」は李登輝を救えない
李登輝が「二国論」を持ち出したことは、決して偶然ではない。李登輝は祖国分裂をたくらみ、その機会をうかがっていたが、最近になって風向きが自分に都合のいい方へ吹いてきたと感じ、公然と「二国論」を打ち出した。
現今の国際情勢の何に李登輝は興味を覚えたのであろうか。今年三月二十四日、アメリカを主導とする北大西洋条約機構(NATO)はあろうことかユーゴスラビアを爆撃し、現代の国際関係史上に武力で他国の内政に干渉する劣悪な先例を作った。五月八日、アメリカを主導とするNATOは在ユーゴスラビア中国大使館を野蛮にもミサイル攻撃し、中米関係は急激に悪化した。この期間に日本の国会では新しい日米防衛協力のための指針(ガイドライン)法が成立し、日米共同で東アジアにて台湾を含む戦域ミサイル防衛システムを打ち立てようと企てた。そこで政治家として粗悪な李登輝は「外国に頼って」祖国を分裂させる好機が到来したと考え、あわてて「二国論」を打ち出し、国際社会の反中国勢力に呼びかけ、外国が祖国分裂のために一臂(いっぴ)の力を貸すことを期待したのである。
「外国依存」は李登輝を救うことができるであろうか。その答えはノーである。なぜなら、李登輝は国際社会の主導的動向に対する判断を誤っているからである。李登輝は欲に目がくらんで全体が見えず、一部の外国勢力の支持ばかりが目に入って、世界の大多数の国が「一つの中国」と、「台湾は中国の一部」ということを認めていることが見えなくなっている。李登輝が「二国論」を打ち出すと、アメリカと日本を含む世界の百近くの国がすぐに反応を見せ、一つの中国という原則的立場を堅持することを重ねて表明し、世界の多くのメディアも意見と評論を次々に発表して李登輝の「二国論」を非難している。以上のことからも分かるように、「外国依存」の「外国」は決して李登輝が見込んだような楽観的なものではなく、その祖国分裂を支持する外国勢力は実際には数は多くない。
「外国に依存」しても、李登輝は救われない。なぜなら李登輝は、自分が「外国依存」を切り札としている時、相手も李登輝を切り札としていることを忘れているからだ。国際社会には、確かに李登輝の祖国分裂を支持する人はいる。しかし、いかなる状況下での支持か、またどの程度支持するかは、それぞれの利益によって決まるのである。李登輝は外国からの支持が無条件で得られると思っているが、それは明らかに身勝手な願いである。このように他者のもくろみで左右される李登輝は、勝手気ままに行動して波風を立て、台湾海峡に新たな危機を造成し、ひいてはアジア地域全体をも揺るがそうとして、おのずと「トラブルメーカー」と見なされるだけである。こういった状況下にあっては、「外国に依存」することの作用はかなり差し引いて見る必要がある。
「外国に依存」しても、李登輝は救われない。なぜなら台湾問題は中国の内政であり、いかなる国も干渉する権利がないからである。李登輝は外国の勢力を引き入れて中国の内政に干渉させようと企てているが、このような民族の利益を売り渡す行為はすでに道理を失っており、中国人民の強烈な反対と世界の世論の普遍的な非難を浴びることは必定で、道義にかなえば多くの支持が得られ、道義にもとれば多くの支持を失うと言われている通りである。この点から、李登輝が失敗することは目に見えている。もし外部勢力が愚かにもこれを口実に粗暴な武力干渉を行おうとたくらむなら、それは国際法および国際関係の準則を公然と踏みにじるばかりでなく、道義的にも許されないことである。法の原則と道義を顧みずに十二億の中国人民を敵とし、李登輝の野心の実現のため一つの主権国家の分裂を願い、それにすべての勝負をかける国などないと信じる。
中国人の事情は中国人自身によって解決されるべきで、特に国家統一、民族団結の重大原則の問題にあってはなおさらである。「外国に依存して私利を謀る」者は、これまでもいい結末を迎えた例はない。もし李登輝もそういった人々の尻馬(しりうま)に乗ろうとするなら、その結果もまた民族の恥、永遠の罪人という恥じるべき結末を迎えるだけである。 (『解放軍報』)