「訴状」と「準備書面(1)」

 以下は、原告側の「訴状」と、それに反論する「被告準備書面(1)」(2003年5月29日提出)の対照表である。ただし、(1)一部固有名などは削除している。(2)同文書において「訴状」が言及されている場合、当該箇所を最初に提示し、これに続き、その箇所に対する被告側の「準備書面(1)」における反論を提示する。(3)「準備書面(1)」における原告側のコメント等は【】において示す。

原告側の主張 被告側の反論
(1)当事者
 原告A、原告Bは、故幸子の父母である。

 故幸子は、昭和○年○月○日生まれであり、大学在学中、精神疾患の疑いで、被告が勤務していたA大学病院、B中央病院で被告から精神療法などを受けていた者である。

 被告は上記各病院の精神科勤務医として故幸子の主治医となっていた者である。

@ 第一段落は認める


A 第二段落及び第三段落は、被告がA大学病院で精神科勤務医として幸子の主治医となっていたことは認める。幸子は、平成8年1月にK病院に転院したが、同病院で幸子の主治医となったG医師から被告に、幸子の治療方針について相談したいという連絡があり、G医師と話し合った結果、K病院とあわせてB中央病院でも治療を行うことになった。
(2)A大学病院での治療の経緯と医療過誤

1) 受診に至る経過


  故幸子は平成○年4月A大学○学部に入学し、××に所属していたが、交際していたサークル内の男性との失恋などのために平成6年9月ころから、睡眠障害、抑うつ、不安、食欲不振などの症状を呈し、同月、○○付属病院精神科を受診した。同病院において抗うつ剤など投与を受けたが改善がなく、このため、平成7年3月4日A大学病院に入院することになった。


幸子がA大学○学部に入学したこと、××に所属していたこと、幸子が、平成7年3月4日、A大学病院に入院したことは認める。


 A大学病院に入院する以前から睡眠障害等の症状を呈していたこと、○○付属病院精神科を受診したこと等は、本人及び家族から聞いたことがあるが、詳細は不知。

 幸子は、極めて小さな事柄であっても、それをきっかけとして、「死にたい」という気持ちを抱くことが多かった。たとえば、幸子は、被告が他の患者と話をしていると、何を話しているのか気になって死にたくなると述べたり、看護士などにも頻繁に「死にたいと思うが原因はわからない」などと話している。E医師も、「生死には区別なく魂は生存し肉体だけが死んでいくにすぎない、という宗教的な観念(とでもいうのでしょうか?)ももちあわせており、死に対する単なるあこがれ、逃避ともとりにくい部分がままあります。」と述べている(平成7年10月26日カルテ)。

 幸子の自殺傾向の原因は、表面的なきっかけとなった失恋ではなく、大病が契機となって顕在化した、強い自殺傾向を特徴とする人格障害であった。
2)A大学病院における診断と治療

 A大学病院における故幸子について確定診断に至らないまま治療を進め、薬物療法(抗うつ剤)を行ったたが、その有効性が乏しかっため、精神療法を行うことにし、被告が担当になって精神療法を継続することになった。

 幸子に対して行った薬物療法は、精神運動抑制に対しては効果があり、平成7年3月末には、幸子の精神運動抑制は改善されていた。しかし、精神運動抑制が改善されるにつれて、悲観的かつ破壊的な行動が現れるようになったため、被告ら幸子担当スタッフは、幸子は単なる鬱状態ではなく人格障害の可能性があると考え、幸子を支持するための体制を強化しつつ、引き続き精神療法を行った。ただし、精神運動抑制改善や衝動性制御のため、投薬は引き続き行われている。

 また、幸子の担当は、被告のみではなく、E医師、F医師、幸子の担当看護婦、その他看護スタッフなどが、チームを作って対応していた。
ア 精神療法は患者を再適応に導くことを目的にして心理的に働きかける治療手段であり、力動的精神療法、行動療法、認知療法、家族療法など各種の精神療法の理論及び技法があり、診療報酬上保険適用の対象となる確立された治療行為の1つである。 [ア]については、精神療法が患者を再適応に導くこと等を目的として心理的に働きかける治療手段であるということ、各種の理論及び技法があることは認める。

 ただ、精神療法は、5年から10年というスパンで理論が代わっていくというのが現状であるため、現在の理論及び技法が「確立され」ているとはいえない。
イ ところで、治療行為は患者の心身に侵襲を加える行為であるから、当該行為が違法とならない治療行為と認められるためには、医療技術の正当性(医学的に承認された医療水準を満たす治療行為であること)と医学的適応性(当該患者の生命・健康を維持するために必要であり相当な治療行為であること)が認められるものでなければならない。 [イ]については、一般論としてはそのとおりである。ただし、前述したとおり、確立された精神療法はない。
ウ 被告は治療計画として、薬物療法の有効性が乏しいとして精神療法を採用することにしていたが、その面接時間は通常の精神療法における面接時間及び面接回数を大幅に逸脱して異様に長時間かつ頻回であった。






 しかも、被告は故幸子がA大学病院に入院して3ヶ月ほどたった6月ころ、原告らに「私が幸子さんの恋人役をやります」などと、確立された精神療法の範疇には入らない怪しげな民間療法まがいの「治療方針」を言明し始めた。


 その際、被告は治療方針として、
@自身が故幸子の恋人役を果たすこと、
A家族を母親主導のものとして、母親がより家族の中で発言し、故幸子が母親に甘えるようにすること、
Bそのために、母親が毎週水曜日に被告と定期的に面接すること、
C故幸子のわがままを許してゆくことを提示した。
[ウ]については、被告が、薬物療法の有効性が乏しいとして精神療法を採用することにしたという主張は否認する。前述のとおり、投薬は続けて行われている。

 面接時間については、A大学病院では、一般的に、毎日1回1時間程度、週4回の面接が行われていた。これは当時最も広く行われていた精神療法である精神分析療法において標準とされている時間及び頻度である(自由連想法では、セッションを少なくとも週3〜5回、1回45分ないし50分の割で継続的に行うこととされている。)。

 被告が、「私が幸子さんの恋人役をやります。」と述べたというのは否認する。被告がこのような発言をすることなどあり得ないし、幸子の恋人役を果たすといういうような治療方針を提示することなどあり得ない。



 さらに、被告ら幸子担当スタッフは、当初から幸子と家族のコミュニケーションがうまくとれていないことを問題視していたので、家族の中で自由に発言できていなかった原告Bが自由に意見を言えるような環境を作ること、幸子と原告Bがもっと信頼しあえるようにすること、原告Bが毎週水曜日に被告と定期的に面接することを提案した。

 しかし、精神療法という視点から、幸子に一定の枠内で自由な行動等を許容してはいたものの、危険が感じられる場合には、行動制限をするなど、適切な処置を行っている。


 しかし、この治療方針は極めて不当なものであった。医師が患者を支持するために当面依存の対象となる必要があるとしても、それは「恋人役になる」というものではなく、当面の依存の対象となって患者が危機を乗り越えるのを待つというのが正しい方法である。

 また、母親に甘えるようにすることと、被告が恋人役として依存の対象になることは、本来両立しないことであり、また、母親に甘えることを許す方法の方が精神療法上のリスクは少ない。

 両者を同時に行うことは単に患者に混乱を与えるだけである。さらに、一定の枠内でわがままを許容することが必要であったとしても、枠の設定のない許容的な態度は患者の逸脱をとどめることができず危険な結果を招きかねない。

従って、ここにおける被告の治療方針は、治療構造を確立せずに自らを積極的に転移の対象としてさらすことで、自ら逆転移に巻き込まれ、自分自身では転移・逆転移現象から免れられない事態に至る重大な原因を形成したことになる。


 そして実際、被告と故幸子との関係は原告ら家族のみならず他の入院患者、さらには、病院関係者からも明らかに医師・患者関係を逸脱した個人的に親密な関係になっていった。

[エ]以下も、被告が幸子の恋人役をするという治療方針を示したということを前提として主張されているという意味において、全面的に否認する。

 なお、被告は、平成7年8月末ころ、幸子が被告に対して一方的な恋愛感情を抱いていることに気づいた。

 ただ、幸子は、失恋した彼への強い気持ちも同時に抱き続けており、「やっぱり今一番大事なのは彼」(平成7年7月28日カルテ)とか、彼に失恋したつらい気持ちを「ぶつけられるのは担当Drだけ」(平成7年9月28日看護記録)とか、「やっぱり彼がいなくちゃだめ。でもあきらめられない」(平成7年11月11日看護記録)などと述べている。また、「自分の寂しさを紛らわす為に2番目の彼にもしがみついている」(平成7年11月14日看護記録)。

