姑獲鳥の夏

この世には不思議な事など何も無いのだよ、関口君。

ウブメっつう漢字を出そうと思ったら、案の定変換に苦労しました。あんまり面倒だから、このレビューを書く為だけに単語登録しちゃったよ。でも京極夏彦のパソコンにはバッチリ入ってるんだろうなあ。まあナツヒコがパソコンで原稿書いてるとしての話だけど。でも、あそこまでスタイルに拘ってんのなら、是非原稿用紙と万年筆で書いてて欲しいもんですけどね。つうか、もしそうだったら私はナツヒコに対する見解を変えますよ。
ところで、私はこれを京極氏がデビューした当時に読んだわけですが(という事は1994年か)、その時はあんまりハマりませんでした。まだ高校生になりたてで、薀蓄がよく解らなかったからだと思います。で、先日京極氏が直木賞を受賞した事もあり、久々に京極でも読んでみっか、なんつって最新作の「オンモラキ(また漢字が出ないよ・・・)の瑕」を手に取ったわけですが・・・・・。
作中に頻繁に出てくる「あの夏」ってのは何?あの夏って、どの夏?もしかして姑獲鳥の夏の事言ってんの?
んもうしょうがないなァ。ウブメって10年も前に読んだやつだからあんまり覚えてないし(よく考えたらあれからもう10年も経つんだね!!)、これ読んだらもう一回読み直してみるかなあ、なんて思ってたら。オンモラキの作中で、何気にウブメの犯人バラしてるし!!何だよー!!これからウブメ読む人がいたらどうするんだよ!!
つうわけで、オンモラキを読みながら、「やっぱレビュー書くには一作目を読まないとね」なんて思ってたわけですが、いざ姑獲鳥を再読する際には薄々犯人に気付いているという間抜けな状態でした。皆さんも京極小説を読む際には、順を追って読むように注意しましょう。
さて、ようやく内容ですが(よく考えたら今までの記述は全部自分の事だな・・・・)、聞いた話によると京極氏は、この原稿を直接編集に持ち込んだらしいですね。で、編集側は「これは覆面作家からの挑戦なのか・・・・俺達は眼力を試されているのか!?」とか思ったとか。確かに、アマチュアですって持ってこられたのがコレだったらビビるわな。しかし、あれですね。一作目からシリーズ化するつもりマンマンマンですね。
古本屋「京極堂」を営む傍ら、武蔵晴明社の神主であり、また陰陽師の姿を持つ怖い顔の薀蓄男、中禅寺秋彦(私はまたこの漢字を単語登録した方がいいのか)。万年鬱の小説家、関口巽。それと対照的に、万年躁の上容姿端麗、ただし性格は破綻気味の探偵榎木津礼二郎。唯一まともっぽいけど見た目が厳つい刑事(デカと読んで欲しいもんだね)、木場修太郎。彼らが核となって物語りは進んでいくわけですが、このキャラクター設定からして物凄く魅力的ですね。んで、また作者自身が彼らをメチャメチャ気に入ってるのが読んでて十二分に伝わってきます。やっぱり面白い小説というのはストーリーもさることながら、そのキャラクターも重要なんでしょう。
しかし、後の作品と読み比べてみると、まだ登場人物がさほどデフォルメされていなくて、それはそれで面白いですね。関口君なんかまだ京極堂と普通に喋れるだけのガッツがあるし、何より女コマすだけの度胸があるとは!!今の関口君からは想像つきませんな。榎木津もまだまだこの頃は普通の人だし。
まあ何だかんだ言っても、これが処女作とはとても思えませんね。つうか、思えないとか言いつつもそうなんだから、こりゃやっぱ相当凄いってもんなんでしょう。そりゃあ直木賞もゲットするわ。というわけで、声優までやりだしてもさすがナツヒコ。むむー、けなすとこが無いな。

姑獲鳥の夏    京極夏彦 著     講談社ノベルス



陰摩羅鬼の瑕

おお!そこに人殺しがいる!

