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■プロローグ
言い訳はしませんが、とにかく行っちゃいました。スペイン周遊にポルトガルまでついちゃったツアー。T氏憧れの(・・・といいつつも写真一枚撮るだけで満足な)ロカ岬まで連れて行ってくれるコース。基本は「水曜どうでしょう」の後追いをしているようなものです・・・。とにかく昨年のトルコ・エジプト旅行と同じタイミング、同じ理由で2月中旬で設定した。
スペインは、バルセロナのサグラダファミリア、トレド、ミハスの景観に感激し、ポルトガルではリスボンの街を、エドワード7世公園から、コメルシオ広場まで歩いてみた。食事も野菜は少なめだけど、味付けやオリーブオイルも口にあって問題なし。2月でも、それ程寒くはなかった。しかし順調な旅の終わりに大ドン殿返しがあるとは、旅行中ですら想像もできなかった。

Total 約190000円
ツアー代金 159800円
燃油サーチャージ 20000円
現地両替 5000円分のユーロ


*なぜかGPSロガーが反応しなかった
■11年2月11日(金) :成田→パリ(AF0275)→バルセロナ(AF2148)
10:55 成田第一旅客ターミナル集合で待ち合わせ。ラウンジで時間をつぶすも、学生の卒業旅行か、意外と混みあっていた。チケットを受け取ったのち、女性添乗員の呼びかけで、再度集合しセキュリティーゾーンからイミグレに進む。添乗員は39歳のがっちりとした女性。連絡事項はちゃんとしゃべるのだが、メリハリがないため、何が重要なのかわからなくなるような説明だった。

12:55 AF-0275にて出発。機材はエールフランスの最新鋭機エアバスA380。総二階建ての大型機だ。天井も高く、すわり心地もいい。2階席のほうが、胴体形状から足元が広めなようだ。各座席の画面も大きめだが、やはり画質は悪い。機内では、iPadでほとんど映画を見ていた。最新の大型機はいいのだが、乗り降りに乗客が多くて時間がかかるのと、イミグレなどが一度に混み合うのが欠点だ。
17:15 パリ到着。パリで入国審査を行った後、トランジットでバルセロナ行きに乗り換える。ヨーロッパのシェンゲン条約国では、到着・出発を一度済ませば、国が違っても国内と同じ扱いになる。そのため、スペイン・ポルトガルには、何の国境らしさ?を感じずに移動ができた。

19:05 AF-2148にてバルセロナに向けて出発。パリの夜景がきれいだった。この時の日本との時差は8時間。
20:45 バルセロナ到着。


21:30 空港からすぐ近くのトリップ・バルセロナ・アエロブエルト ホテルに到着。こぎれいなホテルであるが、周りになにもなく、すぐさま就寝。
■2011年02月12日(土):晴れ
08:30 バルセロナ観光にホテルを出発。
今回のツアーは、36名の大人数だ。そのため、すべてのキャラを把握できなかったが、身近で一緒だったメンバーを紹介する。学生6人組。今年卒業で6人とも教師が内定しているという優秀な若者。見てくれは今風だが、話してみると、しっかりこちらの話を聞くし、自分たちの意見や、世の中の仕組みなどにも興味があるような会話ができる。おかーちゃんにカーリー娘。この二人とは、一番一緒に行動していた。てっきり娘は大学生だと思っていたら、実は結婚していて、共稼ぎなのだという。おかーちゃんという人が教師っぽくて、よく二人で旅行をするという。カーリー娘のあっけらカランとしたものいいや人懐っこさは、一緒にいても周りを和ましてくれた。父母娘の3人組。親父はビデオ回しっぱなし、娘はしっかりしているのだが、30前後で辛口なコメントが多い。母親は物静かな人だった。79歳の親父にポニーテールのおばさん。こちらは夫婦なんだが、奥さんの見た目が若い。親父は頑固そうでいつも奥さんをしかっていた。新婚さんが2組。一組のだんなは、カメラも持たずにただ見てるだけ。奥さんが一生懸命写真を写している。旅行の目的はなにかと旦那に聞くと、「食事がたのしみなんです」とのコメント。新婚の奥さんがあきれてた。もう一組は大人な新婚さん。それと結婚前のカップル。こちらはだんながやさしそうで、彼女にリードされていた。きっと尻にひかれるだろうとの皆の感想。

