二〇〇〇年を迎える中国各地

 一九九九年十二月三十一日の夜、北京市玉淵潭の南側にある中華世紀壇は、北京市各界の二万五千余人が喜び沸き返る大きな舞台となった。人々は面積四・五ヘクタール、総建築面積三万五千平方メートルの中華世紀壇の前で踊ったり歌ったりして、新旧世紀が交替する時刻の到来を待った。

 昔、中国では天地と日月を祭り豊作を祈る祭壇がたくさんつくられた。新たに落成した中華世紀壇もそれなりの特殊な意味を持っている。それは、中国が新世紀を迎える標識と記念の性質をもつ建築である。この南向きの建築の前にある面積九百六十平方メートルの広場は、九百六十万平方キロもある中国の広大な国土を象徴している。広場の東西両側にはそれぞれゆっくり流れる流れがあり、これは中華民族の母なる川の長江と黄河を象徴する。広場から階段を上がると南から北へと長さ二百七十メートルの青銅製の通路が延び、その上には三百万年前の人類の誕生から二〇〇〇年までの年代及び中華民族の大きな出来事が刻まれている。中華世界壇の主体建築は回転する壇面と静止する回廊からなっている。

 二十三時四十五分、中華人民共和国の国歌が奏でられ、色あざやかな中華人民共和国国旗の五星紅旗が衆人の注目する中でゆっくりと掲げられた。

 二十三時四十八分、北京大学法学部の学生、蒙古族のダベンナ君は、手に花輪を持った八人の若い女性に伴われ、二〇〇〇年の聖火をともしたたいまつを高くかかげて会場に入ってきた。この聖火は人類が最初に活動した遺跡の一つである北京周口店で採取したものである。

 一九九九年は残り二十秒となり、すべての人は内心の喜びを抑えて、太鼓の音と一緒に、カウントダウン台の刻一刻と変わる赤い数字に合わせて秒読みを始めた。

 二〇〇〇年零時零分、江沢民国家主席は自ら点火器のスイッチを押して中華世紀の聖火を点火し、高さ四十五センチの燃え盛る炎は中華民族の文明創造がいつまでもやまないことを象徴している。

 この一瞬が訪れると、中華世紀壇は喜びに沸き返り、色とりどりの美しい祝賀花火が打ち上げられ、何千ものカラフルな風船が空高く舞い上がり、二万余の人々は喜んで躍り上がり、手をあげて振り回し、数え切れないほどの大きい旗が人込みの中で翻った。十二匹の彩色の竜が一匹の五十メートルの巨竜を取り囲み、巨竜は飛ぶように舞い、腰鼓チームの打ち鳴らす太鼓の音が天にこだまし、寒い夜にすべての人は顔に喜びと感動と興奮の色を浮かべ、この沸き返った時刻を記録するため、フラッシュがしきりにたかれた。

 二〇〇〇年の第一秒に、各民族、各界の十九人の代表がいっしょに力を入れて世紀の鐘を撞き、鐘の音は深夜の星空に響き渡った。熱烈な雰囲気は続けて広場に広がっていき、きらびやかで美しい祝賀花火は夜空で「二〇〇〇」という字をつくった。

 一九九九年よ、さようなら

 二〇〇〇年の元旦を迎えるため、夜を徹して年越しをしたのは中華世紀壇に集まった人たちばかりではない。北京時間の一九九九年十二月三十一日二十時、太平洋にある島国キリバスが世界で真っ先に二〇〇〇年に入った。その時、中国西北地方の甘粛省にある長城最西端の嘉峪関では、二千人の人がどらと太鼓を打ち鳴らし、中国の二千年祝典の序幕がそこで切って落とされた。北京から山海関に至る万里の長城に沿って、数え切れないほどの中国人は一九九九年に別れを告げ、新世紀の到来のために歓呼する時刻が来るのを待っていた。

