境界例(境界性人格障害)治療ガイドライン
以下は、1995年と1998年に、『精神科治療学』の特集号に掲載された境界例・BPD治療ガイドラインである。
被告側準備書面で主張されている境界例治療法は次のようなものである。
(以下、被告側準備書面より引用)
特に幸子のような人格障害の患者の場合には、表面的な対応をしただけでは治療を拒絶することが極めて多く、その結果、「誰も信用できない」となって自殺に走るケースが多い。
そのため、治療者側には、患者のどんな思いや行動をも、理解と愛情をもって受け入れることが要求される。それは、深い共感(治療者は患者をまず理解せねばならず、また患者にとってこの理解されるという経験が対人的な安全感を増すことになり、治療促進的な場を作り上げることになる)によって可能となるのだが、この共感の基になるものこそ、逆転移による同一視(主体[ここでは治療者]が対象[ここでは患者]を模倣し、対象と同じように考え、感じ、ふるまうことを通じて、その対象を内在化する過程のこと。患者を理解するために、治療者には相当程度患者に【?】同一視する能力が必要であるとされている。)であるとされているのである。
そして、治療者が患者に対して「あなたのことを心から心配している」「あなたを大切に思っているし、助かって欲しいと本当に望んでいる」「あなたのことを理解している」という態度を真摯な言葉によって示すことは、患者の信用を得て患者に自己を開示させ、患者を治癒に導くために、なくてはならないことなのである」。
(引用終わり)
他方、「ガイドライン」には、たとえば次のような箇所があるが、両者は完全に一致するであろうか?
皆川邦直氏の見解:
支持的精神療法でも精神分析的精神療法でも、治療者は受容的、共感的であることが最も問われる。
しかしこのような態度を会得するのは、たやすいことではない。
ことに境界型の患者は訴える形で治療者をmanipulateする。これに乗せられて患者に迎合することを受容的、共感的であると勘違いすることは多いが、そうすることによって患者は一層退行して、問題行動を引き起こす。
たとえば受容的・共感的であるとは、患者が痛いと訴えたときに、痛いんですねと返すことであって、痛みを取り除くことではない。また、患者が泣き暮れているときに、泣きたいんですねと返すのは受容的・共感的であるが、その涙に誘われて救世主役を引き受けることは、患者の前に全能の神として現れることではあっても、支持的・共感的ではない。
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市橋秀夫氏の見解
BPDの治療の困難さは第1に伝統的な受容的で支持的な、あるいは生活史了解的な精神療法に馴染まず、しばしば激しい治療者の逆転移やスタッフ間のスプリッティングを引き起こしがちであることをあげなければならない。BPDはそういう意味で感染症のような特性を持つ精神障害である。
BPDの患者は気味が悪いほど治療者の感情を見抜く。治療にあたっては治療者の「覚悟」が必要であり、逃げ腰の治療は早晩失敗に終わる。また容易に逆転移が起こるので、患者に入れあげるような接触は避けなければならない。距離と暖かさは両立しがたいが、初期治療では患者を受入ながら適切な距離を維持しなければならない。
治療の初期には受容的で暖かな関係づくりを目指すべきである。患者の持つ痛みに共感を持って話に聞き入る力がある精神科医ならば、初期の関係づくりには困難はないだろう。
言うまでもないが、患者との個人的な関係を持つこと(たとえばせがまれて食事をするとか、喫茶店で会うとか)は応じてはならない。
また、電話での話は一切断るべきである。「電話では治せないからね。お話は診察の時に」と断固応じないことが重要である。
[中略]
「もう一度幸福な(幻想的)母との合体と融合」を志すような病因接近的な方法は際限のないしがみつきの要求によって、耐えられなくなった治療者が結局は放り出すことになり、その結果激しい行動化を引き起こすようになる。
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以下引用
皆川邦直「4.情緒不安定性パーソナリティ障害、境界型」『精神科治療学』Vol.10、十周年記念特大号:精神科治療ガイドライン、1995年6月30日、218-219ページ。
T.はじめに
