精神療法における副作用:転移精神病と「持ち越された転移」

 以下では精神科医の前田重治の論文「精神分析における副作用」(『季刊精神療法』第6巻第1号、1980年、9-15頁所収)にもとづきつつ、精神療法の副作用として同氏が挙げる、転移精神病、及び「持ち越された転移」について見ていこう。

転移精神病
 前田氏によれば、「境界例など自我の脆弱な患者の場合、治療のある段階で自我境界が弱化し、現実検討能力が失われて、転移精神病が出現してくることがある」という。

 この場合患者には、「治療者への妄想性転移」という副作用がもたらされる。

 「これは人生早期の母子関係の障害から由来している境界例人格構造に基づいて、自我境界が崩壊し、空想と現実、過去と現在、投射された転移対象と現実の治療者とを識別する能力が障害されることにより生じるものである。そして治療者と転移対象とが同一視され、恋愛妄想、誇大妄想、被害−関係妄想また幻覚などが生じ、分裂病反応の形をとる」。

 前田氏によれば、こういった精神病状態は、「一過性に治療状況内に限って出現し、社会生活にはほとんど影響は与えないものである」というのだが、しかし、「社会生活にまで妄想や幻覚がもちこされてくる場合」もある、という。

 そのような場合は、「潜伏性精神病が顕在化したもの」と考えられ、「持続期間も長引き、容易に消失しないで、分裂病や妄想病などとしての経過をとることがある」という。極めて危険な副作用である。

 こういった副作用が起きた場合、「言語的な介入や解釈だけでは効果が得られなくなり、症状がおちつくまでは、向精神薬その他の精神医学的処置が必要となる」という。

 したがって、このような深刻な副作用を回避するために、治療者は、「治療に先立って、自我の脆弱性についての診断」をしなければならないのである。

 とりわけ、「境界例、ひどい性格神経症、性的倒錯など自己愛的レベルの自我障害の治療」の場合には、「一次過程への退行傾向、原始的防衛機制や内在化された対象関係などの側面に注目し、そのおそれが生じた場合には分析的治療は中断しなくてはならない」のである。



持ち越された転移
 以上のような転移精神病以上に前田氏が注意を促す副作用が、「持ち越された転移」である。

 前田氏によれば、これは「広い意味では行動化に含められる現象であるかもしれないが、精神療法が転移を媒介として進められる技法である以上、とくに注意されなくてはならない大きな副作用となる」という。

 まず、「持ち越された転移」という副作用を考える上で注意しなければならないのが、精神療法がそもそも内在している危険性である。

 前田氏によれば、「精神分析は、患者を転移という退行的な深い関係にまきこんでしまい、治療者から離れられなくさせ、自主独立を妨害するものではないかという批判がある」のだという。

 なぜなら、精神分析というものが、「症状の消失を基準にしないで、終わりなく続く」という性格をあわせもっているからである。

 したがって、治療の終結という問題は、治療者にも患者にも大きな課題なのだと前田氏は指摘する。

 では、理想的な治療経過とは、いかなるものか。前田氏に従えば、ほぼ以下のようなものである。

1、転移神経症を中心に徹底操作が繰り返されるなかで、患者は、自分が「愛し愛されることを求めていた事実」、「必要とあれば適切に人を憎むこともできるという事実」を自覚する。

2、これらが意識されていなかったために、幼児的なあの手この手で(しばしばひねくれた形で)ぎこちなく別のものを求めていた自分を洞察する。

3、自己にも他者にも適応した成熟した大人としての自律性を獲得してくる。

4、そして分析者に対しても、魔術的万能視は弱まり、「同情深く自分のいうことを聞きつづけてきた先生」として客観的にみれるようになってくる。ここで転移が解消し治療は終結する。

