中国武術の伝統と現代


 中国武術ははるか昔、狩猟のような人類と大自然との闘いあるいは部落間の戦争の中で生まれ、一般の格闘技から昇華して武術となるまで洗練されつつゆっくりとした発展の過程を経てきた。まず、攻撃本能を満たすための出たとこ勝負の格闘と生産または狩猟のための動作の原形が組み合わされたり淘汰(とうた)されたりしながら、次第に規範化された動作が抽出されて形成された。次に、一定のレベルを持つリズムと比較的安定した体の動作が組み合わされて、運動形態が形成された。これらの方式は人や動物との格闘に応用され、そのようにして武術の基本的特徴が具備されていったのである。殴る、ける、身をかわす、倒す、および木器あるいは石器などを用いてのたたき割る、切る、刺す、縛る、投げるなどの動作はいずれも武術的意味合いを持つものであった。

 中国の武術は「武功」とも呼ばれ、「招法」と「功力」の二つの部分からなる。「招法」とは攻防格闘の方法を指し、半分は単式(散手)あるいは套路の形式で訓練するもので、たとえば中国の武術が中国哲学の「天人合一」と「天人相応」の考え方の影響を受け、螳螂(かまきり)拳法(けんぽう)などのようなさまざまな生き物を模した拳術が作られた。もう一つの「功力」とは実戦の中で「招法」の力と本領を発揮させることを指し、力、内功、硬功などを含む。内功は精神、内面的エネルギー、心の修行を主体とし、体の内面を高める方法である。それに対して硬功は点石功や鉄ひざなどのように、多くは体のある部分の爆発的な力を開発するものである。また、排打功や金鐘篭(鈴虫かご)のように体の攻撃に耐える力を鍛練することもできる。もし武術を習う人が若干の「招式」のみを習得して「招式」実施の保証としての硬の「功力」を培わなかったならば、その力はただ一般の人と戦って勝てるというだけで、強い相手に遭遇したなら疑いなく必ず敗れる。従って武術を習う人はすべて「招法」の修行をするのと同時に若干の「功法」を修する必要があり、それによって自らの「招法」の威力がさらに増すのである。

 中国の武術の中の「招式」と「功法」はいずれも外的な表現形態であり、それらのほかにも十分豊富な文化的内包を秘めていて、中国の伝統文化および民族的心理と極めて深い根源的関係がある。また、武術におけるたくさんの流派の発生も、中国各地の人文、地域、気候、経済などの諸要素と関係がある。

 中国武術の「招法」は、一般的に打つ、割る、つかむ、倒すの四つの種類に分けられる。打つとは打法で主に攻める動作、割るとは主に守る動作、つかむとは擒拿法で主に相手の関節を反対側に曲げるのを手段とし、倒すとは相手に体の重心を失わせるのが目的である。これらは実践の中で、往々にして一つに融合される。中国武術には「鉄襠功」のように、いくつかの珍しい内功「功法」もある。点穴も中国武術の中の珍しい「功法」であり、中国の伝統医学の経絡学説を基盤としたものである。中国の武術は格闘の中で、心と知恵や想念の力を重視する。これらはすべて、格闘面における中国武術の特徴である。

 形神合一と内外兼修は、中国武術の本質的特色である。中国武術は武芸と養生を融合させ、内に対しては人体の陰陽のバランスと経絡の貫通の医学理論に順応し、外に対しては攻防に秩序あって法力で応戦するという格闘の道に合ったもので、両者は互いに依存し互いに転化するものである。体内の意と敵に相対する術が一体となったのが、武学の最高の境地である。このほか、内外兼修の「内修」には、武徳の修養と内功の修練が含まれている。中国の武術は「徳芸統一」と「徳を尊び力を尊ばず」ということを重視しており、各流派はいずれも武徳を武芸を伝授する重要な前提として組み入れている。いわゆる「止戈為武(戦争を止めるのが武である)」ということにこそ、中国武術の徳を尊ぶ傾向がよく現れている。例えば少林寺では門弟たちに「十願」と「十不許」を定めている。それらは主に女色を戒め、悪事を戒め、財をむさぼることを戒め、弱きを助け、師を尊び、腰が低く態度が穏やかであるなどといった面から定められたもので、その精神の原則は今でも現実的意義を持つ。

 現在、伝統的中国武術は、すでに現代化の発展の道を突き進んでいる。

 一九八二年、映画『少林寺』の上映によって武術ブームが巻き起こり、武術関係の刊行物が需要に追いつかず、『中華武術』誌の発行部数は毎号二百万部に達し、各地で数多くの武術館がオープンした。統計によると、現在、中国には一万二千カ所余りの武術館や武術学校があり、武術人口は六千五百万人に、一年中武術館で武術を学んでいる青少年は百万人に達している。九〇年代になると、武術競技に企業も協賛の形で参与するようになった。鄭州では少林武術祭りが、湖北では武当武術祭りが、上海では武術博覧会がそれぞれ開催され、いずれもはっきりとした経済目的を持つものであった。鄭州で一九九一年、九二年、九三年、九五年に続けて四回開催された少林武術祭りにおける経済貿易取引成約額はそれぞれ八億元、二十四億元、三十二億元、五十二億五千万元に達し、収益もなかなかのものであった。現在、図書、オーディオ、器材、ユニホーム、教室開設、武術館設立、博覧会、年次定例会、交流大会、競技大会など武術に関係する経営活動があり、出版社、メーカー、商店、武術館、体育大学、各クラスの体育主管行政部門、および政府が参加する武術市場がにぎわいを見せている。

 八〇年代以来、武術は次第に中華文化の神髄の一つと見られるようになり、科学的に広められるようになった。一九八二年に開かれた全国武術活動会議で「積極的かつ着実に武術を世界に広めていかなければならない」と提唱され、八〇年代中期以来国外から中国に来て武術を学ぶ人が日を追って増え、武術交流を強化したいという願いが芽生えていった。一九八五年八月、西安で催された第一回国際武術招待競技会が催され、この期間に中国が筆頭となって国際武術連合会設立準備委員会が発足した。この行動はすぐに連鎖反応を引き起こし、一九九〇年十月三日に国際武術連合会(IFW)が設立され、現在の加盟国は七十七カ国に達している。世界武術選手権大会は一九九一年に北京で、九三年にマレーシアで、九五年にボルティモアで、九七年にはローマでとすでに四回開催され、今年十一月には第五回世界武術選手権大会が香港で開催される予定である。一九九〇年のアジア競技大会以来、武術はすでに三回のアジア大会で競技種目に加えられ、九八年にIFWは国際オリンピック委員会(IOC)に武術をオリンピックの競技種目にと申請した。

 五十年の発展過程の中で、中国武術はすでに治療の手段、保健の道、スポーツの芸、自己の存在を守る基本、護身の技に発展しており、なおかつ武術自らの神秘的で不可解な、閉鎖的で保守的な色彩から次第に脱却し、科学的、文化的、開放的で進取の軌道に向かって突き進んでいる。伝統的中国武術はすでに大型スポーツ大会、商業博覧会、文化芸術祭、祝日の式典、民族的イベントのひのき舞台へと躍り出ており、威勢のよい姿で新たな世紀を迎えようとしている。

 

 

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