歴史・文化都市の保護と発展
黄 衛
二本の古い通りの移転と保存の問題が、全国の都市建設と文物保護部門の関心を集めている。
一本は浙江省杭州市の清河坊で、杭州市におけるここ数年の経済の急速な発展と大規模な土木工事の後に残された最後の古い町並みの通りである。多くの面からの検討と論証によって、このほど市政府は杭州市の「発祥地」といわれているこの古い通りの保存を最終的に決定した。
それに比べてもう一本の古い通りである湖北省襄樊市の荊州北街については、たとえ楚・漢の文化のあでやかさがあふれるこの街が同市の重点保護地域に指定されていたとしても、前途は予断を許さない。国の歴史・文化都市の一つとして、古い町の無傷の歴史的光景と全体としての風格を保存するため、国の建設部門は襄樊市にかつて何度も特別の維持費を支出した。しかしここ数年来、経済の発展、交通の必要、および旧市街地の住民たちの古い町並みを改善して居住条件を改善したいという切実な願いなどが、都市建設部門や文物部門の専門家の悩みの種となりはじめた。この古い町を移転させるかどうか、および移転中に古い建物をいかに企画し、移築し、修繕するかなどの問題が、その面前に次々に山積みされたのである。
国家文物局の研究員で中国国際古跡遺跡理事会秘書長の郭たん氏は、荊州北街は移転するかどうかがまだ決まっていないので、もしかしたら幸運かもしれないと言う。しかし、これまで多くの歴史・文化都市が、ここ数年来の程度の異なる破壊的な開発を免れ得なかった。歴史・文化都市をいかにして保護しながら改造、開発するかが、日を追って人びとの関心を集める問題となっている。
八〇年代初頭より、建築界と文物界では次第に歴史・文化都市の保護が重要視されるようになった。一九八二年から九四年までの間に、全国で九十九の国家クラスの歴史・文化都市が三回に分けて選出され、後に各地でさらに八十あまりの省クラスの歴史・文化都市が選ばれ、政府の各部門はこれら歴史・文化都市の保護を重視するようになった。
全国歴史・文化都市保護専門家委員会秘書長で、建設部都市計画院チーフ・エンジニアの王景慧氏の説明によると、これらの都市に対する保護には文化建築と歴史ゾーンの保護も、また古い町並みの計画配置と風格の特色の保存も含まれるという。さらに、宮殿や城壁など形がある実体的な内容の保護のほかに、音楽、劇、風物や特産、民族習慣、伝統的服装、伝統手工芸など無形の、伝統文化の内容をも保護する必要がある。要するに、人類社会が歩んできたすべての歴史の段階において、常にその典型的な文化の体裁を残し、歴史の生き生きとした進化の過程と精神的財産を人々と後世に示さなければならないのである。
同じく全国歴史・文化都市保護専門家委員会副主任の鄭孝燮(てい・こうしょう)氏は、ここ数年における関係方面の歴史・文化都市に対する保護作業は、保護、保存、整備の三つの面に大別できると言う。保護とは北京の天安門や故宮などのように以前のままに修復し、現状を変えることはできないものである。保存とは建築物の歴史的姿や雰囲気の保存を強調するが、内部の改造は許され、ひいては構造も変えることができるものである。整備とは全体の環境から総合的に保護するもので、例えば北京の故宮の外堀の管理がその成功例であり、本来周辺にあった違法な建築物はすべて取り払われ、ひどく汚染された外堀の水も処理された。
鄭孝燮氏のさらなる説明によると、歴史・文化都市の保護には都市環境の文化的秩序、すなわち住宅、道路、水域、空気、緑地、各種建築物などを通して現されるさまざまな地域、さまざまな民族の特徴に対する保護も含まれるという。例えば上海では、外国の風格を持つ建物で形作られた南京路や淮海路の保護に成功している。
しかし、都市化の進展が日増しに加速するにつれ、専門家たちはいかにして古い町の破壊を防止しつつ経済の発展に響かないようにするかといった深刻な問題に直面するようになった。
鄭孝燮氏は、両者を両立させる最適の方法は、旧市街地は保存して別に新市街地を開発することであると言う。雲南省麗江旧市街区と山西省平遥の古い町並みの保護は二つの最も成功した例であり、この二カ所は一九九七年十月に同時に「世界遺産リスト」に登録された。
麗江大硯の古い町並みは中国の少数民族であるナシ族の居住する地域で、四方を山と川に囲まれた地形が大きな硯(すずり)に似ていることからその名がつけられた。その大硯の保護のために関係部門は、その外側に新しい市街地を開発した。聞くところによると、保存してきた麗江の古い町並みの水系はきわめて大きな特色を持ち、わき水が分散して無数の流れとなり、どの家にも水が流れ込むようになっている。この地では、世界に現存する唯一の象形文字が今でも使用されており、ナーシー族の古典音楽、独特な食文化、衣服などは、町全体に濃厚な民族的特色をあふれさせている。この町は今では観光スポットとなっており、麗江地区の経済発展に重要な先導的役割を果たしている。
平遥も旧市街の保存と新市街の開発で発展を実現させた。今年の春節(旧正月)の期間に、平遥は入場料収入だけでも二十五万元に達し、小さな町にとってこれは空前のことであった。聞くところによると、平遥は「世界遺産リスト」に登録された後、駅の乗降客数は一日三千人以上の勢いで増え、かつては十三本しか停車しなかった列車の本数も今では倍になっているという。
平遥と麗江のほか、江蘇省蘇州市の新市街地開発のやり方も、比較的成功を収めている。計画によると、同市の東西の両側にそれぞれ新市街地が開発され、蘇州の旧市街地では人びとの生活が水と共存し、クリークが縦横に走る姿が保存され、非常に高い歴史的、文化的価値を持っていて、関係専門家の好評を博している。