原告側準備書面(2)
2005年7月27日付
注1)以下、一部省略、あるいは仮名にした箇所がある。
注2)この原告側準備書面(2)は、従来の原告側の主張をコンパクトにまとめよ、という裁判官からの指示をうけて作成された。そのため、被告側に対する全面的な反論、というかたちをとっていない。
平成15年(×)第○○○○号 損害賠償請求事件
準 備 書 面 平成17年7月27日
東京地方裁判所民事35部合A1係 御中
原告訴訟代理人弁護士
1 被告が故幸子に植え付けた病的転移症状
1 故幸子の病的転移症状とその致死性
故幸子は被告に対して病的な性愛性転移を生じていた。被告も平成7年8月頃には故幸子が被告に対して性愛性転移を引き起こしていた事実を認めている(被告準備書面2、11頁等)。また、故幸子に生じていた被告に対する性愛性転移は極めて危険なものであり、適切にその転移症状を解消せずに見捨てられ感を与えてしまうと自殺を引き起こす危険性が高いものであった。被告も故幸子が「『振り向いてくれなければ死ぬ』『恋愛以外の人間関係は受け付けない。恋愛が成就しなければ死ぬ』という極めて危険な性質の転移を持っている」ことを認識していた(同準備書面11頁)。
治療者としてはこのように直接死に結びつくような危険な転移を患者に生じさせないように十分に注意をし、万一、そのような転移を生じた場合には、当該転移の解消に向けた治療を積極的に進めるとともに、自殺の具体的な危険性についても常時十分に注意をして自殺に至る事態を回避すべき義務がある。特に本件では故幸子の病的転移症状は被告の「治療行為」によって形成されたものであり、その転移症状はN医師の治療に至っても解消されておらず、「被告医師に対する感情が未解決のまま残されて、被告医師の治療が終結されていた」のでありN医師の下で「被告医師との治療終結の作業が必要」と考えられたのである(N医師の陳述書3ないし4頁)。このような状態は外科手術に例えれば開腹手術を行って縫合をしないままに治療関係を終了させたり、あるいは、体内に手術器具を残したまま縫合をして治療を終了させたようなものであり、治療方法としてあまりに杜撰であり極めて無責任な治療態度である。
被告は死の危険を伴う致死的な転移症状を故幸子に生じさせた点で治療上重大な過ちをおかしているが、仮に故幸子の転移症状の形成が避けがたいものであったとしても、被告は幸子に生じた転移症状を適切に解消することをしないままに治療関係を終了させ、故幸子の死の直前においても不適切な言動によって同人を死に追いやったものであり、その責任を免れるものではない。
1 故幸子に病的転移症状を生じさせた原因
1. 治療構造の無視
故幸子の被告に対する病的転移症状が形成された原因の第一は、被告が故幸子に対する治療に当たって適切な「治療構造」を明確に設定しなかった点である。治療構造は治療関係の土台となり、医師・患者間の安定した境界を定める重要な枠組みであり、患者に生じる転移と医師に生じる逆転移現象を分析可能な状態に保ち、患者が転移症状を脱して現実検討能力を取り戻し回復してゆくために不可欠な治療上の基本的な枠組みである(訴状11頁なし14頁)。
被告は、故幸子には自殺の危険性が高かったので治療構造を厳守するのが困難なことが多かったと弁明するが(被告準備書面(1)9頁)、被告は一般論としてさまざまな治療構造がありうることを述べるものの、故幸子に対していかなる治療構造を設定したのか、特に主治医となる被告自身に向けられるであろう転移と自らが巻き込まれる危険性のある逆転移を適切にコントロールし適切に回避しあるいは当該現象を脱して本来の治療目標に到達するために治療構造にどのように配慮をしたのか、それを実際の治療の中でどのように維持して行ったのかについて具体的な弁明はない。
被告は故幸子に自殺企図を生じる場合があったので治療構造を厳守できなかったとも述べるが、これは被告が当初の治療構造の構築に失敗し、故幸子との関係が抜き差しならない転移・逆転移関係に巻き込まれてしまった結果生じたものであり、N医師その他の故幸子の治療に関与した治療者との関係では面接を枠組み内で終了させることで自殺の危険性が高まるような危惧が生じることはなかった。
1. 被告による転移の植え付け
故幸子の被告に対する病的転移症状が形成された原因の第二は、被告が故幸子に対して「恋人役」となり、積極的に故幸子の依存・転移の対象となる方法を採用した点である。
被告はそのような言動をした事実を否認するが、原告ら家族は被告からそのように言われ、主治医が恋人役をやるなどということが適切なのか訝っていたのであり、被告の故幸子に対する他の患者とは異なった特別な対応ぶりや事後的にではあるがN医師やQ氏、M氏などに被告が故幸子に対して恋愛感情を持っていたことを告白した事実から見ても、被告が積極的に故幸子の恋人相手を買って出て、当初はあるいは被告自らが故幸子の依存の対象となり心理的支えを形成する意図であったのかもしれないが、結果的には自己と故幸子との関係を適切にコントロールすることが不可能な事態にまで至ってしまったものである。