 このように、幸子が被告に恋愛感情を抱いたのは、従前の恋愛対象を失って不安定な状態にあった幸子が、自分を理解しようと努力してくれる被告にすがりつくように「すりかえ的」に恋愛感情を向けていったというのが事実である

(これについては)、E医師らもカルテで「ほしい助けとは恋人からもらうようなスキンシップ的なやさしさ、つつまれる感じ、肌感覚のよさ、これをDDrにもとめていたようである。とらえ方として先生という・・・(判読不能)をこえてしまったようだ。この自分の思いにDrが気付いて引いてしまったのかもしれない。・・・ここの線は、前の彼とのやりとりの再現である。・・・DrD前の彼におきかわっている。」(平成7年6月29日のカルテ)

「以前は彼にふられると死んでしまう(自殺)のではないかという構図からDrにみはなされると狂うのではないか、というおそれの方向に変化している。」(平成7年10月26日カルテ)

「□□君との恋愛問題のすりかえ的要素も十分あるようだ。」(平成7年10月26日のカルテ)等と指摘している。)。


 しかし、いずれにせよ、幸子の恋愛感情に気づいた被告は、これを避けるべく最大限の努力を払っていた。
オ 精神療法としては、通常、週1回程度行われる場合が最も多く、多くとも2ないし3回程度が通常であり、時間も1回について30分ないし50分程度が通常であるが、被告は故幸子に関してのみ、最長で3時間にのぼる長時間の1対1の面接を繰り返し、あるいは、一回1時間程度の個別面接を一日に数度にわたって実施していたことがしばしばあった。

また、原告らは診療室内で被告Dと故幸子が、言葉を交わさず、じっと見つめ合ったまま長時間にわたって対峙している、という面接を目撃している。










 そもそも、精神療法は、「言語を通じた、合理的で、自己を客観化した二者間関係」に基づくものであるが、これが逆に、「言葉以前の泣き声をやり・とる関係」になれば、それは「ラブシーンや母子関係」と同様でありおよそ治療的ではないとされている。

 居合わせた原告らから見れば、二人は「恋人」としか見えないものであった。この面接の場に居合わせた女性のE医師は、いたたまれない様子で席を立つほどであった。

 さらに被告Dは原告(母、B)に対して、「幸子さんと会ってから毎日ネクタイをするようになりました」との発言をしており、原告久美子としては更に不可解な思いを高めていた。

 これに加えて、被告は故幸子に対して「幸子さんにプロポーズしたらご両親はびっくりするだろうな」とか「医者と患者は結婚できないけど、世界に1例か2例はある」などと話すことがあった。

 このように、被告は精神療法に関するいかなる理論及び技法の立場に立とうとも到底治療行為の範疇に属させることのできない言動を診療室内で続けていたものである。
[オ]については、被告と幸子の面接は、通常どおり行われた。
 ただ、幸子の希死念慮が強く、面接を打ち切ると直ちに自殺に走る危険性があると思われるような場合には、面接時間が伸びることもあった(被告は、このような措置を、幸子のみならず他の患者についてもとっていた。)。

 被告は、強い希死念慮を持っている幸子をなんとかして救いたいと最大限の努力を払っていたのである。

 さらに、原告らは、被告と幸子が診療室内で言葉を交わさずじっと見つめ合ったまま長時間にわたって対峙していたと主張している。

 当時、被告は、患者の自由連想法及び対面法という精神療法技法を採用していた。この技法は、患者の自由な連想を治療者が引き出していく治療法であり、患者が沈黙を守っている間は、治療者も患者も口をきかずに時間を過ごすということもある。さらに、精神療法においては、治療者の「受け身性」が重要であるとされている(治療者の方が発言したり、質問したり、働きかけたりするのではなく、とにかく忍耐強く黙って話を聞くのが基本なのである。)。




 原告らがこれを指して「ラブシーン」と呼んでいるのであれば、それは誤解である。



 また、被告と幸子が恋人としか見えなかったためにE医師がいたたまれずに席を立ったという事実もない。




 さらに、被告が原告Bに対し、「幸子さんと会ってから毎日ネクタイをするようになりました。」と述べた事実はないし、被告が幸子に対し、「幸子さんにプロポーズしたらご両親はびっくりするだろうな。」と述べた事実もない。

 「医者と患者が結婚した例は、日本にはないし、世界にだって1例か2例くらいしかない」という趣旨のことは、述べた事実はあるが、これは幸子が被告に対して恋愛感情を示す言葉を述べた際に、これを聞いた被告が、「そんなことは許されることではないし、事実、そんな例はほとんどない、だから自分たちの間でも起こり得ない。」ということを幸子に納得させようとする中で述べた言葉である。

 幸子は、特に理由がなくても「死にたい」と述べ、テレホンカードで頸動脈を傷つけたり(「<何かきっかけ?>ううん、何もないんだけど頸動脈切りたいよね。」平成7年10月19日看護記録。)、イヤホンのひもで首をしめたり(「昨日はもうどうでもいいやと思って・・・。・・・全部がどうでもいいやとなってしまった」平成7年7月7日カルテ。)、致死量に至ほどの量の薬の包みをトイレに捨てているのを目撃されたり(平成7年9月5日カルテ。理由不明)、「死にたい。昨日からずっと思っていた。原因はわからない。」と述べたりしている(平成7年9月24日看護記録)ことからもわかるとおり、常に非常に強い希死念慮を有していた。

 また、退院時の看護記録に、「家族のやりとりの中で自分をわかってもらえない、見放されていると感じた時、特に希死念慮が強まり実際に行動化することもあった(首締め、離院etcの自殺企図計4回あり)。」と記載されていることからわかるとおり、家族に理解してもらえないと感じる時に希死念慮を口にすることも多かった。

 このように、幸子は、「誰も自分を助けてくれない」という思いを非常に強く持っていたが、幸子は、被告に強い信頼を寄せていたため、被告が幸子に対する「愛情」を完全に否定し、幸子が被告に対する信頼をなくしてしまえば、幸子は、よりどころを失ったと感じ、自殺に走ってしまう危険性が非常に高かった。そのため、被告は、幸子に対して恋愛感情は持っていないということを説明しながら、一方では信頼関係を維持していかなければならない、という非常に難しい立場に置かれることになった。

 それでも、被告は、注意深く幸子に恋愛感情はないということを納得させつつ、その一方で幸子を自殺から救おうと医師として最大限の努力をしてきたのである。

 以下、被告が幸子に恋愛感情を持っていないことを納得させようとしたことがわかるカルテの記載を、一部、例として挙げる。

 平成7年9月6日(カルテ)「『(Drを)独占したい。一番大事にしてほしい。』と言う。<それはムリなところがある。大事にするつもりはあるが、独占、一番は常にはムリかもしれない。>というと、『死にたい』状態に入りそのままである。ここでDr怒ってしまう。<ムリな(一番・独占)ことを言ってそれで死にたいと言われても困る。>」「Drを信じて頼れない(いつか引かれてしまう)ということについて、<とにかくPt(患者)が納得するまでおつき合いして、Ptが幸せになることをSupportしたい。この条件で契約したい>」
 平成7年9月8日(看護記録)「Drも結局他の人たちと同じだと思った。私が本気になると引いてしまう。」

 平成7年9月19日(カルテ)「(Drのことが好きで、治療が終わったらおつきあいしたいと幸子から言われ)自分と幸せになろうとは思っていないことを伝えた。」「元気になりたいと思っているのであれば、それに対してDrはお手伝いをしておつき合いする。」「(原告久美子に対し)医者としてのつきあいしかできぬと言ったのに対してPtがふられたと反応したことにつき(本人もまじえて)報告。」

