中国の世紀

黎海波


 世界が新しい世紀を迎えようとしている際、それと関連ある話題が人々の注目を集めている。例えば、誰が「世紀の人」であるかという話題を持ち出す人もあれば、どの国が「世紀の国」であるかという話題を提起する人もいる。まじめに議論すれば、中国は力強い候補であると思う。今世紀において、中国のように大きな変化を経験した国はほとんどないし、中国のように多くの人に影響を与えた政治革命と経済改革は、その他の国に見当たらない。また、過去の百年にこれほど豊富な経験と教訓を積んだ人は中国人以外にいないと言える。

 今世紀初め、中国は列強の侮辱と侵略を受ける弱国であったが、今世紀末には香港と澳門に対する主権行使を回復し、国辱をそそいだ。ほかでもなく今世紀に、中国は完全な民族の解放と独立を実現し、次第に繁栄し、強大になり、人民の生活も改善された。この意味から言えば、過去の百年は中国の世紀である。

 中華人民共和国の紀年によると、この若い国はその最初の百年の半分である五十年の節目を迎えた。中国古代の偉大な哲学者孔子は「五十にして天命を知る」と言った。五十歳になった中国から「伝えられてくる情報はいまだに混乱したものである」などと西側のマスコミは言っているが、中華人民共和国はその「天命」――どのような道を進むか、どのような国を建設するか、いかに目的を達成するかをはっきり知っている。

 中国は世界に、中華人民共和国成立百周年を迎える二〇四九年には、現代化を一応実現した富強、民主、文明の社会主義国を築き上げると再三宣言した。ケ小平氏の言葉を借りると、中進国となることである。

 しかし、中国の雄壮な志は西側の政治家、学者およびメディアによって誇張されている。異なる目的から出発して、彼らは中国は次の超大国になると言い、二十一世紀には、中国は政治、経済、軍事の面で、アメリカに次いで世界の二番目の強国となり、さらにそれ以上になるとふれまわっている。こうした言い方に対し、中国の評論家は、それは根拠がなく、客観的でもなく、そのうちの多くは下心を持つものであると指摘している。大多数の中国人も自分の国が五十年後に一躍世界の最強国あるいは二番目の超大国となるなどと考えていない。中国人民が人口が多く、資源が不足し、経済基盤が弱いという自国の国情をはっきり知っているからである。同時にまた、中国人はその実力を過小評価する言論にも反感を持つ。

 ロンドン国際戦略研究所研究室のシゲール主任は最近多くの場で、中国は「二流の中等国」にすぎず、「中国は想像するほど重要ではなく、その建国五十周年は何も祝うものがない」と言った。

 「中国は重要か」と、シゲール氏とその代表する一部の西側の人が提出し、中華人民共和国建国五十周年は祝うべきかという疑問を持つ人が外国、特に西側に一部いる。この問題に答えるには、まず歴史を回顧し、過去の五十年、百年あるいはそれ以上の年代を見てみるべきだと思う。

独立を勝ち取る険しい道

 要するに、過去の一世紀において中国では二つの出来事が起こった。革命と改革である。この二つの出来事はさまざまな歴史的要素が互いに作用し合った必然的な結果で、中国を変えたばかりでなく、世界にも影響を及ぼした。中国の改革は二十一年前に始まったものであるが、実際には、新民主主義革命の継続である。新民主主義革命は西側では共産主義革命あるいは毛沢東の革命と言われ、その目的は民族の独立と人民の解放を勝ち取ることである。この革命は一九四九年に勝利を勝ち取り、人民共和国が誕生し、毛沢東とその戦友らは数世代もの愛国者と革命者がそれに献身した理想を実現した。これらの先輩のうち著名なのは孫文(一八六六〜一九二五)で、中国革命の先駆者と称えられ、その肖像画は毎年の建国記念日に天安門広場の真中に掛けられる。孔子、孫文、毛沢東は世界的に著名な中国人である。