1. 被告自身の逆転移
被告は自らが逆転移によって故幸子との間の適切な治療関係を維持できなくなった事実を否定しているが、被告はQ氏、M氏に自らが故幸子に対して恋愛感情を抱いてしまっていたことを告白している。また、N医師に対する被告のレポートにおいても、被告は「たしかに私の方は(幸子さんと同じくらいの大きさだと思う;むしろそちらが幸子さんを振り回したと感じている)「恋愛感情」(非常に原初的な感情)を向けていたし、今も(年末のセッションではっきりと確認した)その感情はある。つまり(太字で簡単に書いておきます。)双方向に恋愛(原初的ですごいエネルギーの)感情はある。」(甲A1の1、44頁)と述べている。その他にも被告はN医師への報告の中で随所に自らが故幸子に対して恋愛感情を持っていた事実を認めており、被告はそのことを故幸子にも伝え、故幸子の被告に対する依存と病的転移を強化してしまった。
1. 病的転移状態の解消へ向けた治療の欠如
被告は故幸子に致命的に病的な転移症状を引き起こしてしまいながら、それを解消するための治療をせず、むしろ明示的あるいは黙示的な言動により、自らも故幸子に対して恋愛感情があることを告げ、あるいは、被告の恋愛感情を感じ取らせることで、故幸子の転移症状を遷延・強化していった。
故幸子はN医師のもとで治療を受けていた時期においても、結局、被告との治療関係において形成された病的な転移症状が濃厚に残存しており、N医師は被告の治療が終了していないという認識があったため、被告と故幸この間で喪の作業を行わせようとした。しかし、ここでも被告はむしろ故幸子に対する恋愛感情を表明し本来の喪の作業の枠組みを超えてかえって故幸子の病的転移症状を再燃させるという極めて不適切な対応をとった。
2 病的転移症状の再燃・増悪化への被告の関与
(1) 被告の関与による病的転移症状の増悪化と自殺危険の増大化
ア) 被告と故幸子の特殊な医師・患者関係
被告と故幸子の治療関係は双方向に恋愛感情のある、すなわち、本来、治療者であるべき被告自身も故幸子に対して恋愛感情を持っている極めて特殊な医師・患者関係であった。また、故幸子の被告に対する転移症状は被告から見捨てられたように感じると自殺企図に至る極めて危険なものであった。
特に、被告自身が故幸子に対して恋愛感情を有していたことは、故幸子の転移症状を強化させ永続させる機能を果たしてしまい、故幸子の被告に対する転移症状を解消することを困難にしてしまった(N医師の陳述書7頁)。しかし、他方で被告は故幸子の転移症状を全面的に受け止めることはできるはずもないので、被告と故幸子の間では、ある段階で故幸子の被告に対する思いが被告によって拒否されざるをえない状態を構造的に生じることになる。そのため通常の治療者は、患者の治療者に対する致死的な転移を生じることがないように十分に注意を払い、転移症状が生じた場合にはその軽減・解消に向けて治療を進めてゆくのであるが、被告は双方向性の恋愛感情を抱き、また、そのことを故幸子に明示的にも黙示的にも伝えてしまっていたために、故幸子の転移症状は軽減されるどころかむしろ強化され永続化されることになってしまった。
イ) 故幸子の症状の増悪化・自殺企図と被告との関係
(1) 平成8年1月6日の自殺未遂
故幸子は、平成8年1月6日大量服薬による自殺未遂を起こすが、その前日(1月5日)被告を受診し、被告に対して「先生は私のことどう思っているのか。個人的に好きになることがあるのか?」と尋ね、被告は「内心はともかく、個人的な関係になることはない。」と答えたことから、故幸子は「もう来ません。来るとつらいだけだから。」といって診察室を去っている(乙A2、19頁)。そして、その翌日自殺を図ろうとしたのである。
ここですでに、被告に対する故幸子の致死的な転移症状が現れており、同時に被告の応答も「内心はともかく」という思わせぶりな言動で、医師としての職分上許されないが真意としては自分も故幸子に思いを寄せていると受け取られる言動をしている。ここで治療者として必要なことは、好きかどうかという問題に焦点を当てて自分の内心がどうかを告白することではなく、どのようにして治療者が患者に寄り添い、支えてゆくのかを示し、決して見捨てるようなことがないことを伝えることである。被告の応答は支援し続けることのメッセージを欠いている点で故幸子に見捨てられ感を与え、同時に医師として個人的関係は持てないが、内心は好意を寄せていることを暗示することで転移症状を強める結果になっている。
その結果、故幸子はまさにパターンどおりに自殺企図へと進んだのである。
(1) 平成8年年11月28日の自殺未遂