 平成7年9月21日(カルテ)「昨日の<自分の気持ちをよく見てみると、やはり治療のためにおつき合いしているが確か>というのは、本人に深刻に伝わったようである。」

 平成7年9月26日(カルテ)「私DのPtとおつき合いする目的は治療のためである。」

 平成7年10月4日(カルテ)「自分が大事にされているという確証がほしい<Drとしては、あなたが一番大事とはいえない。>」

 平成7年10月13日(カルテ、記載はF医師)「DDrも□□君も気持ちはこちらにはむかない、ということだからもうあきらめるしかない、というところまできた。」「やけになっていた時の発言とは違い、・・『人にたよってまっていてもしかたがない。一人でゆっくり解決していこうか』というような流れをもつものであるようだ。」

 平成8年5月1日【B中央病院のカルテ】(カルテ)「DrはPtの回復と幸福のために働いている。個人的な交際ということは、できないことであるが>をくり返し説明する。」

 幸子と被告との関係が、医師・患者関係を逸脱した個人的に親密な関係になった事実はない。もちろん、個人的な身体接触や、治療場面以外での接触はまったくない。
カ A大学病院で被告とともに故幸子の治療に関わったE医師の、平成7年9月14日のカルテによると、次のような記述がある。

 「昨晩の件は、しっと心からくるもので、Iさんの部屋でDr、Dが2時間以上くらい話をしていて、何を二人っきりで話してるんだろう、と不安になってしかたなかった。それで死にたいとうずくまってしまった。」

 「精神の安定はDrDにもらってるのに、そのDrDが他の人と仲良くするのをみると、その安定感はなくなってしまう、とのこと。」

 「Drに対する接し方、頼り方が恋人のようであり、自分の恋人が他の女と話すのをみて不安、しっとする、という構図は本人も認めている。」

 「人を好きになったり、しっとしたりするのはかまわないがその気持ちの処理の仕方を工夫しなければいけない。というのも、少しわかってはいるようであるが、まだ自分の感情にふりまわされてばかりの毎日のようである。」

 「とりあえず、<FrE>としゃべるときは一線おいたシャキッとした冷静な態度、論理的でもあり、客観的である依存的な面もあるのだが、こちらがふたんになるようなしがみつく感はない。これはPtの言葉をかりると“女子校出身だから”女性の前では必要以上にあまえたりはしないとのこと。」

 「きっかけがあれば容易に崩れてしまう危険性大。(今のところDrD、前の彼が)[?]りが−−)又、DrDが目の前にいない方が安定するともいう(しかし、これが長く続くと今のようなDrDへの心慕[→思慕?]であれば、一見落ち着いてみえるがまたわるくなる可能性あり)様子を見る。」
[カ]については、カルテにこのような記載がされていることは認める。


 ただし、「昨晩の件は・・・」「精神の安定は・・・」「Drに対する話し方、・・・」というのは、幸子がE医師に話したことや、E医師が幸子を観察して感じたことなどをE医師が書き留めたものである。
キ 一方、 被告DはA大学病院における故幸子との面接において、平成7年9月3日のカルテによると、次のような対話を行っている。

「今Drには話が通じると感じるし、患者でなくなったら、個人的な関係を持ちたいという。<今Drとしては治療のことを考えている訳であるが、「Ptが納得するまでおつき合いする」という考えである>ことを伝える」

 この段階で、すでに患者側に強い転移が形成されているにもかかわらず、被告は「おつき合いする」という曖昧で治療的とはとうてい思えない言葉によって、故幸子の転移を放置あるいは強化している。
















[キ]については、「Ptが納得するまでおつき合いする」の、「おつき合い」の意味は、医師として面接を続けるという意味である。

 被告は「元気になりたいと思っているのであれば、それに対してDrはお手伝いをしておつき合いする。」(平成7年9月19日カルテ)とも述べているが、その趣旨が交際としての「おつき合い」でないことは、これを見ても明らかである。日常生活の中でも、「おつき合い」という言葉は、交際のみを意味するものではなく、被告の言葉が「治療的とはとうてい思えない言葉」とは言えない。


 また、被告は、幸子に対し、再三にわたり幸子に対する恋愛感情はないと述べており、被告が幸子の「転移」を「放置あるいは強化」したというような事実はない。
ク さらに9月19日には、さらに被告の主治医としての混乱がカルテに現われる。

「○全体的にはおちついた感じで話をする。(しかし内容はシビアなもの)
○Drのことが好きで、治療が終わってからおつきあいしたい、ということを言う。(かなり説得力のあることを細かく考えている)

○Drとしては、それは実際的にもムリであるし、Drとしても(非常に正直に言って)Ptに幸せになってほしいと思っており、自分と幸せになろうとは思っていないことを伝えた。

  穏やかな話し合いであったが、DrがPtと個人的におつき合いすることがないのだという当たり前のことが(しかしこのPtは不可能を可能にしたくなる人で、又有能な人である。)実感として感じられたようである。」

 以上の記述の中から次のようなことを読みとることができる。故幸子が被告とつき合いたいと考えていることについて「かなり説得力のあることを細かく考えている」、換言すれば、被告自身が説得されかねない感情を抱いたことを示している。

 また、文脈から見て「幸せになる」ということの具体的な内容は、愛するものとの交際や結婚を意味していると解されるが、被告は「(非常に正直に言って)Ptに幸せになってほしいと思っており」と述べている。

 同時に「自分と幸せになろうとは思っていない」ことを辛うじて伝えているが、この時点で、故幸子にとって「幸せになる」すなわち愛する人との交際を実現するということは、被告との交際を実現することを意味しており、それに対して、「非常に正直に言って」被告自身も故幸子に幸せになってほしいと思っているという答えは、被告自身も「非常に正直に言えば」故幸子の思いを受け入れたいことを表白したことを意味している。

 ここでは被告は辛うじて、しかし、「自分と幸せになろうとは思っていない」と述べて、故幸子との恋愛関係の形成をしないよう踏みとどまる発言をしているが、けっして一般論として、いつか誰かいい人が見つかって幸せな結婚をできるといいというようなことを述べたような状況ではない。

 むしろ、被告自身が故幸子の思いに説得されそうになり、正直な真意としてはそれに応じたいのだが、立場上それができないことを辛うじて示しているのである。

 「不可能を可能にしたくなる人で、又有能な人」といった治療者側の心情や患者個人に対する評価も、治療関係における客観性のある評定ではなく、被告個人の主観的な思い入れを示しており、被告が逆転移現象における「幻想」(逆転移のために医師が患者に対して恋愛感情や依存的な心情を抱き、そのために患者の客観的な状態を観察できず、実在以上に患者が高度の能力や崇高な人格を持っているものであるかに見てしまう現象をいう)を持ち始めたことを示している。


























[ク]については、原告は、被告のカルテの記載をもって、「被告自身が説得されかねない感情を抱いていたことを示している」とか、「正直な真意としてはそれに応じたいのだが、立場上それができないことをかろうじて示している」などと主張しているが、極めて無理のある解釈である。


 「かなり説得力のあることを細かく考えている」「このPtは不可能を可能にしたくなる人で、また有能な人である」というのは、被告がこれを肯定的にとらえているのではなく、何度も説明し、説得したものの、かなり説得力のあることを逆に理屈立てて考えてくるため、どう説明したらいいのか困惑しているという気持ちで記載したものである。

 被告は、幸子に対し、幸子には幸せになって欲しいが、自分と幸せになろうとは思っていない、ということをはっきりと伝えているのである。
ケ このような状態に至った場合には、本来、主治医は交代するか、治療構造をより厳格なものにしていくべきであった。 [ケ]については、被告は、幸子が自分に対して恋愛感情を抱いていることに気づいてから後、主治医を交代した方が安全であれば交代するということを視野に入れつつ、注意深く幸子を診察していた。

 しかし、幸子は被告に強い信頼を寄せていたため、被告が主治医を降りてしまえば、すぐにでも幸子が自殺してしまう危険性があった(事実、被告ら幸子担当スタッフは、平成7年秋から、幸子との面接回数を減らしているが、幸子はそれだけでも精神的に極めて不安定となり、目が見えない、耳が聞こえないと訴えたり、看護士への依存度を強めたり、看護記録が言うところの「2番目の彼」に電話するなどしている。)。

