二月 日々のできごと


過去のできごと
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2001/2/28

「頭で理解できるものに価値はない」
(ウッディ・アレン)

同僚の徳島人Yの下の名前は“りょうぢ”なので、業務の合間の暇つぶしに、ギャルゲーのおねいさん声で「りょうぢちゃ〜ん、朝御飯だよ、学校に遅れるよ〜」などと云ってやると、徳島人Yは、「普通はりょうぢちゃ〜んではなくて“りょうちゃん”なのですよ。これでもわたしは、りょうぢちゃ〜んと呼ばれるのが厭なお子さまだったのですが、今ではもう、りょうぢちゃ〜んと呼んでもらわなければ、萌えられないのですよ」と言います。

そんな徳島人Yの幸福そうな笑顔に向かって、わたしは「死ね」と云いました。


2001/2/27

眠いのに業務を強いられると不機嫌になり、「うがぁ〜」とメモ帳を壁に投げつけたり、回転椅子を暴走させたりすると、演出助手の東北人Hさんに「元気のよいことですねえ」と云われ、ますます腹立たしくなり、ついでに、同僚の新潟人Oさん、臭い足をこちらに向けないで下さいよ。糞っ、雨が降ってる。


2001/2/26

上司の沖縄人Cさん、煩いのですよ。元気良く「吐く、吐く」云わんでくださいよ。気分が悪いのなら、早く帰って下さい。夜中に、コンビニで二ダースもシュークリームを買わないで下さいよ。ああっ、上司の中国帰りKさん、机をぼかぼかなぐならないで下さい。怖いです。


2001/2/25

椅子にもたれ、夢とうつつを彷徨うわたしは、銀行強盗に巻き込まれていました。「大変なことである事よ」と身を伏せていると、頭上を弾頭がすげえサウンド・エフェクトを伴い通過し、わたしは奇声を上げながら我に返るのでした。


2001/2/24

夜中の新宿を車で通過すれば、ケーブル工事で道が詰まり気味になっており、隣に座っていた上司の沖縄人C氏に「ケーブル工事ですよ、これでみんなと繋がれるわけですねえ」と云うと、氏は「それは気持ち悪い」と述べ、今年で三十路になった声優ファンである氏のカーステレオから流れる堀江由衣の抑揚のない歌声だけが、空しく響くのでした。


2001/2/23

朝、会社を出るとき同僚の新潟人O氏の靴下が、モニターの上に放り出されているのが目に付きました。わたしは、夜明けのことを回想します。

「いやあ、はっはっはっ、同じ靴下を一週間はくもんじゃないねえ、えむやまくん」

それから五時間ほど、狭き部屋のパイプ椅子にずっと座らされ、なんですか、なんですか、博多行きの新幹線ですかこれは〜。おしりが痛くなるのでした。


2001/2/22

無理がたたり、わたしは、会議室の机の上で眠り、椅子の上で眠り、廊下に転がって眠り、そして、朝がやってきた。

正午に恵比寿ですか? それは無理と謂うものですよ。


2001/2/21

業務がひと山越えたので、上司の沖縄人C氏のおごりで、しゃぶしゃぶを喰べる深夜一時。そこで、沖縄人C氏がカレーを食った後、楽しそうにケーキを四つほど食いだしたので
「なにを、小学生な欲望を奔走させておるのですか」
と氏の太鼓腹を批判する。すると氏は、
「貴様こそ、ストロベリーチーズケーキを三つほど食いおって、この軟弱ものめ」と宣う。

肉を食った後にケーキを食う行為こそに、大人の渋みがあるのであって、決してそれは、カレーを食った後に達成されるものではないのだ。わたしはそう思う。

さんざん食ったあげく会社に戻っても腹一杯で仕事が出来ず、三時間ほど机の上で失神してダメダメになる。目が覚めれば朝になっており、外に出て青空を見上げると、飛行機雲が棚引き、「B29撃墜日和@久我山砲台」と奇妙に夢のある句が頭に浮かぶ。


2001/2/20

この感じはどこかで覚えあるなぁ、なんであったかな、と思えば、『日本のいちばん長い日』、終戦の詔勅完成後にだら〜としている笠智衆内閣のみなんさんのそれで、要はとても疲れたので、カノンをみてますます疲弊して寝ようと思うのです。


2001/2/19

同僚の徳島人Yが、勤務中にギャルゲーのワンシーンをひとりで勝手に回想し、とつぜん悲鳴を上げて身を捩らせるので、愉快になったわたしは「死ね〜、死ね〜」と声をかけ、疲労し、あれ、カッティング前日の朝ではないですか。


