伝統中医薬
中国医薬(漢方医薬)の起源は、はるか太古までさかのぼることができる。歴史学者の考証によると、医薬の創始者として後世の人々からたたえられている中国古代の皇帝の神農(炎帝)が在世したのは約六千年前であったという。そのころをもって、中国医薬の知識が芽生えた時期であるとするのが妥当である。神農の後の夏、商(殷)、春秋時代から戦国時代に至るまでは、中医薬学が実践の中で模索し、経験を積んできた時代であった。戦国時代に完成した中医理論の著作『黄帝内経』はその一里塚で、中医薬独特の理論体系が確立されたことを示すものである。今日に至っても『黄帝内経』は依然として、中医薬学を導く理論の基礎となっている。
秦・漢以前の民間の薬服用の経験をまとめた『神農本草経』には、各種の薬物が合計三百六十五種類収録されており、それらは治療作用と毒性に基づいて三種類に分類されている。この分類は中国の薬物の最も古い分類であり、『神農本草経』はわれわれが目にすることのできる中国最古の薬局方である。
中国伝統医薬学は発展の長い歴史の過程で、次に掲げるような系統だった独特の特色を持つ原則と考え方を次第に形成していった。明らかにそれは、中国の伝統文化の懐の中ではぐくまれていったものである。
一、中医は「人命の重さは千金のごとし」と考え、人々を死から救い傷をいやすことを医師の品徳の基準としている。
二、「未病を治す」という予防医学を主とする医学思想を持ち、疾病を未然に防ぐには栄養に留意し、健康を維持し、老衰に対処することで、これらは疾病の発生予防の最良の方法であると人々に示している。
三、中医理論は、社会環境、自然環境、および人の肉体と精神は影響し合い、作用し合い、関連し合い、依存し合う一つの総合体であり、同時に人体それ自身もそれぞれの器官、それぞれの部分、それぞれのシステムで構成されるところの影響し合い、依存し合う有機的総合体と考える。こういった整体観があるために、中医は診断治療する際に、人と自然、人と社会、人の体と心理および人体の各部分との互いの影響を十分に重視し、互いに関連し合う関係の中で人体の健康と疾病を理解する。
四、中医は、人体の中に作用し合い、依存し合う陰と陽の二つの面があり、それら陰と陽の相対的バランスは人体が正常な健康状態を保つ基本条件で、そのバランスが崩れると人体は衰弱し、発病に至ると考える。そのため、中医は陰と陽を調節し、陰と陽が相対的なバランスを維持するよう非常に注意している。
五、中医は、人の誕生、成長、老衰から死に至るすべての過程において、その体内に中医で称する「昇降出入」と称する一連の運動が一貫して存在しており、その「昇降出入」の運動が阻害されると異状が発生し人は病気になると考える。そのため、中医は運動変化の観点を運用しての疾病の予防と治療を非常に重視する。
中国の伝統医薬学は数千年の実践と発展の過程で、独特かつ完備された理論体系と、中薬を主として針きゅう、マッサージ、気功などを含む独特の特色を持ち、効果のある治療方法を形成してきた。中国の医薬学の効果性と科学性は、中国では幅広い人たちによって認められ、歓迎されている。大多数の中国人は中医による治療を受けたいと願い、ほとんどすべての中国人は中薬を服用したことがある。
中国は積極的に伝統医薬学を発展させ、中国医学と西洋医学を結び付けて両者が長期共存し、互いに長短を補い合い、共に発展するといった状況を作り出すよう提唱し、奨励している。現在、全国の中医薬の専門技術スタッフは五十万人を超え、中医の病院は約二千五百カ所あり、合計数が一万カ所になる総合病院や単科専門病院の大多数が中医科を設けている。このほか、中国には百カ所以上の中医薬の大学と中医科学研究機構がある。それらは中医薬の専門スタッフを絶えることなく次々と養成し、中国の伝統医薬学の実戦と理論の水準を持続的に安定、充実、発展させ、向上させている。
ここ数年来、多くの中医薬専門スタッフの努力により、中国の伝統医薬学と中洋結合の形式を運用して、多くの新たな方法が研究の末に編み出され、治療面で著しい成果を上げて多くの患者から歓迎された。これらの大きな成果は、中国伝統医薬学の輝ける先行きを示すものである。
中国の伝統医薬の影響が日増しに拡大され、内外交流が増えるにつれて、中医薬はすでに世界へと向かっており、世界の多くの国の医学機構が中医薬を非常に重視し、研究している。また、多くの国に中医のクリニックがあり、中医独特の針きゅう治療もすでに百以上の国と地域に伝わっている。中国の伝統医薬は世界の医学の宝庫の中の、欠かすことのできない貴重な財産となっているのである。