 より正確に言えば、「交代」を目にしただけでも、幸子が動揺して自殺企図に走る可能性があったのであり、そのため、主治医を交代するという選択をすることは、即座に幸子を自殺の危機にさらすことを意味していた。

 さらに、一般的にも、治療者が転移性恋愛に直面した場合には、これを治療に利用しながらも(転移は患者の心を知ることができるという意味で、逆転移と同様、最上の治療手段であると言われている。)。さまざまな行動化(記録や態度や葛藤が、言葉によらずに行動で表現されること。)を避けつつ、ゆっくりと解消をはかっていかなくてはならいとされている。つまり、原告らが主張するように、直ちに主治医を交代するなどというようなやり方ではなく、かえって転移を利用しながら、引き続き治療を行うべきとされているのである。
コ さらに、同年9月25日、上記E医師のカルテでは、

「DDr、□□氏ともに未練あり、あきらめきれず。まだ何とかしたい、と思っているしDDrに関してはDDrの”思わせぶりな”言動がなぜおこったのかというあたりにこだわっている」

とされている。

 そしてついには、E医師の、同年10月26日付の<申し送り>によると、

「希死念慮が生ずることとしては、以前の申し送りにも書きましたが虚無感のようなものが主に前に出ていた時期を過ぎ、現在は虚無感を内包しつつ、対人関係でのストレスによるだれもわかってくれない、「死んでしまいたい」という気持ち、「おもいどおりにならない」というあたりのやや衝動的な感あり。又、生死には区別なく魂は生存し肉体だけが死んでいくに過ぎない、という宗教的な観念(とでもいうのでしょうか?)ももちあわせており死に対する単なるあこがれ[欄外に「−「絶望のうちに死にたい」との」]、逃避ともとりにくい部分がままあります。しかし、死にたい気持ちなど精神の不調を治療者にぶつけてきたりいろいろと悪あがきのような生に対しねばりづよく種々のことをあきらめわるく執着するようになっています。いわゆる医原性Borderline Personality Disorder(訳注:境界性人格障害)までもちあがった感があります。」

 ここで、「医原性」とは治療によってもたらされたという意味であり、まさに被告の精神療法によって故幸子がより重篤な精神障害へと追い込まれていったことが示されている。
[コ]については、被告は思わせぶりな言動など一切していない。E医師も、幸子の「思わせぶり」という言葉が被告のどのような言動を指しているのか理解できなかったため、わざわざ「””」を付していると思われる。
 E医師が記載したカルテの内容については、被告の方ではその趣旨を判断することが困難であるため、その点の認否は保留する。
サ こうした事態に原告らも不安を感じ、同年10月ころ婦長に相談したところ、他の医師及び看護婦らも被告と故幸子の親密な関係を問題であると考え、被告だけを故幸子の担当とせず、他の医師や看護婦等もグループで担当することにして、被告の面接も他の患者と同様に週2回とすることにした。 [サ]については、幸子が被告に甘えようとしたり他の患者と競おうとするなどの行動が見られたため、それまで採っていたグループ制を、さらに強化することとし、他の看護スタッフにも幸子の状態を観察してもらうなどすることになった。
シ 治療者が患者と性的に密接な関係を持つことは、古くは精神分析の創始者であるフロイトにおいて禁欲原則として禁じられており、また、現在でも心理学会の倫理原則などにおいて明確に禁止されている。

 治療関係の前提には医師の高い権威性と専門性があり、精神療法においては特に権威の存在、権威による受容、権威による支持が重要な意味を持ち、あらゆる術式・技法に通じる構造であると言われる。

 こうした権威性と専門性を前提にした医師・患者関係において医師が特定の患者と性的に密接な関係を持つことは、医師が当該患者本人の判断を欲しいままに誘導して性的に密接な関係へと導くものであり、それ自体、反治療的である。

 また、こうした医師は、性、年齢、魅力などで患者の取り扱いを異ならせることになる点でも医療倫理上非難されなければならない。

 さらに、性的であると非性的であるとを問わず、医師が患者と治療関係以外の「二重関係」を持つことは、患者に対して、治療者とそれ以外の役割を混乱させ、多くの場合患者に悪影響を及ぼすことが報告されており、多くの場合病状の増悪を招くと報告されている。


 ことに精神療法において出現する患者の医師に対する性愛転移と医師が患者に対して抱く性愛逆転移については、治療者が「転移を『不都合なもの』、『不思議なもの』と正しく認識し、治療者が自分の逆転移に負けないで転移を理解し、その解釈を伝え、治療者の職責を全うすることが、治療者の責務である」と言われる。

 「転移を現実的な感情と取り違えたり、逆転移に翻弄されて治療者としてふさわしくない行動、言動を採ることがないように、常に冷静でいることが治療者に求められる」のである。

 そのためには同僚医師との相談や上級医師のスーパーバイズを受ける必要があるが、被告Dはこのような相談や指導、スーパーバイズを受けないままに、転移・逆転移に巻き込まれていった。
[シ]については、治療者が患者と性的に密接な関係を持つことが禁じられていることは当然である。しかし、何度も繰り返し述べているように、被告は幸子と性的に密接な関係など一切持っていない。原告らの主張は全面的に否認する。

 さらに、原告らは、治療関係の前提には医師の高い権威性と専門性があり、精神療法においては特に権威の存在、権威による受容、権威による支持が重要な意味を持つと述べている。被告と幸子が性的に密接な関係を持ったことを前提として述べているという意味で被告はこれを否認するが、それ以前に、精神療法の理解が正確ではないので、念のために簡単に指摘しておく。

 人格障害の患者にとっての人間関係とは、一対一の関係、それも、あらゆる社会的身分や役割を【乖離?:判読困難】した上で成り立つ生身の人間関係の総和に等しいと言われている。そのため、治療的人間関係は、高度な専門性を前提としつつも、同時に社会的身分や役割にとらわれない関係であることが目標とされるのである(そうでなければ、患者は治療者を拒絶することになり、治療者は患者を理解することができない。)。治療者が権威を用いるのは、患者の自我が脆弱な場合などであり、限定された局面においてでしかない。

 被告も、幸子に対して、「高い権威性」を前提とした治療行為など行っていないことは当然のことであり、さらに、これを利用して幸子を性的に密接な関係へと誘導したなど、まったくあり得ないことである。
ス 被告は、精神療法の名を借りて、実際には診療室内で故幸子と性的に親密な関係を継続させたものであり、同医師の行為は肉体的な関係にまで至っていなかったとしても、精神障害に苦しむ患者の心理を異性であることを利用し、あるいは少なくとも異性であることをに伴う医学上の禁忌を破って、欲しいままに操作し、患者を自己の欲求を満たす手段としたものであって、単なる医療過誤を越えた重大な違法行為である。

 被告Dの精神療法に名を借りた診療室内での言動は、医療行為としての正当性を欠き、医学的適応性も満たさないものであることが明らかであって、主治医の地位を利用して精神疾患を有する患者の心理を弄び、その病状の増悪を招いたばかりでなく、後記のように故幸子を自殺に至らしめたものであり、許容することのできない重大な違法行為と言わなければならない。
 [ス]についても、全面的に否認する。理由は前述したとおりである。
A 自ら招いた転移・逆転移性愛の放置ないし増悪化

 被告は、A大学病院において故幸子との間で形成された転移、逆転移性愛を解消する努力をせず、かえって、その後もこれを増悪させていった。

 被告は、B中央病院においても故幸子との面接を続けたが、被告は、故幸子に対して、同人が特別の患者ではなく、自身の診療態度に落ち度があったことを自覚していたのであるから、その非を率直に認め、同人との関係を本来の医師患者関係へと修復するべきであったのに、かえって故幸子を巻き込んでいく言動を面接の上で繰り返した。
(ii)Aについて


 第一段落は否認する。




 第二段落は、前述したとおり、幸子の主治医であるK病院G医師から幸子の治療について相談を受け、十分に協議した結果、被告がB中央病院においても幸子との面接を続けた事実は認める。その【外?】は否認する。
B 精神療法における治療構造の無視

 医師が患者と性的に密接な関係になることが治療行為と呼ぶに値しないことは、前述のとおりであるが、精神療法では基本的な治療構造を確立し、患者に対する関係での禁忌事項を遵守することがとりわけ重要である。しかし、被告はこの治療構造の構築に失敗し、また、禁忌事項を遵守する努力を怠った。

