都市化を目指して
関係部門の予測によると、今後の15年間に、中国では都市化の過程がわりに速く発展する時期に入り、都市化のレベルは現在の30%から50%に向上する。経済成長のエンジンとしての都市の地位と役割は、ますます多くの中国人に認められるようになった。
都市――改革・開放の窓口
都市は改革・開放の窓口である。
一九七九年、中国政府は深せん、珠海、汕頭(スワトー)、廈門(アモイ)の四経済特別区を設置し、中国の対外開放の一ページを切り開いた。
一九八四年、天津、上海、大連、秦皇島、煙台、青島、連雲港、南通、寧波、温州、福州、広州、湛江、北海の十四沿海港湾都市が沿海対外開放都市に指定された。
一九八五年、珠江デルタ地区、長江デルタ地区、福建省南部の廈門・しょう州・泉州デルタ地区の五十一県・市が沿海経済開放区に指定された。
一九八八年、沿海経済開放区は遼東半島、山東半島とその他の沿海地区のいくつかの市・県にまで拡大された。それに続いて海南経済特別区が設置された。こうして、経済特別区、沿海開放都市、沿海経済開放区を含む沿海開放の枠組が一応形成され、開放地域に組み入れられた県・市が二百九十三、人口が二億八千万、国土面積が四十二万六千平方キロに達した。
九〇年代に入ってから、都市を重点とする対外開放の趨勢が衰えを見せなかった。一九九〇年、上海浦東新区は対外開放・開発を認められた。その結果、この中国最大の都市は大きな発展をとげた。
一九九二年、とう小平氏が中国南部地区を視察した後、中国都市の対外開放はいちだんと奥深い地帯に向かって発展し、相前後してすべての内陸部の省都都市および長江流域の蕪湖、九江、黄石、岳陽、重慶など長江沿いの都市と三峡ダム地区を開放し、吉林、黒竜江、内蒙古、新疆、雲南、広西などの省・自治区の十三の辺境都市に対し開発・開放を実行した。
二十年来の中国の改革・開放の過程を回顧して、都市は改革・開放の最前線を歩み、市場開放、管理学習、技術導入の窓口の役割を果たし、中国の改革・開放と経済発展の中でさんぜんと輝く玉となったという結論を得ることができる。
都市――経済発展の主な原動力
中国の経済体制改革は農村で始まり、つづいて一歩一歩と都市に推し進められていった。その後、さらに次第に都市を重点とし、市場経済体制を最終的方向として、計画経済体制から市場経済体制への転換が始まった。
都市の経済は第二次と第三次産業を主とし、企業が集中し、労働生産性がわりに高く、したがって、都市は国民経済の中で最も活力のある部分である。一九八八年から一九九六年までの間に、中国の都市の国内総生産(GDP)は年平均一八%伸び、そのうち、一九九二年から一九九四年までの伸び幅は二八%を上回った。一九九八年、全国の都市の実現したGDPは全国GDPの七四・一%を占める五兆八千九百六十二億元に達した。
現在、中国のマクロ経済規制の主な任務は内需を拡大することであり、この任務を達成する主な力は明らかに都市から来るものである。統計によると、中国の都市住民の収入は急速に増え、消費水準は急速に向上し、都市住民の一人当たりの消費は農村住民三人の消費に相当する。
このほか、都市のインフラ建設は多額の投資が必要である。統計データが示しているように、都市の道路網建設は四千億元を投資する必要がある。汚水処理率を現在の一〇%から三〇%まで高めるには、三百億元の投資が必要である。ゴミ処理率を現在の五〇%から八〇%まで高めるには、およそ二百億元の投資が必要である。
関係専門家の推測によると、全国都市部の人口の比率が一%増えるごとに、全社会の消費財小売り総額は相応に一・四%上昇し、GDPを〇・四%増加させる。つまり、都市は国民経済の成長を推し進める重要な力である。
深せん市の奇跡
世界各国の都市化の実践が示しているように、工業化は都市化にとって極めて重要であり、同様に、都市化は工業化の過程を促進する。都市化は工業化により多くの市場ニーズを提供するだけではなく、経済構造における第二次と第三次産業のウエートを大きくし、それによって、国全体の工業化の進歩を促す。
深せんなどの新興都市の発展はまさにこの通りである。