 孫文の時代には、中国は弱小国であったが、その前の数世紀には中国は各方面で大きな成果を挙げた大国であった。史料によると、西暦一〇〇〇年初め、中国の農業、手工業、鉱業、陶磁器製造業、シルク業はいずれもかなり大きな発展を遂げ、世界で最初に紙幣を使用し始め、活字印刷術も中国で発明されたものである。科学技術面でも、中国は先頭に立っていた。一〇〇一年から一五〇〇年までの世界の重要な科学技術成果の中で、中国人が創造したものは約八五%を占めている。しかし、過去五百年間に、ヨーロッパ諸国が中国を追い越した。一八四〇年以降の百年間に、この「中央大国」は国力が弱くなり、大きく立ち遅れ、列強にいじめられた。

 中英が一八四二年に「南京条約」(近代史上外国の侵略者が中国を強迫して締結した最初の不平等条約)を締結してからの百年間、中国は迫られてやむなく千百余りの不平等条約を締結し、領土が割譲され、賠償金を支払わされた。

 孫文は救国の志を立て、辛亥革命を指導し、数千年にわたって中国を支配してきた封建君主専制制度を打ち倒し、近代民族民主主義革命を切り開いた。孫文の革命は旧中国の社会の性質と人民の悲惨な境遇を変えることはできなかったが、中国の進歩の扉を開いたといえる。だが孫文は、中華民族の解放と独立を見ることはできなかった。彼は「革命は、まだ成功せず、同志は引き続き努力しなければならない」という名言を残した。その後、ほかでもなく毛沢東と中国共産党のたゆまぬ努力によって、人民は解放され、国は完全に独立したのである。

 西側の多くの見識のある学者にすれば、新中国の成立は不思議なことではない。その政府と違い、彼らはわりに客観的な態度をとることができた。アメリカの見識のある中国問題専門家フェアバンク氏はかつてその著書の中で「中国共産党員が一九四九年に中国を接収管理したのは一種のモデルであると言え、人民の生活を改善し、国力を高めるために奮闘する愛国主義の本領と革命理想に対する追求を示している」と語った。そのもう一つの著書の中で、「共産党が中国を接収管理し、広い基礎のある新政府を樹立したのは開拓的意味のある偉大な成果である」と書いている。

 西側の一部の政客が「誰が中国を失ったのか」について論争している際、新しい共和国の主人たちはいかに郷土を再建するかを考えていた。江沢民中国共産党総書記は一九九七年九月に開かれた中国共産党第十五回大会の報告の中で、「アヘン戦争後、中国は半植民地・半封建国となった。中華民族は二つの歴史的任務に直面した。一つは民族の独立と人民の解放を勝ち取ることであり、もう一つは国の繁栄・富強と人民の共同の裕福を実現することである。前者の任務は後者の任務の実現のためにあらゆる障害を取り除き、必要な前提をつくった」と述べている。中国人民はすでに前者の任務を完成したが、その意義はロシアの十月革命にも劣らない。しかし、長い歴史の過程においてこれは小さな一歩にすぎない。後者の任務は意義がさらに大きく、困難も大きい。

経験と教訓

 四十八歳以上の中国人の多くは、一九五八年の「大躍進」の中で「製鉄」の体験をした。当時、鉄鋼の生産量を増やし、十五年でイギリスに追いつくため、全人民が「製鉄活動」に参加するよう動員された。一九五八年から始まった大躍進は一種の全国的な経済の急進であり、社会と生産を急速に発展させるのがその目的であったが、事は思い通りにゆかず、その結果、経済が後退した。

 全人民の製鉄活動は報復的結果をもたらした。大躍進に疑問を持った彭徳懐元帥の推定によると、一九五八年の秋、製鉄活動に参加して農事を捨てた農民は九千万人に達した。農民およびその他の普通の人は製鋼に用いる鉄鉱石、銑鉄がないため、およそ鋼鉄でつくったもの、例えば、農業生産機具、大工道具、鍋、バケツ、錠、パイプなど、ひいては小型トラクターまでも製鋼に用いた。「鋼」の質が悪く、正規の溶鉱炉に入れてもう一度精練するしかなかった。

 それは建国後の最初の三十年間に誤りを犯した典型的な一例にすぎない。製鋼の全人民運動とか、大躍進とかは当時の人々の頭が熱くなりすぎた所産であった。しかし、経済と文化をほとんど破壊した「文化大革命」(一九六六〜一九七六)と比べると、まだましであった。