ア 精神療法の基本的な要素には、治療目標(何のためにどんな治療的な変化を意図するか)、治療機序(治療目標に達するために医師・患者関係の中にどのような心理的変化を引き起こすことを期待するか)、治療過程(治療機序は治療のどのような過程をたどって実現されるか、またその過程でどのような現象が起きるか)、治療手段(治療機序を引き起こす手段)、治療技法(治療目標を達するための治療機序をどのような治療手段を用い、どのような治療構造を設定して実現してゆくかの医師側の手続・方法)がある。

 そして、治療構造とは上記の基本要素を医師・患者間の精神療法上の交流に適するように設定しなければならない医師・患者関係を規定する交流様式である。治療構造は治療関係が成立する基本条件を作り出して、治療関係を支えるものである。

 とりわけ、精神療法において生じる転移(患者の幼児的感情、願望、態度、空想などが作り出した人物像を医療スタッフに投影する心理現象であり、本件では恋愛的、性愛的色彩を持った転移が認められる)・逆転移(医療スタッフ側が患者に向ける転移)現象について医師と患者の安定した境界を定めるために重要な枠組みとなるものである。


イ 医師、とりわけ精神医療にかかわる専門職にある者は、その治療行為自体が患者の内心や精神に深く立ち入るものであることから、容易に患者の過度の依存を招来する事ができる。
 それゆえ、その関わり方については、転移・逆転移という心理現象を生じやすい。治療構造は転移・逆転移の取り扱いについて、その推移を読み取りこれを分析可能な状態にする機能を持つだけでなく、医師と患者の安定した境界を定める機能を有するものであり、このための治療構造を前提におくことなしに転移現象を扱うことは困難である。治療構造を曖昧にすることは医師・患者間の境界を不明確にし、患者の現実検討を困難にし、患者の治療や回復を困難にすると言われている。
(iii)Bについて
 








[ア]、[イ]については、精神療法において、治療構造(面接室の状態、時間や回数の設定、料金額、面接室における治療者と患者の位置、治療目標をはじめとした契約内容等)が重要であることは認める。


 しかし、治療構造とは、無機質な「ルール」の固まりではない。その全体からかもし出される、雰囲気、ムード、安全感こそが「治療構造」として最も重要な機能を果たすことになる。さらに、治療においては、「無構造な」治療というものはあり得ない。たとえば、面接室や面接時間を定めない面接が行われることもあるが、これは「無構造な」治療なのではなく、”面接室や面接時間を定めない”という治療構造が設定されているのである。

 また、臨床の現場においては、患者のニーズにあった治療構造を構築する必要があるし(治療構造には固定的な唯一の方法があるわけではない)、固定的な時間等の枠組みを厳格に遵守することが適切でない場合もある。

 たとえば、外傷性人格障害の患者の場合には、厳格な枠組み設定をすると(たとえば、あらかじめ設定された面接時間を伸長せずに無理に打ち切ってしまうなど)、症状が悪化する場合がある。

 また、厳格な枠組みが設定されていた方が安心する患者もいれば、逆にその患者にとって適応できない枠組みを押しつけると、精神的な安定を損なったりする場合もある。

 さらに、幸子のように、面接時間に自殺企図を口にし、かつ、実際に自殺に走る危険性が高い場合には、治療構造を厳守して面接を打ち切ってしまえばそのまま自殺に走ってしまう危険性があったため、枠組みを厳守するのが困難なことが多かったのである。
ウ 被告が、仮に当初から治療行為を逸脱して故幸子と性愛的な関係を持つことを意図していたのではなかったとしても、同医師は精神療法に入る際に、通常の精神科医であれば当然設定しなければならない治療構造の構築を怠り、あるいは、その構築に失敗した結果、医師としての立場を逸脱して故幸子に対して恋愛感情を抱き、あるいは、逆転移現象に翻弄され、故幸子に転移を生させ、それを治療的に分析することに失敗して、さらに、同人の転移感情を一層賦活させる結果になったものである。
[ウ]については、被告が治療行為を逸脱して幸子と性愛的な関係を持つことを意図していた事実などない。その余も全面的に否認する。
エ 平成7年9月頃には、被告自身が原告らに対して「この先どのような治療をしてよいのかわからない」ともらし、被告自身が治療者としての立場を保てなくなり、前記のとおり他の医師や看護者からも両者の関係の異常性を指摘されるようになっていた。かかる事態は精神療法の初歩的な失敗と言うべきである。 [エ]については、幸子がこれといった原因もないのに強い希死念慮を抱き続けていることについて、被告が、原告らに対し、「大変困った、危険な状態である。」と説明した事実はある。
 しかし、他の医師や看護者から被告と幸子の異常性を指摘されたという事実はない。

 また、原告は、医師は特定の患者に好意を寄せていると受け取られないような慎重な態度で接する必要があると述べている。

 もちろん、治療の必要を越えて、性的な意味で「特定の患者」に「好意を寄せている」ような態度をとるべきではないことは、当然のことである。

 しかし、特に幸子のような人格障害の患者の場合には、表面的な対応をしただけでは治療を拒絶津することが極めて多く、その結果、「誰も信用できない」となって自殺に走るケースが多い。

 そのため、治療者側には、患者のどんな思いや行動をも、理解と愛情をもって受け入れることが要求される。それは、深い共感(治療者は患者をまず理解せねばならず、また患者にとってこの理解されるという経験が対人的な安全感を増すことになり、治療促進的な場を作り上げることになる)によって可能となるのだが、この共感の基になるものこそ、逆転移による同一視(主体[ここでは治療者]が対象[ここでは患者]を模倣し、対象と同じように考え、感じ、ふるまうことを通じて、その対象を内在化する過程のこと。患者を理解するために、治療者には相当程度患者に【?】同一視する能力が必要であるとされている。)であるとされているのである。

 そして、治療者が患者に対して「あなたのことを心から心配している」「あなたを大切に思っているし、助かって欲しいと本当に望んでいる」「あなたのことを理解している」という態度を真摯な言葉によって示すことは、患者の信用を得て患者に自己を開示させ、患者を治癒に導くために、なくてはならないことなのである。

 原告らが、このような治療者の態度を否定する趣旨であるならば、原告らの主張は間違っている。
オ また、精神療法において転移が生じる場合、患者は自己が医師にとって重要な存在であることを確認するために、他の患者以上にことさらに長時間の面接を要求したり、診療上の約束をあえて破ろうとするなどの行動に出て、医師が自分に関心を持っているかをテストしようとする態度に出るとことがあるため、こうした患者の態度について注意が必要であるとされている。

 こうした場合の禁忌事項として医師は特定の患者に好意を寄せていると受け取られないよう慎重な態度で接する必要がある。故幸子も典型的にそのような行動に出ていたのにかかわらず、被告は漫然とその要求に応じて故幸子の恋愛転移を助長させ、また、あえて故幸子の被告に対する甘えや依存を積極的に指導するなど、故幸子の転移状態を適正にコントロールすることを怠っていた。
【反論記載されず。】
カ さらに、医師が自らも特定の患者に性愛的感情を持った場合には、治療関係から回避すべきとするのが準則であるが、被告はこうした禁忌事項を一切無視していた。 [カ]も否認する。
C 自殺の予見・回避義務の懈怠

ア 被告は治療行為を逸脱し、あるいは、精神療法における初歩的な失敗をしたため、故幸子の医原性の境界性人格障害などの病状の増悪を招いたものであるが、さらに、精神科医として故幸子の自殺の危険性を適切に予見しそれを回避するための治療措置をとらなかった。
(iv)Cについて

 [ア]は全面的に否認する。被告は、幸子が被告に恋愛感情を抱いていることに気づいた時から、それを回避しようとする一方で、被告に対する信頼を失えば自殺しかねない幸子の命を救うために、力を注いできたのである。
イ 具体的には、被告は故幸子に対する誤った治療によって生じた転移に基づく心情を弄ぶかのように、故幸子に期待を持たせるかのような言動をしては、次にはその期待を裏切るような冷淡な対応をとり、故幸子は被告からそのような対応を受ける度に自殺の危険に見舞われることになっていった。 [イ]は否認する。
i) A大学病院入院・通院中の自殺企図