 浙江省温嶺の石塘鎮はあまり知られていない小さな町であるが、中国二〇〇〇年委員会が二〇〇〇年一月一日の最初の太陽の光が真先に石塘鎮を照らすと発表した後、この古い漁業の町は世紀が交替する時の「巡礼の聖地」となった。十二月三十一日の夕方になると、この町のすべての旅館ないし漁民の家は、各地から来た観光客で満員になったが、それにもかかわらず、観光客が次々とこの町にやってきた。翌日の最初の曙光が見える千丈崖に昼ごろ登って待つ観光客が少なからずあった。午後五時、夕日がゆっくりと沈むと、石塘鎮のあちこちで歓呼の声が沸き上がった。夕焼けの中で、町全体に千個余りの提灯が一斉にともされ、竜灯、どらと太鼓など漁村特有の民俗出し物の上演が翌日の夜明けまで続いた。

 十二月三十一日、四方八方からきた五十六の民族の代表が泰山の麓に集まり、二十三時四十五分、泰山の千年聖火のリレーと一万人の登山式が盛大に行われ、五千人の大学生と数千人の観光客は欣喜雀躍し、自分が泰山で新しい千年の到来を迎えたことに感動し、針が零時を指した時、大学生の代表は千年聖火のたいまつを受け取り、泰山の頂上に向かって登り始め、たいまつ、飾り提灯、人の流れが長い列をつくって泰山の古く曲がりくねった道を登っていった。

 最も寒い東北地区の黒竜江省ハルビン市では、明りがともされ始めた時、喜びにひたっていた市民と内外の観光客たちは興奮した気持ちを抑えきれず、続々と松花江のほとりにあるこの上なく精巧で美しい氷雪の彫刻芸術品数千点を展示している「氷雪大世界」に押しかけていって交歓した。十九時、大規模の全市大進行が始まり、美しく飾られた山車を主とする進行の隊列は市内の二本の目抜き通りをゆっくりと進んでいき、百人からなるどらと太鼓の方形の隊列の打ち鳴らすどらと太鼓の音が響き渡った。真夜中になると、千年の祝典の花火が松花江の真ん中にある州で打ち上げられ、二千人がリズミカルな音楽に合わせて歓快なディスコを踊った。零時の鐘の音が響き渡る時、この氷の都市はすっかり喜びに囲まれた。

 寒いチベット自治区の区都ラサでは、十二月三十一日の朝から、ポタラ宮広場はことのほかにぎやかで、各民族、各界の大衆は祭日の盛装を凝らし、昇り始めた朝日を迎えて集まり、国旗掲揚と国歌演奏式を厳かに行って、新しい千年の到来を迎えた。

 河南省開封市は一九九九年の最後の日に「一日に千年の夢を見る」という斬新な観光イベントを催して、過ぎ去った千年を記念した。中国の歴史上、千年前の北宋時代はほかでもなく、開封の歴史上最も輝かしい時期であった。このイベントは小雨の中で行われ、開封のにぎやかな情景を描いた有名な絵「清明上河図」に基づいて建設した宋代文化をテーマとする公園の中では、酒屋や料理屋が林立し、店員が熱情をこめて客を迎え、かごが往き来し、芸人が歌を歌い、行商人が呼び売りするなど宋代の生活の情景は遊覧客の前で再現した。明け方に、市街区で爆竹の音があちこちで聞こえた。これらは人々を過ぎ去った千年から新しい千年を迎える喜びに引き戻した。

 二〇〇〇年を迎えよう

 「十、九、八、七、六、五、四、三、二、一」というカウントダウンの声が中国各地の夜空にこだまするに伴い、中国は二〇〇〇年に入った。その時、中華世紀壇の東側に吊るされた重さ五十トンの中華世紀鐘は二十一回雄渾な音を発して、新世紀と新しい千年に入る門をたたいた。その時、江蘇省南京市の静海寺では、中国政府が香港に対する主権行使を回復した一九九七年に鋳造した「警世鐘」も鳴った。陝西省西安市では、一九〇〇年生まれの「世紀の年寄り」、西北大学体育教授の王耀東氏と十一歳の少年呉迪君が一緒に鐘楼にある鐘を撞き鳴らした。上海市南京路の「世紀の広場」では、新たに鋳造された 「世紀元鐘」が打ち鳴らされ、万里の長城の最東端にある山海関の老竜頭の上でも、新しい千年を迎える鐘が打ち鳴らされた。

