さまざまな顔をした澳門

 東西文化の接点として有名な澳門は珠海経済特別区と隣接しており、面積は二十三・五平方キロで、澳門半島、とう仔島、路環島で構成されている。澳門の南部は南湾を中心とし、東は海の埋め立て地、西は南湾湖である。

 澳門の建物の風格はかなり異彩を放っており、中国の明・清の時代の庭園や寺院があると思えば、古いヨーロッパの風格の教会や近代的な洋式別荘もあって、澳門には一見する価値のある建物が多い。洋の東西のものが雑居しているようで、中国と西洋の文化が共存している建築の風格は、この港町に独特の趣を添えている。

 澳門の教会は、その歴史の最もふさわしい証人である。これらの教会の多くはイエズス会宣教師により聖母にささげるために建てられたもので、そのほとんどにキリスト教の聖人の名がつけられている。澳門の教会は主にヨーロッパのバロック建築の風格を持っているが、その中国式のかわらの屋根、赤いテラコッタの板、前壁に刻まれた東洋的文様などから分かるように、その中には東洋と熱帯地方の要素も混じっている。数百年来、澳門の教会は火災に遭い、豪雨にさらされてきたが、今では大部分がすでに修復され、再建されている。

 澳門のシンボルとして、聖ポール天主堂跡は必見である。かつて澳門最大の規模を誇ったこの教会の花こう岩のファサード(建物正面)は五層構造で、気迫の大きさと彫刻の精巧で、その美は人びとの想像を超えている。イエズス会宣教師は澳門に定住後、聖ポール学院を創設し、西洋人が極東で経営する最初の大学となった。明の朝廷で天象を教える職務を担当していた外国人宣教師は、かつてここで中国語を学んだ。一六〇二年、同学院は新しい教会、すなわち聖ポール天主堂の建設に着手した。石の彫刻が刻まれたファサードは、日本から逃れてきたキリシタンたちと地元の職人とが共に造り上げたものである。イエズス会宣教師が追放された後、学院は兵舎となった。一八三五年、突然兵舎の炊事場から火災が発生して教会は全焼し、ただファサードと石段を残すのみとなった。そのファサードに施され彫刻は精巧で美しく、聖母マリアと聖人の像、天国の図、イエス受難の像、天使、悪魔のほか、中国の竜、日本の菊、ポルトガルの航海船、中国語による十戒の文も刻まれている。聖ポール天主堂跡に隣接するモンテの大砲台は、澳門の全景が一望できる格好の場所である。

 今一つ一見の価値のある教会は聖オーガスティン教会で、最も古くは一五八六年にスペインのオーガスティン派の修道士が建てたものである。現存する建物は一八一四年に建てられたもので、内部は広く、コロネード(柱廊)によって三つの部分に仕切られ、中央にある大理石造りの祭壇には十字架を背負ったイエス像がある。

 カトリック教会と軒を連ねて共存しているのは、四、五十カ所の中国の風格を持つ寺院である。澳門の風景の重要な構成部分として、それらも教会と同様に澳門の変遷の証人であり、中でも最も有名なのは媽閣廟(まかくびょう)と普済禅院である。

 媽閣廟には五百年の歴史があり、澳門最古の寺院である。澳門半島の西端に位置して山と海に臨み、中殿と側殿およびあずまやで構成されている。この寺院は漁民の守り神である媽祖を祭るもので、媽祖生誕の日と伝えられる旧暦三月二十三日は線香をたく人びとでにぎわう。境内に現存する文化財としては、三百年前の石の獅子(しし)像がひと組、外国船の図案の四百年前の石碑、および多くの文人の石刻文字がある。

 厳かな雰囲気の普済禅院は一般に観音廟と呼ばれており、三百七十年前に建てられたものである。主殿には十八羅漢像があり、禅庭には貴重な仏教経典と中国画がたくさん保存されている。