ICD-10の情緒不安定性パーソナリティ障害は、衝動型と境界型の2亜型に分類される。かつて診断概念および臨床単位としてあいまいであった境界例は、Gunderson, J. G.らによって、境界性パーソナリティ障害(DSM-III)として一括された。その後、多くの実証研究が行われた結果、精神分裂病と同レベルの臨床単位として認知されるに至り、ICD-10にも、情緒不安定性人格障害、境界型として取り入れられた。しかし、情緒不安定性人格障害、衝動型は十分な実証研究がなされていない。
診断基準の示されていないICD-10によって、このパーソナリティ病理を診断することはむずかしい。診断には、DSM-IVを参考にする。精神科外来を受診する境界型患者が、そのパーソナリティ病理を悩んでいることはない。このパーソナリティ病理と併存する大うつ病、摂食障害、解離性障害、強迫性障害、その他の神経症性障害、アルコール依存、あるいは家庭内暴力などで受診する。
U.治療
境界型患者に、併存する大うつ病や神経症、摂食障害などを標的とした治療を施行しても、期待する効果を得ることは少ない。むしろ希死念慮、自殺の脅し、服薬による自殺企図などを悪化させて入院を繰り返すことが多い。パーソナリティ病理以外の状態が緊急を要する場合を除いて、治療として、これらの問題の解決を第一義的に考慮することは原則として誤りである。しかし、以下の問題あるいは状態に対しては、パーソナリティ病理に優先して、併存する病理を治療する。
1.パーソナリティ病理以外の着目点
・大うつ病:精神運動抑制、持続する抑うつ感情など明白な古典的症状を認めるような場合にはうつ病の治療を優先する。
・摂食障害:BMI(体重Kg/身長u)が11〜12以下、血清カリウム低下には生命維持を優先させる必要がある。骨のCa量の極端な低下などがある場合にも栄養の確保を優先させたほうが良い。しかし、一例ずつ個別的な事情を考慮して吟味する必要がある。
2.パーソナリティ病理に対する治療
診断面接:境界型病理を疑うならば、不用意に主訴として述べられた症状を緩和する薬物療法を開始する前に、診断面接を数回行う。1回の面接時間は30〜45分程度である。
一旦決めた面接時間は守る。決して短縮、延長しない。親や伴侶から情報を得る必要のある場合には、本人の承諾を得る。本人と家族との同席面接あるいは家族だけの面接を行うが、個人精神療法を治療方針として考える場合には、同席面接でない方がよい。
診断面接の方法は力動的精神科面接を採用する。語られる情報が常に自己開示するものであると考えてはならない。むしろ、それを避けるほうが多い。患者の連想から、患者自身、意識化していない、しかし観察者には手にとるようにわかる問題を把握する。そして、その問題を言葉によって定義して、患者に伝える。患者が無理なく同意する問題が潜在性(真)の主訴であるということになる。治療は、この真の主訴に連なって理解される精神病理に対するものである。
治療契約:患者基準による告知と同意の原則に基づけば、診断名を告げる必要があるが、その反面、医師基準(医師が最も望ましいと判断する)による告知と同意原則に基づけば、その必要はない。精神療法を中心とする治療において、患者基準を採用すべきか否かは、今後の議論を待たなければならないが、少なくとも現状では、医師・患者間に交わされる合意的真実を共有して治療契約する。内容としては、面接時間、頻度、料金、キャンセルの取り扱い、プライバシーの守秘義務、限界設定を含む。また代替治療としては、認知行動療法、家族療法なども伝えるべきであろう。また治療効果の比較研究は行われていないのでわからないことや、予後も説明する。しかし、いくつかの長期追跡研究はあるものの、その結果の通りになるか否かは、患者本人の意志と努力による部分も少なくないことを、つけ加えるべきである。
たとえば診断面接によって、自分で本当に納得のゆく自分になりたいと願っているが、自分一人ではそうなれないと思いこみ、絶望し、望みを持つことさえできないでいることが合意的真実となったならば、本当に納得できる自分になっていくために、週1〜2回の個人精神療法(精神分析的ないし力動的)を勧めてみる。
支持的精神療法と精神分析的精神療法:
境界型患者への支持的精神療法は、精神分析的精神療法以上に難しい。経験のない精神科医は容易に精神療法を引き受けないほうがよい。精神療法、力動精神医学に関する系統講義とケースカンファレンス、そして個人のスーパービジョンを受けつついずれの精神療法も施行すべきである。