故幸子は平成8年11月28日K病院退院後大量服薬により自殺を図ろうとした。この時も故幸子は自殺企図前に被告に電話をしている。しかし、被告は「好きだけれども、つらいから自殺しようと思っている」という故幸子の問いかけに、「声が聞ければよかったのだろう」と突き放した冷淡な応答をした。このため故幸子は深刻な見捨てられ感に見舞われ、自殺を図ろうとしたのである。
N医師も「被告医師は異性に対して、つまり幸子さんに対しても、恋愛感情を感じると罪悪感を持ってしまうということを告白しております。当然幸子さんに対しても、愛情を感じたり表明したりしますと、それを打ち消したりする行動パターンを繰り返していたと思います。幸子さんはそれを敏感に感じ取り、被告医師の拒否の態度を感じ取ったときに、関係を中断、または終結、そして、自殺念慮を持った行動、という精神状態を繰り返しておりました。」(N医師の陳述書9頁)と述べているように、この際にも被告の拒絶的な態度と支援方法に関する無配慮がパターンどおりに故幸子の自殺企図を導いているのである。
(1) 平成12年5月2日の自殺敢行
N医師の治療下で被告との関係が中断されていた間、故幸子が自殺未遂を起こしたことはなかった。同人は健康さを取り戻しつつあり、希死念慮も消退していた。しかし、平成12年3月から被告との関係が再開されると、再び被告と故幸子の関係は転移・逆転移の危険な構造に逆戻りしていった。5月2日の自殺の直前、故幸子は被告と電話で話しており、再び被告の拒絶的な対応を受けることになる。
被告は故幸子と友人関係になることはできないと述べ、同人の自殺についても止めることはできないと冷淡で拒否的な態度を示した。N医師は「友人としての関係性を明確に再定義」したらどうかと助言して、故幸子が被告との関係に絶望したり見捨てられ感を抱くことがないように工夫をしようとしている(N医師の陳述書16頁)。故幸子とすれば「友人関係になれない」という被告の応答のみを聞けば、結局、何らの関係を保つこともできず、再び被告から見捨てられたと受け取ってしまう危険性が高い。それに対してN医師は両者の関係を明確に再定義することを示唆し、両者間の関係は無関係ではなく、一定の関係は存在するのであり故幸子は見捨てられているのではないことを意識化する方法を提示しようとしたのである。こうした配慮は精神科医としては当然の配慮であったはずであるが、被告はそのような配慮をせず、従前のパターンと同様に、故幸子に拒絶的な態度のみを示し、同人に自殺企図を引き起こしたのである。
(1)被告が招いた自殺危険に対する被告の無策、無責任性
故幸子の自殺企図のパターンは、「被告医師が個人的な関係を否定する→幸子さんが自殺をはかるという悪循環は入院中の秋からあった」(乙A6、141頁)と被告自身認識している。この構造的な悪循環は故幸子の被告に対する病的な転移症状が形成され、それが維持・強化され続けてきたために生じたものである。
しかし、そもそもこうした極めて危険な転移症状を故幸子に生じさせないように注意を払うことなく、無防備に構造化されない治療を行い、故幸子に被告に対する極めて強固な転移症状を植えつけてしまった。また、被告自身も故幸子に対して恋愛感情を抱き、また、そのことを故幸子に知らしめることにより、故幸子の転移症状は相乗的に維持・強化されていた。
故幸子の自殺の危険性は被告と故幸子の関係から構造的に生じてきたものであるが、被告はそのような関係に至る危険性に留意して起こりうる転移症状を回避する方策を採らず、また、転移症状を生じた場合にそれが重篤で致死的なものとならないように同症状をコントロールし、さらに、危険な転移症状を軽減・解消するための方策をまったく採らなかった。
(1)故幸子の自殺敢行についての被告の関与
故幸子は平成12年5月2日の自殺の直前に被告と電話で話しをしている。故幸子は被告から友人としての関係を継続してゆくことを拒否され、また、故幸子の自殺を止めることはできないと冷淡な態度を示され衝動的に自殺を敢行してしまった。
故幸子はこれに先立つ5月1日に被告から受けたメールによってもひどく傷つけられ、5月2日の被告の拒否的な態度が自殺企図の引き金となったことは明らかである。さらに、その前提には被告と故幸子の間に形成された転移・逆転移の病的構造があり、被告が故幸子の致死的な転移症状を解消しないままに放置し、不適切な関わりによってその症状を増悪化させてきた積年の与因行為がある。被告は転移症状を軽減しないままに拒否的態度を示せば故幸子の自殺の危険性が極めて高まる事実を経験的によく知っていたのであるから、5月1日及び同2日における被告の言動がいかに危険なものであるかを熟知していたはずである。しかし、被告はなんらの支援措置も用意しないままに冷淡な対応を行い故幸子を自殺へと追いやったのである。
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