バルセロナの街は、碁盤の目のような街づくりで、路面電車を前提として設計されたという。各ブロックの四隅は、電車が曲がりやすいように隅切りをした六角形になっている。電車の音が気にならないように、窓は極力中庭側に設けている。トイレや台所は外に面しており窓がある。今は路面電車はなくなり、車がその六角形の角のところに違法駐車したりしている。
グエル公園。ガウディーとパトロンのグエル公爵とで、分譲住宅地の開発を行ったが、結局買い手がつかずに計画を断念、公園となった。ガウディーらしい曲線と色とモザイクの使い方が、スペインらしさを感じさせてくれる。朝一番の観光であったため、公園は柔らかな日の光と、仕事の準備に追われる公園職員などを見ながら、ゆったりとした時間を感じる。遠くにサグラダファミリアの尖塔が見える。




グエル公園から、バスがすれ違えるかどうかというほどの、狭い坂道を下り、サグラダファミリア(聖家族教会)に到着した。圧倒的な存在感の建物に皆しばし言葉を失いながら、尖塔を眺める。このスケールの大きさは、カメラを横にしても縦にしても入らない。少しずつカメラで切り取ることで、ガウディーの世界を消化していけるような気がした。まずは生誕の門から中にはいり、反対側の受難の門を見て、またなかに入る。それまで、ガウディーは狂気の建築家・・・のイメージがあったが、隣接する博物館で、錘をつけた糸を束ねて柱とか尖塔の形状を決めている資料をみて、緻密で科学的な建築家でもあったことを実感する。
まだ工事中であるため、中から見た窓は透明なままであるが、ここにはステンドグラスがすべて入る予定だという。光の演出が巧みで、朝の光が、ちょうど傘の下のキリスト像にあたるように窓や尖塔が配置されているようだ。中に入ったとたん、荘厳な空気が体の中に入り込み、圧倒的な天井の高さとその造詣に、己の小ささと神の存在を感じてしまう。神はそこにいなくても、我々は常に、何者かによって見守られ、生かされている小さな生き物なのだ。宗教はまさに、そんな心理学的な演出の結果なのかもしれない。





カサミラとカサパトリョをバスから見学。その後バスを降り、通りを渡って、カタルーリャ音楽堂を見学する。

昼食はスペイン風オムレツ。海岸沿いのレストラン。それほどおいしくはなかった。スペインのレストランやスーパーなどには、ブタの足と思われる骨付きのハムがつるされている。よくアニメなどで原始人が食べる肉の形だ。脂取りのためなのか、つるされたハムの下には、傘をひっくり返したようなものが刺さっていた。ハムを切っていたおじさんに、写真を撮っていいかと聞くと、笑顔でポーズをとってくれた。ひざしが暖かく、海の風はあっても、気持ちよい。



食後バレンシアに向けてバスは出発。スペインは中国とかベトナムとかインドとかと全く異なり、車で走っていてもクラクションの音が聞こえない。非常にマナーがいい運転をするし、歩行者もまた信号を守る。道路もよく整備されていた。途中タラゴナの世界遺産 ラスファラス水道橋を見学。 高速のサービスエリアから歩いて行く。工事中でネットが張られていた。

バルセロナから358km 約5時間でバレンシアオレンジの里、バレンシアに到着。
16:30 早くバレンシアに到着したので、ウサアラクアスホテルにチェックインした後、食事に出かける。
17:30 夕食は車で20分ほどのバルで、パエリアを食べた。


■2011年02月13日(日)
08:00 クエンカへ向けて出発。 214km 約3時間。途中のサービスエリアで休憩。スペインでは、カラフルな色使いに驚かされるが、真っ赤な歩道橋とか、紫色の橋とか、なんで??っておもう色使いもあったりする。でも許せるのがスペインなのだ。

クエンカは、河川の浸食でできた断崖にできた町で、自然の要塞都市だ。その断崖には家の一部にがせり出した宙吊りの家がある。川沿いの道の登りながら、その先の鉄橋をわたるとクエンカの街中に入る。街中はまるで中世の地代にスリップしたような建物が、そのまま使われいる。マイヨール広場からカテドラルを見ながら休憩。





昼食は クエンカ風マス料理。淡白な味付けだったがおいしかった。このバルはサッカーファンが集まる店らしく、そとのカウンタでもサポーターらしき集団が盛り上がっていた。

