精神療法・医療過誤の掲示板

皆さん 投稿者:迷い者  投稿日: 3月 2日(火)16時32分40秒
ありがとうございます。大学に入ってか医学部を選び勉強をがんばりそして、国家試験に受かればいいのですね。単純すぎでしょうか?

査察 投稿者:moralist  投稿日: 3月 1日(月)21時20分36秒
sachiko様

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2002/10/txt/s1021-1.txt
を読んでみました。久能医師の言葉には重みがありますね。ただ、その心の叫びがどこまで、相手に伝わっているか・・・・

やはり、査察が必要だと感じました。医薬のGLP査察では原本を調べます。同じボールペンのインクの新旧までチェックします。砂ゴム消しで紙が薄いところがあれば、言い訳は通用しません。訂正個所は二重線をいれて、修正理由を書いた後試験責任者も同意のサインを入れます。
訴訟のあった病院はこれくらいの事をして評価ABCランク付けをすべきです。製薬会社・受託研究機関でCランクの場合に新薬の申請ができません。

自分達が患者の命を握っていると思っているならばそれは驕りです。薬にせよ、手術にせよ患者が本来持っている自然治癒力に手を貸したにすぎないと謙虚な姿勢であって欲しい。

『ヒポクラテスの誓い』を座右の銘にして欲しい。誓いの言葉を下記に紹介します。
http://www.kanazawa-med.ac.jp/mic/rinri/hippocrates.html

それが医者になりたくてどうしてもなれなかった、私の願いです。
編集済

多分・・・ 投稿者:moralist  投稿日: 3月 1日(月)17時29分23秒
まず、大学の医学部に入学して1年間教養課程を終えた後専門課程5年間。計6年で必要な単位が取れれば、卒業見込みで年1回の国家試験を受け、パスすれば外科・内科・精神科・他のコースへと勧めるはずです。国家試験を通らない場合、次まで浪人です。
私立の二流大学は、合格率が下がると受験生が減るため、予め模擬試験をして成績が悪いと卒業をずらし、国家試験の受験もさせてもらえません。
自分の適正を見極めて、相当な学力と精神的に安定した人が望ましいと思います。医学生ならば避けて通れない人体解剖で数人やめるのは珍しいことではないと聞きます。
自分自身、学生時代に医学部・理学部合同で受講した体育講義で見たビデオ『開放創の初期治療』(例えば車で手を轢かれて血まみれでぐちゃぐちゃになった患者の手当てとか)を見ているうちに吐き気を催し、トイレで倒れて気づいた時は担架に乗せられ保険センターへ運ばれました。
後年数十万匹の実験動物を剖検しましたが、おそらく今あのビデオを見ても、吐き気を催すと思います。
このホームページで私も、sachiko様も言われたように医者には相当重い責任が伴います。使用する薬の効能と禁忌すべき薬を十分理解し使用しないと万一のときは全て責任をとる覚悟が必要だと思います。誤診しても気にならない(そんな方は医師になって欲しくないのですが)性格のいずれか2通りでなければ、長続きしません。
精神科医にどうしてもなりたいのか、看護士、作業労働士、臨床心理士、カウンセラー・・・と患者の心をケアする職業はいろいろあります。まともな精神病院の看護士は3K(きつい、危険、汚い)でよほど、奉仕精神がないと勤まりません。食事中、吐いたり、失禁するのは日常茶飯事ですので。目的をはっきりさせた上で、自分の実力を考慮してベストチョイスをされることを祈ります。因みに医者ならば、神経科医、麻酔医、脳外科医、心臓外科医が比較的長い修行期間が必要だと思います。
編集済

医者とは何か? 投稿者:sachiko  投稿日: 3月 1日(月)17時26分37秒
迷い者さま
日本において「精神科医」とは、「医師免許」を持ったお医者さんです。臨床心理士とかカウンセラーはお医者さんではありません。大きな違いは、お薬を患者さんに処方できる権利があるかどうかでしょうか、例えば。以下をお読みください。

http://www.netricoh.com/contents/antenna/nurse/data/0014.html
http://www.netricoh.com/contents/antenna/nurse/data/0015.html

で、「臨床心理士」とかカウンセラー、という仕事は、少し勉強すれば、まあ、たいていの人がなれる、というものです。

これに対し、お医者さんになるには、とてもとても大変です。どうしても「精神科医」になりたいというのでしたら、まず「医学部」のある大学を受験して合格しなければなりません。本屋さんに行って、医学部受験に関する本をご覧になってください。

たしかに、「日本にあるアメリカの大学」を受験する、という「裏技」もあるようですが、いずれにせよ、医師免許を取らないといけませんから、相当勉強をしないと、精神科医にはなれない、ということです。

