国民党に重い罪責を負わせた李登輝

 ――「二国論」を国民党の決議に盛り込んだことを評す


新華社評論員

 李登輝の操縦のもと、国民党が八月二十八、二十九の両日に開いた「第十五回大会第二回会議」で採択された決議に、「両岸関係を特殊な国と国の関係として明確に位置づける」という内容が盛り込まれ、これを今後台湾当局の施政の方向と重点として、「両岸の相互行動の新しい一章とする」と称した。これは、李登輝が間違った考えを固執して悟らず、引き続き海峡両岸の情勢をより大きな危機の渦巻きに巻き込ませ、同時に引き続きほしいままに海峡両岸の交流、往来、協力の基礎を破壊していることを示している。国を分裂させる目的を遂げるため、 李登輝は全く政治家としての良知と道徳を失い、台湾同胞を一歩一歩と戦争の深淵に押しやっている。彼のこの動きが台湾島内の政治と経済情勢、海峡両岸の関係およびアジア太平洋地域の平和と安定にもたらす悪い影響はいっそう明らかに現れてくるだろう。

 国民党は一九四九年に大陸から台湾に退いて以来、台湾は中国の一部であり、「台湾独立」に反対する立場を一貫して堅持してきた。だが、 李登輝は政権の座についてから、国民党の一つの中国という路線を徐々に変え、国民党を分裂を主張する政党に変質させようとしている。李登輝は最初のうちは「一つの中国は最高の原則である」といっていたが、後に「二つの政治実体」「両岸が分裂し、別々に統治する」というようになり、さらには「一つの中国といったことがなく」「段階的には二つの中国」といい、最後に「二国論」を持ち出した。孫文が創設し、かつて中国の統一のために北伐戦争で血を流し、外来の侵略に抵抗するため中国共産党とともに八年も抗戦を行った国民党は、 李登輝から「二国論」を押し付けられて、壊滅に直面している。 李登輝は国民党に国と民族を裏切るという重い罪責を負わせようとしているのである。

 「二国論」を国民党の決議に盛り込み、それを台湾当局の今後の「施政の方向と重点」とすることは、どんな結果をもたらすだろうか。

 海峡両岸の平和統一の見通しは、そのために消えてなくなるだろう。いわゆる「台湾問題」が現われて以来、中国共産党と政府は一再ならず世界に中国は一つしかなく、二つの中国は存在せず、中国の主権と領土の分割は許されないと声明し、同時に平和な方式で台湾問題を解決するよう努め、またこのためにたゆまぬ努力を払ってきた。中国共産党第十一期三中総以後、中国共産党と政府は「平和統一、一国二制度」で台湾問題を解決するという基本方針をいちだんと確立し、それを完全なものにした。この基本方針の主な点は、一つの中国という原則が核心であり、「二つの中国」「一つの中国、一つの台湾」「台湾独立」などをつくり出す分裂活動に断固反対すること、一つの中国の中に二つの制度が同時に存在し、共に発展すること、統一後の台湾が高度の自治を享有すること、平和統一を堅持するが、武力行使の放棄を約束しないことである。この基本方針は、台湾同胞に矛先を向けたものではなく、外国勢力が中国の統一に干渉し、「台湾独立」を行う企みに向けたものである。この正義の立場は、条理にかない、合法的であり、世界の圧倒的多数の国から理解、同情、支持を得ている。しかし、 李登輝の「二国論」は一つの中国という原則を完全に否定した。しかもこの分裂政策がいったん台湾当局の施政の方向と重点になれば、 李登輝に一歩一歩と台湾を実際の「台湾独立」に持っていかせ、中国の平和統一の前提が存在しなくなる。ここで、中国政府がいかなる手段で自国を統一するかは、全く中国の内政であり、中国人民、中国政府の権利であり、台湾海峡に人々が目にしたくない状況が現われるなら、それは完全に李登輝が分裂路線を推し進めた結果である、台湾同胞がそれによって危険な境地に陥るなら、完全に李登輝が一手につくり出したものであると指摘すべきである。要するに、李登輝が「二国論」を推し進める結果は極めて重大なものである。

 一つの中国の原則は、海峡両岸が接触、交流、対話を行う基礎である。一九八七年末に両岸が交流と往来を始めてから、両岸の人的往来は年を追って増え、近年は毎年延べ百万人を超える規模に達した。両岸の経済貿易交流は発展の勢いを保っており、経済関係は日増しに密接になり、台湾の実業界は毎年両岸貿易から巨額の黒字を得ている。両岸の文化などの交流も目覚ましく発展している。海峡両岸はまたそれぞれ海峡両岸関係協会と海峡交流基金会を設立して、両岸の交流と往来における事務的問題を処理し、また「汪辜会談」を成功裏に行った。

 昨年に行われた「汪辜会談」は両岸の政治対話と経済対話の幕を切って落とした。汪道涵・海峡両岸関係協会会長は今秋台湾を訪問することになっている。これらすべては、一つの中国という原則の下で進められたものであり、一つの中国という原則の下での相互行動である。海峡両岸のここ数年の交流、往来が二つの国の間の交流と往来であるとは考えられない。今、李登輝は国民党を操ってこのような交流と往来を二つの国という枠組みの下に置こうとし、これが両岸の相互行動の「新しい一章」だと称しているが、これは事実上両岸の交流と往来を絶境に置き、さらに責任を大陸側に押し付けようとするものである。だが、李登輝のこの拙劣なわなは人を騙すことができない。いわゆる「新しい一章」は自他双方を欺くものであり、「二国論」の枠組みの中では、この一章は空白でしかない。もちろん、海峡両岸の交流、往来、協力は、大勢の赴くところであり、人々は李登輝がこれを阻み得ないことを見てとるだろう。

 

 

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