ウブメからオンモラキに一気に飛んでみました。そして変換に頭を悩ませるのも止めてみました。
このオンモラキ、鳥繋がりってことでウブメと対になってるらしいんですが、う〜ん・・・・どうだろう。私としてはウブメの方が断然面白いと思います。というかですね、ナツヒコのミステリーは、推理するとかそういう次元じゃないんではないか。だってウブメにしても、このオンモラキにしても、最後のオチ読むとあまりにも奇をてらいすぎてて、「そんなもん予想出来るかボケェェ!!」って気になるでしょ。いや、マジで無理だって。あんなの。もっとこう・・・・・紐使ったり糸使ったりして、密室を何とかかんとかこさえる方が「推理小説」というのに相応しい感じがしませんか?最初っから読者に推理させる気が無いものは、推理小説とは言わないよ。まあそういう意味では、ナツシコなんかの小説は新境地なのかもしれませんが。
しかしこのオンモラキに関して言えば、やっぱりそんなに面白いとは思いませんでした。勿論、あくまで京極シリーズ通しての相対評価なので、(しかも6基準)ハイレベルには違いないんですがね。
まず、事件のあらましを知ったところで、大体犯人の見当が付いちゃう。あれー?そんなわけないよな〜・・・・・と思ってると、やっぱりそいつが犯人だったよ!!っつうオチ。つうか、この巻は特に薀蓄の量が多いよ。多すぎだよ。だってあの分厚い本の、半分以上は薀蓄披露じゃん!!そのくせ肝心の事件はちっとも起きないんですな。オイオイ・・・・・・。
まあ京極堂スキーの私としましては、アキヒコの出番が滅法少ないのが更に気に入らないわけなんですが。榎木津とか関口君が好きなら・・・・・まあ・・・・楽しめるかな。
つうか、京極小説とか読むと、某お笑いコンビの片割れが雑学を「薀蓄」として売ってるのが片腹痛く感じますな。

陰摩羅鬼の瑕    京極夏彦 著     講談社ノベルス



百器徒然袋----雨

探偵榎木津()刀乱麻!

ご存知榎木津礼二郎が主役となっている、中編3本が収録されたお得な一冊です。本編妖怪シリーズの番外編みたいなスタンスをとっているので、まずはある程度本編を読んでからこちらに手を伸ばすといいかもしれませんね。収録作は以下の3つ。
・鳴釜  薔薇十字探偵の憂鬱
・瓶長  薔薇十字探偵の鬱憤
・山颪  薔薇十字探偵の憤慨
さて、肝心の内容ですが、さすが榎木津がメインなだけにやけに明るいですよ。明るいというより、テンションが高い。ウブメの時なんかはまだ榎木津もシリアスに耐えられる、ちょっと変わった普通の人だったんですが、徒然袋だと完全に変人。壊れっぷりには更に拍車がかかってて、傍から見てる分には面白いけれど、友達にはしたくないタイプになってますな。で、これも榎木津が主人公であるからこそなんだろうけども、この徒然にはわだかまりというものが無い。勧善懲悪。いや、作中で榎木津は「勧”榎木津”懲悪」なんてふざけた事言ってますが、まさにそんな感じ。「榎木津=神」を言いたいがために具体的にエピソードを挙げてるんじゃないかってくらい無茶苦茶で破天荒なんです。でも、それが不思議と気持ちが良い。う〜ん、重ね重ね、恐るべしナツシコ小説。
本編妖怪シリーズはなんか暗かったり、ジメジメウジウジドロドロしてる感があるじゃないですか。しかしこの作品にはそういったものが全く感じられず、非常に読み進め易かったです。しかも、人があんまり死なない。悪者は退治するのみ!解り易いですね。作者も気負わず、楽しんで書いてるようなふしがあって、そういう感じが読者であるこちらまで伝わってくるようで、私は京極小説ではとりあえず、この作品が一番気に入りになりました。
そういえば、この作品は珍しく挿絵がついてるんだよね。京極堂(建物の方)がオドロオドロシイのは全くもって結構なんだけど、榎木津ビルヂングはもっと小奇麗なのを想像してたんだけどなあ。あれじゃあお化けが出そうだよ・・・。
で、面白いのは、3篇通じて新キャラの視点で書かれてることですね。しかも、最後まで名前が出てこない。一体お前は誰なんだ。
まあどうせ最後の一文で明かされるとかそんなんだろうなあと思ってて、実際その通りだったわけですが、関口視点とは違う心の突っ込み(ナルト的に言うなら内なる声)もなかなか面白かったです。第三者から見ると、榎木津一味(この作品ではあくまでエノさんが主役だからね)はこういう風に見えるんだなあと。・・・・・まあ、ろくな見られ方はしてないんだけどもね。しかし、傍から見てる分には彼らは非常に楽しげに見えて、こういう友人関係はいいなあと思います。みんな、「自分は仲間になった覚えは無い」とか思いながらしっかり構成員になってるの。出来ればこの新キャラも、今後も出てくるといいなあと思うんですが(首を突っ込んで仲間になった見本として)無理かなあ。
まあトータルの感想として、これは探偵小説と呼んでもいいのかなあという気はしなくもないですが、気負って読まなければいけないナツヒコ小説にしてはとても取っ掛かり安い作品だと思います。是非、今後もこんなサイドストーリーみたいなのを書いて欲しいもんですね。

