優しき孤独  『下妻物語』


深田恭子の饒舌さは、モーションピクチャーで語られるお話としては、とにかく記述的で、そのガイドブックっぽい執拗さは、『アマルコルド』('74)の観光案内を想起してもよいし、その疾走感に『マグノリア』('99)のオープニングを思い出してもよいし、あるいは、説明装飾の過多が座興として用いられる様に、『ファイト・クラブ』('99)を見出してもよいでしょう(北欧家具→ジャ○コ)。

映画が記述的であること、それを物語が物語自体に抱く自意識の度合いと関連づけてもあながち間違いではないように思います。たとえば、冒頭、不慮の事故で滞空しつつある深田に向けられた眼差しは、ほとんど物理の教材映画のそれで、飛散したパチンコ玉がちゃんと重力計算されて動いてますよう――な偏執狂の雄叫びが聞こえる。もっとも、それだけだと、近年ではありがちなモーションエフェクトによる表現のひとつとも解せそうですが、そこから饒舌な深田の解析的な叙述が始まり、ヴィジュアルに傾性したお話かと思えば、その実、視覚は記述的な要請に端を発しているのが認められる。いわゆる“映画”というわけです。

深田による記述は、まず自分の所属する文化圏への言及にあてられ、次いで地域環境の詳細な有り様が触れられ、やがて生い立ちのダイジェストが始まります。そこにあるのは、自分の配置された座標への明確な意識であり、前述の如く、映像の記述性が自己言及に結びつく証左を成している。この精密で論考的ともいえる視野が、エンターテインメントととして機能しているのは明かです。けれども、落とし穴がないわけでもありません。その明晰性が、ある種の予定調和を物語に課してしまうように思われます。

問題はやはり記述の解析性にある、といわねばならないでしょう。深田の自意識は、物語の自意識でもあり、したがって、物語はそのクリアな思考のおもむくままに、自分が何者であるかを明確に定義し宣言します。すなわち、異文化コミュニケーションのケース・スタディを語りたい――。深田と土屋アンナの人格造形とその対比は、わかりやすさがゆえに、学術的な演繹性の介在を示唆します。また、物語の明確なる定義が宣言されたということは、自らの展開に枠が設定されたということでもあって、『下妻物語』が異文化交流のサンプルである以上、それが理想化するモデルから逸脱するのは難しい。

深田は孤独な娘ですが、その生き方を否定しません。ところが、彼女の誇らしさが強調されてしまうと、かえって、孤独なる生活に疑問が呈されてしまい、そこに何やら教条的なイヤらしさがある。翻って、土屋の方を眺めると、所属するコミュニティでトラブルを起こし、人間不信気味になる。そのモデルが志向するところは明白です。深田は土屋という友人を獲得して、不健全とされる生活スタイルを改変します。他方、土屋に内在する群集への傾斜は、足を洗うことで矯正されます。ほとんど、計量社会科学風の均衡概念な世界があります。

けれども、果たしてそれは、対等という言葉で修飾されるべき歩み寄りといえるものなのでしょうか。実際のところ、異文化交流の理念化を謳うモデルとしてみると、『下妻物語』はその構築に失敗してしまいます。

けっきょく、土屋が出しゃばったところで、これはあくまで深田の視野の中で語られるお話で、彼女の人生の動機が問題とされるわけです。土屋の価値観に関しては、物語は何の否定的な見解も持ち合わせて無く、彼女が群れから離れるのは、深田の価値観に志向したからではなくて、むしろ自分の従来の美意識を貫徹したがための結果に過ぎない。対して、深田は、土屋の物理的な危機に際して、自分の美意識が何の効能も持たないことを知らされ、ぶち切れます。彼女は、土屋を模倣するが如くな言説を衝動的に発し、恫喝を行い、危機を克服する。土屋よりもむしろ深田の文化圏に親近性を覚える鑑賞者にとってしてみれば、これほど残酷なシークエンスはありません。土屋がおのれの美意識を保存し得たのとは対照的に、深田のそれは棄却されるべきものとされるのですから。


異文化交流の理念が瓦解する有り様をみると、『下妻物語』はむしろ孤独への評価付けを語っていて、異文化交流はそれを顕在化させるアイテムであったといえるでしょう。そして、深田―土屋ラインでは、孤独という問題そのものが消失してしまうことにより、評価付けの問題は解決されてしまいます。友達ができてよかったね〜、ということです。しかし、その映写幕の対面にいる独りぼっちで映画館の席を占めざるを得ない孤独な群集は、どうすればよいのでしょうか。

ここで物語が終わってしまえば、『下妻物語』は『素晴らしき哉、人生!』('46)風の、無垢であるがゆえに残虐な寓話となっていたでしょう。ところが、さすがに二十一世紀のシナリオワークだけあって、中島哲也は人格配置の多元主義を活用することで、深田/土屋という小娘どもにはとうてい扱いきれなかった孤独なる現象の救済を真っ向から試みます。それは、ほとんど『コン・エアー』('97)のブシェーミの如くな、阿部サダヲ(=俺)の投入。ニコラス・ケイジが、ブシェーミを語るための捨て石であったように、深田も土屋も阿部を語るがための触媒に過ぎなかったのです。

阿倍の人格造形をひと言で述べるのなら、それは世界に対する寛容とでも特徴づけられるもので、とりたてて奇異な造形というわけではありません。ところが、阿倍は深田とまったく同じ文化圏に属していて、友達が居ない。それで、深田が土屋を救済するべきか逡巡するとき、つまり、孤独という行動戦略を放棄せざるを得なくなったとき、阿倍は深田に語ります。

「友情よりも仕事を選んだ私には、友達がいません」

阿倍は、おのれの文化圏から離脱しようとする人々へ優しい眼差しを向けます。『グッド・ウィル・ハンティング』('97)のベン・アフレックであり、『リトル・ダンサー』('00)のゲイリー・ルイスでもある。ただ、阿倍がその造形において特異なのは、彼が孤独という、対人感覚を喪失しやすい境遇にあってすら、世界に対する優しい眼差しを失わなかったところです。

『下妻物語』が孤独に対して行った解釈の顛末は、もはや明瞭でしょう。それは物理的に救済し得るか否かの地平で語られるものではなく、そこにあってわたしどもはどう生きるのか、という問いかけの形をとっている。そして、阿倍サダヲの生き方そのものがそれに呼応します。つまり――、わたしどもはひとりぼっちだ。でも、きっと優しくなれるはずだ。

『下妻物語』とは何か? それは優しい孤独の物語です。



下妻物語 (2004)
監督・脚本 中島哲也






作成日2005/05/12


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