ゴースト・ドラム <北の魔法の物語>

扉から顔を覗かせる者は、勇気をしょって、恐れを置いて出てくるべし

私が中学生の時に愛読していた本です。んもうこの、暗くて冷たい雪の世界の話が大好きで、図書カードが一面この本の名前で埋め尽くされるくらい借りまくって何度も読みました。その結果、「同じ本を一人で何度も借りて独り占めするのは止めて下さい」と学級会議にかけられたもんですよ。トホホ。
さて、それくらい私がハマッたこの小説、小説と言うよりは童話と言った方がいいでしょうか。対象は小学校高学年からになっているので、図書館に行くと児童文学のコーナーにあると思うんですが、私は決して子供騙しの童話ではないと思います。魔法使いを題材にした物語は幻想的ながらも、その内容はかなりシュール。残酷な皇帝と、その皇帝に苦しめられる人々。流れる血。才能溢れる魔法使いチンギスと、彼女に嫉妬するクズマ。復讐と死の物語。
正直言って、中学生の頃には何度読んでも、その暗いテーマを正確に読み取る事は出来ませんでした。永久凍土の美しさと、北の魔法使い達のイメージにばかり目がいって、暗い負の感情を描いた部分にまでは思いが行かなかったのかもしれません。いや、今も感じたものが正確かどうかは分からないし、またそれを判定してくれるようなものもありませんが、あれから何年か経って再読した今、また違った感覚があったのは確かです。大人になってあの頃よりは色々なものも見てきて、少しはそういうものが分かるようになったのかもしれません。
湖の側に立っているカシの木に、金の鎖で繋がれた世界一物知りな猫が語る物語。不思議な太鼓、ゴースト・ドラムの言葉を理解し、ニワトリの脚を持つ家に住む魔法使いチンギス。氷のリンゴを摘み取る魔法使いクズマは彼女の才能に嫉妬し、彼女を殺そうと画策する。一年の半分以上が冷たい冬であり、一日の半分以上が暗い夜である北の国の物語。私が印象的だったのはこの文章です。
「もし世界から皇帝というものが一人もいなくなったとしたら、どうなるだろう。その時には、残った者達の中で最も貪欲で、最も冷酷で、最も人を信用しない者が自分のことを皇帝と呼ぶようになるだろうし・・・・・他の者達も、そういう人間の好き勝手にさせることだろう。
だが、我々が皇帝を愛する必要は無いし、我々が皇帝になる必要も無い」
どうですか。これは、是非今の指導者と呼ばれる人達に読んで欲しい文章だと思います。おだてられ、祭り上げられているだけにも関わらず、それを自分の実力だと勘違いしているような人達に。