百器徒然袋----雨    京極夏彦 著     講談社ノベルス



魍魎の匣

京極堂、匣の中へ。

日本推理作家協会賞を受賞した、妖怪シリーズ第二段。6的には断然、姑獲鳥より魍魎です。今回は文庫版を読んだんですが、腰巻の「京極堂、匣の中へ。」というキャッチが物凄く格好良いと思ったのは私だけでしょうか。
さて、今回のストーリーは、少女自殺未遂事件と連続バラバラ殺人事件。得体の知れない宗教団体「御匣様」に、やっぱり得体の知れない「美馬坂研究所」。自殺未遂から誘拐事件への発展。んもうこの一冊だけで、盆と正月がいっぺんに来たような盛り上がりですよ。いくら何でもこんなに次から次へと色んな事は起こらないだろうと思うんですが、それが取って付けたようなものではなく、ごく自然の流れのように書かれているからまた目が離せない。夏ピコったら凄い。それから、「匣の中の娘」という作中作の作者である久保竣公。関係無いんだけど、この小説を読んでいる間中、私の久保のイメージは何故か雨上がり決死隊の蛍原でした。
・・・・・・・・まあホントにどうでもいい事なんだけども。
久保で思い出したんですが、私はこの作中作というのも、京極小説の面白いところだと思います。
この作品の言わばゲストキャラ(と言うのかどうかは分からんが)である久保もそうですが、関口君も小説家。という事で、彼らが書いた小説というのが作中には多々登場します。それがどれもなかなか面白くて、「あー、これも著者関口巽って事で出版すれば面白いのになあ」とか思ってしまいます。特に「匣の中の娘」は物凄く不可思議な小説で、勿論全部載っているわけではないんですが、その断片だけで全部読んでみたいと思わせるには十分でした。
で、締め括りはやっぱり京極堂の登場なんだけど。
この、京極堂がやっと重い腰を上げて云々てところで、何となく気恥ずかしい気持ちになってしまうのは私だけでしょうか。
だって、それまでは割と在り得なさげな話も、それなりのリアリティをもって書いてるわけじゃないですか。なのに、京極堂登場!!というくだりになると、途端に三流ヒーロー臭がする。晴明桔梗を染め抜いた、黒尽くめの京極堂。鼻緒だけが赤い下駄。・・・・・何か想像すると滑稽だぞ。しかも京極堂の職業も、古本屋店主兼武蔵晴明社神主。ここまではいいと思うよ。なのに、
兼、陰陽師。
・・・・・・・今時陰陽師なんて名乗ってんのは石田チャンくらいなもんだ!!
なんかここまでお膳立てっつうか、そんな事されちゃうと読んでて痒くなってくるよ・・・。
まあでも、何度も言うようだけど私は京極小説は嫌いじゃないんですよ。寧ろ凄く好き。この綿膨大なストーリーを纏め上げる綿密な構成は凄いなあと思います。特に今回は朴念仁木場シュウの不器用な恋というのも織り交ぜられていて、必死な旦那が健気で泣かせました。旦那もブロマイドを大事に持ってたりするんだねえ。
最後の木場シュウの旦那の、「悪党、御用じゃ」という台詞が哀愁漂って切なくて、この作品の中で最も印象深い言葉になりました。

魍魎の匣―文庫版    京極夏彦 著     講談社文庫



狂骨の夢

京極堂、夢を解く。

さてさて、滞り無く順調に、順番通り読んでますですよ。相変わらず帯の煽り文句が激しく格好良いな。つうか気になったんですがね、関口も榎木津もアキヒコの事を「京極堂」とか「京極」って呼んでるじゃないですか。でも奴らは学生時代からの友達なわけだろう。ある日友人が古本屋を始めたからって、それまでおそらくは中禅寺って呼んでたものを突然屋号で呼べるものなんだろうか。そんな突然のあだ名変更はどうなの?
まあ本当にそんな事はどうでもいいんですがね。しかしこの狂骨の夢、やっぱ今現在魍魎至上主義の6としてはちょっと物足りなかったです。何つうかな、捉え所が無いっつうかな。魍魎の時みたいな、一刻も早く続きを読みたいとか、そういうパワーに欠けてたような気がします。そんでもってドスンとインパクトがあるわけでもない。テーマでもある精神論のためか、内容までもタイトル通り夢幻にゆらゆらしてるようでした。しかも熊沢天皇云々の話は、「木島日記」でトンデモだっていう印象が強いんですな。フロイトやらユングやらは学問としては割と好きですが、こういう風に絡められると観念論が強くてちょっと解り辛いような気がします。まあアレだ。6的にはシリーズ中最下点マークって事で。でも、何にでも最高があれば最低もあるわけでね。
・・・・ううむ。今回もう書く事が無くなってしまった。
あ、そうだ。某所で「京極堂シリーズを荒木飛呂彦に描かせる」なんてのを目にしましたが、何気に面白いんじゃないかと思った。あの絵柄でね、京極堂登場の際は効果音で「ゴゴゴゴゴ・・・・・!!」ってのをバックに背負ってたり。
「世の中には不思議なものなど何も無いのだッ!!何もッ!!」
「何ィィィィィ!?」