 故幸子は、被告が主治医であった平成7年9月以降、D医師との面接後、被告の言葉に傷ついて自殺未遂に向かう、というパターンを繰り返していた。

 実際、被告本人が記載した、平成10年6月24日付けの、B中央病院のカルテによれば次のようである。「Dが個人的な関係を否定する→幸子さんが自殺をはかる という悪循環は入院中の秋からあったようだ」。

 これらA大学病院入院中の自殺未遂は、実行直前で中止されたが、退院後の平成7年12月以降、故幸子は、2度生命に関わるような自殺未遂を図り、平成12年5月2日、3回目の自殺企図により死亡するに至ったものである。


 故幸子が希死念慮あるいは自殺企図の危険性を示していたことはカルテ及び看護記録の記載からも明らかである。

 故幸子の診療経過から見れば、患者に自殺企図の危険性のあることは容易に予測できることであり、そうした問題に対する家族としての留意点や故幸子の支持の仕方などについて、被告は治療体制を形成する必要があったのに、それを怠り、故幸子に身体の損傷を伴う自殺未遂を招かせる結果を生じていたのである。

 このうち、平成8年1月6日の1回目の自殺企図では、前日の5日にA大学病院の被告のもとに通院して治療を受けた(故幸子は前年12月1日A大学病院を退院しその後は通院していた)際に、原告B(母)と故幸子の妹であるI子が同日の診療が終わるのを廊下で待っていたが、故幸子は泣きながら診療室を出て、被告○○が故幸子を追いかけて来るということがあった。その日の診療内容について被告Dからの説明は受けられなかったが、故幸子の精神状態は不安定になり、その様子に不安を抱き、翌日、原告Aが故幸子の外出後、その机を調べたところ遺書があることが分かり、あわてて同人の行方を捜索しようとしたが、被告は何ら協力しようとしなかった。故幸子は同年1月7日、渋谷区内のホテルで大量の睡眠薬を服薬して昏睡状態になっているところを発見され、○○医大に搬送され、極めて危険な状態であったが、一命を取りとめたのである。

 原告らが同病院の精神科医師に従来の治療経過を話したところ、同医師からは被告から離れるように助言され、他院(K病院)の女医を紹介されたほどであった。

 この自殺企図については、12月1日、故幸子は退院するが、その後の通院が同人の危険な自殺企図をもたらすことになっている。

 ここで指摘しておかねばならないのは、患者である故幸子をいったん転移状態を生じさせ、医師である被告に依存する状態に「抱え込んだ」被告が、何らの支持的な処置も講じずに無責任に治療を放棄したことにある。このような行為は、患者にとって極めて危険である。

 通常の希死遠慮のある患者においても自殺企図の危険性については十分な注意が必要であるが、本件の場合はそれを超えて、被告が故幸子の自殺企図の原因となる依存関係を形成しておきながら、その解消の働きかけをせず、適切な支持的処置や家族等に対する注意も行わないまま、無責任に患者を放置したところに医療上重大な過誤があるといわなければならない。

 被告は他の医師への交代を当然すべきであったのにそれも行わず被告を主治医とする治療が行われ、被告が転移・逆転移現象を解消することなく漫然と面接を継続したことが、故幸子の自殺未遂の原因を形成したものである。

 2回目の自殺企図は同年11月28日に行われている。故幸子は○○医大病院の医師の紹介でK病院に転院したが、同院の担当医は、故幸子の被告に対する転移が強固に残存していることから、それを解消することが必要であり、そのためには被告の治療協力が必要であると判断し、同年3月6日から毎週水曜日にA大学病院に通院させ被告との面接をさせて、同医師の前記不適切な精神療法等によって生じさせられた故幸子の同医師に対する転移や病的な依存を解消する治療を進めることにした。

 被告は表向きその意向を受け入れ、再びA大学病院、同年4月以降は、被告の転勤先であるB中央病院への通院治療が再開され、8月中旬まで被告の面接治療を受け続けた。しかしながら、いっこうに改善がなく、かえって、被告との面接や電話での治療の後に必ず自殺企図に向かう、という自殺のパターンが強化されてしまい、しかも、病状は悪化し、自殺の危険性はますます高まるばかりであった。そこで家族は、K病院への入院を決定し、被告は平成8年8月中旬より11月終わりまで閉鎖病棟での入院治療を受けることになった。


 故幸子は同年11月28日に、同病院を退院すると、その日のうちに軽井沢のホテルに向かい、自殺を企ててしまった。後日、故幸子が語ったところによると、同人が自殺企図の前に被告に電話で「好きだけれども、辛いから自殺しようと思っている」と話したところ、被告は「声が聞ければよかったのだろう」と突き放した冷淡な言い方をし、故幸子は一層深く傷つき、自殺を決行する決意を固めてしまったということであった。

 たしかに、被告が故幸子からの電話を受けたのは、8月に治療を中断して以来、3ヶ月ほど経過した後のことであった。しかしながら、上で述べたように、故幸子はそれまでも、被告との面接や電話の後に、必ず自殺企図に向かおうとする、という行動を繰り返していた。しかも、被告Dはこの自殺企図のパターンを緩和することができず、また、家族に対して適切な指示や説明を行わず、漫然と面接を継続していた。

 この時、自殺企図を防いだ故幸子の友人は、被告に対して、自殺企画のパターンを形成している要因が、被告Dによって「個人的交際を断られたことが(見捨てられた)体験と直結」することである、と指摘している。つまり、被告の関わりが故幸子の自殺企図と深く結びついていることは、誰が見ても明らかだったのである。したがって、被告Dは、この事実、および、それまでの自殺企画に見られたパターンについて、平成8年11月、故幸子より軽井沢から電話を受けた時点で、当然想起すべきものであった。

 しかし、被告はこのような電話を受けながら、原告ら家族に自殺の危険性があるので注意するよう忠告するでもなく、漫然と事態を放置していた。このため故幸子は翌朝ホテルのチェックアウトの際まで、大量服薬して昏睡状態でいるところを発見されず、軽井沢病院に救急搬送された後に、家族は連絡を受けたという始末であった
i)は、前述したとおり、幸子は常時「死にたい」という希死念慮を抱いていた。そして、幸子は、何らきっかけもなく突然自殺企図に走ることもあり、自殺の危険について予測することが非常に困難な状態であった。

 そして、幸子は、被告の態度(たとえば、他の患者と話しているというような、極めて些細なできごと)や家族の態度、あるいは大切にしていたものを紛失したなどということに極めて敏感に反応し、「自分は誰からも大切にされていない」と感じると、即座に「誰も信用できない」「死にたい」という考えに陥り、自殺企図に走ることがあった。

 被告は、常に希死念慮を抱いている(つまり、いつ自殺に走ってもおかしくない状態の)幸子を守るために、幸子と面接を行うほか、家族面接を行ったり、複数の医師・看護士でサポート体制を整えたり、希死念慮が強くなってきたら必ず報告するように幸子に何度も約束させるなど、できる限りの努力をしている。深夜まで面接を行ったことがあるのも、目を離せば自殺してしまいかねない幸子の命をなんとかして救おうとしたからである(実際、被告がそうしなければ幸子は自殺していたと思われる。)。

 幸子がA大学病院入院中に行った自殺未遂としては、平成7年5月17日が初めてであるが、この直前、幸子は、就職試験に落ちたことなどで極めて情緒不安定な状態にあった。自殺未遂の当日には、手作りのスカートを完成させたり、作業療法の一つであるアート(指輪作り)に熱心に参加しており、作業療法中は表情もよかったことが観察されている(看護記録)が、突然行方不明になり、原告久美子のもとへこれから死ぬという予告の電話を入れた直後、千鳥が淵で自殺未遂を敢行した。自殺を図った理由については、幸子本人にもよくわからないようであった。平成7年5月18日の看護記録には、「何かきっかけがあってというよりも、漠然としているものにより、離院→自殺企図しようとした様子とのこと。人格が2つあるような感じを受け、一つは社会に適応できる人格、もう一方はとり残されてしまった子供のままの人格で、後者が突然出てきて、死にたいと言って今回のようなことが起こることが考えられる。」と記載されている。