支持的精神療法でも精神分析的精神療法でも、治療者は受容的、共感的であることが最も問われる。しかしこのような態度を会得するのは、たやすいことではない。ことに境界型の患者は訴える形で治療者をmanipulateする。これに乗せられて患者に迎合することを受容的、共感的であると勘違いすることは多いが、そうすることによって患者は一層退行して、問題行動を引き起こす。たとえば受容的・共感的であるとは、患者が痛いと訴えたときに、痛いんですねと返すことであって、痛みを取り除くことではない。また、患者が泣き暮れているときに、泣きたいんですねと返すのは受容的・共感的であるが、その涙に誘われて救世主役を引き受けることは、患者の前に全能の神として現れることではあっても、支持的・共感的ではない。
興奮、抑うつ、不眠に極少量のhaloperidolやchlorpromazineを使用してもよい。
市橋秀夫「4. パーソナリティ障害−境界性人格障害の治療技法−」『精神科治療学』Vol.13増刊号:精神科治療技法ガイドライン、星和書店、1998年5月29日発行、105〜110ページ
T. 境界例の治療はなぜ難しいのか
境界性人格障害(以下BPD)はようやく精神科医も治療になれてきて、かつてほど治療者やスタッフに対する激しい混乱や破壊を招くようなことはなくなってきた。また外来治療で維持する技術も進歩してきたように思う。しかし深刻な行動化を頻発し、患者の扱いを巡ってスタッフ間の深刻な対立を生み、病院構造そのものを震撼させ、破壊へと導いた新たな患者の出現を私たちがみたのは高々1970年から1980年代においてである。境界例の治療戦略は現代の社会病理、家族病理の反映であり、今後とも増加の一途をたどるに違いない障害であろう。
BPDの治療の困難さは第1に伝統的な受容的で支持的な、あるいは生活史了解的な精神療法に馴染まず、しばしば激しい治療者の逆転移やスタッフ間のスプリッティングを引き起こしがちであることをあげなければならない。BPDはそういう意味で感染症のような特性を持つ精神障害である。
第2に本障害は薬物療法が奏功せず、日常のムンテラ程度の外来精神療法では通用しないことである。現代の操作的診断学に慣れた若い精神科医はクライテリア的な症候学の背後にある病理を理解することに困難があることにもある。病理構造を理解して、初めて治療はどのような方向で行われなければならないのかが明確になる。この病理を理解するにはこれまで精神分析的な基礎知識が求められ、このことが一般の精神科医が治療に入り込みにくくさせている。
第3に、上で述べたようにことと関連があるが、治療のゴールがどこにあるのか、どのようにしたら健康になるのかという道筋が見えにくいこともある。これらの問題を本小論では扱うことにする。
U. 早期診断
BPDは深刻な行動化、対人的巻き込み(対人操作)、治療者の逆転移などによって治療構造が破壊されやすいので、できるだけ早期に診断することが重要である。診断はDSM−Wに準拠してよいが、まず診断に思い当たる必要がある。
以下の点に気がついたときには、BPDの可能性を検討せよ
1)病前性格がメランコリー親和型ないし執着気質でないとき
2)他罰的、他責傾向が認められるとき
3)自殺企図に自傷行為(特に手首切り、薬物大量服薬)があるとき
4)抑うつ症状の表現に落ち込みと寂しさと空虚感と怒りが強調されるとき
5)家庭内暴力が認められるとき(自己愛性人格障害でも多い)
6)抑うつ症状は数時間から数日間のことが多く、長くとも3週間以上は持続しないこと、その抑うつ期間に挿間されるように、短期間の万能感やハイな気分がみられるとき(双極性障害との誤診に気をつける)
抑うつ症状はマーラーが指摘した「見捨てられ抑うつにおける黙示録の7人の騎士」、すなわち絶望、空虚感、孤立無援感、孤独感、憤怒、無力感、抑うつが繰り返し経験されること、しかもそうした感情体験が多くは思春期から持続していることが特徴である。
V. 外来治療か入院治療か
BPDの治療は原則として外来で行うのは、治療が長時間にわたることがその最大の理由である。しかし国公立あるいは大学病院等の医療機関の外来には多くの患者が殺到し、精神療法を行うことが現実的に不可能であること、また民間の診療所では精神療法の保険点数があまりにも低額なために良心的に診療しようとしても現実的には不可能である。しかし自由診療では患者の経済的負担は大きく、経済的余裕のない人は治療を受けられないという問題がある。