以上、大体、「こんな感じ」というところです。以下のページをお読みになってもよいかな、と思います。
編集済

http://homepage2.nifty.com/neurology/necessary.html


お久しぶりです 投稿者:迷い者  投稿日: 3月 1日(月)14時15分21秒
また聞いてしまうんですが、精神科医になるにはどのような進路にすればいいのでしょうか?
初歩的な事ですみません

参考になれば 投稿者:moralist  投稿日: 2月27日(金)13時41分4秒
モラリストです。
はぎ様は、もう退院されたのですか?2月20日の書き込みを読ませて頂いて驚きました。当然告発すべきだと思います。肉体的障害が残っている訳ですから、入院前と後について第三者の証人がいるので、訴訟までいかないまでも何らかの責任を取らせ、治療費の請求は当然の権利だと思います。法律扶助協会で無料の法律相談をしてもらえますのでお勧めします。また、事実として行っているのならば病院名を公表しても名誉毀損には多分ならないと思いますが、そのことも是非ご相談ください。

医薬品・動物薬・農薬・除草剤・化学物質・化粧品・食品添加物・医療器具(カテーテルなど)の申請のための動物実験では、実験中にミスは当然起こるものという前提でまず、GLP(Good Loboratory Practice)という基本原則が国で定められており、SOP(Standard Operation Procedure:標準操作手順書)で詳細なマニアルの作成が義務づけられています。機器の取り扱い、非常事態、職員の教育、訓練それぞれの日時、なおかつ、データを試験責任者が確認しサインをいれ、データが治験データ(Phase I, II, III)に正確に反映しているかも、部下とともに最終的には試験責任者が確認のサインを入れます。これは、全て人為的なミスは起こりえるものという前提で、幾重にも対策が練られ、定期的に 医薬品副作用被害救済・研究振興調査機構(もとは厚生省が直に実施)に調査されます。徹底的に調査されます。
治験データはGCP(Good Clinical practice)があり、製剤工場には(Good Manufacture Practice)があります。いずれも人為ミスや天災(予期せぬ出来事)を想定し作られ、それを基に
SOPが作られています。但しこちらは、動物実験のGLPに比べて遅れています。
認可された薬も以前はPMS(Post Marketing Surveyrance)として、実際に薬害がないかを製薬会社が自主的に実施していましたが、法令化されてGPMSとして義務づけられました。
GPMSだけは、認可された薬の副作用の調査として病院と製薬会社で協力して実施されてますがGLPのような、査察はないようですね。一番ミスに気をつけるべき施設でこれに準じたものがないのはどういうことでしょう。
これは日本医師会が政治に圧力をかけてでもいるのでしょうか?
動物実験から、製剤認可までこれだけ厳しくチェックされて病院で杜撰な使用をされるのも許せないし、最低限のモラルとマニアルがないのは断じて許せない。
元々は、動物を殺すことを好まない私が、ラット、マウス、モルモット、ウサギを冗談でなく何十万匹もこの実験のために犠牲にしました。たった1つ生殖毒性試験(旧Segment I)の実施だけで2200匹を犠牲にするのです。精神科医に限ったことではありませんが、その犠牲のうえでやっと認可されて使われている薬剤です。でたらめな使われ方はして欲しくない。また、副作用には気を配るのは当然、こちらが患者として医師に身を無条件で任せる以上、いいわけ無しで誠意をもって治療に専念して欲しい。
病院は、厚生労働省から査察というものがないのでしょうか?暴力が横行するならば精神病院と刑務所は、定期的な行政立ち入り捜査が必要に思えてきました。個人で病院名を明示するのが不可ならば、国の義務として行うべきだとおもいます。どうも、行政機関や国会議員というのは、医師会とかの強い圧力には弱く、個人の味方にはなってくれないようですね。

『いつの世でも、役人は庶民の味方になってくれんようだな』赤ひげ先生が『塩』と書いた箱に小銭を入れ貧民救済をしようとしたところ、町の金貸しがお上に訴ったえ問答になった1シーンです。これを思い出しました。 
編集済