 なお、この時の自殺企図は、危険を感じさせるような行動が事前に見られなかったことから、被告は、この頃から幸子の、自殺傾向の強い人格障害の可能性を疑い、注意を払うようにしていた。

 平成8年1月6日の自殺企図については、幸子は、その直前の平成7年11月、以前つきあっていた男性に電話をかけたところ、「あなたとは一切関わりたくない。」と言われ、これをきっかけとして「死んじゃいたい。首つりたい。」「早く楽に死なせて。」と訴えたり、原告ら家族3人がそろって病院から帰っていく姿を見て、「私はいらないんじゃないかって思った」り、看護士に目が見えない、耳が聞こえないと訴えたりするなど、精神的に極めて不安定な状態にあった。

 平成7年11月末、幸子は、病棟のガラスケースを破壊するなどの行動に出たため、病院側はこれ以上幸子を開放病棟で治療することは無理であると判断し、12月1日、幸子は退院した。その際、被告は自殺の危険を家族に何度も説明し、閉鎖病棟のあるG病院を勧めた。しかし、原告らはこれを拒絶した。

 その後の12月19日にも、幸子は、窓から飛び出そうとして父から止められたり(幸子によれば、理由は「自分のCareのことで両親がいさかっているので、私なんかいなければいいと思った。」「両親はおまえは大切だというが自分が必要な人間とは思えない。」と感じたからとのことであった。平成7年12月19日カルテ)しているが、それでも原告らは幸子をG病院に入院させるなどの措置をとろうとしなかった。

 平成8年1月5日も、被告は幸子と面接を行ったが、幸子は、「もう来ません。」と言って立ち上がるなど、非常に危険な状態であった。そのため被告は、最初は原告Bに経過を伝え、閉鎖病棟のあるG病院への入院を繰り返し勧めたが、原告Bはこれを拒否した。

 被告は、危険な行為はしないという約束を幸子にさせるなどの努力を尽くしながら、原告Aにも電話をし、これまでの経過を伝えた上で、「心配な状態であるので困った時は電話を下さい。」と告げている。

 このような経過の中、幸子は、1月6日、自殺企図を起こした。

 原告らの、「その日の診療内容について被告Dからの説明は受けられなかった」とか、「適切な支持的処置や家族等に対する注意も行わないまま、無責任に患者を放置した」などと述べているが、カルテを見てもわかるとおり、原告らの主張は全く事実と異なる。

 さらに、原告らは、幸子が行方不明になった際、被告が何ら協力しなかったと述べているが、被告は、幸子が行方不明になったという連絡を受けた後、A大学病院の危険箇所(以前転落事故があった○号棟の○階、転落の危険があると思われる○号棟の○階、窓がはずれるため転落の危険がある○階の食堂)を点検したり、看護士に情報を伝えるなどしている(平成8年1月6日カルテ)。

  その後、幸子は、K病院に転院したが、幸子の主治医であるK病院のG医師から幸子の治療について被告に相談があり、十分に協議した結果、被告は、G医師の治療と並行する形で幸子の治療を継続することになった。

 原告らは、被告が「漫然と面接を継続した」と主張しているが、面接の継続は専門家でありかつ第三者でもありG医師の判断でもあるのであり、このことからもわかるように、客観的に見てこの場合には被告による面接の継続が望ましい状態であった。

 B中央病院での面接においても、幸子は、被告に対する恋愛感情を被告に訴えたが、被告は、幸子の精神状態を慮りつつも、交際はできないということを何度も説明している。

 また、幸子は当時も希死念慮が強く、危険な状態ではあったが、被告との面接や電話での治療の後に「必ず」自殺企図に向かう、という自殺パターンがあったわけではない。

 幸子は、平成8年8月中旬にK病院閉鎖病棟に入院したが、その後、幸子の主治医となったN医師から再び治療の要請を受けるまで、約1年3ヶ月にわたり被告との面接は中断された。

 その間、被告は幸子に会っていないし、病状等についての報告も一切受けていない。

 平成8年11月28日、幸子は、自殺を図る直前に被告に電話をかけてきて、「声が聞きたかったから電話をした。」などと述べた。しかし、自殺をほのめかすような言葉は一切なかったので、被告は、普通にあいさつを返してそのまま電話を切った。幸子から、「好きだけれども、辛いから自殺しようと思っている。」というような話はなかったし、被告が「声が聞ければよかったのだろう。」と突き放した冷淡な言い方をしたという事実もない。

 電話の内容や幸子の様子は、特に危機を感じさせるようなものではなかったため、被告は、特に幸子の電話を危険なものとは思わなかった。加えて、当時、被告は、幸子の治療に全く携わっておらず、幸子の病状自体知らなかった。そればかりか、K病院を退院していたことすら知らされていなかった。そのため、被告は、幸子はK病院におり、安全が確保されていると考えていたのである。

 その他、被告の主張に反する部分はすべて否認する。
ii) B中央病院通院中の自殺

 故幸子は平成9年2月から精神科クリニックでN医師の診療を受けるようになったが、同年11月から再び被告の治療を並行させることになった。同医師はA大学病院からB中央病院に転勤しており、故幸子は同院のもとで被告の診療を受けることになった。

 面接は、当初は、毎週水曜日と決められていたが、その後D医師【被告】の提案により、水曜日と土曜日の週二回となった。

 治療の目的は前回と同様にD医師の上述の不適切な精神療法などにより生じた故幸子の転移や病的な依存を解消し、故幸子の再適応と自立をはかることにあった。しかし、ここでも面接は常軌を逸して深夜に至るまで長時間にわたっておこなわれ、原告B(母)は深夜12時前後に故幸子を迎えに行くことも稀ではなかった。

 また、故幸子と被告は面接日以外の日は午後1時30分から3時30分まで電話で話しており、しかも、被告の提案によって、あらたに土曜日の面接日が設定された。こうして、故幸子の被告に対する依存は解消されないばかりか強まるばかりであった。しかも、被告Dはこうした野放図な診療を改めようとしなかった。


 同年12月ころには、被告自ら故幸子に恋愛感情があることを告白し、「愛情があるのに保身のために嘘をついてしまった」とか「今まであなたにだけ愛情を感じてきたけれども、現在の妻と知り合ったとき同じ愛情がわいてきて結婚してしまった」(D医師はその前年ころ結婚をしていた)などと言い、N医師としても、D医師の医師として期待される行動とはまったく異なる言動に両者の関係の調整に苦慮する事態になっていった。

  また、被告との面接の後、必ず、故幸子が精神的に不安定な状態となって自殺に向かおうとしていたが、このような自殺のパターンは、A大学病院入院中から変わらないものであった。平成8年の面接においても、すでに述べたように、被告Dはこれを緩和することができず、故幸子はそれまでも、被告との面接や電話の後に、必ず自殺企図に向かおうとする、という行動を繰り返した。平成9年以降も、被告Dはこの自殺企図を自分では緩和できないばかりか、今回は、毎回電話の後や面接の後、原告母Bに対して、故幸子の保護に当たるよう指示していたのである。原告Bはその度ごとに、「あなたはまた[自殺の]引き金をひいたんですね」と被告に詰問し、改善を迫ったのである。

 素人である原告Bが、娘の生殺与奪の権利を握るとも思われる医者に、これほどまでに強い態度に出るというのは、被告の関わりが故幸子の自殺企図とそれほどまでに密接性があったこととの何よりの証左である。このように原告久美子が、一貫して被告の治療の問題点を指摘してその改善を迫ったにもかかわらず、被告はこれを改善しなかったばかりか、従来通りの電話と面接を継続した。

  N医師は、両者の関係を調整するため同医師と被告、故幸子の3者での面接を提案したが、被告は都合がつかないなどとして面接の予定を直前になってキャンセルするなど、医師として自らが招いた事態の緊急性・重大性の自覚に全く乏しい対応に終始していた。

 B中央病院への通院は、平成11年4月に中断し、平成12年3月下旬からは、同院の被告との間で、電話とメールによって、従前と内容的には何ら変わらない、表向き「診療」と称した連絡・接触が再開されるようになり、同年4月22日には故幸子は同病院に来院して被告に受診している。しかし、その10日後である同年5月2日、故幸子は被告に電話をした後自殺を企て翌3日死亡した。
ii)は、被告が、平成9年11月より再び幸子の治療を開始した事実は認める。これは、平成9年2月から幸子の主治医となったN医師に頼まれて始めたことである。