経済的な負担が大きいといっても自由診療にはいくつかの利点もある。それは患者が診療時間を大切にし、経済的負担を考えて治療の進展が早まるという点である。また、治療の契約も明確になり、転移や逆転移の問題に巻き込まれにくくなる。こうした明確な治療構造が患者の病理の修正に大きな働きをしていることは著者が自由診療をして実感したことである。
入院治療はいくつかの条件下では有用である。すなわち、患者の行動化によって家族のシステムが破壊されているとき、行動化が著しく破壊的であるとき(たとえば自殺企図が頻発するなど)、家族を含めたこれまでの環境から分離した方がよいと判断されたときなどである。
病棟スタッフ間の患者からの操作とスタッフのスプリッティングによる混乱は治療を困難にさせる。著者がかつて述べたボーダーラインシフト(付 参照)は病棟の混乱を最小にする効果的な方法であると考える。ボーダーラインシフトはスタッフ間のスプリッティングや患者によるスタッフの対人操作を阻止し、病棟空間全体を「良き入れ物」としての機能を持たせることに意味がある。BPD患者が入院したら、スタッフがこういうシフトを直ちに引けば、病棟の混乱はほとんどなくなる。
家族は治療を同意しているにもかかわらず、本人が治療動機をもたないBPDに対してはどうするかは微妙な問題がある自傷他害の可能性が極めて高いケースでは、一般の医療保護入院や措置入院を要するが、そうでない場合には、強制的な入院治療は(外来治療を含めて)、治療効果が期待できないので「本人自身が困るまで」治療は断った方がよいかもしれない。「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」のである。ただし、治療に対して拒否的な患者でも、多くの場合には内心ではどうにもならない事態に自分が陥っていることを知っており、親に無理に連れてこられたことに抵抗しているのである。そうしたときには「本当は自分の感情をどうしてよいか、落ち込んでしまった穴からどうやって這い出せるのか、自分の無力感や空虚感をどうしたらよいか、どうしたら人間関係がうまくゆくのか悩んでいるのでしょう? あなたが自分の意志で治療を受けたいと思ったなら、いつでもいらっしゃい。私はいつでも待っています。機が熟することも治療では重要なことですから」と言い添えておくのもよいだろう。「この治療は家族のためにやるのではなく、あなたがこの世で生きられるようになるために、あなたのためにやるつもりです。本当はあなたは自分をどうしたらよいか苦しんでいるのではないですか」と告げると、治療を希望することが少なくない。
W. 治療導入と治療契約
治療契約と治療同盟は一対のものであり、かつ破られやすいものである。むしろ両者は治療の前提ではなく、目標の1つなのである。それでもなぜこうした契約や同盟を結ぶ必要があるのかという理由は、逸脱行動や対人操作、激しい感情表出、不安定な対人関係、治療者に対する価値下げなどによって治療構造の破壊が起こりやすいこと、そしてこうした治療契約を守ろうとし、治療のために協力しあうということ自体がすでに治療的なのであるからである。
治療契約とは治療を進める上で患者が守るべき約束事であり、完全予約制を守ること(気ままに来院しないこと)、行動化を抑えること(具体的には自傷行為や万引き、自殺企図などを禁じることを告げる)、入院にあたっては病院や病棟の規則の遵守などである。とくに主治医の許可を得ない外出や外泊、夜間や面接日以外の面接要求、処方された以外の眠剤等の要求などはあらかじめ禁じておくべきである。こうした約束を勝手に破るときには、「治療を止めるか隔離室へ入るか」どちらかを選択してもらうことなどを治療の初めに明確に伝えておくことが重要である。他方、患者に対する治療者側の契約は「嘘をつかないこと」「治療を誠実に行うこと」、「決して見捨てないこと」ということが暗々裏に含まれることになろう。「こうしたことを守ってくれる限り、私は誠実にあなたを治療し、私の方からあなたを見捨てることは絶対にありません」という言葉を治療者の覚悟を持って伝えるのも1つの方法である。
治療同盟とは患者と治療者が治療を目指して作業を共同して行うことがいうが、治療の目標は病理的な自我の働きを修正し、健康な自我を獲得してゆくことであり、その作業には患者の苦痛が伴うこともあらかじめ告げておいた方がよいであろう。
