中国のコレクション
中国のコレクションの歴史は、商の時代にまでさかのぼることができる。河南省安陽市の殷墟遺跡での発掘で、文字(甲骨文)の刻まれた大量の甲や獣骨が何回も発見され、商朝王室の書類の収蔵がかなり完全で、規範的なものであったことを立証され、官辺のコレクションが商代以前からあったことをも物語っている。
中国の歴代王朝は図書の収集、保存、管理を非常に重視した。また金・銀・玉器、真珠と宝石、骨董品、有名人の書画を収蔵して、王室の観賞に供した。また、王室の庭園を飾り付けるため、珍しい花と樹木や珍しい鳥と動物および形の変わった石を大量に収集した。個人のコレクションもほぼこれと同時に発展し、少数の有名な個人コレクターが史書に記載されている。個人コレクターはほとんど貴族、官吏、文人など権勢と富をある程度もっていた人だった。個人コレクションの規模が官辺に全然及ばないのはもちろんだが、コレクションの範囲は官辺よりはるかに大きいものであった。官辺から価値がないと見られた多くの品物が個人コレクターによって保存され、伝えられてきた。
古代王朝の更迭は激しい戦争と動乱が伴い、その結果、官辺のコレクションが往々にして大量破壊され、民間に散らばった。新しい王朝は強固になったあと、中国の伝統に基づいて、前王朝の残した収蔵品を引き継いだ上、民間から書籍などを徴収して、官辺のコレクションを次第に回復した。王朝が交替するたびにこのようなことがくり返されたが、これは中国の収蔵史上法則と言えるものであった。
戦乱でなくなった官辺のコレクションがすべて民間で保存されているわけではない。それとは反対に、民間のコレクションも戦乱の中で大量に破壊された。とにかく、戦乱はコレクションに対し最も大きな破壊作用がある。
近代中国の官辺コレクションの蒙ったいちばん大きい損失は、外国列強が中国に対し起こした侵略戦争の中で発生した。第二次アヘン戦争の時、英仏連合軍は中国に侵入し、中国でじかにアヘンを売るという合法的権利を入手するため清朝政府を脅かした。当時、英仏連合軍は清朝の数代の皇帝が百五十年にもわたって営み、中国の数千年の庭園芸術の精華を集めた円明園に入り込んだ。園内には数え切れないほどの金銀と真珠宝石、陶磁器と玉器、骨董品、彫塑と絵画、書道の逸品、古代書籍などが収蔵されていた。文明人と自称していたこれらの連合軍兵士は狂気じみて略奪と破壊を行ってから、自分たちの最も恥知らずで、最も卑しい匪賊の行為を覆い隠すため、あろうことか火をつけて、人類文明のつくり出した規模が最も大きく、最もすばらしい王室庭園の円明園を地球から消し去った。
明の永楽年間に完成した、三億七千万華字、二万二千九百三十七巻からなる世界的に有名な『永楽大典』は、数千年にわたる中華文化の結晶であり、三千名の学者が手書きで正本一部、副本一部を編集、校正、謄写したものである。明朝と清朝が交替する時に発生した戦乱で、正本は破壊され、副本だけが残った。一九〇〇年、八カ国連合軍は北京に攻め入り、清朝の官辺が収蔵していた『永楽大典』の副本を焼き払ったり、馬小屋に敷いたり、窓のすきまをふさいだりした。無上の宝である『永楽大典』はこうして文明を「野蛮」な中国人にもたらすと自称した八カ国連合軍の手によって完全に破壊されたのである。現在、国内外の図書館、博物館、個人に収蔵されている『永楽大典』はわずか八百巻前後で、二万二千巻が永遠に消え失せてしまった。
中華人民共和国成立五十年来、中国の官辺コレクションは政府の保護と支持の下で、空前の発展を遂げてきた。全国には、公共図書館が二千六百六十一カ所あり、図書が三億七千万冊以上収蔵されている。文化財保護、科学研究とその他の機構および博物館が三千三百三カ所あり、文化財コレクションの量は千二百万点近くあり、そのうち、一級品は六万点を超えている。このほか、文物商店が百二十三軒ある。
改革・開放後、中国経済の急速な発展につれて、人民の富裕程度と生活水準は大いに向上し、中国史上かつて見ない「太平な盛代」が出現した。十年近くの間に、数千万人が個人コレクターの仲間に加わり、各種の民間収蔵団体に参加し、コレクション展覧会や交流会および競売会、中古品市場に姿を見せている。
コレクションの種類は、骨董品、陶磁品とコイン、書画と古典書籍、郵便切手、タバコのレッテル、新聞と雑誌など伝統的な古代と現代のもののほか、ボタン、キー、酒瓶、鉛筆削り器、消しゴムなどの日常生活用品もある。おおまかな統計によると、中国は現在、民間のコレクションの種類が数百種ないし千種近くに達している。
民間コレクションの中に国家一級と二級文化財に属するものがかなりあり、国宝と言える珍品さえ、ごく少数だがあると言われる。一部のコレクターはあまり目につかない物を収蔵しているが、これも衆目を集める成績を収めた。ある人は古今内外のさまざまなボタン八万余個を収蔵して、ギネスブック証書を獲得し、現在は個人世界ボタン博物館を創設した。
中国の民間コレクションはまだ正式の統計データがない。北京東方収蔵家協会関係筋が保守的に見積もっても、全国のコレクターは少なくとも数千万人以上に達し、北京には五十万人以上いるという。上海には書画と骨董品を収蔵する人だけでも数十万人にのぼっている。コレクター総数はそれより多いはずである。近代や現代の物品を収蔵する人のうち、切手収集者がいちばん多い。タバコのレッテルを収蔵する人は全国に十万人以上いる。中国の伝統的物品を収蔵する人のうち、コインを収蔵する人は第一を占め、陶磁器を収蔵する人が第二位を占めると見られている。
コレクターの急増、コレクションに対する需要とその盛んな流通によっては、国内で過小評価することのできない市場を形成している。
まず、正式の商業の場所として、競売会、文物商店、郵便局、骨董品店、古本屋、工芸品商店などがある。これらのところでは、国の法律の許した文物、さまざまな明示された模造品とその他の収蔵品がここで購入することができる。
次は、収蔵団体が経常的に催すコレクション展覧会と交流会がある。コレクターはここで各種のコレクションを収集し、他のコレクターと交流することができる。
最後に、大中都市でよく見られる、あまり目につかないが、コレクターがいちばん行きたがる中古品市場がある。
北京のいちばん大きく、有名な中古品市場は潘家園であり、休日の土曜と日曜になると、市場に来る人は十万人を超える。そのほとんどは北京の人であるが、名を慕って地方から来た人もいる。たいていの人は見物するのが目的であるが、コレクターも少なくない。一部の外国人観光客と中国で仕事をしている外国人も潘家園が好きで、露店商人の常客である。
潘家園の中古品市場は中古品の種類に基づいて、玉器区、磁器区、書画区、民間中古品区など若干の区域を画定されている。そのためお客さんは見物や買物にはとても便利である。露店の商人は北京の人のほか、河南、山西、河北、山東の各省ないし東北地区、内蒙古など長江以北の各省・自治区から来た人も少なくない。
潘家園市場の規模は北京第一と言える。また国内外で知名度の最も高い中古品市場の一つである。