ゴースト・ドラム <北の魔法の物語>    スーザン・プライス 著     福武書店



デウスの棄て児

神に背きし者、その名は「天草四郎」-------

まあとりあえず内容は面白いんだけどさあ、今回私がこの本について本当に書きたいのは内容ではなく、むしろ正体不明の筆者についてなのよ。
まず筆名「嶽本野ばら」。一体何者か。何者のつもりなのか。字面からは何となくゴスっぽい匂いを感じるな。そんな事を思いつつ裏ページ見返し、著者近影を参照してみる。年齢は30代くらいか。何故か両肩を露出させ、斜め45度の角度からこちらを鋭い目で睨み付けるオバちゃん。・・・・・ビジュアル系作家ですか。そうですか。何つうか、自分大好きオーラが滲み出ておるな。
しかも!!驚いた事にこの野ばらオバちゃん、実はオバちゃんじゃなかったんだよ!!オッちゃん(♂)だったんだよ!!なんかもう、突っ込みどころがありすぎて逆にどこから突っ込んだら良いものやら分かりません。しかもこのKABA.ちゃん系作家、何と三島由紀夫賞候補だそうだよ。やっぱり作家なんて、ヘン子ばっかりだ。
さて、これで私の言いたい事はほぼ終わってしまったんだが、それではあんまりなので一応内容についても触れておこう。
江戸初期に、九州の島原・天草で起きた「島原・天草一揆」。その総大将として農民たちを指揮したのが天草四郎時貞という16才の少年であった事はあまりにも有名ですが、その歴史背景を踏まえつつ、新たな解釈で天草四郎という少年を描いたのがこの「デウスの棄て児」です。野ばら版天草四郎は農民達の事なんか知った事ではない。宗教も神も大嫌い。寧ろ人間と、人間を作った神に復讐するつもりでこの宗教戦争を起こすのですな。というのも、四郎の生い立ちというのがまた壮絶。彼はポルトガル人の父親と日本人の母親を持つ二世なんだけど、その容姿のせいで苛められ虐げられ、挙句に教会の神父には欲望の捌け口にされちゃうのです。まあ、そんな生い立ちなら、性格が歪んじゃうのも仕方ないわな。
そんなわけで、ちょっと壊れ気味の野ばら版天草四郎時貞ですが、この小説、どことなく同人臭がするのも気になります。先に述べた神父さんの話もそうですが、いざ一揆に突入してから参謀役に就く山田右衛門。これが何かなあ!!四郎は途中までは右衛門に反発しまくってるんだけど、そのうち彼がなくてはならない存在だと気付くようになる。・・・・なんか、BL小説のようだな。でもって、四郎が最後に思い出すのは右衛門の事なのだ。この辺はお約束という奴ですかね。読んでる最中はオバちゃんが書いたものと信じて疑っていなかったので、まあそういう方向に偏るのもアリかなとは思ったんですが、著者が男性だと知った今となっては驚きもヒトシオです。寧ろ萌えを求める人にはとっつき易いかもしれない。
まあ色々書きましたが、なかなか面白い小説である事に変わりはなく、特に宗教観という日本人には馴染みの薄いものを垣間見るには良い題材だと思います。小難しいところが全く無いので、どんどん読み進められるし。少なくとも、私はもうちょっと自分で天草四郎という人物を調べてみたくなりました。
・・・・しかし、天草四郎と聞いて思い出すのはまずサムスピとジュリーなのだな。

デウスの棄て児    嶽本野ばら 作    小学館



ちくま文学の森「恐ろしい話」