2001/2/17&18

風呂にはいるために、帰宅してテレビをつけたら、波平とタラオが風呂に入っていた。

「笑顔の人は幸せになる。かみさまは笑顔の人が大好きだ。」

波平はタラオにそう語った。

翌日、荷造りをしていたら、軽い立ち眩みを覚え、床に転がってみた。世界がいつもと違ったように見えた。


2001/2/16

朝五時に、閉まっていたスタジオ入り口の鍵を取り出すため」、暗証番号をあわせてポストを開こうとするが、なかなかあかず、業を煮やして強引にこじ開けようとポストのダイヤルを無理矢理引っ張っていたら、同僚の新潟人O氏が、嘲りの高笑いをわたしに浴びせつつ、原チャリで傍らを通り過ぎ、わたしは泣きたくなった。


2001/2/15

夜明けのダイアローグ。

「よき人生は、死に際に後悔のない人生である」

「何を謂うているのですか。ひとの死に際なんて、終末医療の断末魔的な苦しみで、管の繋がれた身体をのたうち回らせ、そんな余韻に浸っている暇などないのですよ。ただただ、汚濁した意識の中で、世界とつながっている夢をいつまでも見ているだけなのですよ。それが現代人の醍醐味という奴ですよ」


2001/2/14

夢見るだけでせかいは破滅するものとは謂えども、実際にひとの見る夢は瓦礫の山の金髪のおねいさんであったり、また、「そのおねいさんは池上遼一画である」と同僚の新潟人O氏に補足されたり、それにたいして「そんなことだらうと、思うてましたよ」とわたしが応えたり、そんなこんなで、朝日はとても眩しく、へなへな〜。


2001/2/13

同僚の新潟人O氏は、大変にいぢわるな三十路男でして、深夜の2時にセブンイレブンで買った“チョコとバナナのショートケーキ(250円)”を大いに誇示し、ああ、もう腹が減った。眠い。帰る。


2001/2/12

軽やかに自転車をこぎ、通勤の道のりを行くわたしの前を、自転車に乗ったお巡りさんがゆき手をふさぎ、のろのろ走るのですが、よく見れば、かのヒップ・ホルスターからはニューナンブの銃床が顔を突き出しており、釘付けになったわたしは、今月の生活費とモデルガン購入費用の関わり合いについて考え込み沈潜し、世界は物欲にそまったあげく、気づけば、会社のエレベータの非常ボタンを間違えて押してしまい、ああ、どうしましょう。


2001/2/11

深夜から明け方にかけて、100キロほど走行いたしました為、へなへなになってしまうのですが、乗っていた社用車、通称“ぼろカローラ”の走行距離が、気づけば10万キロを超えようとしており、「あああ、ぢんせい、ぢんせい〜」とわめきたくなる心持ちになるのでした。

前々からそのような傾向があったのですが、最近は殊に、なにか起こると
「う〜ん。それがぢんせいと謂うものですよ」
「いや〜、ぢんせいですねえ」
「それもまた、ぢんせいですよ」
などと、発するまでにわたしは至っているのですが、そんな微笑ましいわたしの言動に対して、同僚の新潟人O氏は、
「ぢんせい、ぢんせいと、浅ましき奴め」
ともっともな暴言を吐き、わたしのこころを深く傷つけるのです。

しかし、「金髪で全裸のおねいさんが瓦礫の山に横たわる夢をみた(はぁと)」とおのれの欲望世界を嬉々として誇示する新潟人O氏にそんなことは謂われたくもなく、だんだん腹が立ってきて、ぷんぷんしてきた朝の7時、連休明けでした。


2001/2/10

通勤の道すがら、コンビニの前に自転車を止めて弁当を買い、にこにこしながら出てきたわたしだったのですが、愛用ママチャリのかごを見れば、空いた菓子袋が放り込まれており、こころの中で仮借なく手足を振り回す様となりました。

思えば学生時代、いつも目立たぬ学校の裏の方に自転車を止めておりました。不思議なことに、今はもうどこかに行ってしまったその初代ママチャリのかごには、決まって木曜日に聖教新聞に包まれたごみが投入されていました。しかしどうして――、

宗教ネタは危険がいっぱいで、怯えるのです。


2001/2/9

「じぶんの心は繊細でこれ以上傷がついたら破裂してしまう」

ギャルゲーの国からやって来た同僚の徳島人Yがそう申すので、かような巨漢が破裂する光景はさぞかし見物だろうとわたしは考え、「とくしまは、わかめと阿波踊りしかないぢゃないですか。どういうことですか。責任をとるべきですよ」と意味のよくわからぬ悪口を放ちつづけたのですが、徳島人Yの巨体はいっこうに四散する気配を見せないのでした。