リンク集に入れさせて貰いました。 投稿者:はぎ  投稿日: 2月27日(金)03時11分40秒
今晩は。リンク集に入れさせて貰いました。
甲斐バンド、本当に僕は大好きです。
大好きであるが為に、そして、久能医師の言われる、ミスは必ず起こる。そして未然に防げる。僕もそれが言いたいのです。そのミスを患者側が全て悪い、としてしまうことに問題がある、と思うのです。僕は大量薬物投与の為、入院中痙攣発作で倒れ、前歯を失っています。でも精神科医は謝罪の言葉すらありません。一度ミスが起きたのだから、次は起こらない様に出来るはずなのに、起こってしまう。僕は減薬していくことに意味があると思うし、むやみやたらに試してみる、だけで薬物を倒れるまで飲ませるのはただの人体実験です。僕も違う角度から戦って行きます。全国「精神病」者集団にも入っています。ご健闘を祈ります。

http://www8.ocn.ne.jp/~viceroy/index.html


こういうのがありました。 投稿者:sachiko  投稿日: 2月26日(木)21時15分19秒
http://www2.health.ne.jp/library/0800/w0803001.html

http://www.pmet.or.jp/work/kyozai2/ic013.html

http://www.pmet.or.jp/work/kyouzai/ic11.html
編集済

http://www.pmet.or.jp/work/select.htm


Informed concept 投稿者:moralist  投稿日: 2月26日(木)12時18分27秒
sachiko様、
私が思った以上に考え方の相違があるのでしょうか?最終的に医療過誤をどう減らすか、向上させるかという点では共通の認識だと信じているのですが、こと個々のケースについては考え方に開きがあるようですね。
たとえば、手術の前に、(1)「成功の確率は70%で30%は失敗の可能性があります。それでもやりますか?」といわれた方が信ずるに足る医者だとおもいますか?(2)「医者は手術前には失敗の事は考えない、100%成功を考え最善を尽くすだけです。」私は、どちらでもないですが、強いて選ぶとすれば、(2)の医者の方が身を任せる気になります。但し、治療の仕方に、いろいろあるのではないか、といろいろ情報を集めてその結果、手術に以外ないと納得した場合だけですが。
そのときは、まな板のコイになるということです。
偏見かもしれませんが、多くの医者は思っているほど勉強しているわけでなく、医者自身がそれぞれ各人各様知識をもっていて当たり外れがどうしてもあるように思います。
(1)であれ(2)であれ、手術に落ち度があれば訴訟になるのは当然です。ただ、(2)で患者が身を任せてくれた方が、お互いよい結果がでるのではないでしょうか?
私は、実験でラットの尾静脈注射を連日100匹何ヶ月も行いました。人間の静脈注射の方がはるかにに楽ですが、直前に「信頼してますよ」といわれれば、返ってプレッシャーを受けます。
お互いに確認するというのは、信頼してないからであって、信頼とは自分から辛抱強く半年・1年と医者に向き合って築きあげるものではないでしょうか?

これまで生意気なことをいいました。お許しください。
sachiko様も同様辛抱強く医師に愛娘さんをまかせ、裏切られた経験から『誠意の無い医者は許せない』ゆえに、『お互いが同意しなければ、誠意は成立しない』という確信を持たれたのだと思います。
sachiko様と若干考え方の相違は有るようですが、今後ともよろしくお願い申し上げます。
編集済

しんらい 投稿者:sachiko  投稿日: 2月25日(水)18時48分57秒
>患者は、身を任せた以上とことん医師を信頼しよう(相手もOK、自分もOK)

いかなる前提があっても、私はこれには従えません。たしかに、たとえば「手術」という段階では、相手にまかせるしか、しかたないです。しかし、ミスがあったら、それは信頼した自分が悪くて相手は悪くない、ということになりかねない認識ではないかなあ、と思ったりしますが。「私が信頼して、結局こうなったんだから、下半身不随になっても、あなたのミスは責めません」というふうに。

そうではなくて、「信頼して頂いたのに、ごめんなさい」となって、「信頼したのに、ミスりましたね」といって、訴訟したってよいわけですから、そういうこともありえますよ、ということを常にお互いに確認しあえる関係こそが、「信頼」だと思っています。

やはり「信頼」は裏切られた時、それぞれが責任を分担する必要がある、ということを考えています。その場合の「責任」は、どちらがどれぐらい負担するか、ということになりますと、「素人」ではなく、知識と技術を持っている、という前提で職業行為を実践する側に、相当ある、と考えるわけです。そういった自覚が双方にあることを、お互いに常に確認しあえるところで、「信頼」が生まれる、というのが私の考えです。

これは、双方がそれなりの自覚を持ってオープンに話さないとできませんが、それができない専門家は、おそらく変なプライドに凝り固まっているか、ある意味では人間不信、患者不信で、さらに、実は無意識に自信がない、とか、なんではないかな、と思っています。他方の患者側がそういう状態なのは、私は、専門家でない、という意味からすれば、むしろ当然だと思っています。素人にわかりやすく説明して同意を得たり、合意を形成できたりするも、専門家の技術の一つである、と考えています。

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