特別企画 

      ど〜も。ここへいらした方はお暇な方ですね?(ちがったらゴメン)
     今だから 笑顔で語れるあの「とんでもない話」の真相

     執筆してみたらこ〜んなに長大作。ホントはder Monolog で語ろうと思ったら
     そこに収めておくのは惜しいと思いまして ページを作ることにしました。
     ま、るなるなワールドに浸ってくださいな。

      とんでもないこと の真相。

        Prien のページで少し触れたがこの夏、とんでもないことが私の身に起った。

        私は今までいたって健康であった。
       コトは9月のある日曜日に始まった。体がだるいし、喉がめっちゃ痛い。午後には
       風邪薬を飲んで横になっていた。急変は夜に起る。持っていた体温計は「39℃。40℃
       を示した。風邪は引くがめったに熱を出さないこの私が「高熱」を出した。
       水を飲むのが精一杯。別の風邪薬を貰って飲むが全く効かない。
         
       翌日。なんとか病院に行こうとした。医者のアポイントメントを取って貰う。「う、気持ちわりぃ
       高熱のあまり吐き気でトイレに駆けこむ。しかし吐くものがない。とても病院まで歩けないので、
       タクシーで行った。病院の受付で何とか手続きを済まし、診察を待合室で待っている時はもう、
       気分の悪さにソファーにのけぞり「トド?状態」になっていた。何となくイヤな予感はあった。
       「この熱じゃ注射ぐらい受けるかも?ひょっとして点滴もありかも?」
       
       押し寄せる悪寒と戦いながら診察を待った。呼び出され診療室に行く。ドイツで病院に
       行くのは初めてではない。上品な白髪の医者の前に座って問診を受ける。とにかく「喉が痛い
       腫れて、熱がある。」と説明した。(熱が何度あるか尋ねないの?聞いておくれ!)
       ドクターは喉をさわって、アレルギーがあるか聞いてきた。「ま〜ったく」私は答える。
       彼はカルテにさらさら薬の名前を書き出した。その時…

       再びあの「吐き気」が襲ってきた。「ゴメン!トイレどこ?気分わりぃ〜。」(もちろんドイツ語)
       彼はびっくりしたがとっさの判断で流しへ私を抱えて連れていった。流しにはたどり着くが、
       吐くものがない。そのうち、足が痺れてきて体も硬直しだした。立つこともままならない私は
      その場に崩れ落ちていった
。体が締めつけられ、息も絶え絶えに。
       医者は看護婦を呼び近くの診療台に私をのせた。
       
       手足は全く痺れ、過呼吸気味。素早く鎮静剤が注射され、点滴まで準備された。
       とにかく私はもがき苦しんでいた(ハズ)。コトは意外な方向ヘ急展開。「救急車」が呼ばれた。
       薄らぐ意識の中で「あ、あたし搬送されるんだぁ。でもどこに?」と思った。部屋の中が騒然としだす。
       救急隊員が到着。オッチャンがベットわきで「だいじょうぶだよぉ」と言ってくれる。
       
       いよいよ 私は運び出された…。なんと鼻に酸素吸入器の管が取りつけられてる。
       (うわ〜重病人?)階段をおろされ担架というか救急車内のベットに寝かされた。
       「OK!行きます。」そう言ったかどうかはしらんが、車はサイレンを鳴らし動き出した。
       五分ぐらい走ってから私は車外へ運ばれた。どこだかわからないが病院に着いた。
       急患口から院内の廊下へ運び込まれた。可動式ベットへ移された時はもう私の意識は
       はっきりして、これから起こることを静かに見守っていた。

       「一人部屋がいい?2人部屋がいい?」私は尋ねられた。とっさに、お金もってないし、ドイツの
       医療費が高いことを考えて貧乏根性から「2人部屋で」お願いした。私はこの時点では良くなっ
       たら帰ろうと思ったが、それは甘かった。病棟に入れられいろいろ問診が始まった。
       看護婦さんや看護助手っぽい人が入れ替わり立ち替わり入ってきて、軽く自己紹介しては
       いろいろ世話をしていった。「保険」に関して質問したり、検温したり。
       私は病室内の電話を使う手続きをとってもらった。

       熱で頭がぼけ〜っとしているが私の様子はとても落ちついている。女医さんが来て診察をはじめた。
       何をするのか予測がつかない。また点滴を受ける。「これ(点滴)ってドイツ語で何ていうんですかぁ?
       私は聞いた。針はプラスチックだった。早速私はいちおう日本の自宅にTelをいれた。
       「あのね入院しちゃった」そりゃ〜家族もびっくりするわな〜。
       もうひとつショック!私は知らなかった。トイレには針を外さないで点滴セットを持ち込むということを。
       看護婦のおばちゃんに尋ねてよかった。「よいしょ!」と点滴台をトイレに運びこむ姿はマヌケだった。

        可愛い看護助手っぽい女の子が「ごはんですよ〜」と食事を運んできた。ふたを取った。
       思わず「がくっ」ときた。まるで離乳食だった。しかし、昨晩から全く何も食べていないので食べた。
       でも、「どうみても主食らしい甘ったるそうなムースとお粥の中間みたいなもの」は食べれなかった。
       日本人の味覚を全く無視していると一人で憤慨。にんじんグラッセと挽き肉ソースの煮物は
       いただいた。「おすまし」みたいなスープは飲めた。が、次第に食べつかれてベットに倒れ込んだ。