 当初、被告は、「(面接は)以前の流れから見る限りよくないと思う」と述べていたが、結局、N医師の強い要望により、これを引き受けることにした。

 面接の目的は、N医師から、「喪の仕事」(愛着依存の対象を喪失した際に起こる心的過程を「喪」といい、徐々にその愛着依存の対象から離脱していく心の営みのこと。なお、このような悲哀の心理過程では、失った対象に対する愛と憎しみのアンビバレンスがあらわになり、これらの対象に対する罪悪感、悔やみ、それに対する償い、恨み、失った対象からの自分に対する恨みや怒りに対する恐怖など、さまざまな心理が体験され、対象に対する破壊や攻撃性の投影を引き起こし、愛情依存対象を傷つけたり、破壊したという幻想を生み、さらにこれに伴う罪悪感と償いの心的過程を引き起こすとされている)を行うことであると指示されていた。

 この頃、幸子は引き続き希死念慮が強く、その言動から、自殺の危険を感じることもあったため、時には、幸子の命を救うために面接時間を伸長することもあった(というよりも、前述したとおり、強引に面接を打ち切ればそのまま自殺に走ってしまうという具体的な危険性が高かったために、面接を続けざるを得なかった)。






 また、原告らは、被告が幸子に対し、「今まであなたにだけ愛情を感じてきたけれども、現在の妻と知り合った時同じ愛情がわいてきて結婚してしまった」などと述べたと主張しているが、このような事実はない。

 被告は、面接において、「愛情」という言葉を使ったことはあるが、「恋愛」という言葉は、特に「恋愛」という言葉を使わなければ自殺の危険が高いと認められる場合の他は、注意深く避けていた。被告が「愛情」という言葉を使ったのは、被告が幸子を心配し、「愛情」を持っているということが幸子に伝わらなければ、幸子が直ちに自殺に走ってしまう危険性があったことによる。しかし、幸子は、「恋愛」という言葉を使わなければ信用できないという考えを強固に持っており、被告が「人類愛」という言葉を使っただけで被告への信頼を失い、自殺を口にする状態であったため、治療及び「喪の仕事」は困難を極めた。

 加えて、幸子は、N医師に対し、被告からN医師にファックスで送られる診察記録をすべて自分に開示するよう要求し、N医師がこれに応じていたため、カルテには、幸子への「愛情」を否定するような言葉は書くことができないという難しさもあった。

 被告は、特に幸子に危険が見られる際には、原告らに面接の後の保護を指示したりしていた。

 原告らは、原告Bが、一貫して被告の治療の問題点を指摘し、その改善を迫ったと述べているが、原告らからは、「医者なんだから(幸子を)なんとかする方法があるだろう」というような話があっただけである。







 N医師、被告及び幸子の3者の面接は、一度目は実現したものの、二度目は行われなかった。これは、平成11年4月の二度目の面接の前日、幸子が被告の妻に電話し、「私はD先生の恋人です。」「必ず復讐します。奥さんも家族ですから連帯責任です。方法は教えません。」「無言電話を(被告宅に)かけさせているのは私です。」と脅迫した(事実、この頃、被告宅にはよく無言電話がかかってきていた。)ため、被告が、家族と自分の身の危険を感じ、これ以上幸子と治療することは不可能であると判断し、N医師に事情を話して面接をキャンセルしたためである。

 その後、平成12年1月に幸子が被告に電話をかけてくるまで、被告は、幸子とは接触していないし、病状等についての報告も一切受けていない。

 その後、約9ヶ月が経過した平成12年1月、大阪で婚約者とともに暮らしていた幸子から、被告に対し、「お元気ですか。」という電話があった。その後、婚約者から、幸子と話をしてあげて欲しいという電話があったが、被告はこれを断わった。これと前後して、原告久美子からも、同様の趣旨の電話が被告にかかってきたが、被告は、これを断わった。それでも原告Bが諦めなかったため、平成11年4月に被告の妻が幸子から脅迫されたことを話すと、原告Bから、「命がかかっているんですから許してやって下さい」という話があった。しかし、被告は、幸子との面接を再開することを断わった。

 さらにその後、N医師が、幸子が被告と面接することを希望している、と連絡してきた。被告は、一度は断わったが、N医師より、幸子は相当に改善しているので面接してあげて欲しいと強く説得されたため、やむを得ずこれに応じた。

 被告と幸子は、電話で何度か話をしたが、平成12年4月15日、幸子が婚約者とともに上京し、N医師のもとで面接を受けた後、被告のもとを訪れ、15分程度の面接を行った。平成12年1月に幸子から連絡が来てから幸子が自殺するまで、被告が幸子と直接会ったのは、この時のみである(平成11年4月に幸子との面接を打ち切ってから1年が経過している。)。

 その後の4月末ころ、幸子は電話で、「これはセレモニーです。さようなら。」と述べるなど、自殺を匂わせる言葉を口にすることがあったが、その際も、被告は、幸子を説得するなど、幸子の救命のために努力している。

 平成12年5月1日、幸子は自殺企図(薬物、頸部切傷)を起している。被告は、幸子の婚約者から連絡を受けた後、5月2日に、N医師にその旨連絡している。

 5月2日、幸子から被告のもとに電話があった。幸子の説明によれば、上記自殺企図の理由は、被告に関しては、メールがすぐに来なかったからということであり、その他にも、「他の人にも裏切られたからで先生のせいばかりではない」(具体的には、友人の○○さんに電話をしたら妻がいるから遠慮してくれと言われたこと、婚約者が3時間も床屋で家を空けたことなど)とのことであった。

 この後、幸子は、N医師と電話で話をし、その後再び被告と電話で話をしたが、被告は、5月7日に電話で話をする約束を幸子にさせた。

 しかし、5月2日、幸子は自殺を図り、3日に亡くなった。
iii) 自殺の予見可能性と回避可能性について

 上で述べた3回の自殺企図は、いずれもその直前の状態において故幸子の精神状態が極めて不安定になっていることが傍目にも明白であり、また、被告はいずれの場合にもその直前に故幸子と面接するか、あるいは電話によって会話をするなどしてその病状をつぶさに把握していたのであるから、自殺の危険性を容易に予測することとができた。それにも関わらず、被告は家族に対する適切な注意や入院の勧奨など自殺を防止するための措置をまったくとらなかったばかりか、かえって、故幸子の不安や失望、混乱を増大させるような言動をとり、患者を自殺に駆り立てるような極めて不適切な処置を行ったものである。

 従って、被告による故幸子の3回にわたる自殺に対する対応を検討すれば、いずれの場合についても、被告は医師として通常果たすべき自殺の予見とその回避の義務を怠ったものである。
 iii)は、前述したとおり、幸子は、平成7年夏ころから、失恋した彼への恋愛感情を、徐々に被告への恋愛感情として「すりかえ的」に転化していったが、被告は、自分が幸子と恋愛する可能性はないことを納得させようとしつつも、幸子の信頼を失わないように細心の注意を払い、幸子の救命を第一の目的として、最大限の努力を続けていたのであり、被告の治療行為には、なんら不適切な点はない(もちろん、危険が高い時には、家族に対する適切な注意や入院の勧奨なども行っている)。
 以上のとおり、被告は、医師として果たすべき義務をぎりぎりまで果たしていたというべきである。
4) 被告の損害賠償責任

 被告は故幸子に対して、精神療法上必要とされる治療構造を構築することなく精神療法によって生じうる転移・逆転移現象を適切にコントロールする注意をせずに、患者である故幸子に漫然とあるいは意図的に転移を生じさせあるいはそれを強化させる言動を繰り返し、自らも逆転移に巻き込まれることにより、適切な治療の阻害要因を形成し故幸子の病状を増悪させた。さらに、それにより自ら自殺企図の原因を形成しておりながら、自殺企図を予見することができたのに、適切な結果回避の措置を講じなかった。従って、被告は不法行為に基づく損害賠償責任を免れない
C 4)は、否認もしくは争う。

2 請求の原因3ないし5について
否認もしくは争う。

第2 被告の主張
追って準備書面で明らかにする。
以上


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