一冊の中に14篇も短編が詰まったお得な本です。しかも文学の森とかいうだけあって、全て文豪と呼ばれる作家の作品。最近はこういうのをアンソロジーなんて言ったりするけどね。私としてはこれはやっぱり、「短編集」と呼びたいもんです。で、以下が収録作品。図書館に行けば置いてあると思うので、興味のある方は是非読んでみて下さい。
■ 収録作品 ■
1 「出エジプト記」より
2 詩人のナプキン  アポリネール
3 バッソンピエール元帥の回想記から  ホフマンスタール
4 蠅  ピランデルロ
5 爪  アイリッシュ
6 信号手  ディケンズ
7 「お前が犯人だ」  ポー
8 盗賊の花むこ  グリム
9 ロカルノの女乞食  クライスト
10 緑の物怪  ネルヴァル
11 竈の中の顔  田中貢太郎
12 剣を鍛える話  魯迅
13 断頭台の秘密  ヴィリエ・ド・リラダン
14 剃刀  志賀直哉
15 三浦右衛門の最後  菊池寛
16 利根の渡  岡本綺堂
17 死後の恋  夢野久作
18 網膜脈視症  木々高太郎
19 罪のあがない  サキ
20 ひも  モーパッサン
21 マウントドレイゴ卿の死  モーム
22 ごくつぶし  ミルボー
23 貧家の子女がその両親並びに祖国にとっての重荷となることを防止し、かつ社会に対して有用ならしめんとする方法についての私案  スウィフト
24 ひかりごけ  武田泰淳
ご覧の通り、日本文学と外国文学が一緒に入っているわけですが、こうして読み比べてみると、日本人と外国人の「恐怖」に対する考え方の違いが分かってなかなか面白いです。怖いと感じるポイントというか琴線というか、そういうのもやっぱり国の文化とかによって違うんですかね。
まず外国文学についてですが、どれも恐怖ポイントは非常にはっきりしてます。恐怖を感じる要因が明確に記されてるんですね。その要因というのは「詩人のナプキン」や「蝿」のようにであったり、「盗賊の花むこ」のように食人、または肉体的苦痛による恐怖だったりします。「緑の物怪」みたいな、マジで怪物が出てくるという真ん中ストライクな話も外せません。特に私が外国文学で一番怖いと思ったのは、今言った「盗賊の花むこ」で、娘さんをぶった切って鍋で煮て食っちゃったりするんだよ!?話も怖いけど、これがグリム童話だっていうのも怖いよね。で、それにひきかえ日本文学は、何だかよく解らないけど怖いというのが多いです。強いて言うなら、「利根の渡」、「三浦右衛門の最後」のような執念系、もしくは「剃刀」みたいな狂気系ね。文体にも特徴があって(と言っても、外国文学も日本人が訳してるわけだけど)、「竈の中の顔」の結末で「息子の首の無い体が転がっている」という素っ気無い書き方も後味悪くて新鮮でした。映画にもこういった事は反映されてると思うんだけど、邦画ホラーの方が暗いイメージがあるもんね。やっぱりジェイソンと貞子の違いかしら。日本人の恐怖ポイントの一つとして、目に見えないもの(怨念とか)を怖がるというのがあるのかもしれません。ジェイソンは「コノウラミ、ハラサデオクベキカ・・・」とか言わないもん(いや、貞子も言ってないけどな)。それが、邦画ホラーの暗さやジメジメ感(粘着系と言ったらいいのかね)に繋がるのかもしれませんね。
ところでこの本、所謂純文学と呼ばれる作品が収録されているわけですが、やっぱり理解するのに結構頭を使わなくちゃいけませんな。表現方法とかも凄い秀逸で感心させられるし(当たり前か)、最近の小説とは完全に一線を画していると思います。たまには純文学を読みに、図書館に行くなんてのもオツなもんですよ。