 昔の遺跡のほかにも澳門には多くの博物館があり、この土地とそこに住む人びとの過去から現在に至るまでの生活とかかわりのあるものが収められている。澳門博物館はこの都市の全体像を示すことに力を入れ、その他の各博物館は一つのテーマに絞って重点的に展示している。澳門博物館は貴重な品を秘蔵しているというわけではないが、澳門の歴史と社会の百科事典的存在である。展示物には実物のほかにイミテーションもあるが、いずれも澳門の本質を反映するものである。それぞれの博物館は、コンピューターのような近代的な設備を多く用いている。すべての博物館のロビーにはタッチ・パネルが備え付けられており、画面上のボタンを軽く押すだけで澳門のすべての知識を得ることができる。例えば、海事博物館では壁の上に明の武将・鄭和の七回にわたる南海遠征の航海図が掛けられており、一回目、二回目とボタンを押すだけで、そのルートが当時の鄭和の行き先の順にそれぞれ赤いランプで示され、とてもビジュアルである。

 数多くの博物館の中でも、ワイン博物館とグランプリ博物館は必見である。ワイン博物館にはワイン製造の歴史を紹介するギャラリー、ワインのセラー(貯蔵庫)と展示室があり、ワインに関するすべてが展示されている。さらに一番奥では、ワインのコンパニオンがワインの試飲をさせてくれる。

 エキゾチックで落ち着いた雰囲気のワイン博物館と違い、グランプリ博物館には数々の優れたレースマシンや有名なレーサーの資料が展示されており、シミュレーターも設置されていて実際に「運転」できる仕組みになっており、グランプリを体験できる。一九九三年、この博物館は、澳門グランプリ四十周年を記念して澳門がオープンしたものである。

 その他の歴史・文化スポットには、孫文記念公園、関閘(特別区境界関門)、松山(ギア)灯台、カモンエス公園などがある。中国革命の先駆者孫文は、澳門で医師として過ごしながら革命活動に従事した。孫文記念公園の入り口には孫文の銅像が立っており、公園の中には高殿、池、プール、児童遊園地などがある。

 関閘は一八七〇年に作られたアーチ型の門で、澳門の最北端に位置し、陸路から中国大陸へ行くには必ず通る場所である。現在すでに修繕されて様相を一新し、そのそばにタイル造りの地図が設けられている。

 松山灯台は十七世紀に築かれたとりでの中にあり、澳門一番の高台に位置する。同灯台は一八六五年に正式に使用されたもので、中国最古の灯台である。

 カモンエス公園はかつてイギリスの東インド会社の敷地だった所で、公園名はポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンエスの名によるものである。

 澳門は狭いので、自由気ままな観光客には最適の場所である。さらにお勧めの場所は新通りで、正式名称は亜美打利庇廬大通りという。議事亭前の道はそのちょうど中間であり、古美術品店が軒を連ねている竜嵩街を過ぎればすぐにたどり着くことができる。新通りの突き当たりは内港のふ頭であり、左に曲がれば新填巷で、福隆新街に至る。反対方向に行けば海上皇宮で、新通りに沿って海岸新街を横断するとアンチックな広東ホテルの前へ出る。入営地大通りを曲がり、中央ホテルの前を通って何本かの横道を横断すると、普段着を売る露天商でいっぱいの営地街市にたどり着き、さらにいくつかの店の前を過ぎると議事亭の前に戻る。

 澳門の今を最もよく表現しているのは、市の中心にある葡京グランド・ホテルである。砲台の上から澳門の全景を一望した時に、最も明るく輝いている所が見えたら、すなわちそれが葡京ホテルである。同ホテルはこの小さな都市でも宿泊、飲食、娯楽プロジェクトのすべてがそろったところであり、グルメファンはオリーブオイルたっぷりのポルトガル料理やアフリカの調味料で作った澳門料理などを味わって欲求を満たすことができ、ツキを信じる人はカジノに行って運試しをしてもよい。しかし、澳門に最もふさわしいのはのんびりとレジャーを楽しむことで、何気なく目に飛び込んでくる風景は古いポルトガル式建築物かもしれないし、天を突くようにそびえる近代的ビルかもしれない。二十階建て以上のビルが林立していたとしても、それで澳門ののどかさが妨げられることはない。

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