2001/2/8

30過ぎた演出家とアニメーターのおやぢたちが「手袋でたい焼きを喰うのはどうよ」とアニメの会話をするのは、わたしはたいへん間違ったことではないかと思うのです。こんなけがらわしい世界は、早く滅びてしまえばよいのです。

そもそも、なぜかようにくだらないことを朝八時に書かねばならないのか。昨日閑だった分、一気に業務が押し寄せ、こんな様になってしまうのです。わたしは、この因果応報なせかいが、ますますいやになるのでした。

「そんなに厭だったら、さっさと消滅してしまえ、ボケェ」。
そんなつれないことは謂わないで下さい。死ぬのは痛そうぢゃないですか。


2001/2/7

よくあるではありませんか。「う〜ん、あの頃はよかったなあ」という言葉が。すがるべき過去がある人は幸せなのですよ。わたしには思い当たる節がないのですよ。そんな昔が。

人生は思いで作り。ただ、やがて、人はその思い出に押し潰されてぺちゃんこになってしまい、思いで無き人は、心の真空状態に飲み込まれ空っぽになってしまい、要するに、救いはなにもないように思えるのです。

で、けっきょく何が言いたいのかというと、「今日は早く帰れそうで嬉しいな〜」に尽きたりもするのです。

よくわからないですね。でもたぶん、それが人生なのですね。そう、おやぢ臭く思うのでした。


2001/2/6

――そして、今日の仕事が全部片づいたのでした。朝八時のことでした。


2001/2/5

やはり笑顔なのですよ。最後の瞬間まで、笑顔なのですよ。作り笑いも、最後まで続けば、真実になるのですよ。

さて、車で外の回りに出ていたとき、前を走る車を見れば、幸せな恋人たちが車内でいちゃいちゃ。わたしは、じぶんがとても疲弊しているように思えたのでした。


2001/2/4

外の回りの中途で、夕方のラッシュに巻き込まれ――。

「前のおねいさん、そんなにぎゅう〜っとしないで下さいよ、ああ、ひとは一平方メートルあたりに一五人詰め込まれてしまったら潰れ死にしてしまうのですよ。自転車通勤の身にこれは堪えるのですよ」とは思うものの、やがて、見知らぬ人々とぎゅ〜ぎゅ〜しているうちに、

「ぼくはもうひとりじゃないんだ」

そう恍惚として参るのです。しかし、駅に着いた途端、人々の濁流に呑み込まれたわたしはホームに投げ出され、ふたたびひとりになってしまい、めそめそしながらTUTAYA新宿店に駆け込むのでした。


2001/2/3

クリスマスはケーキが喰えるので素敵であって、正月は酒が飲めるので幸せであって、バレンタインデーは義理チョコが喰えるので嬉しいのであつて―――。どうしてかようなことを考えるのか、おのれの精神活動に耳を傾けてみると、どうやら腹が減っているらしく、日々の生存に追われる簿給のわたしは、世界に対する形而上的な関心をもち得なくなってしまうのでした。

思索は閑人の特権であり、閑人になるためには、金持ちにならなければなりませぬ。ただ、お金持ちになってしまったら、日々の物理的な生存に悩む必要はなくなって大変けっこうなのですが、そのかわり、何か抽象的なことに思い悩むようになりそうで、どちらか選べと謂われたら、わたしは「どっちもいやです〜」とわめきながら、逃げ出すしかないのです。

とりあえず、サンクスの半熟目玉焼きバーガーを買いに行くのです。どうせいいのです。わたしは、同僚の新潟人O氏がいみじくも指摘されるように、サンクス弁当がなかなかよいものであることをこれまで生きてきて知らなかった愚かな人間なのです。自分の半径50cm以遠のものはよく見えぬのです。

新潟人O氏め、今に見ておれ。


2001/2/2

夜も明けようとする度の過ぎた深夜、車中でわたしは呻吟していました。この世界には、無駄なものなどというものは存在し得ないと空想するのなら、今ラジオから流れゆく椎名へきるの呆けた声に、いかような機能的意義が存在するのか。

いくら頭を抱えても、答はわからないのでした。


2001/2/1

いま、ふと、思ったのですが、わたしは昨日ここに如何なる事を書いたのか、よく思い出せなくなっているようで、勢いよく過去の彩度が薄れてゆく恐怖に、慌てふためきぶるぶると震えてしまいます。

もう一日が終わってしまいました。でも、こんな業務の停滞ぶりでは、今夜わたしは眠ることができるのでしょうか。できれば、この世界のどこかにいるかもしれないわたしを愛してくれる人に「こんやは寝かさないぞぉ〜」と謂われ、ごろごろ萌え転がり――ああ、また恥ずかしきことを。


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