改革・開放の初期に、深せんは香港と隣接する辺境の小さな県であったが、国の優遇政策の助成の下で、深せんは地理的優位に頼って、大量の外国投資を誘致した。その結果、第一次産業はちくじ弱体化し、加工工業が次第に拡大され、工業化がスタートした。
工業化の発展は、大量の労働力、資金、人材を引きつけた。労働力と人材の集中は、都市のインフラ建設と環境改善を推進し、それによって都市化のテンポを加速した。都市の発展はより多くの人材を引きつけ、都市の機能も単なる加工工業から金融・貿易センターに発展し、市場と消費の規模はたえず拡大され、電子工業、製造工業、サービス業の発展を促し、産業構造を調整して、それを最適化させ、工業化の進歩を促した。
もともと人口が二万三千人しかなく、土地が三平方キロしかなかった深せん市は、一九九六年になると、総面積百一平方キロ、人口百八万三千八百人(そのうち非農業人口は七十八万九千百人)、GDP九百五十億元の大都市に発展した。一九九一年は一九七九年と比べて、深せん市のGDP、工業生産額、社会商品小売り総額、輸出総額が、年平均それぞれ四四%、六五・五%、四一・八%、六三・七%伸びた。一九七九年の深せんの外資実際利用額と輸出入額はそれぞれ千五百三十七万ドルと千六百七十六万ドルしかなかったが、一九九五年になると、この二項目の統計数字はそれぞれ十七億四千万ドル、三百八十七億七千万ドルに達して全国一位となり、一人当たりGDPも二千三百三十八元に達して全国一位となり、中国の奇跡をつくり出した。
東部と西部の格差
現在、工業化水準のわりに高い珠江デルタ地区の都市化水準は三八・三%で、中国都市化の平均水準(三〇・〇四%) を大幅に上回っている。この地区は二千七百平方キロごとに都市が一つある。
一九九五年、国土面積のわずか一三・五%を占める東部地区では、四千六百平方キロごとに都市が一つあったが、国土面積の五六・三%を占める西部地区では、四万七千八百平方キロごとにようやく都市が一つあるという有様であった。東部と西部の都市の密度の差は十倍以上に達し、一九九〇年と比べてさらに二・三ポイント大きくなった。
都市化の過程の問題
改革・開放以来、中国の都市化の過程は速くなった。一九七八年から一九九八年までに、中国の都市部人口は二億余り増えて三億七千四百九十二万人に達し、全国総人口の三〇・〇四%(この比率は「都市化水準」を示す)を占めた。一九九八年末現在、中国の鎮は一万九千二百十六に達した。
中国の都市・経済問題の専門家であり、都市発展研究会の副理事長を務める朱鉄臻氏の話では、中国の都市化水準は三〇%に達したが、現在、先進国の都市化水準は約七五%に、発展途上国の都市化水準も四〇%近くに達している。ましてここ数年来の中国都市の増加数がゼロであったため、中国の現在の都市化水準は世界の収入が中の下の水準の国の一九八〇年のレベルに相当するものである。
都市化水準が低めで、発展の速度がスローダウンしていることは中国の経済発展に影響を与える重要な要因となっている。中国経済体制改革研究会の高尚全会長によると、現在有効需要は不足しており、経済成長の潜在力は十分に発揮するのが難しいが、都市化のスピーダウンがその重要な要素となっている。
都市化の過程に主としてつぎの問題が存在している。
――都市化が工業化からはずれているのは小さな都市と町の発展の過程でとくに際立っている。小さな都市と町は農村人口が大都市に流入しすぎるのを防ぐ「貯水池」であり、中国の改革・開放の二十年間に、小さな都市と町の数は六倍も激増したが、中国の都市化の推進に対し間違いなく貢献がある。しかし、数イコール質ではなく、科学的企画が欠け、多くの地区の小さな都市と町の配置があまりにも分散しすぎ、建設資金がはなはだ不足し、環境汚染の問題が突出しているため、農村の余剰労働力を吸収して農業の生産効率を高める役割を十分に果たさないだけでなく、さらに農村における第三次産業の全面的な発展を制約し、土地とその他の資源のひどい浪費をもたらし、農村の消費需要と投資需要の伸びを制約し、農村人口の質的向上をも遅らせた。