マドリッドに向けて出発。165km 2.5時間。マドリッドでは、世界三大美術館であるプラド美術館を見学。こちらでは、ガイドはすべて免許制であり、日本人がそのライセンスを取るのは、非常に難しいらしい。スペイン国内の就職率向上のためだという。そのため、日本語通訳として日本人がガイドをしてくれた。あくまで建前上通訳であるため、スペイン人ガイドも同行するという、おかしな観光形態となってしまう。プラド美術館では、ゴヤはそれほど絵はうまくないが、人脈を使って王室画家としての地位を築いた。たとえばゴヤの書いた絵のうち、「手」の部分をみると、手抜きをしていたり、パトロンとして大切な人の手は、精緻に描いていたりしているとガイド氏は、面白おかしく解説してくれた。


コンフォーテルアルカラノルテホテルにチェックイン。

■2011年02月14日(月)
09:00 三方がタホ川に囲まれた街トレドに向けて 70km 1時間。トレドは1561年に首都がマドリッドに移るまでの政治・経済の重要な拠点だった。その歴史的背景から、ユダヤ・キリスト・イスラムの宗教が同居する街でもある。街は細い路地がたくさんあり、要塞としての一面をみせる。その細い道を車が通り抜ける。人とすれ違えないくらいの狭さだ。カテドラル、サントトメ教会にてエルグレコの傑作「オルガス伯爵の埋葬」を見学。



12:20 ラマンチャ地方へ 60km 1時間。白い風車の丘を散策。風が強い。


13:00 途中のカフェで遅い昼食。ドンキホーテメニューがおいしい。仲のいいロバとブタがお見送り。



14:00 グラナダへ、287km 5時間。
19:00 ホテルは、コロナデグラナダ。ホテルは街中の狭い通りにあるため、バスを止めるのに一苦労していた。雨が降り始めていた。夕食はホテルのビュッフェ。食後オプションとして洞窟フラメンコショー(10000円)に出発するメンバーを見送る。


■2011年02月15日(火):雨時々くもり
08:00 雨野中をアルハンブラ宮殿へ。建物の大胆さと寄木細工や壁に施された彫刻の繊細さが、妙に印象に残った。インドと似たような宮殿のつくりのように思う。ちゃんとハーレムも宮殿内にあるし・・・。その後リヤドロや寄木細工のお土産屋に立ち寄った。リヤドロの人形たちの形や顔の意匠が好きだ。





昼食は イカの墨煮。温野菜もおいしかった。

14:00 白い村で有名なミハスに到着。残念ながら青空と白い街の対比はできなかったが、雨がやんでくれたので傘を差さずに歩けた。闘牛場も見学。自由行動となり、バルに入りコーヒーを飲む。店員は食事中で、ドラえもんのTVをみていた。帰りの広場で買ったアーモンドのお菓子がおいしかった。





15:00 セビーニャに向けて、240km、3時間半。途中土砂降りになったり、晴れ間が見えたり、非常に変わりやすい天気であった。
29:30 ラモディージャホテルに到着。夕食はホテル内でビュッフェ。ようやく野菜らしきものが出てきた。テーブルは4人がけで、おかーちゃんとカーリー娘と同席した。フルボトルの白ワインを4人で飲んだ。おいしかったぁ〜。


■2011年02月16日(水):雨時々曇り、晴れ
08:00 アルカサル、カテドラルを見学。








ポルトガル・エヴォラへ出発。265km 4.5時間。車中は漫然と外を眺めていた。日本とは違った石だらけの起伏のある丘に、オリーブの低木が植えられている。西に進むにつれて、やがてそれはオレンジの木に、さらにコルクの木へと変わってゆく。畑の中には、作業小屋なのか朽ち果てた石積みの建物があったり、丘の上にはお城なのか宮殿なのか大きな建物跡も見えてくる。ラマンチャ地方に入ると、丘に小さな風車があったりもする。まるでドラゴンクエストのゲームの中のような景色だ。天気は土砂降りの雨だったかと思うと、晴れ間が見えて、大きな虹にバスの中で歓声があがる。そんなささやかな変化でも見逃さないよう、外を眺めながら、目的地への到着を待った。
12:35 国境を越えてポルトガルに。


添乗さんについて、細い路地を歩いて行った。レストランらしき入り口で待っていると、添乗さんがあわてて戻ってきた。お店が休みだという。パニックっぽく添乗さんが携帯を掛けまくっていると、雨がぱらついてきた。どうやら系列店で店を間違えたようだ。そこから5分歩いた先の路地にある目的のレストランについたとき、このゴタゴタで、79才のお爺ちゃん夫婦がいないことに気がついた。添乗さんはあわてて、外に探しに行った。10分位して二人を連れて戻ってきた。てっきりこの爺さんが怒るかと思ったていたが、「ご心配おかけして申し訳ありません」と丁寧にみんなに謝った。人数を確認しない添乗さんが悪かったと思うのだが・・・。
後で聞くと、雨が降ってきたので、傘を買おうと傘売りの所に行っている間に、皆がいなくなったのだという。探しまわっても、迷うだけだから、その場にずっと待っていたのが良かった。「正直、すごく心細かった」と本音を漏らしていた。昼食はパカリャウ。


