野村万作・野村萬斎 狂言公演 「墨塗」「痩松」「鏡冠者」




3月26日滋賀県琵琶湖ホール。初めて生の狂言というものを見に行きました。まあ野村萬斎見たさに行ったんですが、そういう意味では古典芸能に無縁だった我々のような若者に興味を持たせた彼は、凄い業績を為したという事になるんでしょうな。今まで若者にこんなに狂言が注目された事があっただろうか。確かに動機は不純かもしれんが、それで結果的に今まで触れなかった文化に触れられるというのはいい事だと思っとります。若者らしさをアピールするために、ゴスロリ仕様の着物を着て行きました。どこで萬斎が見ておるか分からんからな。
さて、演目は3つ。古典の「墨塗」、「痩松」に加え、新作狂言の「鏡冠者」。
前者二つの古典の方は普通に喜劇という感じで、内容も分かりやすく面白かったです。狂言というのは能なんかと比べると庶民の娯楽だったらしいですが、動きもコミカルで、どことなく笑いのツボがドリフっぽい。何つうのかな・・・・・一回ウケたネタを何回もやるとことか。日本人というのはこういうドリフ臭みたいなのに弱いんだろうか。
歌舞伎なんかだと、「○○屋!!」とか屋号を呼ぶのにもルールがあって難しいと聞きますが、狂言の場合はお客さんももっと砕けている感じを受けました。みんな面白かったら、笑いたいところで声を上げて笑う。私の後ろの席にいたオバハンなんか、そんな笑わんでもいいだろうってくらい爆笑してましたからね。古典芸能といえども、片肘張らずに見られるこういうのがいいんじゃないでしょうか。
「墨塗」と「痩松」は古典らしいのでストーリーの説明は省略するとして、今回一番面白かったのは新作狂言の「鏡冠者」でした。いとうせいこうが作り、野村萬斎が演出を手掛けた作品。ただのギャグと思わせておいて途中でシュールになる構成は、そうなるんだろうなあと薄々判りつつもなかなかドッキリさせられますよ。
太郎冠者は蔵の中の「鏡」に御神酒を供えてくるよう主人に命じられます。「鏡」を見たことがない太郎冠者は「鏡」に向かって話しかけますが、返事がないので酒を呑んでひとり大騒ぎをしていると、そのうち外にいる自分と中にいる自分が入れ替わってしまうという話です。
で、これが途中までは凄くコミカルなんですが、要は最後は太郎冠者は、鏡の中に閉じ込められちゃうんですね。その演出の仕方が衝撃的。シュールを通り越してオカルトですらあります。同時に、それまではやっぱり面白いだけの存在だった鏡の中の自分が、途端に悪意ある存在のように思えてきて、ラストでは場内は水を打ったようにシーンとしていました。例えるなら、ドリフを見てた筈がいつの間にか世にも奇妙な物語に変わってたって感じかね。フーム、狂言っつうのはドリフと見せかけて奥が深いよ。
あと印象的だったのは、音楽ですかね。「鏡冠者」では踊りのシーンがあるんですが、それに伴される笛が何とも言えず良かったです。オケみたいに大勢なわけでもなく、たった一本の笛なのに、あそこまで聞かせるのは凄いと思いました。
ところでふと思ったんですが、この狂言という舞台の動き。演じている途中で突然座り込んだりする人が出てくるんですが、そういう人は舞台の上では、「いない存在」という事になっているそうです。前口上で萬斎が言ってたので間違いありません。でも、それが結構な長時間正座してるんですね。ああいう伝統芸能の役者さんとかは、一体どのくらいの時間正座していられるもんなんだろう。私は知り合いの葬式でお経を聞いている間に足が痺れて、いざ自分の焼香になった時に見事にスッ転んだ経験がありますが、今思い出してもこっ恥ずかしくて悶絶しそうです。
まあそんな事はどうでもいい事なんだけど。
あと面白かったのは、始まる前の萬斎の前口上ですね。分かりやすく、また面白おかしく解説してくれるので非常に聞き易かったです。何でも、面を付けているせいで舞台から落ちる役者さんもいるそうな・・・・。勿論、大まかな台本はあるんだろうけど、事細かに何を言うか決めてあるわけでもないだろうし。だとすればかなり話し上手だなあと思いました。あとは、やっぱり萬斎さんの立ち姿ね。ピシッと背筋が伸びてて格好良かったです。
全体的に言えば、さすが野村万作・萬斎狂言と言いますか。初めてであるにも関わらず物凄くすんなり狂言というものに溶け込めました。逆に言えば、初めて見たのが萬斎で良かったのかもしれんな。今度近場である時は、また是非見に行きたいと思っています。





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