チベットのマスメディア


 五〇年代以前、チベットには現代的意味のマスメディアがほとんどなかった。記載によると、今世紀の初葉になってからようやくラサ市で最初の新聞らしい新聞『白話報』が創刊された。清朝中央政府チベット駐在大臣の聯豫と助手の張蔭棠が、「愛国尚武、開通民智」を旨として、漢語とチベット語で同時に出版されるこの小さな新聞をつくったのである。この新聞は石版印刷機で毎号三百余部を印刷した。『白話報』はチベット最初の新聞であることが確認できるばかりでなく、中国の少数民族地区の刊行物が漢語と少数民族の文字を同時に使用する先例をつくった。一九五一年、中央人民政府とチベット地方政府は北京でチベット問題の平和解決に関する「十七カ条取り決め」に調印し、チベットの平和解放を実現した。その後、通信社、放送、新聞・雑誌、テレビなど現代のマスメディアが相次いでチベットで創立されて、チベットと全国各地および世界との間に幅広い連係を打ち立て、高原の閉鎖的状態を改めた。

 一九五一年八月、新華社チベット支局はチベットに進駐した中国人民解放軍の軍営の中に設立された。チベットで発行部数最多の新聞『チベット日報』は一九五六年四月二十二日正式に創刊された。一九五三年七月、解放軍はラサで最初の有線放送ステーションを設けた。一九五九年一月一日、チベットで無線放送がはじまり、チベット人民放送局の声は万里の高原に伝わった。一九七七年、チベット最初の刊行物『チベット文芸』が創刊された。一九七八年、チベットで初めて白黒テレビ番組のテスト放映に成功し、翌年はさらにカラーテレビ番組をテスト放映した。一九八五年、チベットテレビ局が正式に発足し、同時にチベット語と漢語の二チャンネルで放映を始めた。一九九五年、チベット放送テレビ翻訳制作センターが仕事を始めた。

 今では、チベットで公開発行されているチベット語と漢語の新聞・雑誌は五十七種ある。そのうちの『チベット日報』はチベット語と漢語で全国向けて公開発行し、発行総数は創刊初期の六千余部から現在の四万余部に増えた。このほか、チベットには『チベット研究』などの英語刊行物もある。こうして種類がそろい、チベット語と漢語の比例が基本的に協調する新聞・雑誌の出版ネットワークがチベットで一応形成された。

 一九五九年一月一日、チベット人民放送局のコールサインが初めて万里の青空に伝わり、その時点からチベットの放送事業が始動して今日の規模にまで発展してきたが、これはチベット社会の進歩、発展と密接な関係がある。現在、全チベットに無線放送局が二局あり、放送送信(中継)所は二十八カ所、放送の人口カバー率は五五%に達し、全自治区の八十一の地区、市、県の所在地と三分の一の郷で放送を聞くことができる。チベット族を主とする放送従業員陣はすくすくと成長している。現在、全自治区の放送テレビ従業員は千四百余人おり、そのうちチベット族は八〇%以上を占めている。

 一九六四年二月十四日、チベット人民放送局は対外放送を正式に始めた。一九九二年以来、チベット放送番組が衛星を通じて送信され、アフリカ以外の世界各地でチベットの放送を聞くことができる。三十余年来、対外放送は、自治区設置以来チベット各民族人民が全国人民の支援の下で新生活をつくり、新チベットを建設する状況をありのままに報道している。現在、対外放送は一日二十四時間、チベットニュース、国内・国際ニュース、特別番組、文芸などの番組を放送している。

 一九八五年チベットテレビ局が正式に設立された時点では、責任者、カメラマン、アナウンサーが全部で四人、ビデオカメラが一台、白黒テレビ中継自動車が一台、出力百ワットのカラーテレビ送信装置が一台、テレビ受信装置が十七台しかなかった。だが、一九九五年のテレビ局設立十周年には、従業員は百八十余人に増え、毎日チベット語と漢語の番組を十四時間放映しており、自作の番組の放映時間は四十分から一時間三十分に増え、その番組は全自治区の三分の一以上の人口および中国各地、朝鮮半島、東南アジアの大部分の地域をカバーするようになった。

 統計によると、四十余年来、中央政府とチベット自治区が放送・テレビ事業の発展に使った資金は五億三千万元に達し、中央政府と全国のその他の省・市がチベットの放送・テレビの部門を支援した各種器材と物資もかなりの規模に達するものであった。中央と各省・市は、前後五回にわたり二百余人の業務要員と技術者をチベットに派遣して、チベットの放送・テレビ事業の発展を援助した。このほか、中央とチベット自治区は計画的にチベットの放送・テレビ事業に多くの大学・高専卒業生を配属し、チベットの放送・テレビ事業を継続していくことができるようにした。

 現在、チベットの放送とテレビはわりに完全なカバーネットワークを形成し、放送とテレビは全体として学力の高くないチベットの農民と牧畜民に世界を知り、新しい知識を学ぶ主なルートとなっている。全自治区には、放送局が二局、放送送信所が四十七カ所、テレビ局が二局、テレビ中継所が九十カ所、郷営有線放送・テレビ受信中継ステーション、受信ステーションが八百五十カ所ある。放送とテレビの人口カバー率はそれぞれ五五%、五〇%に達し、そのうち、自治区区都のラサ市および周辺地区のテレビ人口カバー率は七五%に達し、テレビを見る人口は二十五万にのぼっている。全自治区のラジオ社会保有量は二十余万台、テレビの社会保有量は十二万台である。ラサ市は放送・テレビが密にカバーする地区となっている。

 ここ五年来、チベットの放送・テレビ番組は国際金賞と銀賞をそれぞれ一回獲得し、国家クラス政府賞を百回獲得し、チベット自治区クラスとその他の特別賞を数百回獲得した。チベットテレビ局は二年続けて米州オリエンタルテレビ局でチベットを紹介する番組を放映し、今日のチベットの発展と変化を生き生きして報道した。

 チベットのマスメディアには、チベットに長期駐在する中央のマスメディアも含まれている。新華社チベット支局は毎年本社に千二百余本(枚)のニュース原稿を発送している。チベット支局の対外報道は、漢語、英語、ロシア語、スペイン語、アラビア語、ポルトガル語などで発送し、チベットの最新ニュースをすかさず、的確に中国と世界各地に伝えている。同支局はチベットのマスメディアのなかで、通信施設が最も先進的で、原稿の発送が最も速い部門である。

 中央テレビ局と国際放送局のチベット記者ステーションは一九八二年五月に成立し、この二局の対チベット報道の任務を担っている。現在、記者ステーションにはチベット族記者が三人おり、オフィスビルと取材用自動車を擁し、どの記者にも進んだコンピューターと取材用レコーダーが配備され、また中央テレビ局ともオンラインでつながっている。チベット記者ステーションは現在、国内にある中央テレビ局、国際放送局の三十六の記者ステーションのうち唯一の少数民族記者を主とする記者ステーションであり、同ステーションの三名の記者はみなチベット語と漢語で原稿を書くことができ、毎年中央テレビ局と国際放送局に三百五十余篇の原稿を発送している。数十年の報道実践の中で、万里の高原で発生した新しいことを一つ一つ客観的かつ公正に報道し、高原から世界へ向かうチベットを外部に紹介する上で積極的な役割を果たしている。

 

 

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