BPDの患者は気味が悪いほど治療者の感情を見抜く。治療にあたっては治療者の「覚悟」が必要であり、逃げ腰の治療は早晩失敗に終わる。また容易に逆転移が起こるので、患者に入れあげるような接触は避けなければならない。距離と暖かさは両立しがたいが、初期治療では患者を受入ながら適切な距離を維持しなければならない。
治療の初期には受容的で暖かな関係づくりを目指すべきである。患者の持つ痛みに共感を持って話に聞き入る力がある精神科医ならば、初期の関係づくりには困難はないだろう。
言うまでもないが、患者との個人的な関係を持つこと(たとえばせがまれて食事をするとか、喫茶店で会うとか)は応じてはならない。また、電話での話は一切断るべきである。「電話では治せないからね。お話は診察の時に」と断固応じないことが重要である。
X. 薬物療法
BPDでは抑うつ症状を伴うのが普通であり、症候学的レベルでは大うつ病と変わりない精神運動抑止、抑うつ気分が出現する。ただし、大うつ病のようには抗うつ剤が奏功せず、その作用は限られたものである。 BPDでは抑うつ症状を伴うのが普通であり、症候学的レベルでは大うつ病と変わりない精神運動抑止、抑うつ気分が出現する。ただし、大うつ病のようには抗うつ剤が奏功せず、その作用は限られたものである。抗精神病薬や抗不安剤では行動化をおさえることは困難である。
しかし、薬物療法は一定の範囲内では有効である。患者に病理の概略を説明し、治療契約の話をしたあと薬物のことに触れ、「今の話でわかるように、薬は本質的には効きませんが、あなたの抑うつや危険な衝動を抑えてくれる効果はある程度あります。自分でその苦痛を耐えることができないと感じているなら、飲んでみませんか」と語りかけるとほとんどの患者は服薬に同意する。薬物は精神療法の状況の中で処方されるべきである。
「ただし、薬はきちんと飲まなくてはなりません。どの薬も安全ではありますが、大量に飲んだりすると昏睡状態で嘔吐して死亡するような事故が起こることもあります。もし、きちんと薬を飲む力がないなら、処方はできなくなります。まだ自分を守ることができないということですから。決められたように飲むことを約束してくれますね」とこれも治療契約に含める。しかし、こうした決めごとは破られることが多いが大量服薬は行動化の一つという視点で対処すべきである。
私がよく使う抗うつ剤はclomipramine, imipramine, amoxapineなどであるが、SSRIが登場するようになると、おそらくこれが第一選択剤になると思う。過食衝動を伴うときには(過食は夕方から夜間にかけて起こるので)それらを夕方に25〜75mgを1回投与する。ときにはこれ以上の投与にわたることもあるが、服薬自殺企図の予測があるケースには抗うつ剤は慎重に投与されなければならない。その場合には大量服薬されても安全な薬を選択すべきである。パニック障害を伴うときにはおのおのが使い慣れている抗不安剤を併用すればよい。衝動のコントロールが極めてわるいときにはchlorpromazine, carbamazepineなどを適宜使用する。
Y. 治療目標
BPDの患者は破壊的な行動を止めたり、激しい感情表出をおさえたりすることを求めているのではない。彼らの行動は「自分でもわからないけど、そうしてしまう」という激しい感情衝動に突き動かされた結果なのである。彼らの苦しみはこのような破壊的な抑うつ感情を誰も理解できないと考えている点にある。患者の気持ちを酌むということの重要性はどの精神療法でも共通したものであるが、BPDではとくに見捨てられ抑うつの感情を理解し、その破壊的な感情体験からどうしたら自由になれるのかを探してゆくことを第1の目標にすべきであろう。
精神療法では治療の目標を定めるようなことをしないのが普通であるが、自我の構造が病理的であり、認知の歪みがあるBPDの患者に対して非指示的で無限受容につながるような無構造な精神療法を行うと結局混乱に巻き込まれてしまうだろう。症状は発達段階初期(再接近期)における「母から見捨てられた」という幻想から発するが、「もう一度幸福な(幻想的)母との合体と融合」を志すような病因接近的な方法は際限のないしがみつきの要求によって、耐えられなくなった治療者が結局は放り出すことになり、その結果激しい行動化を引き起こすようになる。