ちくま文学の森「恐ろしい話」     筑摩書房



完全自殺マニュアル

薬局で買える死ねるクスリから、最も安楽に死ねる方法まで、聖書より役に立つ、コトバによる自殺装置。

出版された当初は騒がれましたね。今では古本屋に100円で売ってたりしますが。しかしその後続々続くマニュアル本の先駆けとなったには違いない一冊であり、自殺の仕方を懇切丁寧に教えてくれるという点では画期的だと思います。まあ、本音を言えば最期のオトシマくらい自分でつけろよ、とも思っちゃうんだけどね。しかも聞いた話だと、これがマニュアルのくせに結構データ的に信憑性に欠けるらしいんだ。最後の最後でいい加減な情報掴まされて苦痛が増大しちゃったら堪らんわな。イヤイヤマジで。
さて、この本によりますと、一番苦しくない自殺方法は首吊りだそうです。というのも、手で首を絞めると脳へ酸素を送る血管と一緒に気管も絞まっちゃうので、かなり苦しいらしいんだけど、ひも状の物で首を吊った場合その角度によって血管だけが絞まるので一気に脳への酸素供給が絶たれ、あっという間に気絶するそうです。実際、本当に苦しくないのか実験したいだけで、死ぬつもりなんか全然なかった学者さん達が、万が一に備えて助手を配置していたにも関わらず何人も死んだりしてるとか。それが本当なら、首吊りは自殺志願者にとってはまさにマーベラスな方法という事になります。よく考えたら、だからこそ日本の死刑執行はこの方法で行われてるんだよね。んもうこの世とオサラバしたい人は、ちまちま手首なんか切ってる場合じゃないわよ。
っにしてもこの本を読むと、人間というのは実に色んな方法で自らの命を絶つもんなんですねえ。
思わずスゲーと思っちゃったのは、青函トンネルで飛び込み自殺をした人。青函トンネルなんだから飛び込みじゃないよね。そんな頻繁に本数があるわけじゃない海底の真っ暗なトンネルの中で、線路に横たわって一人きりで自分を轢いてくれる列車を待つわけだ。想像するだけで物凄く怖いですね。そんな孤独と恐怖に耐えられる精神力があるなら、立派にこの世の中も渡っていけるんじゃないかと思いますが。
あとはアレね。やっぱインパクトで言えば焼身自殺と割腹自殺だろ。これに勝るものナシ。しかし、この世の中に何らかのメッセージを投げ掛けるとかそういう目的じゃない場合、やっぱりそんな度胸があるなら死ななくてもいいような気がします。とは言うものの、それは我々が一般的見地から推し量る尺度であって、実際に自殺する人はそんなの関係無いんだろうなあ。
さてさて、ところで題名からして解るように、この本は一冊まるごと自殺の仕方が書かれているわけですが、私が一番面白いと感じたのは前書きでした。
確かに、現代の世の中では命の重みや有難みなんて、あまり実感出来るような要因は無いと思います。簡単に子供が親を殺しちゃったり、親が子供を虐待して死なせちゃったり。ただ道を歩いてるだけでもいつ誰に殺されるか分かったもんじゃありません。そんな社会で、「命を大切に」とか「一度しかない人生」なんて言ったところで所詮説得力が無いんだよね。
この前書きには、「毎日は絶望的に同じ事の繰り返しで、しかも恐ろしい事に、それが安定した未来というものなんだ」というような事が書いてあります。だから、「その繰り返しが死にたい気持ちを起こさせる要因の一つであり、それはポジティブな選択なんだ」とも。まあね。諸手を上げて賛成はしないけれども、私は敢えて否定も出来ないと思います。親から貰った命なんて言っても、最終的に人生は自分の物なんだし。いずれ死なんてものは平等に訪れるんだから、少々早く自らその時期を繰り上げてしまっても、そんなに問題は無いと思うのよ。私達は壁の中の一個のレンガであり、レンガが一個無くなったところで壁は決して崩れないんだからね。
けど、これは自分が一人で生きてる場合の話で。
人間なんて完全なヒッキーでもない限り、必ず他人と関わっていかなきゃいけないよね。そうなると、死ぬ事によって誰か一人くらいは、凄く悲しむ奴が出てくると思うんですよ。それは親兄弟であったり、友人や恋人であったりするかもしれない。けれど残された者にとってその人間の死というのはただでさえ受け入れ難いものがあるのに、それが自ら選んだ死だとしたらどうでしょうね。
何ていうかな、あくまで私個人の意見ですが、自殺なんてそんな大騒ぎするほどのものではないと思います。どうせいつかは死ぬんだし、無理だなと思ったら勝手にリタイアすればいい。本人がそれで後悔しないのなら。でも、ちょっとだけ自分を省みて、自分が死んだ時に一人でも悲しみそうな人がいるのなら、それはするべきではないと思います。・・・・まあ、そうやって考えるとほとんどの人が自殺なんか出来ないんじゃないかな。
自殺っつうと、言葉の通り、自分で自分を殺すわけですよ。普通なら殺人は実刑なわけですよ。宗教によっては、現実に罪になっちゃうとか聞いたことあるしね。
全ては自分の意思次第なんだから、やっぱり「自殺は許されるか、許されざるべきか」なんて論争は下らない。「命の重み」なんて言葉自体にも重みなんて無い。ただ、それをした時に周りにどんな影響が出るか。それを、この本ではもう少し問題にした方が良かったんじゃないかなと思います。