昼食後ディアナ神殿やエヴォラ歴史地区を散策した。お土産店には、コルクでできた製品が置かれている。コースターや絵ハガキから始まり、ポーチやカバン、帽子やジャケットまでコルクで出来ているのは驚きだ。この地区の現地ガイド・ジルはちょっとブロンドのはいった髪の女性だったが、「これは染めているの?」と聞くと、いたずらっぽい顔をして「コルクでできているの」ってうまいジョークをとばした。





リスボンへ。ホテルはコリンシア リスボア



■2011年02月17日(木)
08:00 ユーラシア大陸最西端 ロカ岬(38km 1時間)へ向かう。

09:20 ロカ岬に到着。記念碑には詩人カモンエスの詩が書かれている。
CABO DA ROCA
AQUI ONDE A TERRA SE ACABA E O MAR COMECA (CAMOES)
PONTA MAIS OCIDENTAL DO CONTINENTE EUROPEU
「ロカ岬 ここに地果て海始まる(カモンエス) ヨーロッパ大陸最西地」
15〜16世紀、大航海時代コロンブスがアメリカ大陸を発見し、バスコダガマがインド大陸に到達し、マゼランが世界一周をした。
まさにこの大地の果てに絶望したのではなく、海の始まりにまだ見ぬ大陸を夢見ていたのだろうか?
宮本輝の作品にも「ここに地果て海始まる」がある。今度読んでみたい。



リスボンに戻り、ジェロニモス修道院、





ペレンの塔、発見のモニュメントを見学。ここにはスリが多いと、現地ガイドが教えてくれた。さらに、「あそこを歩いているあの白いブーツを履いたカップルがそうだ。あぁ〜今向こうの公園のほうにいった」などと実況中継までしてくれた。


昼食は シロギスのフライ。食後オプションの「ペーナ宮殿とクリストレイ観光」参加のグループと別れ、リスボン市街を歩く。ひどい話で、オプションに参加しない人は、地下鉄に乗って帰れ・・・って感じだ。我々はともかくも、お年寄りなんかは大丈夫だろうかと思ったほど。添乗員の説明がいい。ポルトガルの人はやさしくて困った顔をしていると、切符を買ってくれたり、案内までしてくれるそうな・・・。


エドワード7世公園から、コメルシオ広場まで歩いてみた。ポルトガルの街もまたスペインの街と同じで、色鮮やかで「異国情緒」たっぷりだ!人々も物静かで、「大人」を感じさせる。通りにはパフォーマーが何人か台の上に立ち、その前にチップを要求する帽子やら缶やらを置いていた。好きなサッカーチームを応援するために、フラグを体に巻きつけて、立っているだけの親父や、姿を銅像に似せて、微動だにしない人などがいて、近くで写すとチップを要求されそうなので、ズームを生かして、遠くから写真を撮った。









14:30 地下鉄にのるためにチケットを買おうとしたが、全く表示がわからない!見かねたきれいなマダムが、「どこまで?二人分?片道?」と聞きながら、チケット販売機から買ってくれた。親父が二人、日本人独特の愛想笑いをしながら、ペコペコして、チケットを受け取った。地下鉄の中も、整然としていて、ポルトガル人気質を感じた。


今回の旅行では、ポルトガル人ドライバーがバルセロナからリスボンまで一人で担当してくれた。各宿泊先の観光地毎に現地のガイドがバスに乗り込んで、日本語で説明してくれた。バスの中では、添乗さんと、スペイン人ガイドそしてポルトガル人ドライバーが、前の方にいて、会話をしているようだ。ときどき笑い声が聞こえて、添乗さんがその内容を説明してくれるのが面白かった。
スペイン人ガイド 「こっちのレーンがすいているから、行けばいいじゃない」
ポルトガル人ドライバ 「これはバス専用レーンだ」
スペイン人ガイド 「これだってバスじゃない」
ポルトガル人ガイド 「バスはバスでも、ポルトガルのバスだ」
いい加減さと生真面目さの戦いのようだ。B型vs.A型みたいなもんか?
ポルトガルに入って、クラクションを鳴らす車を見ながら、ポルトガル人ドライバーがつぶやいた。
「だんだんポルトガルも、スペイン人のようになってゆく・・・・」
夕食は、チキングリル。