BPDの精神療法は幼児期の外傷体験を癒し、あるいは意識化させて洞察に導くことではない。そうしたことは健康な自我が存在して初めて可能になるのである。幼児期の数ヶ月から数年間は成人の何十年を持っても償うことはできない。子供の1年は成人の1年ではないのである。損なわれ、作られた欠損は短期間の精神療法で回復させることは原理的には不可能であろう。患者はその欠損感をよく「深く吸い込まれるような穴」にたとえる。私は「あなたの言う『穴』はこれからも塞がることはないかもしれません。しかし、穴が十分に小さくなり、吸い込まれなくなれば、あなたはきっとみんなと同じようにやってゆけるようになるでしょう」と深い共感をもって告げている。精神療法の目標は幼児期の欠損を退行させて再現して治療関係の中で修復してゆくことではなく、今ある自我機能を健全なシステムに修正させることにある。「Here and Nowいま、ここで」しか人は変わることができない。「いまここで」という現実の中で病理を受け止め、解釈し、健康な自我システムが機能するように援助することにある。患者の自我機能はすべて病理的なのではない。中にある健康な自我機能に語りかけるようなアプローチが基本である。
治療は「この世で生きられる対人関係能力をつけること」であり、また「破壊的な抑うつに耐えられるだけの自我の力をつけること」にある。特に欲求不満耐性をつけることは、その後の適応的な行動を作る上で必須のものである。BPDの治療の最大の山場は「分離」に関するものである。現実の母や父はもはや当てになる存在ではなく、しがみついても決して彼らが望むような「幼いときの母」を取り戻すことはできないと感じたとき、彼らは深い悲しみや怒りを再度体験する。その怒りや悲しみは、分離という関門を通過しないと得られないと認めたときに付随する感情である。治療者は患者の「分離」に敏感でなくてなならない。
Z. 家族教育
患者の語る生育史生活史はしばしば患者自身の幻想によって修飾されているので、治療者は知らぬ間に「患者の語る真実の話」に巻き込まれ、家族との関係を悪化させてしまうことに注意しなければならない。母親が手を離した隙に子供が飛び出して事故にあったときに、治療は第1に緊急施術であり、その後は機能訓練であろう。親が手を離さないことを責めても、傷はもう元に戻らないのである。しかし、初心者では患者と同盟して親を攻撃するような精神療法をすることが少なくないのである。病因を母親や父親に求めるような犯人探しは早晩激しい家庭内暴力を呼び起こすか、家族が治療を妨害するような結果に終わるだろう。そういう意味で生活史了解的な精神療法は失敗する。
家族も十分に現在の子供の問題で苦しんでいる。むしろ必要なのは家族がどう対応したらよいかを具体的に指示し、どう病理を理解したらよいのかを教えることであろう。拙書の『心の地図』2)はそうした観点で書いたものである。
[. 基本症状と治療
1.対人操作
なぜBPDの患者は人を操作してしまうのであろうか。それはなぜ私たちが患者の作り出す渦に巻き込まれてしまうかという問いにつながる。人を引きつける力がない患者では対人操作は起こりにくいという現実がある。対人操作の原理は逆転移なのである。彼らの持つ淋しさや孤独感、時には怒りの感情は私たちに残っている思春期的心性を刺激し、同情心や反発、嫌悪感などの感情の渦を作り出す。患者はどのようにしたら自分に関心を持ってくれるのかを目的に生きていると言ったら、言い過ぎであろうか。
逆転移を防ぐ唯一の方法は距離であり、「関与しつつある自分を観察する」行為である。入院は治療者だけでなく、多様なスタッフが存在するので、ボーダーラインシフトが必要とされるのである。
2.スプリッティング
良い自分と悪い自分の2つの自分がいると彼らはしばしば述べる。BPDでは対象が部分に分裂し、自分を受け入れてくれて抱えてくれると感じた対象の部分に対して患者側の報酬型部分対象関係ユニットが結びつき平和で満ちたりた、万能的な自己が機能する。それに対して自己を拒み、受け入れを排除する対象に対して撤収型部分対象関係ユニットが機能し、破壊的で攻撃的で抑うつ的な自己が機能する問題は対象が本来の同一性を失って部分に分裂することで、「今日の先生はものすごく悪い先生に見える」などと表現する秘密となっている。良い自分は良い対象部分と悪い自分は悪い対象部分と結びついているのである。BPDでは同一性障害はほぼ必発症状である。
