原告(遺族)の見解
2003年2月5日 於東京地方裁判所
(当日読み上げられた文書から固有名詞は削除し、一部削除・訂正)
この提訴は、生前に娘が望んでいたものであり、記者会見もまた同様に娘が望んでいたものです。
ですから、この提訴は、まずは娘の遺志を継ぐものです。
しかし、原告である私たちもまた、被告である○○医師に対する気持ちは同じです。
今から8年ほど前の1995年、○○医師は、娘が入院中に、自分が娘の「恋人役」をする、とはっきりとわたくしたちに言いました。
それが、彼が私たちに伝えた、唯一の治療方針であり、治療方法でした。
専門家であり、娘の生命を預かる○○医師が、そのように言ったわけですから、私たちは、その治療方針に従い、治療に対して、懸命に協力いたしました。
しかし、娘の病状は、よくなるばかりか、悪化の一途をたどり、しかも、○○医師に対する強力な依存さえ見せるようになりました。
95年12月、娘は○○病院から強制退院しました。その直後に書かれた診断書なるものを、退院の2年ほどあと見せられましたが、それを見て私たちは、○○医師にだまされた、と思うと同時に、大変な憤りを覚えました。
なぜなら、そこには、恋人役という前提で治療がおこなわれた、ということはいっさい書かれていないばかりか、娘が勝手に「恋愛妄想」をいだいた、という診断にされてしまっていたからです。
しかも○○医師は、それは助手が書いたもので自分の診断ではない、などといって責任逃れをしたのです。こういった彼の対応は、この時ばかりではなく、何度も繰り返しあり、そのたびに私たちは、だまされた、と感じ、彼の責任逃れに憤りました。
それでも娘は、○○医師を信じて、彼の「恋愛妄想」という診断を受け入れて、それを克服しようと、努力しました。
つまり、娘は主治医の指示に従わなかった、あるいは、反抗して勝手な行動をとった、というようなことは、なかったのです。そういう努力のなかで、娘は自殺未遂を繰り返さざるをえなかったのです。
それはすべて、○○医師によって関係を断ち切られたり、冷淡な態度を見せられることがきっかけでした。
ところが、○○病院から退院して1年あまりたってから、○○医師は娘に対して、「あのときに恋愛感情があったが、保身のためにうそをついた」と述べ、娘に対して自分が恋愛感情を持っている、と明言し、治療室の中でなら、おつきあいできます、などと娘に告げたのです。
娘は、その言葉に全快への意欲を取り戻し、○○医師と1年半ほど面接を繰り返しましたが、最終的に○○医師は、やはりよく考えてみると、そのような感情はなかった、などといって、それ以前の自分の発言が全くなかったかのように述べていました。
退院してからなくなった2000年5月まで、娘の依存は結局解消されませんでした。
最後の自殺の直前にも、○○医師は娘と電話で長時間話しております。
この時娘は彼に対して、私が生きるためにあなたは、やはり、必要な人であるから、この電話で私の自殺を止めてください、と頼んだのです。
しかし○○医師は、<それはできない>、などと言って、その依頼を拒んだのです。
娘が自殺を決行したのは、その数時間後のことでした。
これは一つの例でしかありません。こういった会話が何十回、何百回と、5年間の間に繰り返されていたのです。それはカルテの面談記録にも残されております。
私たち家族から見れば、娘が自殺する引き金を引いていたのは、いつも、○○医師の、そういった娘に対する一言一言でした。
しかし娘は○○医師に、病的に依存していたため、彼にコンタクトをとるということをやめることができず、そして○○医師がこれにやすやすと応じて、そして結局自殺未遂が起きていました。
娘は、大きな自殺未遂を、最後の自殺の前に2回行っておりますが、一回は、○○医師との面接のあと、もう一回は、○○医師との電話でのあとです。
こういった自殺を止める職務上の義務が、○○医師にはある、というのが娘の主張でしたし、私たち家族もそう思っています。
○○医師は、恋人役、という、わけのわからない治療によって娘を自分に依存させました。それが結局は、娘の病の悪化をもたらし、そして自殺の原因にもなったのです。
つまり、○○医師は、娘の病の原因を、自分の治療で作り出したのです。
ですから、娘がこの病気である限り、○○医師は、娘の病気や自殺に責任を負っているはずなのです。
しかし、○○医師は、自分の責任を認めるどころか、娘の様々な行動によって、自分は被害を受けた、といったことを主張しつづけました。娘は当然こういった彼の発言に傷つき続け、私たち家族は憤りました。
繰り返せば、私たち家族、そして娘から見れば、○○医師は、私たちをだました、としかおもえないのです。
もしそうでないとしても、彼は自己弁護ばかりして、自分の責任はいっさい認めず、一度たりとも娘に謝ったことはありません。
しかし、娘に言わせれば、娘の病を作り出したのは、○○医師の治療だったのであり、娘の自殺のきっかけをつくりつづけていたのも、○○医師の態度や言葉だったのです。
ですから、娘はそういった彼の失敗によって、自分の21歳から27歳までの、人生にとって貴重な時間が、台無しになった、と感じておりました。また、そう感じていたために、娘は、○○医師に、せめて自分の過ちを認めてほしい、と強く希望していたのです。
そして私たち家族もまた、○○医師に謝ってほしいと思っています。
彼が、娘の生前に、そのことを認めていれば、こんなことにならなかったはずです。
娘は27歳で、これからも将来があったのに、○○医師の一言に傷つき、また彼の無責任さに絶望して亡くなった、と私たちは思っています。
わたしたちは、かけがえのない娘を失ったことで絶望しております。しかし、裁判は娘の遺志です。○○医師に過ちを認めてほしい、というのと、私のような人を二度と出してほしくない、これが娘の希望でした。ですから、娘は裁判をして、そのことを訴えたかったのです。今回、遺族であるわたしたちが提訴に踏み切ったのは、そういう娘の遺志を引き継いでのことです。
強調しておきたいことがあります。それは○○医師が外科や内科の医師ではなく、精神科医であって、娘は心の病であった、ということです。
外科や内科であれば、治療の過程でどこからどこまでが過誤なのかは比較的見えやすいです。しかし精神科は違います。治療が本人にとって妥当なものであったかどうか、ということは、患者が結果として立ち直ったかどうか、という点においてしかはっきりとは判断できません。
しかし、娘は自殺しました。
5年間にもわたる「治療」が、娘の心の病をいやすことはついにありませんでした。
本人と家族にとって、その苦しみがどれほどのものだったか、少しでも理解し、反省している、という態度を○○医師自ら示してほしい。
私たちがこの裁判で望んでいるのは、復讐ではなく、そういう人としてあたりまえの感情がきちんと○○医師から語られるという、そのことだけです。
どうかみなさまにも、そうした観点からこの裁判の意味を考えていただきたいと思っております。
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