とかね。あ、今ヒロヒコの絵柄で関口を描いたらどうなるんだろうとか考えたら、何故か重チーが出てきた。・・・・・・・ホントに京極と何の関係も無いな。

狂骨の夢    京極夏彦 著     講談社ノベルス



鉄鼠の檻

京極堂、結界に囚わる。

凄い。凄いよ夏ピコ。そりゃあアンタ直木賞も獲れるよ。何て言うか、もうミステリーの枠内に収まってないもん。そんなわけで、私は慈行が好きだ。坊主なのにあの高飛車で強気な態度が堪らん。
さて、今回のテーマは禅です。禅問答。公案というらしいですが。しかし、宗教というただでさえ難しいテーマの中の、更に難解と思われる禅を題材として持ってくる辺り、やっぱり夏ピコは凄いと思います。しかも、更にそれを小説にしようと思うと自分の中で余程噛み砕かれていないと書けないと思うんですが、おかしな解説書よりも余程解りやすく説明されている。--------悟るとはどういう事か。悟ったと思った時にはそれは悟りではなく、解ったと思った途端にするりと指の間から抜けていくもの。悟りを意識しては悟れないし、また座禅の中の無我の境地は座禅というものが作り出す幻想に過ぎない。
・・・・書いてて訳が解らなくなってきた。つまり禅とはそれほど深い--------本当に底が見えないくらい深いテーマだという事です。だからこそ長い年月、様々な人間がその問題に真剣に取り組んでいるんですな。私は小学校が仏教系だったので、授業の中に宗教というものが設けられていたんですが、その中で釈迦が座禅(瞑想だったかもしれない)をしていた時のエピソードを思い出しました。釈迦が無心に心を落ち着けていると、様々な者に姿を変えた悪魔がやってきて(悪魔という表現は不適切かもしれんが)、悟りを開かせないように釈迦を誘惑するんだそうです。この一連の話はあくまで逸話として伝えられているわけだけども、これも科学的に見れば座禅という究極の状態で脳が作り出す幻視なわけですな。視覚的に閉鎖された場所で微塵も動かず、時に飲まず食わずという状態に長く置かれれば、そりゃ幻覚の一つも見るだろう。釈迦といえども、それは例外ではないわけです。そうやって考えると、宗教と言えども科学と全く切り離してしまう事も出来ないというわけですね。この鉄鼠の檻でも、京極堂の妹、敦子が禅を科学的に説明しようと、禅寺に取材に赴きます。結局は湧き起こった事件に断念せざるを得なくなるわけですが、敦っちゃんならさぞ良い記事を書いた事だろうて。
ネタバレをすると、この事件の犯人は悟りを開いたと自覚した人間を次々に手にかけていったわけです。我々からすれば、「そんな事くらいで」殺人なんてと思うわけだが、真摯に悟りというものに向かい合っている人にしてみれば、悟りというのは殺人事件にまで発展してしまうような大事なのかもしれんな。深いなどという陳腐な言葉では表せないほどのその問題は、まさに一生をかけて極めるものだし、だからこそ関わる人々にとっては命を懸けるようなものなんでしょう。しかも、何年、何十年経っても自分に悟りは訪れないのに、周りは「悟った」と言う。焦りや妬みといった感情は更に悟りを遠ざけるのに、人間は負の感情を持たざるを得ない。
ウーム、また考えると解らなくなるな。まさに牛を追う如し。せっかく捕まえたと思っても、我々は帰り道ではその牛を忘れて一人だけで帰ってきてしまうのです。
機会があったら座禅とかやってみたいもんだね。悟りとかは無理だから、そういう小難しい事は考えずに。
慈行ら禅僧は結界に囚われていたわけだけど、我々は座禅を行う事で日常の檻から解き放たれるのかもしれんよ。