完全自殺マニュアル    鶴見済 著     太田出版



アマニタ・パンセリナ

ガマガエルに始まりハシシュで終わる。中島らもの見届けるドラッグ博物館。

作家という職業に就いている人間には、もしかしたら一般的に見て負け犬被りな人が多いんだろうか。「人間失格」の太宰然り。芥川も結局は自殺してるし、最近で言うと京極なんかはありゃ間違いなくヲタだ。(まあヲタを負け犬被りと一緒にしてはいかんがな)
で、今回は残念ながら先日他界されました中島らも氏の著作です。故人にこんな事を言うのは大変不謹慎というか、失礼だと思うんですが、敢えて言おう。この本は本物の負け犬被りが書いた、負け犬本だ。人間の価値は頭の良し悪しではないと言うけどね、そもそも人間に価値の差など無いと思うのですよ。数多にいる蟻に尊いも卑しいも無いのと同じだ。-------ただ、自ら人間である事を止めた者に関してはその限りではないけどね。
中島氏が書いたアル中小説「今夜、すべてのバーで」は大変有名なところですが、この作品は薬物に関してのエッセイです。しかも面白いからタチが悪い。これでは、うっかり試してみたくなる奴が出てくるかもしれんじゃないか。
これを読む限り、中島氏はとにかく色んな物に依存する傾向があるようです。アルコール、薬物、そして鬱病にまで彼はどっぷりと浸かってしまいます。もっとも、人間というのは突き詰めれば弱い生き物だから、皆結局は何かに依存しているんだというのは同感ですが、しかしそれを隠れ蓑にしていては、「ヤクをやっちゃうのも仕方が無いよね」という結論に至ってしまうではないか!!人は弱い生き物ながら、それでもみんな適当なところで折り合いを付けて生きているんでしょう。だから、ほんとんどの人はヤクなんかには手を出さないわけだ。つまり、ヤク中なんかになっちゃうような奴は、弱い人間の中でも特に弱ッちいヤローなんだと私は思います。
しかし、一度はやってみたいもんだと興味を惹かれる心。矛盾するようですが、私はそれもまた理解出来ないわけではありません。
本書にも書かれておりますが、子供の頃にやったグルグル遊び。額にバットの端っこか何かをくっ付けて、ひたすらグルグル回る。で、その陶酔感やら酩酊感やらを味わうのは、ドラッグでトリップするのに似ているんでしょう。トリップしたい気持ちというのは、もしかしたら本能的にあるものなのかもしれん。・・・でもね、だからこそ私は言いたい。そんなにドラッグで酩酊したいなら、じゃあお前グルグル廻っとけよ!!そしたら逮捕もされないし、誰にも迷惑かからないから。
やはり本書の中で中島氏が言っている、「ヤクにも貴賎がある」という説にも私は承服しかねます。クスリに貴賎なんかあるわけないんだよ。人を無限のループに落とし込んで駄目にするドラッグというやつは、遍く卑しいものなんだから。
ところで、これを読んでて一つ、ギョッとするような記述があった。それがこれ。
「僕は、遠からず死ぬな、と思っていた。それも、ラリって階段から転げ落ちるか何か、そういったことのように思えた。別に悲愴感はない。野次馬になってその様子を見られないのが残念だが。」
・・・・・まさしく。アンタそれ書いた何年後かに、当たらずしも遠からずの方法で死にますから。
数々の名作を生んだ中島らも氏のご冥福をお祈り致します。

アマニタ・パンセリナ    中島らも 作    集英社



香水―ある人殺しの物語

奇想天外! 「鼻男」の一代記

実は、海外の小説ってのには今まであまり縁がありませんでした。だって、原書ではどんなに優れた作品も、翻訳というフィルターを通した瞬間に駄目になるというのが海外作品の越えられない壁でしょう。明らかに日本語としておかしかったり、読点がおそろしく少なかったり。翻訳家というのは語学力だけではなく、国語力も養って欲しいなあと思う今日この頃です。
・・・・・っが。
ついに来たよ!!「ゴーストドラム」に続いて、こりゃあ面白いと思える海外小説。それがこの「香水〜ある人殺しの物語」です。
タイトル通り、全編に渡って「匂い」というのがキーワード。「匂い」の中には香水のような所謂良い「匂い」もあり、また「臭い」と表記される悪臭も含まれています。そんな、目に見えないものを文字で表現しようというのは、なかなか斬新なんじゃないでしょうか。
主人公のグルヌイユは生まれつき醜く、恵まれる事も無く、ただ疎まれ蔑まれて育ちます。しかし彼には一つ、特殊能力とも言えるものが備わっており、それが全ての匂いを嗅ぎ分けるという突出した嗅覚なのです。
彼には成分が分からない香水など無いし、従ってどんな香水を作るのも思いのまま。その能力の前にはどんな有名な香水調合士も足元には及ばず、グルヌイユがそうしようと思えば、その鼻を使って莫大な富を築く事も不可能ではないのです。しかし、ある時グルヌイユは、自分が何の匂いも持っていない事に気が付いてしまいます。
---------ここで面白いのは、この小説の中では「匂い=存在」という公式が成り立っている事ですな。
普通なら当然持っていて然るべき匂いを持たないグルヌイユは、周囲からは何ら注目される事もなく、それどころか街を歩いていても、彼は空気同様の扱いをされるのです。当然、歩いている彼を避ける者もいないし、ぶつかったところでそれが人だったと気付くのは、いざグルヌイユを間近で見てから。(それも、何故こんな所に人がいるのかという透明人間を見るような驚愕で!!)
匂い、ひいては存在を持たないグルヌイユ。だからこそ彼は、「自分の匂い」を調合する事を思いつきます。そして選んだのが、全ての者に愛される特権を得ているかの如き処女の匂い。
この辺がまた、設定として凄く面白いと思うんだけど、「愛される者」を凝縮した香水を纏ったグルヌイユは、それまでの扱いが嘘のように全ての人間を魅了してしまうんですな。そして、「愛される者」というのも、その人間が特別なわけでは決してない。そういう匂いを生まれながらにして持っているから愛されるだけなのです。つまり、人の好き嫌い、ひいては思考をコントロールするのは「匂い」なのです。
「愛される」処女の匂いを手に入れる為、グルヌイユは次々に殺人を犯します。しかし、彼はそれに対して全く罪悪感を持たない。何故ならグルヌイユにとっては殺人すらも「匂い」を抽出する為の仕事の一部でしかないし、そもそも彼は人を愛する事も愛される事もない。彼が関心を持つのは「匂い」のみなのです。
結局、一度は逮捕されたグルヌイユはその万人を魅了する香水のおかげで処刑を免れ、それどころか釈放されてしまいます。その後、彼はその生涯を終えるんだけども・・・・・その結末がいかなるものなのか、是非自分で読んでみて欲しいと思います。様々な匂いに満ちたこの小説。もしヒトラーの匂いを手に入れる事が出来たら、貴方も明日から独裁者になれる事でしょう。
ところで、実はこの小説、映画化の話があるらしいよ。「匂い」を映像でどこまで表現出来るのか、見ものではありますな。