3.行動化
行動化は行動が言葉の代理になっていることを意味する。行動化はかつての体験や心的外傷、満たされなかった衝動が言語機能を経由せずに行動となって表現されるのであるが、BPDで頻発する理由は彼らのこうした衝動が言語成立以前の体験(再接近期)に基づいているからである。したがって、彼らは自分がなぜ結果として本人の不利になるような問題行動を次々と引き起こすのか理解できない。行動化は禁止するのが原則であるが、同じように重要なことは行動化を解釈してゆく操作であろう。たとえば手首を切る行動には「自分は孤独だ。誰も来てくれるはずがない。でもきっと来てくれるはずだ。誰か助けて」というような不思議な観念が背後にある。あるいは自分を罰するために行うのかもしれない。
行動化に対して過度に反応することは、それまで無力と感じている患者に万能感を供給して行動化を強化することにつながる。周囲がはらはらするほど行動化は強化される面がある。治療者は揺らがないことが重要である。
4.抑うつ
BPDでは抑うつ症状はすでに述べたような感情や気分の複合物であり、きわめて破壊的な性質を持っている。治療の第1歩はこの抑うつに耐える力をつけることから始める。「この抑うつは嵐のように襲ってくるかもしれませんが、あまりにも辛いときにはじっとその嵐が過ぎるのを待つしかありません。数時間時には数日続くかもしれませんが、永遠に続くことはないはずです。抑うつに耐える力がついてきたら、多少の抑うつが来てもいろいろなことができるようになります」と伝えるのもよい。実際に家事も外出もできなかった患者が抑うつに耐えることによって次第に回復に向かってゆくのである。患者は抑うつに支配され、圧倒され、無力感、空虚感、孤立感、自暴自棄の感情、あるいは嫉妬と羨望の渦の中に投げ込まれてしまうのである。「抑うつに耐えるということは、自我の力がアップすることですよ」とも言い添える。
この抑うつの正体は要な人物から(広くいえば世界から)見捨てられるという幻想に由来している。治療関係において、「あなたが求めている限り、私の方から見限るようなことは決してありません」と宣言することの治療的意味はここにあり、そうした関係の中で患者はこの破壊的抑うつに耐えることを学び始めるといってもよいだろう。
\.分離と別れ
分離は不安と抑うつと怒りを呼び起こす。分離が完成していない彼らは対象との間に強い依存関係を作るようになる。この依存関係は相互依存の関係を作りやすい。しばしば彼らは「親が(友達が)私を頼りにしてくるんで困っているんです」というが、彼らは自分の依存感情の深刻さが相互依存の中で見えにくくなっているのかもしれない。
彼らは「分離したら自分は生きていられるはずがない」という不合理な幻想に支配されている。ラプロッシュマンという再接近期の不安と危機が状況によって再現されると、ちょうど潜水夫の空気チューブと命綱が断ち切られるような激しい恐怖と怒りが呼び起こされる仕組みがそこにある。「分離しても大丈夫」という感覚が乏しいのである。治療者が「変わらずそこにいる存在」として機能し続けることが結局、「分離しても大丈夫」という感覚を供給する。治療途上の早すぎる分離は危険であるが、患者が直面する危機はほとんどが何らかの形で分離の問題が関与している。治療者は分離に敏感でなければならないのはこの問題が治療の最終目標であるからである。
付 ボーダーラインシフト
(精神科治療学、6;789-800、1991.一部改変)
1)なにかしてあげてはならない。
2)医師の指示以外のことを行ってはならない。
3)話を聞いてあげてもよいが、患者に入れあげない。
4)他のスタッフに対する批判を真に受けない。患者の話を真に受けない。自分に対する陰性感情は「症状」の1つと割り切ること。
5)起こしたことの責任を患者自身に引き受けさせること。
6)大丈夫と言ってあげること。
7)互いに情報を綿密に交換する。
8)自殺企図などの深刻な行動化が起こっていても、過剰反応しない。たじろがない。
9)患者の冗談やユーモアの才能を引き出すこと。
10)待つこと、我慢させることが治療の力になる。
文献
1)市橋秀夫:境界性人格障害の初期治療.精神科治療学、6;789-800、1991.
2)市橋秀夫:心の地図、星和書店、東京、1997.
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