――中小都市の発展速度は相対的に立ち遅れている。大都市と小都市およびその周辺地区をつなぐ中小都市は発展速度が遅く、しかるべき掛け橋としての機能を発揮していない。一般の経験によると、ひとつの大都市は三つ、ひいては七つの中都市がそれと組み合わせられることが必要である。そのように推測すると、中国の青海省、寧夏回族自治区、貴州省など西部の省・自治区では、中都市の比率が低すぎるのは明らかである。
――計画的管理を欠いている。中国は現在、まだ千余りの県クラス部門と一万八千余りの鎮クラス部門には完備した企画システムがなく、その結果、建設と発展の盲目性によって多くの県と鎮に人為的な衰微をもたらしている。同時に、都市の企画システムを持っているものも、企画管理の中で都市経済の運営法則を認識することを軽視し、経済の動きの変化に対応する施策がない。計画は実際からかけ離れ、大きいことと新しいことにだけ目を向け、大量の資源と土地の浪費を招いた。
関係専門家によると、中国は都市化の過程で、先進国の都市化過程の経験と教訓を参考にし、大都市の数とそのカバーする地区を適切に発展させ、都市周辺の発展を促し、大都市の機能を分散し、転換し、都市の産業構造がいっそう合理化、生態化、インテリジェント化、情報化に向かうように促し、都市を現代化の目標をめざして発展させなければならない。現在、特に大中都市の周辺と経済発達地区の中小都市と町の建設を加速し、未発達地区で県政府所在地の改造と建設を加速すべきである。
中国の四大都市群
九〇年代の中国における都市発展の重要な特徴は都市群が現れたことであり、珠江デルタ、長江デルタ、北京、天津、河北省、遼寧省の中部と南部で、特大都市を中心とし、大・中・小都市と小さな町が協調して発展するシステムが形成された。この四大都市群は全国面積の三%前後しか占めていないが、全国の三〇%以上の人口と全国国内総生産(GDP)の三〇%を占めており、中国で経済が最も活力をもつところとなっている。
長江デルタの都市群
長江デルタの都市群は五十五の都市からなる。上海、南京、杭州の三つの特大都市は三つの勢力が並び立つ勢いを示し、長江デルタの都市システムの三大中心を構成し、数十の大・中都市は上海=寧波、上海=杭州、杭州=寧波の幹線鉄道に沿って密集して分布している。この地区では中国の最も発達した交通網が形成され、北京=上海線は南北を貫通し、長江が東西を横断し、杭州=株州線はこの地区を中国最南部の都市とつなげている。ここでは、全国最大の経済中心の上海市の経済の波及効果と技術の拡散がその周辺地区の発展に対し重要な役割を果たしている。
珠江デルタの都市群
珠江デルタの都市群は三十の都市からなり、都市間の平均距離は十キロ足らず、香港、広州、深せん、澳門を中心とし、珠海、仏山、中山、江門、肇慶、恵州、東莞などの大・中都市を含んでいる。この区域は中国で空港の密度が最も大きく、国際空港が最も多く、道路、鉄道、水運、海運が四方八方に通じ、同時に大亜湾、大鵬湾、香港、塩田港などのすぐれた天然港も分布している。中心都市の香港は国際金融貿易センターであり、広州は中国南部最大の中心都市である。そのほか、深せんと珠海の二経済特別区や祖国に復帰したばかりの澳門を加えて、珠江デルタ地区全体が引き続き二十一世紀の中国の経済発展のホットスポットとなるだろう。
北京、天津、河北省の都市群
北京、天津、河北省の都市群は三十六の都市からなる。ここでは北京、天津を中心とし、北京、天津、石家荘、唐山、廊坊、秦皇島、保定などの都市からなる都市密集区が逐次形成された。北京は中国の政治、文化の中心として、経済力はわずか上海に次ぎ、天津は華北地区最大の商工業港湾都市であり、華北の経済中心である。この地区は中国の交通が最も発達している地区であり、幹線鉄道が縦横に交錯している。
遼寧省の中部と南部の都市群
遼寧省の中部と南部の都市群は十九の都市からなり、この地区は都市の密度が高く、大都市の占める比例が最高である。瀋陽は東北地区と内蒙古東部の経済、交通、情報の中心であり、全国最大の総合的な重工業都市である。大連も遼寧省の中部と南部の経済中心であり、東北地区最大の港湾都市と貿易港である。ここ数年来、ここでは瀋陽、撫順、本渓、遼陽、鞍山、営口、盤錦、大連などからなる都市密集区が形成された。