 繁栄、富強を追求する過程で、中国は高い代価を払った。第二の歴史的任務は確かに第一の任務より難しい。しかし、われわれの民族は頑強で聡明である。中国人は過去の誤りと挫折から積極的、有用のものを吸収しさえすれば、悪事を好事に変えることができると信じている。

 この時、「起き上がりこぼしのような背の低い偉人」であるケ小平氏が名誉を回復した。七〇年代末期、ケ小平氏は党と人民を指導して「階級闘争をカナメとする」ことを放棄し、それに代わって経済建設を中心とし、改革を主張し、中国は全世界に門戸を開いた。オヒ小平氏の好きな格言である「白ネコ、黒ネコを問わず、ネズミをとれば良いネコである」という「ネコ論」は全国的に急速に知れ渡った。「ネコ論」とはつまり実事求是を貫くことである。

 ケ小平氏の路線は速やかに効果を現わした。東方の眠れる獅子は目を覚まし、全世界を揺るがした。経済は急速な発展を遂げ、人民の収入は次第に増え、輸出入は日増しに伸び、科学技術は長足の発展を遂げるようになった。過去の二十一年間は今世紀における中国の太平な世であり、人民はまずまずの生活を過ごせるようになった。新中国成立五十周年を迎え、中国人民はその大きな成果にほこりを感じている。

 北京のある壮年の知識分子は、「偏見を持たず、中国をいくらかでも知っている外国人なら、新中国の物語は奇跡でないまでも、成功を象徴しているという私の見方に同意するでしょう」と述べた。多くの人が類似の見解を持ち、中国は基本的に成功を収めたと見ている。もし誤りを犯さず、回り道をしなければ、生活はもっとよくなっていたであろう。「しかし、われわれは神でなく、人間である。人間であれば誤りを犯すことは避けられない。人間はいくらかでも現実的に考えるべきである。数十年前にわれわれが過ごしていた生活と比べると、いまの変化は余りにも大きい」と、この壮年は補足した。

 人々は周りに起きたいろいろな変化にすっかり慣れ、近所、友人がデラックスな車、高級住宅を購入するという、過去では考えてもみなかった事も人々は何とも思わなくなった。しかし、七〇年代初期の四川省の農村では、ある若者はこの村の唯一のトランジスター・ラジオを持っていることで全村の三百人の村民の中で最も裕福な人と見られていた。

 現在、中国は世界最大のテレビ生産国である。一九九七年の生産台数は三千六百三十七万二千台で、一九九八年年末には、農家百世帯あたりにテレビ九十六台、洗濯機二十三台、冷蔵庫九・三台となった。都市部では百世帯当たりのこれらの家電の保有量はそれぞれ一〇五台、九十一台、七十六台となった。パソコンとマイカーが都市部の家庭に入り初め、今のところ、百世帯当たりに四台、〇・二五台である。遠くない将来に、その数量が激増するのは間違いない。

 一九四九年以前、中国は鉄鋼工業が立ち遅れ、くぎさえも国外から輸入していた。今では、中国の粗鋼生産量は世界一位で、年産一億トン以上となった。

強国の夢

 先月、世銀が発表した報告によると、各国の一九九八年の国内総生産(GDP)から見て、中国は世界経済強国ベストテンの七位となり、アメリカ、日本、ドイツ、フランス、イギリス、イタリアに次ぎ、ブラジル、カナダ、スペインを追い越した。

 一九七八年の中国のGDPは三千六百二十四億千万元であったが、一九九八年には七兆九千五百五十三億元に増え、年平均伸び率は九・八%で、どの国よりも速かった。だが、中国の人口は約十二億五千万人で、一人当たりのGDPと一人当たりの収入から見ればはるかに遅れており、中国は依然として発展途上国である。

 中国は、五十年後に中進国のレベルに達することを目指している。一九八七年四月二十六日、ケ小平氏は来訪した外国の指導者と会見した際、今世紀末までに、中国はまずまずの生活レベルに達し、一人当たりのGDPは八百〜一千ドルとなり、「これを踏まえて、さらに五十年を費やして四倍に増やし、一人当たり四千ドルに達するようにする。それはどういう意味か。つまり、次の世紀の中葉に、われわれは中進国のレベルに達することである」と語った。