香水―ある人殺しの物語    パトリック ジュースキント 作    文春文庫



エンブリオ

小さな命の芽生えは人類への福音か、神への冒涜か

エンブリオとは、受精後8週までの胚の事を指します。というわけで、今回はある野心マンマンマンの産婦人科医のお話。・・・・・つうかな、悪いけど言っていいかな。この小説スゲーつまんないんだけど。
作家というのは、どうしても主人公に自分自身を投影しがちなものなんだと思います。京極夏彦然り、森博嗣然り。ほら、何となく分かるでしょ。ああ、モデルは自分なんだろうなあって。・・・まあ、それが悪いとは言わないし、面白けりゃ何だっていいんですが。
んがッ!!この「エンブリオ」は、それが激しく鼻につく。
主人公は不妊治療において「神の手」と誉れ高い産婦人科医、岸川卓也。彼が経営するサンビーチ病院は贅沢な施設と高度な医療で評判で、岸本は経営者としてもまた優秀なんですな。・・・だがねえ。現実にそんなスーパーマンみたいな人間がおるかいな!!いや、小説なんだから現実にいなくてもいいんだけどもね、しかし女は引く手数多で頭脳明晰、語学も堪能でしかも星座の名前までパーフェクトに網羅って。そんなの在り得ないから!!つうか、そんな奴逆に魅力を感じられないよ!!
話の内容としては、医療行為としながら徐々に暴走していく岸本医師という感じです。胎盤で美容クリームを作って愛人にプレゼントしてみたり、不妊治療に自分の精子を使ってみたり。野心に溢れた岸本医師の姿は、どことなく「白い巨塔」の財前五郎を彷彿とさせますが、私としては岸川医師にはそこまでの魅力は感じませんでした。読んでてもただひたすら傲慢で、全く感情移入出来ない。まあ、だから読んでて苦痛になってくるほどつまんなかったんだろうな。何、この男。みたいな。
まあ唯一「ふ〜ん」と思ったのは、医療の世界における学会の存在ですかね。法律の世界なんかでは、○○会ってのは大抵強制加入団体なんですが(弁護士会とか行政書士会とか)、これを読む限り産婦人科医というのはどうやらそうではないらしい。色んな制約があるのは加入している医師だけで、そうでない医師はやりたい放題なんだそうな。
結局、色んな黒い事をしている岸川医師ですが、何ら制裁を受ける事もなく話は終わります。ナニソレ!? そういう意味では後味も悪い小説ですが、現代の受精とか発生とか、そういう命の神秘みたいなのが知りたい人は読んでみたらどうでしょうか。実際、ここに書かれている事は近い将来には普通に実現される事になるかもしれんし。
・・・・まあ、敢えてお勧めはしませんが。