 ところが、前田氏よれば、Freudも述べているように、「終わりなき分析に正しい決着をつけることは、現実的にはなかなかむずかしい」ことなのだという。

 むしろ、治療は、「臨床的には、治療者か患者の現実的な理由がその契機となり、早すぎるがやむを得ず終結してゆかねばならないばあいが多い」のだという。

 そして、「もし早すぎたばあい、患者は行動化のばあいと似て、治療者への未解消の転移にもとづき、社会生活でさまざまな神経症的な反応や対人関係をもちこしてくる」のだという。

 これが「持ち越された転移」である。その具体例として、前田氏は次のようなものを挙げている。

 「早すぎる分離は外傷体験として対象喪失の反応をおこさせる。自分を見離した治療者(母)への不信感やうらみという陰性転移を処理するために、自己破壊的な対象選択を求めたり、抑うつ状態におちいったり、身体症状を生じたりする。自我の弱い患者のばあい、自殺企図や精神病的反応もおこしかねない。患者はしばしば、代理的に他の治療者を求めるが、そこにそれまでの転移をそのままもちこして、激しい不信感やうらみという陰性感情をむけたり(そして前の治療者は理想化して尊敬し賛美する)、逆に新しい治療者を理想化するなどの反応や態度が見られる」。

 つまり、「持ち越された転移」は、患者の生命を奪う危険をもたらす、副作用だということができる。

 他方、治療者の逆転移を原因として、治療が終結しない、という事態も、前田氏によれば、「持ち越された転移」という副作用によってもたらされた、と見なすことができる。

 この場合は、一見、「治療者と患者の両方が、治療の終結を回避しようという誘惑にかられて、まだ改善の余地があるとか、未解決の問題が残されているという理由で(合理化され)、いつまでも治療関係が続けられる」というふうに見える。

 しかしこれは、「別離をめぐる治療者の逆転移」が原因である。

 逆転移に巻き込まれた治療者は、「分析されのこした患者の抵抗を、あえて問題にしない」のである。

 そのような場合、「患者は、一定の症状を治療者との関係を保っておく口実として手離さなかったり、自己探求(分析)以外に関心がなくなったりする。そして治療者から独立できず、恋恋として、いわゆる分析中毒(嗜癖)となり、治療者(あるいはそのイメージ)に拘束される状態となる」という。

 ここで、副作用として「分析中毒(嗜癖)」が挙げられている点に注目したい。また、患者が治療者に「拘束される」という指摘にも注意を促しておきたい。

 こういった副作用は、「転移に深入りせず、現実レベルとの連続性が保たれている簡易分析のばあいにおいても注意されなくてはならない」という。

 なぜなら、「相手の症状や葛藤が転移神経症という形で明確に治療者の手の中におさまっていないため、治療関係が明確に見定められにくく、中途半端な転移のとりあげられかたしかできないおそれがあるため、簡易分析においておこりやすいといえるかもしれない」からである。

 そもそも、「一見、抵抗が発見されにくい簡易分析では、転移精神病という大きな副作用はおこりにくい代わりに、くぐもった形でくすぶりつづける副作用があることに留意しなくてはならない」のである。


 それでは、こういった副作用を回避するために、治療者は何を留意していかねばならないのか。前田氏は、次のような点を挙げている。

1、副作用全般についていえることであるが、分析治療のさいの治療者の逆転移に注意すること。「見れども見えず、聞けども聞こえず」という盲点におちいった時に、しばしば副作用が生じてくる。

2、したがって、治療の終結に際しては、「治療者自身の無意識的な依存感情、性愛的感情、名誉欲、虚栄心、憎しみやうらみ、事なかれ主義などいろいろな個人的利益と結びついていないかどうかを正確に吟味すること」が必要である。

3、そのためにはスーパーヴィジョンや教育分析が必要である。

4、治療者はたえず患者の感情や欲求の動きを正しく観察でき、受けとめられるだけの自我の強さをもっていなければならない。

5、その点をよく心得ている治療者であれば、副作用反応がおこっても不安になったり、困惑したり、逃避したりすることなく、その必然性に基づいて、現実的に、治療上有意義なものとして操作することが可能となる。




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