        ウトウトしていたら薬を飲めと起こされた。さすがドイツ!錠剤がデカイ。今度は採血。
       腕からと耳たぶから。看護婦さんが耳に針を指している時、「ピアスみたいっすねぇ」とジョークが
       言えるぐらい私は復活していた。点滴が終わる。でも、針は抜かない。また次回刺すのも
       痛いからいいやと思ったが刺しっぱなしだった。心電図も取られる。疲れただけでもう悪いトコ
       なんかない。午後はこうして過ぎていったが病室内をうろつけるくらいけろっとしていた。

       自分がなぜ運ばれたかを考えていた。よくわからない。扁桃腺が腫れて熱が出て歩けなくって
       ひきつけ起こして倒れちゃって〜。どうやら今日帰宅は無理そうだ。無理矢理でも熱を下げ明日は
       退院するぞ!と密かに意気込む。明日には絶対帰らないと旅立ちのためのパッキングが出来ない。
       やがて夕食。ドイツ式だから昼よりは格が落ちる。ま〜た「甘いの」出た〜。食わんと退院させて
       もらえないかもしれないと思い頑張る。が、完敗。

       緊急入院だったので何も身の回りのものを持って来なかった。わかってたらちゃんとお泊まりセットで
       来たのに。ついでにデジカメも持って来たのにぃ。病院ライフは全てが私にとって未知だった。
       タオルや石鹸・歯ブラシ・コップをいただいた。パジャマを要求したがへ〜んな治療服しかなかった。
       夜勤の看護婦さんは優しかった。それなのにぃ…
       夜の検温。今まで生きていてこんな屈辱的なコトはなかった。おしりに体温計を『…』られた。(ピィ〜)
       「38.1℃。まだ高いわねぇ〜」花も恥らう乙女(もち、アタシ)があんなメにあうなんて…ショックだった。
       初点滴。初救急車。初入院。初めて尽くしの夜はふけていく…。

        翌朝 7時半頃起こされる。良く眠ったようだ。ベットでさっそく血圧を測る。「あら?」看護婦さんは
       私を起きあがらせもう1度測定。さらに私をベットサイドに立たせる。あまりに私の低血圧ぶりで正確な
       数値が出なかったようだ。そしてまたあの屈辱はやって来た。「37.3℃。いいわ。」やった〜下がった〜、
       退院だぁ!(ホントは平熱から考えるとまだ高い)私は尋ねた。「ドイツじゃそういう熱の計り方をするの?」
       「これが1番正確なの。日本はどう?」フツー、口かワキだよなぁ。あまり知らない。

       朝食を平らげ洗顔と歯磨きをすませる。「今日は貴方のお隣さんがきますよ」
       「私、帰れないのね?」「まだわからないわ〜」がっくり。
        やがて回診時間。「あなた、退院希望出したの。」「はいぃ。今後の日程の都合で…」
       「私としてはもう1日ィ…。」「いやぁ。そんなぁ。」「誰が貴方の食事と身の回りの世話をするの?
       貴方はまだ無理よ。」「そんなぁ、全て自分です。でもお願い。帰っていい?」
       「しょうがない。今後の旅行先で悪くなったらスグに病院行って、医者に診断書を見せなさい」
       なんとか退院許可をいただいた。先生の診断書や保険請求の書類だのをいただく。

       看護婦さんが書類を持ってきてくれた。「あなたYokohamaから来たの。昔こういう歌あったんだけど
       知ってる? ♪横浜のおミツさんがぁ〜♪Mitsuって日本の名前?」看護婦さんはドイツ語で歌い出す。
       ドイツ演歌は知らない。「歌は知らないなぁ。でも、横浜についての歌は沢山あるヨ!有名なんだねぇ。
       ミツって典型的な女性の名前だよぉ(ほんとかぁ?)」きっと「赤い靴」ふうな歌なんだろうね。
       彼女は相変わらず歌っている。私達は笑った。

       最後の昼食をいただいた。また離乳食。が、しっかりいただけど食べ疲れる。
       身辺整理をしてあちこちに連絡。電話代の精算をする。看護婦さん達にお礼とごあいさつをして、
       ロビーに出た。幸いお迎えに来てもらえた。迎えの車の中で「Luna!救急車で運ばれたってホント?」
       「Ja,ja!サイレンうるさかったよぉ。もう2度と入院したくないよぉ」 私は喜びいさんで戻って来た。

       治療費請求金額にぞっとしたが旅行保険で何とかなりそう。
       優しい友達が日本式たまご粥を作ってくれた。やっぱ病人にはお粥だね。
       その後私ののどはすっかり治った。
       しかし手首に「ぶすっ」と刺された注射針の跡は痣になってしばらく残っていた。
       K病院の看護婦さん。S先生。そして心配してくださった皆さん。本当にどうもありがとう。
       

          Fine (おわり)

       後日談) 日本帰国後も あらゆる請求書が押し寄せる。
             参考までに
             1軒めの個人病院  102.96マルク
             救急車搬送代    825マルク    
ひぇ〜 高い
             救急医 診療費   296.89マルク
             入院費(1泊 2人部屋バス・トイレ付) 400.05マルク
             
             海外旅行保険に是非加入しておくべきです。
             おかげで私は助かりました。 
                    

 

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