エンブリオ    帚木 蓬生     集英社




白夜行

太陽なんかなかった。いつも夜。

いやあね、久々に物凄く面白い小説を読んだなあというのがまず一番の感想です。京極も顔負けに結構厚みのある本なんだけども、一気に読めるだけのパワーがありますよ。蛇足ではありますが、この「白夜行」と同時進行で牧野修の「屍の王」を読んでたんだけども、いつの間にか「屍の王」どっかいっちゃったもんね。やっぱ、売れっ子作家はそうなるだけの実力があるんだなあ。
と言っても、内容は結構ネガティブ。
19年前、大阪の廃ビルで質屋の店主が殺害されるという事件が起きる。事件は解決の気配を見せず、結局迷宮入りを迎えてしまうが、やがて真相を追い続ける担当刑事の目に留まったのは暗い目をした被害者の息子と、類稀な美貌を持った容疑者の娘だった。二人は一見別々の人生を歩み始めるが、二人の周りでは次々と不可解な事件が起きる……。
まあ言うまでもなくこの息子・桐原亮司と娘・唐沢雪穂が鍵なわけですが、この二人が異常に頭が良い。というよりも計算高すぎて読んでて怖くなります。他人の事(この場合命も含めて)なんか屁とも思っとらんというか、悪事に躊躇いが無いというか……。ただ、他のレビューにも書いてあるんだけどこの「白夜行」、主人公である筈のこの二人の心情は全く書かれていません。だから、どんな気持ちで悪事に手を染めているのかは読み手が想像するしかないわけね。でもって、読んでるこっちとしては何もかもが露見して制裁を受けて欲しいと思う反面、二人の生い立ちを考えると逃げおおせて欲しいような……。うーん、これはなかなか斬新な手法だと思います。しかも、亮司と雪穂に何の接点も用意されていないのがまたいいですな。
しかし、この話の場合はまあフィクションであるわけですが、現実の世界にだってこういうような計算高い犯罪者はいるわけじゃないですか。
小説の場合は、犯人の生い立ちやら境遇やらが分かるから、同情する余地もある。でも、現実にも新聞やニュースには載らないストーリーというのがある筈で、もしそういったものを我々が知る機会があった場合、彼らに対する見方なんかは変わってくるんだろうかと思ったりもします。行動に移すかどうかは別問題だけども、長い人生を生きてれば誰にでも「殺したい瞬間」とか、そういうのはあるんじゃないかなと。ま、犯罪者に同情する気はさらさら無いけどね。
ただ、この小説、惜しむらくは説明しすぎなんじゃないかなあと思ったりもします。亮司や雪穂の犯罪だと匂わせたいんだろうけど、そこまで書かんでも分かるよ!!みたいな。
2006年、1月からTBS系で「白夜行」はドラマ化されるそうです。っが!!私は断固反対!!亮司を山田なんとかが演る時点で反対!!あいつは電車男がいいとこだよ……。

白夜行    東野圭吾 著    集英社




鳥肌口碑[とりはだこうひ]

この世の中は・・・・・・こんなにどうしようもなく、どうしようもなく、どうしようもないんだよ。

こりゃなかなか怖い。最近この手のサブカルチャー本はいっぱい出回っているわけだけども、その中でも面白い方だと思います。一つ一つの話も短いし、長い文章を読んでると訳わかんなくなっちゃったり、頭痛くなっちゃったりするそんなアナタに超オススメ。
全話オムニバスで構成されてるんですが、前半に心霊系、後半に狂気系の恐怖話をもってきてある作りも上手いと思いますよ。恐怖というのは何も怪奇だけではないわけだし。でもあれだね、本当に怖いのはお化けよりも人間だっつうのがこの本を読むとよく解ります。とりあえずお化けは命までは持ってかない場合が多いけど、人間っつうのはある意味情け容赦無いからねえ。
まあお化けの話は置いといて、今の世の中色んな事件がありますね。そりゃあもう大きいのから小さいのまで、実際新聞に載ってるようなのはほんの一握りなわけだ。そう考えると、我々が毎日を無事に暮らしてるっていうのは、やたらめったらある落とし穴に上手いこと落ちないように歩いていってるだけなんだなあと思うわけよ。アンラッキーな人が陰惨な事件に遭遇するんじゃなく、何事も無く生活してる我々がラッキーなだけなんじゃないかなと。一歩間違えば誰でもその落とし穴に嵌っちゃう可能性があるわけで、そんで明日新聞に載っちゃうのは自分かもしれないわけね。怖えー。
そんなわけで、これを読むと日常の恐怖がちょっとだけ垣間見えて、ちょっとだけ恐ろしい気分になれますよ。今日も生きてて良かったね。