 ケ小平氏はまた、「もしその時(中国の)人口が十五億となり、一人当たり四千ドルに達すれば、年間のGDPは六兆ドルに達し、世界の上位に入る」と述べた。 

 大多数の経済学者は、中国経済は少なくとも二十年安定成長を保つことができるとみている。国務院発展研究センターのある報告の予測によると、次の世紀の最初の十年は年間平均七%の成長率を保ち、二〇一〇年のGDPは二〇〇〇年の二倍となるが、これは全く可能である。

 北京大学中国経済研究センターの経済学者林毅夫氏の予測によると、「もし中国経済が未来のかなり長い期間に、一九七八年年末に改革・開放が始まって以来達成した平均成長速度を保てれば、国内外の多くの学者が予期しているように、次の世紀の中葉に世界最大の、最も実力のある経済となる可能性がある」。林氏はまた、中国は発展の潜在力が大きく、その資本蓄積率は毎年GDPの四〇%前後に達し、世界最高の国の一つであり、少なくとも五十年間の高成長を保つことができ、「次の世紀の中葉までに中国経済は完全に世界最大の経済となる可能性がある」としている。

 しかし、中国社会科学院の樊綱研究員は、経済改革はまだ長い道を歩まなければならず、数多くの困難があると強調し、「五十年後に、中国がこうした市場経済システムを基本的に構築することができれば上出来である。それはつまり比較的安定した、市場経済の基本的秩序が構築できた市場経済システムである」と述べている。

 林氏の予見について、多くの人々は同意しかね、中国経済が五十年内に世界最大となる可能性はないと見ている。また多くの人は、問題は中国がいつ実現するか、実現できるかどうかではなくて、いかにして世界一流の大国になるかにあるとしている。

 経済のほかに、中国は二十一世紀に全国の統一を実現しなければならない。今年十二月に、澳門は祖国に復帰し、欧州の植民地主義は最終的に中国から、アジアから撤退することになる。残された任務は祖国大陸と台湾の統一を実現することである。

 これは次の世紀の前半に実現するだろうと人々は見ている。中国の高官は何回も、台湾問題は無期限に延ばすことができないと表明している。平和的統一は全中国人民の願いであるが、人々が予想しているように、もし李登輝とその追随者が台湾独立問題でさらに一歩を進めば、戦争は現実的なものとなる。

 台湾海峡の軍事的対抗はもちろん東南アジアないしアジア太平洋地域の安定に影響を及ぼし、中米関係に危害が及ぶであろうし、また中国の経済発展にも響くが、その程度はそれほど大きくはない。中国大陸について言えば、これは局地戦争にすぎない。

 過去の二十一年間、中国が高成長を保つことができたカギとなる要因は、国内の政局の安定であり、中国の所在するアジア太平洋地域の相対的平和であった。未来百年の中国の現代化建設について言えば、この要因は依然として前提条件である。そのため、人々は国内、国際を問わず、戦争が起こることを望んでいない。しかしこれは中国によって決まるものではない。中国政府は一再ならず、台湾問題解決の方針は「平和的統一、一国二制度」であると強調しているが、武力行使を放棄することを約束しない。それは平和的解決を促すためである。したがって、戦争を中国に押し付けるなら、中国政府と人民はこれを座視しない。

 強国の夢を実現するのは中国人が最も願っていることであるが、強国への道は決して順調に進むものではない。中国が直面している問題は、容易に解決できるものは一つもない。中国社会科学院研究生院の張翼博士は「膨大な人口」を未来の中国の頭上に突きつけられた「鋭い剣」であると称し、二〇五〇年には、中国の人口は十六億になり、それが経済の発展にとって大きな圧力となり、一人当たりGDPと一人当たり収入にひどく影響を及ぼすであろうと見ている。

 しかし、だれも中国の統一の実現を阻止し、世界一流の強国となるのを阻止することはできないと皆が信じている。二十余年の改革・開放の最大の成果の一つは、中国人が自信をつけたことである。その「天命」を知り、正しい道を歩けば、中国人は祖先より更に輝かしい業績を作り上げ、人類により大きな貢献をすることができると信じている。

 

 

 

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