鉄鼠の檻    京極夏彦 著     講談社ノベルス



絡新婦の理

京極堂、桜の森に佇つ。

ジョロウグモという字が変換出来なくてムカツク!!--------はいいんだけどもね、最近京極堂シリーズを読むにつけ思うわけさ。京極作品は、裸の王様と通ずるところがあると。
このエッセイでも色々と好き勝手書いてますが、やっぱり夏ピコ小説は物凄く面白い。まさにこの京極夏彦という人は、小説家になる為に生まれてきたような人だと思うんですよ。・・・そうだなあ、イチローが野球をやる為に生まれてきたようなものと、天職具合は同じではなかろうか。本人に聞いたわけじゃないから、あくまで傍から見てという域を出ていないけれども。
で、そんな夏ピコ小説だけども・・・・・・正直言って、一回読んだだけじゃ理解出来ないでしょ?どころか、読み返したって完全に解るわけじゃないでしょ?私もそうです。でも、そんな事を言っちゃうのはカッチョ悪いので、「ま、細かいところはペダンティックで解りづらいけどね」なんて外では言ってますが。
つまりそういう事よ。我々は夏ピコに試されてんじゃないかと思う事がしばしばあります。でも、恰好悪くて解らないなんて言えない。もしかしたら彼の作品、ひいては各々のテーマに関する考察は、実は完全に理解出来なくてもむべなるべきものなのかもしれませんが、敢えてそれを言う人もいない。読者も出版も編集も「凄い凄い」を連発するだけで、誰も「それってどういう事なの?」とは突っ込まないのです。つまり、王様は裸なんだと断定する者が不在なわけですな。もっとも、彼の作品は決して見えない服ではないところが悔しいところですが。
さて、今回の絡新婦は前回のトラッドなテーマから一新し、女性の地位向上という革新的な事柄が題材の一つになっています。加えて、ミッション系の学校で起こる黒魔術騒動と、それと平行する連続目潰し魔。いつも思う事ですが、京極小説は起こる事件が一つきりではないのが凄いですな。複数の事柄が平行して発生し、読んでる側としてもまあこれが絡んでくるんだろうなと予想はしながらも、いざそうなってみれば至極さり気ない。
-----今回はいつになく褒めちぎっているわけだが。しかし、この小説で驚いたのはノベルズ版776ページ、以下のやりとりでした。
葵「力ずくでも行為に及べば、女性はその気になるだとか、或いは気持ちがならずとも体が反応するとか-----それは男の抱く妄想にすぎません。女性の体は男性以上に精神に忠実です」
中禅寺は、僕もそう思う、と言った。
・・・・・・そうなの!?そう思っちゃうの!?いや、思ってもいいんだけどさ、何つうか、私の中で京極堂という男は物凄くストイックなイメージがあるので、その台詞にちょっと驚いただけです。それだけなのです。
ついでなので、今回は京極堂を語ってみよう。
まあ一部地域を除き、京極堂は一見色恋とは縁の無い男だと見られがちでしょうな。少なくとも私はそう思っています。だって、かの拝み屋にかかれば男女の機微すら、「そんなものは生物学上子孫を残し易くするための合理的な作用でしかない」とか言いそうじゃんか。男と女の違いなんて、染色体の最後の一つの相違としか思ってなさそうじゃないの。
古書仲間の間では(京極堂に仲間がいるというのもおかしな話だが)愛妻家で通っているらしい彼ですが、子供はいないようですな。出来ないのか作るつもりがないのか、そもそも夫婦生活があるのか無いのか。そして千鶴子さんは妖怪ヲタクの旦那をどう思っているのか。結婚に至る馴れ初めなんかも是非知りたいところですが、これもまた恋愛結婚というのはどうも想像し辛いですな。夏ピコたん、そういうの書いてくれないだろうか。それともそんなヲタク臭い読み物はさすがに駄目だろうか。
・・・・・ハッ!!京極堂を語るつもりが全然語った事になってない!!そして絡新婦の内容には何ら触れてすらいない!!
まあいいや。ジョロウグモ、面白いです。私の中で匣、檻、蜘蛛、って感じかな。
ところで今このレビューを書いている現在、巷では姑獲鳥映画化の話が持ち上がっているわけだが、あのキャスティングは読者に喧嘩を売っているのか。京極堂に堤真一・・・・これはまあ、百歩譲って許そう。榎木津に安部寛はギャグなのか!?奴は巨根の上田だぞ!!安部寛だったら、まだ木場修の方がイメージ的に合ってると思うんだけど・・・・。
私のベストキャスティングは、京極堂にバクチク櫻井。榎木津は東山紀之。木場の旦那に今井雅之。これ以外は認めぬ。

絡新婦の理    京極夏彦 著     講談社ノベルス





京極堂の次にいさま屋が好きです。

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