鳥肌口碑[とりはだこうひ]    平山夢明 著      宝島社



東京伝説 狂える街の怖い話

人間、壊レタ・・・・・。

著者紹介に、「生理的に嫌な話を書かせたら日本で三指に入る小説家」って書いてあるけど、この人はライターではあるけど小説家じゃないよなあ。だって自分でストーリーとか考えて、創作してるわけじゃないし。でもまあ、狂気系の恐怖という新境地を開拓した着眼点は凄いと思います。
で、この本ですが、よくコンビニとかに売ってる類のオカルト本です。とは言え、なかなか怖いですよ。昨今コンビニのオカルト本なんてのは、中身も装丁も代わり映えしない似たようなのばっかりで食傷気味だったんですが、これは結構本気で怖がれます。だって、恐怖の対象がお化けじゃなくて人間なんだもんね。お化けにはなかなかお目にかかれないけど、人間はどこ見てもいるでしょ。
そうです。今は怖い話を尋ねると、お化けじゃなくて殺されかけた話が返ってくる時代なのです。今まで我々は自分の誕生日の分だけ「生きてきた」わけだけど、これから死ぬまでの何年、または何十年、その時間を我々は「生き残らないと」いけないのです。この現実だけでまさにガクブルですな。
・・・・・・・・っていうのが最近の私の持論だったわけですが・・・・・・・・・。
↓こんな意見を最近聞いて、何故だか解らんが開眼した。目からウロコっつうの?何やら深いぞ。

一番怖いのは生きている人間ってよく言う人がいるけど、
もっと怖いのはサルだよ。目を合わせないようにね。
それとクマも怖いよね。ヘビも結構危険だし。
泳いでいるときはサメにも注意しなくちゃね。

・・・・・・・クソー、何か和んじゃったじゃんか。

東京伝説 狂える街の怖い話    平山夢明 著    竹書房文庫



怖い食卓

「食」をテーマにした短編集。怖いっつうか、普通にキモいんだ。最近ちょっと太ってきたワ〜、なんてお悩みの方は、ご飯の前にこれを読んだりするといいかもしれません。少なくとも食欲は無くなります。以下、収録作品。
■収録作品■
第T章 怖い食卓
定年食          筒井康隆
とっておきの特別料理   チャールズ・マージェンダール
恋人を食べる話      水谷準
第U章 絵の中のテリブルメッセージ
魔法のチョーク   安部公房
家の中の絵     ハワード・P・ラヴクラフト
第V章 エロスと不気味な満腹
出口      吉行淳之介
美食倶楽部   谷崎潤一郎
第W章 庭園の憂鬱----------食人植物
みどりの想い        ジョン・コリアー
めずらしい蘭の花が咲く   ハーバード・G・ウェルズ
第X章 食人者の嘆息が聴こえてくる
死屍を食う男   葉山嘉樹
恋人を食う    妹尾アキ夫
悪魔の舌     村山槐多

食でホラーを書く以上はどうしてもそうなっちゃうとは思うんですが、んもうカニバリズムとゲテモノ食いのオンパレード。特に私は、谷崎潤一郎の「美食倶楽部」は途中でリタイアしました。キモチワルイよ谷崎さん・・・・。
それにしても、読んでて気分が悪くなる事請け合いのこの本ですが、結構有名な人が書いてるんだよね。筒井康隆(私はこの作家は嫌いですが)に安部公房、ラヴクラフトはホラーでは大御所だし、谷崎も純文学の人ですね。そんな人達がこんな気色悪い小説を書いているかと思うと、作家って四六時中こんな事考えてるのかななんて思ったりします。文字におこすという事は、その書こうと思う事柄についての熟考が必要ですよね。つうことは、この人達は人肉食いやらゲテモノ食いやら、そんな事を真剣に考えなければならんわけです。う〜ん、まともな神経では出来ない仕事だな・・・・・・。
この作品集の中で私が好きなのは、安部公房の「魔法のチョーク」でした。他の作品に比べてグロいわけでもなく、どちらかと言えばシニカルで、少し切ない作品。「世にも奇妙な物語」とかのネタになりそうな話です。
逆に、嫌いなのはやっぱり谷崎潤一郎の「美食倶楽部」。ひたすらキモイ。億尾(げっぷの事ね)と共に口に込み上がってきた胃の中の物を再び食べて美味いという神経・・・・・・イヤー!!

怖い食卓     北宋社








同人誌以外の本もたまには読みますよ

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