21:00 ホテルに戻る。
■2011年02月18日(金)
05:30 4時からの簡単な朝食(パンとコーヒー、チーズ)食べ、空港に向かう。

08:20 AF-2325 リスボンからパリに向けて出発。
11:50 パリ到着

13:30 AF-0276 に乗り込み、後はどれだけ眠って時間をつぶせるかが問題だった。食事の際に、ウィスキーのオンザロックを飲み、眠る準備を整えた。となりに座ったT氏は、ビールにワインに、ウィスキーにビールに・・・と、がつがつがぶがぶと酒を飲んでいて、静かになったかと目をやると、電池の切れたぬいぐるみのように、首をがっくり落として眠りに入っていた。
18:00 シートモニターで映画「エアーベンダー」をみていると、機長からフランス語なまりの英語で、アナウンスがはいった。「・・・technical problem・・・trouble・・・Narita・・・is not possible・・・saftey・・・turns back in Paris」と何やら意味深なアナウンスだった。いやな予感がして、シートモニターのナビ画面をみると、なんと飛行機がUターンしてるではないですか! 思わず隣で眠るT氏を起こして、ナビ画面を指差した。その後日本語でのアナウンスがあり、「機材に不都合が生じて、成田まで行っても直せないトラブルである。そのためパリに引き返すことにした。このトラブルは運航上に支障はない」との旨。後でアテンダントに聞くと、ウラル山脈を越えるために高度を上げた時に、その不具合が発生したとのこと。機長も重大な判断を的確にこなしたんだと思った。しばらくすると、朝食用だった食事が配られた。この時点ではパリにもどって、代わりの機材があてられるのか、それともホテルに一泊なのか何も決まっていないため、とにかく食事を食べることにした。

21:30 パリに到着。 空港では、とにかく待たされた。イミグレをいったん通過し、エールフランスのカウンタ周辺で、添乗員さんが手続きに行っている間、ずっと待たされた。ようやく明日の8時に飛行機が出るので、それまでホテルに案内するとのこと。最初はバスに乗るということで、バス乗り場で待っていたが、ホテルはシャトル(地下鉄)で一駅とのことで、場所を変える。駅について階段を上ろうとすると、セキュリティが、この階段には、持ち主不明の荷物があるので、念のため向こうに回れと・・・とまたまた遠回り。空港近くのIBISホテルに到着するも、各ツアーの客(日本人)でまたまた待たされる。

■2011年02月19日(土):曇り
01:00 ようやく辿り着い部屋は、せまい中にWベッドがどぉ~んと・・・。二人顔を見合わせ、ベッドのマットレスを下ろし、毛布のカバー、マットレスのシーツを外して、二人分のベッドを作った。この辺は、以前のパリ旅行で経験済みだ。それから深夜におやじがじゃんけんを始めた。部屋にはオイルヒーターがあったが、全くきいておらず、シャワー後とにかく寝ることにした。夜2時近くのことだった。
03:00 実は気がかりなことがあった。今回の機材の遅れについて、旅行会社から自宅へ連絡してくれるという・・・余計なことだ。人には色々な事情があって、私の場合は「スペイン・ポルトガルよくばり9日間の旅」などと、連絡してほしくないのだ。そのために、先手を打って家族に連絡しなくてはならない。寒くて3時くらいに目が覚めたので、チェックイン時に混んでいたビジネスセンタのPCの所に行って、インターネットに接続し、Googleメールで家内の携帯にメールを書くことにした。・・・ところが、日本語を打てない・・・。キーボードもなんだか変だ。しょうがないので、ローマ字でGoogle検索し、出た日本語のページのテキストをコピーすることにした。右クリックでは拾えないため、CTL+Cでコピーし、CTR+Vでペーストした。「パリからの便が遅れたようで、台湾にもう一泊します。やっぱり安い飛行機はだめだね」って。


06:30 食事をし、7時半に集合、8時に空港で到着。
10:30 AF-276Aにのり再度成田へ。座席は、前回と変わらない。食事も全く同じだった。同じように食事をし、お酒を飲んだ。食後はひとしきり静かになるのだが、乗っている時間が長いと、みんなカウンタに集まり、ソフトドリンクを飲んだり、カップヌードルを食べたり、サンドやおにぎり、アイスなどがつがつと人が集まり始め、我々の席は落ち使いない。このあたり、女性グループが結構貪欲だったりした。
■2011年02月20日(日)
07:30 成田着
10:50 自宅到着。
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