 新疆ウイグル自治区の区都ウルムチは、瑞雪の中で新しい千年を迎えた。最もにぎやかな商店街である中山路では、街灯が明るくともされ、人々が行っきり来たりして、雪の中でカラフルな流れをつくった。同市のすべての郵便局もとてもにぎやかで、「世紀の変わり目、新しい千年のスタート」という記念品が最も人気を集め、十数万の人は歴史的意味をもつ千載一遇のスタンプを押してもらうため、大雪にもめげず列をつくって待った。

 香港の夜は暖かく、どこもかしこも詩や絵のようで、絢爛たるものであった。人出の最も多い銅鑼湾と尖沙嘴一帯では、新しい千年を迎える喜びの夜に、大変な人出で沸き返った。千年に一回しかない吉日の美しい夜、多くの香港人は家族ぐるみで外に出て、さまざまな祝賀行事に参加した。香港警察当局の提供したデータが顕示しているように、この夜、街頭に繰り出して狂喜に参加する住民は百三十万人を上回った。

 競馬は特別行政区政府が新しい千年を祝うために催した最大のイベントの一つである。そのため、香港競馬会は二十数年ぶりに五百万枚の慈善馬券を発売したが、これらの馬券は新しい千年が訪れる数日の前に売れ切れしまった。競馬のほか、飾り提灯展示、演唱会、竜舞や獅子舞などもあった。零時近くになると、董建華特別行政区行政長官と政府の役人は広範な市民と一緒に新しい千年を迎えた。零時零分、新しい千年の鐘の音とともに、競馬場で花火が打ち上げられ、夜空が彩られた。いっそう濃厚な喜び祝う雰囲気をかもし出すため、ずっと環境保全を非常に重視する香港特別行政区政府は、数日前に三十一日の夜七時から元旦二時までの間に騒音管制を取り消すことを市民に通知した。零時になると、騒音管制のない香港では、喜びに沸く声が響き渡り、香港の教会と寺院の鐘と太鼓が一斉に打ち鳴らされ、新しい千年の大合唱が始まり、これまで旧正月にしか鐘を撞かない黄大仙廟も慣例を破り、繰り上げて新しい千年を迎える鐘を撞いた。それと同時に、すべての車、フェリー・ボートも一斉に三分間ホーンを鳴らした。

 成立したばかりの澳門特別行政区は四十余万の澳門住民のために澳門歴史の新紀元を切り開き、新しい千年に入る時は彼らに新しい曙光と望みをもたらした。この偉大な時刻の到来を喜び祝うため、「澳門社会各界青年澳門の祖国復帰祝賀活動委員会」は一千人以上が参加した「新紀元に向かう」講座を催したばかりでなく、また参加人数がさらに多い交歓の晩餐会と大規模の夜間集会を催した。大陸部と香港特別行政区からきた五百余人の青年代表と賓客は澳門の若者とともに歌ったり踊ったりして、新しい千年の到来のために喝采した。

 台湾では、各界の民衆もいろいろな方式で二〇〇〇年の到来を喜び祝った。

 上海では、二〇〇〇年の到来したこの夜は美しく輝き、黄浦江両岸に並ぶ高層建築物は一斉に華やかな灯が明るくともされ、百万人にのぼる市民が黄浦江の畔、人民広場、陸家嘴、徐家匯などの賑やかなところに繰り出し、全市は楽しい雰囲気に包まれた。水晶の宮殿のような上海大劇院は満員で、アメリカ滞在の指揮者葉聡氏が指揮し、フランス滞在のピアニスト江晨さんらが演奏に参加する二つの千年に跨る音楽会がここで催された。数百人の少年はしゃ山天文台でアカデミー会員と「世紀の対話」を行い、三世紀前につくられた最も古い望遠鏡を参観するとともに、現階段では中国最大の天文望遠鏡を使って宇宙を見た。二〇〇〇年一月一日零時零分零秒になると、税関の大きな鐘、寺院と教会の大きな鐘の音が一斉に鳴り響き、黄浦江の船の汽笛が鳴り、アジア最高を誇る東方真珠テレビタワーの上にある三つの球体から打ち上げられた花火は千丈の金色の滝のように天から降って来た。この時、「新世紀の船」と命名された船は東海へ行って二〇〇〇年の最初の日の出を見るため、提灯をつるし、色絹を飾り、千人の乗客を満載して長江河口に向かった。

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